レジリエンス政策研究会 – 複合リスクガバナンスと公共政策研究ユニット・東京大学政策ビジョン研究センター https://pari.ifi.u-tokyo.ac.jp/unit/crg UTokyo Policy Alternatives Research Institute | Complex Risk Governance Research Unit Tue, 24 Oct 2017 02:22:53 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.1.4 第8回 レジリエンス政策研究会 開催概要 https://pari.ifi.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/2015/09/10/resilience-8/ Thu, 10 Sep 2015 05:35:29 +0000 http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/?p=1127
  • 議題:「東京都の防災対策」
  • 日時:2015年1月20日(火)18:00‐20:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス 伊藤国際学術研究センター3F特別会議室
  • 講師:前田 哲也 氏(東京都総務局総合防災部 計画調整担当課長)
  • 東京都の防災対策

    講師による主要な問題提起

    • 都の危機管理を広範に扱う部署
      • 総務局総合防災部は自然災害から感染症、テロまで、危機管理を広範に扱うセクションである。初動の情報収集等を行い、状況に応じて関係機関等と連携して対応を行う。
      • 想定される危機の中でも、都に切迫する危機として、首都直下地震がある。対策を考える上では、都の特徴として首都機能等様々な機能が集中していることに加え、木造住宅密集地域、区部東部のゼロメートル地帯、多摩の山間部、島しょ部といった地域的に多様な特性を持つことに配慮している。
    • 首都直下地震等による被害想定
      • 都の被害想定は、国の最新の研究成果や科学的データに基づき平成24年に全面的な見直しを図った。すなわち、フィリピン海プレート上面の深さが従来の想定よりも10㎞程度浅いという最新の知見に基づいてモデルを設定し、首都直下地震として、①東京湾北部地震と、②多摩直下地震の2種類を検証するとともに、海溝型である③元禄型関東地震、活断層で発生する④立川断層帯地震についても新規に想定地震として追加している。
      • 人的被害、物的被害等の想定は、冬の18時、風速8m/秒という設定で算定した。4つの地震想定の中では東京湾北部地震で一番死者数が多く、約9700人と想定されている。負傷者は約15万人、建物全壊被害(全焼含む)が約30万棟、帰宅困難者は約517万人という想定である。
    • 東京都地域防災計画に基づく対策
      • 被害想定に基づいた対策について、地域防災計画の震災編に限定して紹介する。人的・物的被害を軽減するだけではなく、都民生活や都市の活動の一刻も早い復旧・復興も目指して、「被害軽減と都市再生に向けた目標」を掲げ、これを概ね10年以内に達成することを目標としている。
      • 第一に、自助・共助・公助を束ねた地震に強いまちづくりを目指して、家具の転倒防止対策や避難経路の確認といった住民による身近な自助の対策、防災隣組・消防団・災害ボランティアコーディネーター等の共助の対策を進める。公助の対策としては、都市基盤の防災性向上として、緊急輸送道路沿道の建物等の耐震化100%、三環状道路等の道路ネットワークの整備、鉄道施設耐震化、大規模民間建築物への備蓄倉庫や一時滞在施設の整備などを進めるとともに、エネルギーライフラインの確保として、コージェネレーション等による自立・分散型電源の確保、給水ルートの耐震継手化、応急給水体制の整備などを進める。その他、木密地域における不燃化対策、津波・高潮への備え、高層ビルへの対策などを進める。
      • 第二に、都民の命と首都機能を守る危機管理体制づくりとして、国や民間機関のほか、他府県等との連携体制の構築が重要となる。平成26年4月に首都直下地震等対処要領を策定したが、これは、発災直後から概ね72時間の間に、時系列でどういった機関がどういった活動をどのような形で行うのかとりまとめたもので、情報収集活動、大規模救出救助活動拠点の立ち上げ、自衛隊等の応援部隊の受入れ、区市町村との連携、医療・救助活動、帰宅困難者対策、避難者対策、物資確保等の具体的な手順等を明示している。これを、今後訓練等による検証を重ねながら改定していく。今は、策定した様々な計画等の実効性を検証する段階に来ている。
      • 医療機能の確保については、災害医療コーディネーターを配置し、都の災害対策本部にも数名張り付けて、初動医療体制を確立するとともに、民間事業者等とも連携し、医薬品等を確保する。帰宅困難者対策については、都で条例を作り、学生であれば学校に、会社員であれば企業に、動かずにとどまってもらうことにし、そのために学校なり会社なりに少なくとも3日分の食糧等を備蓄してもらうようお願いしている。民間事業者の協力も得ながら、帰宅困難者が発生した際の一時滞在施設として活用できるような施設の確保のお願い、その支援策も併せて行っている。情報通信の確保については、被害情報をいかに早く取るのかが一番の課題となるので、様々な通信機能を活用して迅速かつ正確な情報を取り、都民に伝えることができる体制を構築している。
      •  第三に、できるだけ早く都民生活を再建する仕組みづくりとして、電力や通信等のライフラインについては60日以内に95パーセント以上回復させる、具体的には、電力は7日、通信は14日、上下水道は30日、ガスは60日という、個別の目標を立てて取り組んでいる。
      • 避難者に対しては、避難場所の整備、機能の強化に加え、安全面についての配慮も必要になるが、女性の視点に立った避難所運営にも力点を置いている。加えて、物資の供給については、備蓄物資を都と区市町村で共同して、現在、概ね2日間の備蓄がされているところだが、これを3日間とする計画である。3日を過ぎると様々な物資のニーズが避難所等から上がってくることが想定されるので、民間事業者等と協定を結んで、調達や輸送について機能を向上させる取組をしている。生活再建の対策としては、り災証明の迅速な発行、ライフラインの早期復旧体制の構築、応急仮設住宅の供給の迅速化などに取り組んでいる。仮設住宅については、民間の住宅の空き家等を利用する対策も進めている。

     

    質疑応答における主要な論点

    • 災害時には、都民が都外に避難して都外の施設等を使用することも想定される。現在のところ自治体間連携としては大きく二つの取組がある。まず隣接自治体との連携については、埼玉、千葉、神奈川と政令指定都市を含めた9都県市という組織があり、相互連携を図っている。また、関西広域連合との相互連携も図っている。受援計画については、首都直下地震等対処要領の中に、応援部隊の受け入れ手順等を示しており、今後は訓練を通じてこれを検証していく。
    •  3.11後に首都直下地震等の被害想定の見直しを行ったが、その考え方は、一番被害が大きいシナリオに基づいて地域防災計画等で網羅的に対策を講じておけば、他のケースにおいても対応できる、というものである。しかし、複数の災害が組み合わさって起こるということも想定される。対策は限られた資源で講じざるを得ないが、複数の災害が同時に発生した場合のシナリオについても検討することが必要かもしれない。
    • 現在、都と区市町村とで防災対策を協議する場を持っているが、多様な地域、多様なステークホルダーがいるなかで、都としてある一つの対策を推進しようとする場合には困難もある。例えば、3日間分の物資備蓄の推進について、想定される避難者数が比較的少ない地域は対応できるが、想定される避難者数が多く備蓄する場所もない、財政的にも厳しい地域であれば、なかなかその対策が進まないといったことがある。都としては、なぜ備蓄が3日分必要なのかという理由から紐解いていかないと合意が得られないし、備蓄が無理であれば広域自治体である都が補完をする、ということを、個別具体的に説明する必要もある。場合によっては、区市町村同士の連携も必要になってくる。
    • 首都機能の危機管理となると、都のマターなのか国のマターなのか線引きが非常に難しい。国の実務者レベルには、何か起こったときは都と一体という認識がある。都においては、危機管理の広範を総合防災部が担っており、ひとたび災害等が起これば関係機関等と連携して対応することになっている。一方、国においては内閣府防災と内閣官房と分かれている。具体的な対策は司司での取組になると思うので、都としては、国の仕切りに合わせるというのが基本的な認識である。
    • 3.11後に都の危機管理監が都のプロパー職員から自衛隊出身者に変わったことにより、防災訓練に対する取り組み方も変わり、訓練により計画等の実効性を検証し、適宜計画等を見直すという視点により比重が置かれ、実践的な訓練を行っている。
    •  発災時に対応にあたる人員の確保について。時間帯によって帰宅困難者への対応など対策が違ってくるが、被害状況に応じて、都の職員が区市町村にリエゾンとして派遣される。区市町村の職員にはできるだけ区市町村の業務に従事してもらい、都はリエゾンから被害状況等の情報を取り、リエゾンを通じて区市町村に対し情報の伝達等を行う。都ではBCP(事業継続計画)の地震編を策定済であるが、改めて各業務を洗い出した上で、どういった人員を当ててその業務をやるのか、人員をどこにどうやって参集させ、どういう体制でやるのか、今後見直しを行う予定である。事業を仕分けて受援体制を整備することも必要だろう。区市町村間の連携はできるのか、あるいは、本当にその業務はその職員でなければできないのか、それとも代替がきくものなのか、自治体間の同種の仕事はある程度共通でやるといった連携や人員の融通ができるのかどうか。こういったことも受援体制に関わってくるだろう。
    • 東京オリンピック・パラリンピック等をはじめ都が抱える様々な課題や特性を考えると、都の危機管理にかかる体制をより充実させる必要がある。一つの計画を作るのにも膨大な作業が発生する。現在の体制では、災害等の対応は職員の通常業務に付加されるので、ひとたび災害等が起これば、その間通常業務は停止してしまう。災害等に対応する専門要員の配置などの検討も必要なのかもしれない。

     以上

    (本講演内容は個人の見解であり、所属機関を代表するものではありません。)

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    第6回 レジリエンス政策研究会 開催概要 https://pari.ifi.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/2015/07/30/resilience-6/ Thu, 30 Jul 2015 02:24:42 +0000 http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/?p=1061
  • 議題:「行政をめぐる近時の状況と今後のあり方について ~ 厳密なリスク管理型の行政からレジリエンス型の行政へ」
  • 日時:2014年9月16日 18:00 – 20:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス 伊藤国際学術研究センター3F特別会議室
  • 講師:中井亨氏(内閣官房行政改革推進本部事務局参事官)
  • 行政をめぐる近時の状況と今後のあり方について ~厳密なリスク管理型の行政からレジリエンス型の行政へ

    講師による主要な問題提起

    • 近年の行政改革の文脈について
      • 2013年10月から2014年6月まで11回にわたり開催された、稲田行革担当大臣(当時)の下の「国・行政のあり方に関する懇談会」について紹介しながら、L1070854最近の内閣官房行政改革推進本部(行革本部)における施策・動向に関連した問題提起を行いたい。古くは臨調行革審などの歴史があるが、近年の行政改革の中心的課題は、端的にいえば行政のスリム化である。その中で、特別会計改革や独立行政法人改革と並んで、行革本部事務局の主な仕事となっているのは、歳出の無駄をできるだけ削ることである。現自民党政権で行政改革の進め方について政府内や与党内で協議し、前政権のいいものは引き継ごうということで、「行政事業レビュー」を継続することとなった。そこでは、現在ある約5千全ての行政事業について各省庁が自己点検し、PDCAサイクルをきちんと回せるよう自己改善の運動として位置づけている。特会改革や独法改革については大体道筋がついたが、無駄の撲滅については、ここまで来たら終わりというものはなく、不断の努力として、システムとして定着させていかなければならない。
      • 行政のスリム化という意味では、公務員制度改革の流れもある。民間と比べた場合の公務員に特殊な人事制度、すなわち、終身雇用制と、天下りの禁止や能力実績主義の導入が主な論点になるが、政治との関係を含め、今の公務員制度の見直しの議論である。今年(2014年)5月には内閣人事局による幹部人事の一元管理も導入され、公務員制度はだいぶ変わりつつある。しかし、行政機構・定員の査定・合理化はこれまでも行われており、かつて郵政や国立大学等含め100万人いた国家公務員が、現在では30万人を切っている(自衛官を除く)。当然のことながら、行政のスリム化といっても、どんどん減らしていけばいいのかというと、どこかで物理的な限界は来る。俗にいう「切る行革」というのはだいぶ限界に来ているといえる。
      • さらに直近では、内閣官房や内閣府の業務見直しがある。2000年の省庁再編で各省庁を統廃合して大括り化し、横串の仕事として、内閣官房は戦略の場、内閣府は知恵の場という位置づけにし、特に新しく出てきた仕事に対応できるようにした。省庁を大括りにすることで、一人の大臣がある程度広い視野で物事を見えるようにし、なおかつ、一つの省でおさまらないことでも省庁間で調整システムを働かせ、それでも足らない部分は内閣官房や内閣府という一段高い所の調整を働かせるというものである。その後、内閣官房や内閣府には新しい組織が次々とできたが、これらを抱えすぎて手一杯になると、そうした一段高い調整もできなくなるため、もう少しこれらを身軽にし、総理や官房長官のリーダーシップを発揮して戦略を立てやすくするべきではないかという発想が出てきた。こうして、現在の内閣官房や内閣府の仕事を、各省庁で一番関係の深い所に戻していくという模索をしている。
    • 「国・行政のあり方に関する懇談会」について
      • こうした行革をめぐる状況を踏まえ、稲田大臣としても、規制改革や公益法人改革、独立行政法人改革など様々な改革について、広い意味での行政改革であるとしても各部局で各々バラバラに取り組むのではなく、行政全体を通ずる哲学のようなものをきちんと打ち立て、これに基づいてやる必要があるのではないか、という問題意識があった。こうした流れが一つになり、2013年の春頃にこうした懇談会の提案が上がった。
      • 懇談会はまず、社会像もしくは国家像のようなものを広く考え、その中で行政のあり方を考えてみるという観点に立ち、旧来の審議会のように事務局がある程度結論を持って、そこにお墨付きをもらうのではなく、まさに自由に議論してもらった。30年後、40年後の国家像を自分たちのこととして議論してもらうため、比較的若いメンバーを中心に、自分たちで実際に物事をやっている社会企業家のような人たち、そして女性に半数以上入ってもらった。我々としても答えがあった訳ではないので、やってみて何が見つかるか分からない、見つからないかもしれない、というある意味で「実験」としてスタートすることができたのは、大臣の柔軟性もあってのことだった。
      • 通常の審議会は、その議論が面白いものであったとしても、世の中にそれが伝わりづらい。この懇談会では運営そのものが行政の新しいモデルになるような情報発信の仕方を試み、グラフィックレコーディングやインフォグラフィックス等の視覚的なデザインの力を借りた議論の「見せ方」、ライブ中継やツイッター発信などによる双方向性等の工夫を行った。
    • 「懇談会」の問いかけ
      • 懇談会の結論自体も、普通の審議会のように事務局がとりまとめるのではなく、メンバー自身が議論を経て伝えたいことをそれぞれ取りまとめるという方法をとった。また、全11回の議論に通底するようなメッセージや鍵となる考え方を一種雑誌の記事のような形で編集してスライドにまとめ、全体のパッケージをもって取りまとめとした。大きな結論を出すというよりも、この中から読み取ってもらいたいというメッセージであり、全てにおいて、いわゆる役人の常識からは余り考えられないような形になった。とはいえ、バラバラのことを言っているだけではない。全てに通底している考え方は、昨今の財政状況を考えても、これまで国や行政が「あれもこれも」やっていたのを、「あれかこれか」と優先順位を決めてやらなければいけない、ただ問題は、それを誰がどう決めるのかという、まさに民主主義の問題でもある、ということである。民間ができることは民間が行うべきだが、行政にしかできない領域、すなわちイノベーションを生み出すための環境作りや、その全国的な横展開というものがある。しかし、限られた資源のなかでやるべきことはそれだけではない。特定の人たちに資源を集中して、一方には資源を与えないというような優先順位づけを、事前に社会的合意としてとることが本当にできるのか。全ての答えが出た訳ではないが、こうした問題提起をし、むしろ今後皆で考えませんか、という投げかけとした。
      • 更にいえば、これまで行政には余り当てはまらなかった、トライアル・アンド・エラーを認めていこう、行政の一部に「永遠のβ版」的発想を導入しようというメッセージにも連なる。これは役人自身の反省でもあるが、行政は間違えてはいけないというドグマ、100点を目指すという考えに捉えられてきたかもしれない。0点から70、80点まで持っていくコストと、80点から100点にするためのコストを比べると、往々にして後者のほうが膨大になる。行政は後者にコストを掛けすぎているのではないだろうか。
      • リスクについても行政は、白か黒かはっきり分け、黒は全部駄目という判断で規制しがちである。行政が「ここから先は全部黒なので駄目」と言いすぎると、人々が自ら判断する機会を奪ってしまうのではないか。例えば、高い防潮堤を造って後は安心させるのではなく、リスクがあることを踏まえて個人がどのように判断するかを支援すべきではないのだろうか。
      • そもそも、行政改革のために、なぜこうした国・行政のあり方を考えなければいけないのか。しかもそれを社会像や国家像に広げて話をしないといけないのか。今の民主主義の中にあって行政のオーナーシップ、すなわち「行政は誰のものなのか」という議論に立ち返るだろう。突き詰めれば、行政が提供するサービスの水準も主権者である国民の意思として決められているので、当然、裏打ちする財源も国民からの税金で成り経つ。ところが往々にしてこの負担と受益の関係が多くの人々にとって余り結びついていないのではないか。そのため、誰が決めて誰がそれをオーソライズするのかという根本の部分は懇談会の中でも議論した。一つの結論としては、公助/共助/自助の3つの軸の中で、「自立した参加型の社会」を作るべきということである。ではどうしたら今後、それが果たせるのかというところまでは、この懇談会では答えは出ていない。一足飛びにこういう社会が実現するなど到底思わないが、行政においてはまず、今やっていることからだいぶ撤退していかないといけないということについての国民のコンセンサスが必要なのではないか。まずはこうした問題を投げかけていきたい。

     

    質疑応答における主要な論点

    • 国家公務員自身の認識も、個人差があり一概に広い意味での「オーナーシップ」の感覚が共有されているとは限らないが、若い世代や女性の増加にも影響され、かなり変わってきているだろう。行政がこれだけ叩かれ、一方で税金を上げるとなると、やはり提供するサービスと見合っているのかどうかは議論になる。評価はもう少し正当に行われていいのではないかという感覚はある。一方、国家公務員より地方公務員のほうが実際に住民に接する機会が多いので、よりこうしたことを考えざるを得ないだろう。例えばITを活用したオープンガバメントの文脈では、千葉市が始めた「ちばレポ(ちば市民協働レポート)」という取組みがある。行政の限られた資源の中で優先順位を付けざるを得ないということが、ある程度、市民に見える形で出てくるし、さらに進めると、その中で自発的な関与も生まれる。
    • 行政としてやるべきことを、まさに誰が決めるのかということは、優先順位づけやプロセスも含めて、宿題として残されている。例えば原子力安全については70点、80点というわけにはいかないので、やはり行政としてどうしても守らないといけない部分は間違いなくあるが、全部が全部そうではない。重要なのは、行政も変わっていくということで、資源を集中させてやるべきことが、ずっと不変という訳ではない。新しい役割が入ってこれば、当然、必要なものは取り込んで、古いものは捨てていけばいいという発想である。「誰が」に関しては、当然、政治家や政党の役割も考えられるが、(これも世代や個人差によるが)少なくとも昔に比べれば、底流での理解はかなり上がってきていると思われる。一方、政治家の後ろには有権者がいるという関係もあるので、結局、そこが変わらないと政治だけが変わる訳がないという面もある。
    • 「あれもこれも」から「あれかこれか」へ変わらなければいけない、というのは、ある意味総論賛成的な結論。懇談会での議論があえて細部の具体論に入らずに抽象的にとどまった理由の一つとして、具体的に行政の実務に落とすと、やはり既存の色々なものとぶつかり尖った議論ができなくなるということはあった。自由に議論するためには、まずは他の行政との調整を度外視して進める必要があった。しかし、総論と各論の間に落としどころはあるはずで、例えば政策評価も、日本では余り機能してここなかったが、5年や10年毎の見直し規定など、総論賛成のまま進めながら、かつ、頻繁に見直しをするインセンティブを持たせるような仕組みがあるのではないだろうか。予算査定、規制影響力評価、リスクトレードオフといったいくつかの接近法があるだろう。
    • 例えば危機管理であっても、(国家)公務員の専門性が求められるが、何をするかを見極めて質を高めるしかない。人事異動の抑制については一般論としてもよく言われるが、特定の分野では、専門性を高めるインセンティブスキームも重要であろう。現在、専門スタッフ職という種類のポストを設ける動きはあるが、まだ仕組みが出来たばかりで、人事として専門性を育てることを第一の価値においてやっている訳ではない。また、そもそも、各部門のミッションにおいて、各ジョブ・ディスクリプションがきちんと書かれていれば、それに応じて必要なスキルや専門知識が明確になるが、日本では組織自身が余りそのようなことをしないのだろう。この点はジェネラリストにおいても重要であり、例えば、国家の危機管理であれば、専門性は外部から登用することもあり得る。ここで、本当に必要な能力は一体何かという議論が足りていないのではないか。
    • 一方、組織自身のミッションなり目標なりがどこまで明確にあるかという大前提があり、それがある程度あったとして、個人にまで本当にきれいに分解できるかというと、疑問でもある。また、特定の人に全部任せられてそこでクローズドだということではない。専門性や責任はきちんとと決められるが、チームワークとしてそれらのオーバーラップは大切であり、そこから先はマネジメントの問題となる。専門性を持った人が互いに尊重し合い、互いに意見を聞きながら自分の専門性を高めていくことができれば、日本のチームワークのいいところも出てくると期待できる。こうした公務員制度改革そのものも、うまくいくかは分からないし、誰も答えを持ち合わせていないので、まさにトライアル・アンド・エラーなのではないだろうか。
    • 内閣府や内閣官房に新しい仕事が増え続けた原因の一つには、やはりそうした看板・権威づけがあれば、調整もやりやすくなるというインセンティブはあった。一方で、各省庁で危機管理室のようなものを作り、それを横展開・水平展開させていくことはできるのかもしれない。それをやるのは各省であるが、前例があると強いので、他の省庁で良い事例があるという紹介は効果がある。技術的な専門(公認会計士や法律家)に限らず、例えば、広報や人事といった分野も広義にエクスパティーズと捉えて、省庁間で横に動きながら昇進していくキャリアパスがあってもよいだろう。

     以上

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    第5回 レジリエンス政策研究会 開催概要 https://pari.ifi.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/2015/06/11/resilience-5/ Thu, 11 Jun 2015 05:39:22 +0000 http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/?p=842
  • 議題:「Building a Global Commons: Resilience in Managing Extreme Events」
  • 日時:2014年9月1日 9:30 – 12:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス 工学部3号館321教室
  • 講師:Dr. Louise K. Comfort(Professor of Public and International Affairs and Director, Center for Disaster Management, University of Pittsburgh)
  • Building a Global Commons: Resilience in Managing Extreme Events

    comfort講師による主要な問題提起

    • 激甚災害のマネジメントという挑戦
      • 地震、津波、ハリケーン、竜巻といったハザードは物理的、技術的、社会的、経済的システムと相互作用することにより非常に複雑なイベントとなるため、統合された学際的なアプローチが必要となる。なかでも、サンディア国立研究所で公共政策や経済学や自然科学の技術者らが共同で
        開発したComplex Adaptive Systems of Systems (CASoS)というアプローチは、学際的なフィードバックループの概念を中心に、新しい問題を解決するための標準となる技術的アプローチに類したものとなっている。基本的なステップとしては、第一に、目の前の問題とは何かを定義し、その境界線を見定めること。第二に、関係する全てのディシプリンを合体させ、その文脈において特定の解決策(橋であろうと、建物であろうと、人々の避難プロセスであろうと)をデザインすること。第三に、実際に現場で動くかどうか、フィールドでテストすることである。
      • このアプローチの前提には、我々は災害をレジリエントにマネージできるという考えがある。リスクはもはや恐れるべきものではなくなり、システマチックな方法でアプローチできるものとなる。全ての答えを見つけることはできないが、少なくともより良く理解し、より情報に基づいた行動をとり、災害を変化させ、これに適用することもできるようになる。ただしこれは、一人の人物、一つのエージェンシーが単独で判断すべきものではなく、自己組織的な集合行為として行われる。困難な課題ではあるが、最大の鍵はコミュニティをこのプロセスに関与させることである。
    • 集合的学習・行動のためのグローバルコモンズ
      •  激甚災害を前向きな力に変えるために必要なのは、集合的学習と行動のためのグローバルコモンズの構築である。なぜグローバルでなくてはならないか? 東日本大震災は、地震性のリスクに晒されている米国、オーストラリア、中国、インド、インドネシア等全ての国の関心を集めている。一方で、こうしたイベントはそれほど頻繁に起きるわけではなく、またそうしたことが起きない国もあるため、こうしたイベントを一つの実験室として、真摯にその相互作用を観察し、ここに世界中の技術者、政策科学者、エコノミストを関与させ、応答的なリーダーシップやリスクをグローバルにマネージする能力を育成することが重要である。複雑なグローバルアリーナにおいて組織が機能する能力を拡大するという挑戦は、私にとって最も興味深い部分である。例えば、日本と中国と韓国が共に、激甚災害の影響を抑制するための活動を行うならば、政治的、国際的、経済的にも巨大なステップとなるだろう。
      • 激甚災害の一つの特徴は、常に情報の非対称性が生じることである。中央政府は一つの情報の塊を持ち、県も別の情報の塊を持ち、市町村も別の情報の塊を持っている。一方、ディシプリンについていえば、エンジニアは建造物について、地球物理学者は地震の断層について、気象学者や海洋技術者は津波について知っている。しかしこうした巨大な災害を語る上で不可欠な知識は、コレクティブコモンズを形成することに他ならない。集合的能力を形成するために、リスクについての理解の共有と、そのリスクを低減させるためのゴールの共有が求められる。
      • 公共政策の観点からいえば、政府が行うのは計画を策定することである。日本は地震災害について細心の厳密さを誇る計画を立てているが、津波災害について同様の詳細な計画を持ってはいなかった。過去のイベントにおける既知の情報のみ参照すると、累積的な相互依存プロセスによるイベントを予測できず、その結果、社会は東日本大震災のような例外的なイベントに直面した時、相互依存状況を予測できない。計画プロセスはしばしば過去のイベントに基づくため、未来がどうなるかを予測するには困難が生じる。真の課題は、いかに過去の教訓を経験したことのない未来の出来事の予測につなげるかである。
    • インドネシア、ハイチ、日本の事例
      • 2004年12月に起きたスマトラ沖地震は、最大マグニチュード9.3、東日本大震災とほぼ同じ規模であり、甚大な津波被害も発生した。我々の調査チームは、新聞記事のデータを用いて、どのような種類の組織が災害応答・救援活動に関与したかを分析した。判明した約350組織を、公的機関、民間企業、NPO、特別利益団体(いわゆる政党)に分類し、さらに、管轄レベルとして、国際、ナショナル、州、サブディストリクト、ローカルに区分した。すると、350組織のうち43%にあたる約150組織が国際組織であることが判明した。さらにこれらの組織をネットワーク分析を用いて、カギとなる組織、中心的な組織を区別した(図1)。すると、インドネシア赤十字がインドネシア政府より強い影響力を持ち、インドネシア軍もまた主要なアクターであることが分かった。しかし驚いたことに、社会問題省などいくつかの省庁は、他の組織や省庁と交流を持っていなかった。さらに、迅速かつ直接に海外組織と連携をとる必要のある外務省は、副大統領や大統領府とのみコンタクトをとっていた。しかし、最大の驚きは、中央政府の間、政府各層の間の(事前の)統合がなかったことである。インドネシア政府はナショナル版の防災計画を作成してはいたものの、この国家計画の中心的組織はインドネシア軍であったため、その後の内戦の影響で計画は形骸化してしまったのである

      図1

      図 1

      • 2010年1月に発生したハイチ地震は、西半球で最も貧しい国を襲った。ハイチ経済はほぼ全面的に海外援助に依存している。地震のマグニチュードは7.0とそれほど大きくはなかったが、甚大な被害を与えた。そもそもハイチには建築基準はないに等しく、優に都市部の80%の建築物が倒壊した。このように政府は脆弱で経済活動も非常に小さく、災害対策のためのいかなる集合的能力にも欠けていた。ハイチの震災対応・救援活動に携わった組織の優に75%が国際組織であった。図2では、国際組織を示す赤色が目立つ。地域組織である青色は、カリブ海諸国、すなわちキューバ、バミューダ諸島、ジャマイカ、その他の小さな島嶼国による支援を示している。一方、ハイチ政府自身の自国の地震への対応力は極めて欠如していた。また、民間企業間での相互作用が見て取れるが、それぞれが個別に関係しているだけで、政府との関係はなく、国際組織もNPOも個別に連携しているだけだった。

      図2

      図 2

      • 2011年3月11日の東日本大震災はマグニチュード9.0で、広範囲に巨大な津波をもたすとともに、福島第一原発での事故を引き起こした。日本は世界で最も地震研究の進んだ国で防災に多額の投資をしてきたが、津波リスクに対する計画は比較的限られていた。今回は、異なるレベルの計画が作られていた異なる3つの災害が同時に生じたため、異なる情報レベルによる情報の非対称が生じた。特に原発のリスクは高度に専門化され僅かな人々にしか共有されていなかった。この情報の非対称性こそが文字通りカスケード的被害を引き起こし、想像を超えた「ブラックスワン」(予想しない非常に稀なケースが発生し、壊滅的な状況が引き起こされること)の状態を招いた。日本は世界有数の経済大国であるため、震災による経済的影響も甚大で、16~25兆円にも上ると推計された。これはインドネシアの被害の10倍にものぼる。加えて、原発事故等によりおよそ7万8千人が避難を余儀なくされた。東日本大震災の原発事故対応のネットワークを見てみると(図3)、興味深いのは、図の右上部分のアクター(全て国レベル、多くは政党)が相互に強く関係していることである。この集合の中で全て相互に関連しているが、県レベルの組織(黄色)や、住民の支援を行ったNPO(丸印)、民間企業(四角)とのつながりもないのは驚きである。

      図3

      図 3

    • 3つの災害の比較と教訓
      • 3つの事例では一定程度の計画があったが、いずれもそれぞれの理由により大きく失敗した。3つの災害の政策対応と計画を比較してみると、いくつかの共通点と大きな相違点が判明する。いずれも県や国レベルの対応は比較的遅く、インフォーマル組織やローカルな近隣組織のいくつかが鍵となる活動を行っていた。基礎自治体、県、国、国際機関の各スケールの活動の間の連携も不足していた。
      • 我々が負った課題とは、グローバルコモンズを再構築するために、こうしたディシプリン間、管轄間、セクター間の情報の非対称性を最小化することである。では、誰がこれを担うのか? それは、これらを理解する者の責務である。CASoSは一つのモデルであるが、社会技術的システムに裏打ちされた「実践の網」こそが、CASoSにおけるレジリエンスを意味する。コミュニティのレジリエンスを構築するためには、潜在的リスクを探知し、探知のネットワークを通じてデータを伝達し、コミュニティに対するこうした潜在的リスクの影響を分析する方法論や道具を発展させることが必要である。重要なのは、もしこうした技術や道具を使えるようになり、リスクを可視化できれば、人々は複雑な脅威をより容易に理解できるようになるということである。

     

    質疑応答における主要な論点

    • 米国の危機管理の人財育成と訓練について。FEMA(Federal Emergency Management Agency, 米国連邦危機管理庁)の実務家向け訓練システムは、FEMAによるオールハザードの対応の計画プロセスの一部であり、地域や州による訓練プロセスに対する推薦的プログラムのようなものである。したがって、カリフォルニア州は地震、メキシコ湾岸の州はハリケーン、オクラホマやノースダコタ州は竜巻、ペンシルベニア州等の東部は洪水、というように重点も様々である。FEMAはガイドラインや計画をセットし、各州がそれぞれ危機管理エージェンシーのもとで州の危機管理計画を作る。各州は、一定の独自の訓練基準を策定し、FEMAは国レベルでの基準を示すが、それを州の危機管理部長が実施し、さらにサブディストリクトレベルでも繰り返される。そのため、国レベルの訓練が同じように地域で行われる訳ではない。州は危機管理計画を持っているが、それをどう発展させるかは州に任せられている。すると、ある州は非常に積極的になる。カリフォルニア州は、地震に加え山火事といったリスクに対して非常に認識が高く、トレーニングと教育に力を入れ、訓練も定期的に行っている。なお、計画策定の責任を持つ自治体から州へ、州から連邦へ、といった報告システムは義務であるが、問題は、多くの場合これが年1回しか行われないことである。また、誰がこれを担当するかに大きく依存する。もし情熱的でやる気のある消防士であったら、全ての状況、リソース、人員、迫りくる脅威を見渡し、人材を動員し、トップクオリティのリーダーシップを発揮して、必要なら計画を改定すべきだと言うことができるだろう。
    • 確かにアメリカはオールハザードに移行したが、そこに至るまでには、大災害の痛ましいプロセスと教訓を繰り返してきた。1994年のNorthridge地震(ロサンゼルス地震)は大都市部で起きた地震で、67名が亡くなった。問題となったのは10の高速道路の橋が崩壊したことで、町の経済活動はほぼすべて高速道路による輸送に頼っていたため、経済活動が全く停止してしまったことである。この崩壊がもたらした経済的損失は巨額であった。また、ハリケーン・カトリーナの被害はアメリカでも最大の失敗の一つだが、余り知られていないことの一つに、ニューオーリンズがアメリカ東南部の医療の中心地であったことがある。同市には18の研究病院と地域病院があったが、そのうち17か所が被害を受けて閉鎖され、市内だけでなくその地域全体の高度医療活動が停止してしまった。こうした痛ましい経験を経て、FEMA等の公共機関は、一つの災害が二次、三次、その他の災害のカスケードを引き起こすことを深く認識した。また、インフラ間の相互依存関係も非常に重要であることが認識された。
    • 工業化された国では、地震による経済的リスクはより大きくなる。そこで、政策立案者に耳を傾けさせるためには、こうした損失がいったいいくらになるのか計算することである。具体的な数字が出れば、法律や歴史を専攻し、地震工学やコンピューターサイエンスなど知らない政策立案者も耳を傾けるだろう。こうした損益分析には実際的な役割がある。
    • 災害リスクマネジメントは、財政的な脆弱性を考慮しなければならない。災害リスクのためのグローバルコモンズを強調するのはまさにそのような意味もある。スマトラ沖地震の後インドネシアに寄付された何十億ドルもの金額の10分の一が、地震探知ネットワークや公共教育プログラムを立ち上げるために使われていれば、大きな違いを生んだだろう。特にハイチは非常に貧しいので、ハイチ地震の後のグローバルコミュニティの反応は非常に気前が良かった。もしこの10分の一がリスクアセスメントの開発や情報インフラに投資されていれば、世界中で合理的な水準の能力が達成され、地震のコストと損失が抑えられただろう。激甚災害は、これがいかなる国で生じたとしても、間違いなくその地域の周辺の国々にも影響をもたらす。このイニシアチブをとるのは国連かもしれないが、国連に応えるのはもちろん財源の拠出国である。義務を有するのは、こうした経済的・技術的・知識的な資源をもつ国々であり、過去の災害の経験から共有すべき知識を持つ国々であるだろう。日本の経験から共有すべき重要な教訓の一つは、原子力発電所の爆発である。なぜなら、世界中に原発があるだけでなく、更に増加しているからである。
    • 民主主義の意思決定には一定の時間と複雑なプロセスを要するが、災害が起きると迅速な決断が必要となる。また一方で、大規模災害は発生後、あるいは時に発生前においても、その影響は時間的に非常に長期間にわたるが、現在の政治的意思決定は時に、こうした世代を超えるような長時間の影響や、次の世代のために何をすべきかについて、応答するには適していないと思われるかもしれない。しかし、リスクを取り巻く複雑な意思決定は決して単独ではできないものである。重要なことは、ラムズフェルド元国防長官の言葉でいうと「known knowns」「known unknowns」「unknown unknowns」のいずれについても予測と準備を行うことである。当然最も困難なのは「unknown unknowns」であり、だからこそ、学際的な知見を集め、学際的な意思決定システムを集め、集団的決定をするべきであろう。研究所や大学のような、政治的な利害関心に囚われずに長期的な視点を持てる主体が果たす役割もある。アメリカでは、サンディア研究所のような国立研究所もあれば、アリゾナのサンタフェ研究所のような民間の研究所もある。こうした研究所は、大学と提携もしているが、その予算の多くは民間から出資されている。また、世界中から若く、有望な研究者を集めている。こうしたシンクタンクやリサーチタンクの存在が、「unknown unknowns」のために多様な行動戦略を構築するために必要だろう。

     以上

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    第4回 レジリエンス政策研究会 開催概要 https://pari.ifi.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/2015/04/30/resilience-4/ Thu, 30 Apr 2015 06:58:57 +0000 http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/?p=629
  • 議題:「自衛隊の災害派遣と国民保護措置の実施について」
  • 日時:2014年7月15日 19:20 – 21:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス 伊藤国際学術研究センター3F 特別会議室
  • 講師:原田忠義氏  防衛省運用企画局事態対処課国民保護・災害対策室長
  • 自衛隊の災害派遣と国民保護措置の実施について

    講師による主要な問題提起

    • 自衛隊の災害派遣の枠組みDSC00114_1
      • 災害対策に関する法令体系の根本には災害対策基本法があるが、政府は①首都直下、②地震防災、③南海トラフ、④日本海溝・千島海溝、⑤原子力災害といった、大規模災害に対処する計画を順次整備している。防衛省を含む関係省庁も各々について対処計画を作り対応する。
      • 自衛隊の災害派遣は、自衛隊法83条の仕組みに基づく。一般的に、①都道府県知事は、災害に際して、防衛大臣または指定する者(方面総監、自衛艦隊司令官、航空司令官、普通科連隊長等)に要請を行い、②この要請に基づいてこれら部隊等の長が部隊を派遣する。また、市町村長は都道府県知事に派遣要請を要求できるが、通信の途絶などのより要求できない場合には、自衛隊に災害の状況を通知できる。さらに、緊急を要し、都道県知事の要請を待ついとまがないと認められる場合は、自主派遣という制度がある。自衛隊が災害派遣を行う判断基準は、公共性、緊急性(差し迫った必要性があること)、非代替性(自衛隊以外に手段が無いこと)である。自衛隊の災害派遣は、天変地異等に際し人命・財産の保護のためやむを得ない場合に、緊急的・一時的な支援を行うものである。
      • 自衛隊法では、83条の災害派遣とは別に、83条の2や3において、大規模地震対策特別措置法に基づき要請を受けた地震防災派遣、原子力災害対策特別措置法に基づき要請を受けた原子力災害派遣が規定されている。例えば、原子力災害は、情報収集事態から、警戒事態、施設敷地緊急事態、全面緊急事態へと、推移していくが、福島原発事故はこの全面緊急事態にあたるものだったので、当時は防衛省も、通常の83条の3の原子力災害派遣として対応した。なお、この原子力災害の事態区分は、福島原発事故の後に刷新された。
    • 大地震発生時の防衛省・自衛隊の対応
      • 大規模地震が発災した場合、政府レベルで、官邸対策室の設置から緊急災害対策本部の設置に至る対応が行われ、防衛省レベルでは、防衛会議を開催し、防衛省対策本部を設置し対応していく。現地部隊レベルでは、陸・海・空の偵察や部隊から関係自治体へ連絡要員を派遣し、都道府県知事から災害派遣の要請を受け、災害派遣を実施するという流れになる。
      • 自衛隊の災害派遣をすぐに行えるように、平素よりFAST-Forceという陸海空による即応部隊を整備し、一定規模以上の地震発生後にヘリによる偵察、1時間を基準とした陸自の出動、また、海自の初動対応艦の出動、といった体制を整えている。最初はこうした部隊を派遣し、その後必要に応じと部隊を投入していくことになる。
      • 自衛隊が行動する際には、自衛隊法上に一つ一つ行動類型の根拠を必要としており、例えば①武力攻撃予測事態と②武力攻撃事態と③緊急対処事態のそれぞれの対処について、一つ一つ行動類型が必要となる。したがって、何らかの災害が起こったときに、原因が何か判らない、テロなのか事故なのか判別できない事態が生じた時の行動類型については、最初は何らかの被害状況に基づき、都道府県が要請するか自主派遣になるかは別として、国民を保護するという観点で、災害派遣で出動するしかない。状況が判明し、緊急対処事態や武力攻撃事態が認定されれば、災害派遣から国民保護等派遣、治安出動、防衛出動による国民保護措置の実施に切り替わる。
    • 自衛隊の災害派遣活動の内容
      • 捜索・救助、情報収集活動、特殊災害対応、空中消火、復旧活動、給水・給食支援、入浴支援、応急医療、患者空輸・物資輸送などがある。厚労省が派遣しているDMAT、消防や警察の応援部隊の搬送なども行う。
      • 平成25年の災害派遣実績を見ると、全活動で約550件のうち、急患輸送が約400件でほとんどを占める。特に夜間や天候不順の際などに海の上を飛ばなければならない場合に自衛隊が出動することが多い。なお、平成26年2月の山梨の豪雪災害はなかなか難しい事例であった。自衛隊は基本的に他者ができることはやらないので、例えば人命に直接被害が及ばない除雪はやらないが、この点はなかなか理解が得られない。
    • 国民保護法と自衛隊の位置づけ
      • まず武力攻撃事態対処法(平成15年6月成立)があり、その後、関連する国民保護法、自衛隊や米軍の行動の円滑化に関連する法制、交通及び通信の総合的な調整に関する法制、捕虜の取扱いに関する法制、条約関係を一括して作った(平成16年成立)。すなわち、全体像としての武力攻撃事態対処法制の中の国民保護法という位置づけになる。ただし、有事においては武力攻撃事態対処法のみではなく、他の法律も含めて対処することとなる。
      • 実は、国民保護法は災対法を基にして作られたので、構成はかなり災対法と似ているが、以下のように異なる部分もある。①事務的性格については、防災は自治事務だが、国民保護は法定受託事務。②対応主体については、防災は市町村が主体で国と県が補完するが、国民保護は国→県→市町村となる。③対策本部については、防災は市町村が自らの判断で行うが、国民保護では都道府県や市町村は国の指定によって本部を設置する。④県の役割については、防災では補完的役割である一方、国民保護では県内における総合調整の主体となる。
      • 自衛隊は、武力攻撃事態においては、我が国に対する武力攻撃の排除措置に全力を尽くすことで、我が国に対する被害を最小化することが、主たる任務である。自衛隊の存在理由はここにある。他方、武力攻撃の排除措置に支障の生じない範囲で、可能な限り国民保護措置を実施する、ということを基本としている。これは自衛隊の計画の中にも明記され、国会答弁でも明らかにされている。また、緊急対処事態、すなわちテロのような事態においても同様に、自衛隊も可能な限り実施する。自衛隊は平素から、関係省庁や地方公共団体と一緒に共同訓練や連携会議等を開催し、いざ活動するときの体制をきちんと整え、対策本部等を設置することになっている。
    • 文民保護を取り巻く課題
      • 国民保護措置の仕組みは、大きく分けて、①避難(国民・住民を安全なところへ逃がすこと)、②救援(食糧や医療を提供すること)、③被害の最小化(大きな武力攻撃を受けた時の災害を最小化しようという措置)の3つがある。有事の際には避難誘導というものが難しいのではないか、どのように避難するのか、と議論される。しばしば、(有事の法制は)先の戦争経験をもとに作ると言われるが、日本も同じで、やはり避難誘導は不可欠とされた。現代では有事において避難をしても間に合うのかどうか疑問があるかもしれないが、国民を保護するためには制度として作っておかなければならない。また、「防衛省や自衛隊が庇って逃がしてくれるのだろう」などと言われることがあるが、有事において自衛官は戦闘員となるため攻撃対象になり、その攻撃対象と一緒に民間人を行動させるのはどうなのか、という議論もあった。
      • では、一体誰が、国民保護措置に書かれている避難・救援・被害の最小化を担うのだろうか。日本には、かつての言葉でいわゆる民間防衛、ジュネーブ条約の言葉でいう文民保護団体というものは存在しないと言われていた。ヨーロッパ諸国や韓国では平素から国でそう言った組織を作って訓練等を行い、避難を担う。アメリカでは州兵が担っている。これは実は大問題であり、有事法制の整備時にも追及されたが、国民保護法では、警察、海保、消防、自衛隊(いわゆる実働4省庁)と都道府県と市町村等が全体としてが連携してやる、ということになっている。ジュネーブ条約では、文民保護団体は文民保護標章の腕章等をつけて活動しなければならないとされているが、日本でも実は、法律上は、有事になればそうした腕章を交付することになっており、警察や消防などの各省や地方公共団体がそれぞれの要員を出すこととなっている。
      • 原子力災害時などに住民を避難をさせるのは特殊な訓練や専門知識が必要かもしれないし、事業者、病院、介護施設、地方公共団体が移動手段を準備することとなるが、いざというときは自衛隊を含めた国全体として対応しなければならない。ただし、複合災害、あるいは大規模化が想定される南海トラフ地震の際は、自衛隊の能力をもってしても不十分かもしれない。
      • 福島原発事故の際、高齢者施設の寝たきりの人を輸送する必要がでたが、自衛隊の輸送手段では困難であった。要援護者の輸送は当然やる必要があるが、しかし、自衛隊が何か特別な対策をしている訳ではない。災害時には自衛隊の能力をいかに割り振るかが重要なので、やりたい気持ちはあるが、自衛隊の能力をもってしても全てやるのは難しい。被害想定に基づいて、日頃から輸送手段を準備することとなると、相当な人手とコストは必要となる。要介護者と避難のためのリソースの関係は難しい問題であり、ここをどう埋めるかは重要な課題である。

     

    質疑応答における主要な論点

    • 「有事法制の中の国民保護法」と言われるが、オールハザードの観点だと、有事であろうが自然災害であろうが、国民保護が上に来るのだろう。これは議論としてはあり得るが、日本の法律は個別現象ごとに、国民の権利義務の制限もそれぞれに規定されるので、現時点では個別の対応となっている。仮に、上位に一本作ったとしても、個別の対応は個別に分かれるのだろう。ただ、役所の中でも部署縦割りを超えて横断的に議論をするインセンティブにはなるかもしれない。
    • リスク評価の部署を作るとしたら内閣官房に作るしかないだろう。どこかの省庁(内閣府も含む)に作ると、省庁間では命令はできず「お願い」しかできないので、官邸サイドから命令ができるようにすべきである。意思決定は現在の縦割りでもよいだろうが、統合的にアセスメントを行う別途部門は必要であり、内閣官房の部署中では、特に事態対処・危機管理担当や情報セキュリティが関わるだろう。しかし日本は文化としてアセスメントを評価せず、お金もつかない。防衛省の防衛研究所では、何が脅威かという分析を行っているので、専門の人がいればアセスメントもできるかもしれない。
    • 自衛隊にとって災害対策を任務として持つことの意義について。色々な任務を持つほど、自衛隊のリソースをどこに割り振るのか、それをどう担保するのかという議論も出てくる。有事の際にいざ戦闘をしなければならないとすると、切り替えるシステムが必要であり、しかも自衛隊だけでは決められない。ジュネーブ条約上は、有事の時に、自衛隊が民間人のところにいることは問題ないが、一度文民保護団体として活動すると、二度と攻撃に参加できない規定もある。自衛隊の根本はそもそも有事おける侵害排除のためにある組織なので、あるときは文民保護団体になったり、あるときは自衛隊になったりはできない。小規模災害なら自衛隊も色々できるが、大規模の事態、あるいはオールハザードになると、局面において、全体の中での自衛隊の役割の変化が避けがたくなる。オールハザードという言葉の実質的な意味とはそこにあるだろう。

     以上

    (本講演内容は個人の見解であり、所属機関を代表するものではありません。)

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    第3回 レジリエンス政策研究会 開催概要 https://pari.ifi.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/2015/04/30/resilience-3/ Thu, 30 Apr 2015 03:40:45 +0000 http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/?p=612
  • 議題:「地方自治体(県)における危機管理業務の課題」
  • 日時:2014年6月17日 18:00 -20:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス 伊藤国際学術研究センター3F 特別会議室
  • 講師:小川英雄氏  前静岡県危機管理監・静岡県住宅供給公社
  • 地方自治体(県)における危機管理業務の課題

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    講師による主要な問題提起

    • 静岡県における危機管理業務
      • 静岡県では1976年より、駿河湾巨大地震の想定を元に、県全域での震度6以上の地震、5分以内の大津波への対策を講じてきた。以来35年に渡り市町村、自主防災組織等県民を巻き込んだ70万人規模の防災訓練を行ってきた。また、県有建築物の99%、木造家屋の80%、学校等についてはほぼ100%の耐震化を達成したほか、耐震性貯水槽、津波避難施設・ビル等を整備した。一方、家具の固定や食糧と水の備蓄などでわかる県民の防災意識にはそれほど目覚ましい変化は見られない。
      •  3.11以降の各地の危機管理や防災訓練では津波ばかりが重視されるようになり、静岡県でも、津波避難ビルや避難タワ-等の整備がこの2年間で急増した。これまで1万人強が参加していた津波避難訓練(対象区域27万人)にも13万人が出るようになった。なお、津波対策においてはL1(100~150年周期の地震)とL2(数千年周期の地震)という考え方があるが、国からの補助対象となる防潮堤対策はL1までである。このためL2レベルの津波については、防潮堤を乗り越えられても色々な手段を講じて減災し、とにかく命を救うという考え方で、具体的な減災アクションプログラムを作成した。
      • 35年以上地震対策を実施している静岡県の経験では、支援計画ではなく広域受援計画が重要であるが、それ以上に重要なものは自助と共助だと指摘できる。その根底には、公助(行政)ができることには限りがあるという考え方がある。第一に、全国から自衛隊、警察、消防全てが揃うのは早くとも発災2~3日後となる。第二に、阪神淡路大震災では生き埋めになった人で助かった人の95%は自助か共助によるものであったことから、防災の基本には自助と共助の強化が必要ということがある。ここには、木造住宅の耐震化、家具の固定や水と食料の準備、自主防災組織の整備等が含まれるが、高齢化により助ける人より助けられる人の方が多くなってきていることは課題である。第三に、救助の手を増やすことも必要で、静岡県では2010年度から防災訓練に在日米軍に参加、視察をしてもらうなど交流を図っている。
      • 県内で想定される2万人の重傷者を救うためには、救護所、救護病院、災害拠点病院をフル稼働させなければならない。静岡県では3.11を教訓に、DMATの投入方法を変え、調整本部を県の災害対策本部内に設置し、医師不足の病院に医者チームを投入する訓練を実施した。実際に機能する救護所とするために、救護所は約400か所あるが、3~4か所を1つにまとめて、外科の心得がある医師の指示の下にその他の医師が活動するような取り組みを始めた。このほか、救護所手前の避難所でトリアージする訓練や透析患者、難病患者を把握して個別に連絡をとるなどの取組みも始めた。救護所には避難所に併設される場合と既存の医院や病院を使う場合があり、発災時に救護所に駆けつけられるよう、できるだけ近隣在住の医者(開業医も含む)を配置するなどの工夫をしている。これまでの35年間の仕組みで納得されてしまっているので、新しい仕組みが動くかどうかはまだ証明されていない。
    • 東日本大震災被災地支援の教訓
      • 具体的に以下のような課題が見受けられる。在庫に依存しない現代の流通システムに起因する超広域災害時の救援物資の遅れ。大規模な宅造地における土砂崩れ。帰宅困難者の長期化。ライフライン(電気、ガス、下水道、燃料)の途絶。ネットワーク依存システムの途絶。これらは、特に医療福祉分野においては患者生命の危機に直結する事態となる。35年やってきた静岡県においても、まだまだできていないのが現状である。
      • 全国知事会では、県を束ね、被災県から要請を受けて振り分けるという、災害時の広域応援協定の仕組みがあったのにうまく動けなかった。実際に知事会から各県への支援要請があったのは発災5日後であり、しかも知事会の要請に基づいて岩手県へ物資を送ろうとしたが、現地では手が足りないため送るなという事態が発生した。その後、静岡県は被災地に近い遠野市を拠点として継続的支援を開始し、余り支援の手が届いていなかった大槌町と山田町の支援を行った。3月下旬から20~25名体制、一週間交代で職員を送り、4月9日以降は市町村業務への支援強化のため、県職員に加え市町村職員を派遣した。なお、県レベルの危機管理や被災地支援活動については各県とのネットワークは特になく、知事会を通じてやり取りをしている。
      • 現実として公助の力は足りていないため、自助と共助の増強が不可欠であるが、行政が主導すると細部に特化した扱いづらいマニュアルが出来てしまうため、住民がやる気を出し知恵を出し合って工夫することが必要である。行政側としては、発災直後は公助の手が行き届かないことを明確に知らせる事、相互救助、自助と共助が必要だと理解させる事が必要である。
    • 県レベルの危機管理対策の課題
      • 県の災害対策本部の使命は、被災者、現場からの情報を大事にして現場の市町村にどういうニーズがあるか吸い上げ、どういう支援ができるか把握することである。例えば、現場は通信機器がつながらず、情報が途絶し、混乱状況であるかもしれない。3.11の岩手県では、沿岸部まで2時間もかかる大きな県ということもあり、当初山田町や大槌町と連絡がつかないという状況があったが、「コンパクトな町だから大したことはないだろう」という思い込みがあり、町へ自衛隊が入ったり、数日後に衛星携帯が届くなどして状況把握ができてから漸く動いた。情報が入らなかったら、情報を取りに行くという姿勢が必要であるが、現場に行った職員からの情報が県の災害対策本部に届かず、現場の情報が重要視されていないという状況もあった。
      • 市町村の災害対策本部こそが、被災現場ニーズの把握、優先順位づけ、国や県への要請を担う、災害対策の要である。市町村の災害対策本部が正常に機能することが災害対策の大前提である。一方、東日本大震災の大槌町の例(町長や幹部職員が亡くなり、町が機能しなかった)にあるように、災害時に市町村の判断機能が崩壊した場合、それを立て直す事が必要となる。ところが静岡県においても、それは市町村の責任であるとして県は関与してこなかった。平成25年からこの考え方を変更し、市町村の職員の実践的な訓練に手を入れ始めた。被災自治体では、避難住民のケア、被害把握、救命救出、医療救護、物資搬送、報告・要請など、普段の仕事以外にこれだけの膨大な災害対応業務が発生するということをまず知るべきである。
      • 県の災害対策本部は、立ち上がるまでの所要時間、たとえば、静岡県では発災してから1時間以内に第1回目の災害対策本部を立ち上げるという目安になっているが、訓練では、その事だけがメルクマールとなっており、後は情報収集で右往左往しているのが現実である。初動段階でできることは、知事から県民への呼びかけや、自衛隊等の支援部隊派遣の要請と投入先や役割分担などの調整であるが、後者は実際のところほとんど必要なく、支援計画があまりにも偏っていれば調整する程度である。このように、現状の県の災害対策本部は、直接住民に接する訳ではないということもあり、実は発災時にできることは余りない。
      •  県の災害対策本部を機能させるためには、その分野の専門家がいるとよい。静岡県は期限付き職員として自衛隊出身者を5年間雇用し、いわゆるブラインド型の実践的な訓練や、より混乱を伴うような複合災害を想定した訓練を行っている。更に重要なのは専任の職員であり、静岡県では地震だけの対策の専任者が約80人置かれるようになったが、これは35年間で最大の成果である。
      • 国の現地対策本部は現場の状況が分からないため、「どうしたら現場の職員や被災者が楽になるのか」との発想を持ちづらい。自前で何でもやるという考えがないので、実際に県から要請があるまではほとんど動かない。国はどうやって現地で情報を集めるのか、出先機関はあるのか、土地勘はあるのか、足はあるのか、現地にいることのメリットはあるのか、等の問題を鑑みると、国の現地対策本部の意義を再考すべきであろう。

     

    質疑応答における主要な論点

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    • 国の現地対策本部の意義として、例えば原子力災害の場合については、まずはオフサイトセンターが機能することが前提ではあるが、事象に対処するのは専門家であり、県ではなしえない部分であろう。県としては、住民の避難のほか、災害の状況が落ち着いてから、避難した人をいかに支援するかを担う。その意味では、県にとっては十分な情報が入手できればオフサイトセンターという形で近くに行く必要は必ずしもないかもしれない。
    •  静岡の場合、4か所に危機管理の出先機関(現地対策本部)があり、現地での指揮がとれるようにしているが、この体制の規模が適正かどうかについては、なかなか結論は出ず、今の規模でやるしかない。県は直接住民を相手にしないため、出来ることは多くはなく、市町村の機能がつぶれたら応援するくらいである。一方、県よりも大きな中京圏とか関東圏といった広域で考えることも難しく、おそらく関東圏や国に任せてしまうと防災はできないだろう。事前に被害を想定しておくことは県の重要な役割であるが、実際の災害では被災自治体から応援要請がないとなかなか県は動けないため、しばしば地域防災計画や災害対策マニュアルも原理原則が先行してしまいがちである。
    • 静岡県では、危機管理部が出来る前は、例えば新型インフルエンザの対策本部は健康福祉部が持っており、口蹄疫や鳥インフルエンザも農業関係部が主体となる仕組みに乗っかっていた。部が設置されて以降は、事象によって専門家集団だけは変わるが、対策本部は常に危機管理監をヘッドとするようになった。地震をはじめ、富士山の噴火、洪水、浜岡原発の事故、自然災害はもちろんのこと、それ以外の鳥インフル等についても、それぞれの専門部署が対策をやり、危機管理部が全ての調整をやるようにした。予算や人の配分は変わらず、仕事量が増えている状態である。
    •  国の場合、役人は各地を転々としながらキャリアを積むため専門家が育たないが、地方自治体の場合は2種類いる。地震対策で採用されてこの道一筋といった人間は一人だけであるが、地震対策部門に何度も配属される人間が全体の3分の1程度で核となり、ローテンションで回ってきている人が半分強である。こうした人々への訓練や研修はOJTがほとんどであるが、一部は気象庁や内閣府防災や消防庁等へ出向し、1~2年の研修を終えて帰って来るケースもある。
    •  県や自治体の立場では、どのような情報の取り方が望ましいか。情報把握について、現場が混乱したら情報が重複して真実が分からなくなるので、情報は一本化された方が使いやすいという考え方がある。死者や行方不明者の数は警察が把握しているので、混乱なく正確な数が分かるが、警察は警察のルートでしか情報を取らない。一方、県レベルでは避難所の数や避難者の人数などの情報がいつまでも確定しない状況があった。県のレベルで情報を待っているだけでなく、自ら取りにいかなければならない。また、被災状況にもよるが、初期段階では、ヘリコプターを飛ばし被害状況を把握するなど、ざっくりとした情報の取り方もある。山間地や僻地に取り残された老人ホームや病院などの被災状況の情報は、市町村の出先機関を通したり、住民から自主防災組織を経て市の対策本部へ連絡されるルールになっている。県にとっては、市町村からこうした情報をあげてもらうため、重複したり間違いがあったりしているが、それはそれでやむを得ないだろう。おそらく全てに手が回る状況ではないし、落ち着いてきたら整理されてくるものである。
    • 行政として持っている情報を評価してみて、それに基づいて政策や緊急事態への対応の情報として使っていくということを、平時の今こそやっていかねばならない。例えばイギリスは国レベルでオールハザードのリスクアセスメントをするが、自治体レベルでもやる仕組みになっている。静岡は東西を繋ぐ基幹インフラを抱えており、有事の場合、静岡県のダメージもさることながら、東西の大動脈が分断されると日本経済に対する影響も莫大なため、こうしたリスクアセスメントを静岡でできれば大変面白いだろう。

    以上

    (なお、本講演は個人の見解で、元の所属機関を代表するものではありません。)

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    第2回 レジリエンス政策研究会 開催概要 https://pari.ifi.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/2015/04/29/resilience-2/ Wed, 29 Apr 2015 05:34:54 +0000 http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/?p=639
  • 議題:「医療・公衆衛生領域の健康危機管理・災害対策について」
  • 日時:2014年5月20日 18:00〜20:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス 山上会館 会議室1
  • 講師:寺谷俊康氏 厚生労働省大臣官房厚生科学課 健康危機管理・災害対策室 室長補佐
  • 医療・公衆衛生領域の健康危機管理・災害対策について

    講師による主要な問題提起

    • 健康危機管理とは
      • いかなる災害や危機が起きた場合でも、救助・救出・救急医療を必ず行わなければならないが、加えて、生物テロやパンデミックの場合には、早期対応・事態対処も行わなければならない。厚労省が関わる健康危機管理にとって対象をオールハザードとするのは当然の前提である。原因によらずに、具合が悪くなった人に医療を提供しなければならない。したがって、我々が「健康危機」と呼ぶ時には、人為災害や自然災害を分けず、感染症や原因不明のものなど何でも「健康危機」として捉えている。
      • 図1(健康危機のスコープ)では、政府の様々な層(国、県、現場である基礎自治体)を示しているが、健康危機管理における重要な「現場」は保健所である。

      図1

      図1 危機管理のスコープ

    • 健康危機管理・災害対策室について
      • 健康危機管理・災害対策室は大臣官房厚生科学課に属しており、厚生科学課の主要な仕事は研究のマネジメントであるが、健康危機管理・災害対策室は大臣官房の重要な役割として機管理を行う。厚労省の危機管理の出発点は薬害エイズである。どの部局にも属さず、縦割りの中に落ちてしまう問題を拾うため、1997年、大臣官房の厚生科学課の中に、前身である健康危機管理対策室が設置された。
      • 医療政策を担う医政局、公衆政策を担う健康局、診療報酬を預かる保険局、その他色々なところに健康や医療に関わる分野があり、医師(医系技官)が多く配置されている。通常の予算や法律といった慎重にじっくりと扱うべき情報の流れとは別に、機動的に柔軟に扱うべき健康危機管理の情報ネットワークがあり、医系技官等の技術系官僚が深く関わっている
    • 日本の健康危機管理の歴史
      • 戦前の健康危機は結核や労働災害などが主であった。1940、50年代には感染症の抑制が課題で、旧内務省の警察行政や警察衛生と結び付いていた。感染症がある程度制圧されると、公害の問題が発生した。当時は環境省がなかったため、こうした仕事は厚生省が担っていたが、今では「環境保健」という名前で環境省が担っている。
      • 厚生省では1980年代の薬害問題の苦い経験から、危機管理体制の整備が進められた。その最大の反省は、情報の共有と処理、意思決定の流れがうまくできていなかったことである。ある担当者が、危ないかもしれないと認識した場合に、認識を共有し、アセスメントを行い、どの時点で対処していくかということを意思決定する仕組みがなかったことが一番の問題であったと考えられた。その反省に立って省内体制が整えられ、1997年に健康危機管理指針を策定し、健康危機管理対策室が設置され、医薬品、食中毒、感染症、飲料水の実施要領が策定された。
      • 1995年以降、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件といった、重大な事件が生じた。DMAT(災害派遣医療チーム)という災害医療の仕組みは、この阪神淡路大震災が契機となった。
    • 東日本大震災後の組織改編
      • 元々厚労省には自然災害を統括する部局として、社会・援護局に災害救助・救援対策室があったが、これはアクティブに災害時に保健や医療サービスを提供するというよりは、災害救助法を活用して、炊出しや住まいのことを行うなど、生活を守るという生活保護等との並びの発想のものであった。一方で、先述の、薬害等の新しい危機に対応する大臣官房厚生科学課の健康危機管理対策室があった。しかし両者は別々の部局であったため、いわゆる縦割りとなっておりお互いが譲り合うようなところがあった。
      • 東日本大震災後に災害救助法が内閣府に移管された。災害救助・救援対策室のうち災害救助法関連が内閣府に移動し、残り半分が健康危機管理対策室と統合され、2013年10月より健康危機管理・災害対策室となった。所掌業務として、原因不明の公衆衛生上の危害あるいは緊急事態への対処に加え、災害対策が加わったことで、どのような原因でも原因不明でも、自然災害でも人為災害でも、とにかく危ないことが起きた時には、一元的に対応する部局というものが、偶然に誕生した。危機や災害の問題は部局横断的であることは頭でわかっていたつもりだったが、2室の統合を経験してみて、間に重要な問題が落ちていたことを実感した。全ての危機と災害を横断的に取り扱う部局が存在することが重要であると身をもって感じた。
    • 情報収集と初動体制
      • 初期対応(early detection)のためには情報共有が重要である。情報が揃うまで動かないのでは遅い。少しでも情報があったならば、その情報をもとに動くか動かないかを決断する必要がある。漫然と先延ばしにするのではなく、一旦、動かないことを決めたら、次に何があったら動くのかを、常に考えておくことが重要である。爆発といった災害が起きた場合はオンセットが明確であり初期対応のスイッチをいれることが簡単であるが、難しいのは、少しずつリスクが高まっていく状況であり、規制も含めて何らかの手をうつ必要があるのか、ないのかについて評価し続けることが重要である。
      • 健康危機管理・災害対策室を中心に、厚労省に上がってくる情報を吸い上げる仕組みができている。国内外の健康危機情報には、研究者が出すものも、様々な機関を通じて入って来るものもある。一定の条件にはまるものは全て当室に集積され、更にその中で条件にはまるものは内閣官房等に情報提供することで、政府全体で共有する。情報を掴んだら、共有するだけでは意味がなく評価と決断が必要なため、関係部局の代表者が集まる健康危機管理調整会議を開催し、今いかなる対応が必要か議論し、行動する。すなわち情報収集を一元化し、それを抱え込むのではなく、解決に必要な関係者を集めた場で議論する。関係者として医系技官を含む行政官だけでは足りない場合には感染研究所や保健医療科学院といった公衆衛生の有識者を含めた会議を開催することもある。
      • 平時の健康危機管理という言葉は変に聞こえるが、厚労省においては健康危機管理のほとんどが通常の業務の範囲に入る。例えば、保健所にとっては、生物テロ、地震、火山噴火、原子力災害などになるといわゆる災害時の健康危機管理を担うことになるが、感染症や食中毒は日常茶飯事に起きていることであり、通常の業務の範疇になっている。感染症の場合、広がりやすさと致死率によって対応が決まる。原因が分からない場合は、保健所にとって対応が難しい。しかし、原因が分からないからといって手を打たないとどんどん手遅れになるので、保健所が地域の情報を集約し、さらに保健所から色々な研究所や警察などと連携して、情報を集約・共有し、応急対応を進めながら原因を突き詰めて行くという枠組みがある。
    • パンデミック
      • 例えば鳥インフルエンザの被害想定は様々にされるが、大きなものでは、(日本のみで)入院患者が50万~200万人位、死者が20万~60万人位とされる。こうした被害の大きさをイメージするためには、日本では医師が大体40万人いるから、それよりも入院患者数が上回ることをイメージして欲しい。地域で感染がおさまっていれば病院と地域の保健所が頑張ればどうにかなるが、パンデミックの状態になってしまうと、地域内のリソースだけでは力が足りないので、法律によって政府行動計画などガイドラインを作り、オールジャパンで対応するための対策が整えられている。基本的な考え方は現実主義にたっており、流行が勃発した場合には死者を完全にゼロに抑えることは非現実的であるから、それを目標にはしていない。現実的な目標は、ピークを遅らせつつ平準化すること、そして医療提供体制を強化して、医療提供のキャパシティーの中に収まるようにすることである。
      • 例えば検疫の場合、これだけの数の飛行機が出入りしている中で、検疫をしたからといってシャットアウトできるとは思えないが、少しでも遅らせることができるかもしれない。この時点で感染症をうまく特定できれば、ワクチンを作る作業ができるので、その作業が数日でも速まる可能性がある。日本は島国という特性もあるので、1週間でも時間を遅らせることができないか、ワクチンを作る時間が稼げないか、という発想で検疫をやっている。
    • 災害医療システム、DMAT
      • 災害が発生すると、当初は救急医療(emergency medicine)のニーズが発生する。それが収まっても、今度は避難所、保健、公衆衛生サービス、メンタルヘルスケアも必要になる。どんな災害も一旦発生すれば、あらゆるフェーズで保健医療のニーズが発生し、あるフェーズの対応だけで済むことはない。
      • 一般的なBCPの考え方として、災害が起きた時には、ある程度、機能を落としても仕方ないと考える(例えば電力など)。というのは、ニーズ自体が減るからである。しかし医療や保健の場合は、何らかの災害が起きると、そこにけが人や病人が発生し、むしろ平時よりもニーズが爆発的増大(サージ)してしまう。したがって、このサージが起きることを前提として対応する仕組みが必要である。一つの解決策は、災害医療システムの整備である。阪神淡路大震災では約6,400人が亡くなったが、最初の72時間で適切な対応をすればこのうち500人が死なずに済んだと言われている。
      • DMAT(災害派遣医療チーム)は阪神淡路大震災の教訓から、災害医療の仕組みの重要なピースとして整備された。被災地内の医療提供の拠点として災害拠点病院があり、耐震性を備え、災害時には普段より機能を上げられるよう指定されている。さらに、周りの病院を助けることも義務付けられている。これに対して、被災地に医療チームを送り込む仕組みがDMATである。被災地内の医療に関して需要と供給のアンバランスを是正するためには、DMATのような医療チームを送る手があるが、他方、広域医療搬送、すなわち、ヘリコプターや自衛隊機を使い患者を被災地から外へ出してしまうという方法もある。
      • また、どこの病院が被災したか、どのくらいのDMATチームが必要などといった情報を、厚労省や政府本部がウェブベースで見えるようにするためのEMIS(広域災害救急医療情報システム)という仕組みも作られた。病院が被災し避難が必要な状態は、被災地内のある施設に避難が必要な病人やけが人が、突然、何百人も発生することを意味する。彼らをとこかへ運ばなければならないため、病院が被災すると非常に悲惨なことになる。現に福島の場合、病院自体の被災は大したことはなくても、設定された避難区域の中に入ってしまったため、短時間の内に限られた手段で慌てて避難をしたために、避難行動中に人命を失ってしまった。
      • DMATは大半が民間人で構成されており、かつ平時は違う仕事をしていることから、自衛隊や、国交省、消防・警察のチームと同列に扱われるとしんどいところがある。一方で、こうした公的なアセットに民間の勢力を協同させるという観点から、DMATはとても興味深い立場にある。加えて、全体の中で如何に機能するかという意味でコマンド・コントロールも重要である。DMATは瓦礫の下の医療というイメージが強いが、いきなり現場に行ったりはせず、まず被災地の県庁に行き、いかなるニーズがあるのか、どの病院を助けてほしいのか、等を県庁と議論する。そこで本部を立て、チームが集まってくると、次は災害拠点病院の支援として重点的にそれぞれのDMAT隊を配置する。その上で、さらにマンパワーに余裕があれば崖の下や倒壊現場などの現場にDMATが出動することもある。
      • 阪神淡路大震災当時は、72時間以内の急性期に機動的に被災地に入れる医療チームがほとんどなかったことが教訓とされた。東日本大震災では、急性期の被災者は津波によってすぐに亡くなってしまうか、軽症の方かで二極分化してしまい、重症の外傷をターゲットとした急性期の医療チームはあまり活躍することができなかった。むしろ、大量の避難者に対しての急性期から中長期(慢性期)にわたる医療提供の仕組みが課題とされた。東日本大震災で得られた最大の教訓は、DMATの新たな役割として、徐々に保健所等の地域の行政にマッチさせながら、地域の医療体制の再生を手伝うことの必要性であった。
      • 一方、DMATのみならず、日赤チームやら医師会チーム等の色々な医療チームが集まったことで、逆に混乱が生じた場面もあった。そのため、厚労省は、これをコーディネートする仕組み、すなわち災害医療ネーディネーターの整備や、そのための研修事業を、新たな政策として推進している。
    • オールハザード・アプローチと政府内の調整
      • 厚生労働省において健康危機管理・災害対策室がたちあがり、オールハザードを対象とするようになった経緯は偶然による要素が多いと思うが、これまで内閣官房との付き合いが深かった旧健康危機管理対策室と、内閣防災との付き合いが深かった旧災害救助・救援対策室が合体したことにより、危機や災害に関する政府の情報が、厚生労働省に入るときに一元化されたことによるメリットを実感する。加えて、内閣防災と内閣官房のそれぞれにはもっと連携してほしいとの意見を伝える場面も増えた。
      • 当室の主要な役割は調整であり、特定の部局の所管として整理がつきづらい国際会議やテロ対策等わずかなものを除き、国民の目に直接触れる業務はほとんどない。たしかに、外面上のアウトプットはわかりづらいが、非常に重要な役割を担っていると認識している。例えば、自然災害は内閣府が、人為災害は内閣官房が、原子力災害は原子力規制庁がそれぞれ所管しているが、これらが一緒に起きることもありえる。また、自然災害にしても、内閣府防災の中で計画・訓練・応急対応が有機的に結びついていないといった、いわゆる縦割りの問題が見受けられる。内閣府や内閣官房等は、省庁の間に落ちるような課題を積極的に拾い、明確化しつつ整理し方向性を示すなどして、各省庁が連携して動きやすくなるような活動をこれまで以上に進めて欲しい。
      • 原子力災害に関わって実感したのだが、文科省は大学病院を所管するのみならず、多くの研究費や研究機関を所管している強みを活かしたら良いと思う。原子力規制庁については、もちろん、原子炉やその周辺の設備等の整備による防災やリスクマネジメントはもちろん重要だが、同時に、クライシスマネジメントの観点からのさらなる充実が必要だと思う。例えば、事故が起きた時のアクションプランとして他の支援組織に求めるものを明確化しつつ、受援するプランも作っておいてほしい。厚労省は労働者を守る立場もある。事故発生時に事故収束に関わるいくつかのパターンの具体的なオペレーションを検討すべきであり、その際には想定されるオペレーションごとに投入すべきマンパワーや被ばく等のリスク等を明確化しておく必要があると思う。こうした連携の取り組みは更に進める必要があると感じている。
      • オールハザードでやるとしたら、内閣官房と内閣府との業務の整理も必要になる。現在、内閣防災においても防災基本計画のみならず種々の計画が多数あり、全体を把握しづらい面があるし、毎年改定の度に同じ調整作業が生じる。もう少し全体の制度を整理すべきかもしれない。厚労省の健康危機管理・災害対策室に属し、危機管理部局が一元化した経験からは、ある組織で危機管理部局が一元化する便益はたしかに実感している。日本版FEMA(米国連邦危機管理庁)を作るという議論については、組織をくっつければいいというわけではなく、機能に着目して本質的な議論をしたうえで、エッセンスをうまく応用すればよいと思う。
      • ある程度のマニュアル作りも必要だが、あらゆる災害のバリエーションに対応するマニュアルを作ることは不可能であり、マニュアル以外の臨機応変さも必要である。したがって必要なことは、臨機応変さを標準化しておくことである。とくに重要な課題が、多組織間や多勢力間の調整の具体的な方法論であり、調整メカニズムをどのように作るかである。
      • 政務や政府はメディア等に対して納得感があるように対応しないと国民の納得も得られるない。しかし、それだけを気にしていると、結局、現場の最前線で一生懸命対応している方々の足を引っ張ることになる。現場が機能するように中身のある仕事をしながら、かつメディアや政治をうまく納得させることは、危機管理の非常に重要なところである。
      • さらに言うと、難しい議論であるが、人命を救おうとすれば大きな観点からの取捨選択やトリアージが必要となる。行政とアカデミズムが課題を整理しながらきちんとメディア等に説明することが重要である。これまでの日本における危機管理は優先順位付けをあまりせずに、必要なオーダーに対して順番に対応していく傾向にあった可能性がある。
      • 民の活用についていうと、日本医師会をはじめ医療系団体は自律や自治が発達しており、助けられてきた。今後、他の業界の民の力をどうやって引き出すかというのは重要な課題である。特に、ボランティアをどう使うかは今後の課題である。

     

    質疑応答における主要な論点

    • 図2の平成17年の地域対策保健検討会・中間報告にあるように、もともと保健所はオールハザードにやらざるを得なかった。医療を提供するのは病院だが、保健行政ひいては公衆衛生行政の最前線は保健所であり、いかなるハザード・原因であっても、保健所に活躍してもらう必要がある。厚生労働省の健康危機管理・災害対策室が、保健所の政府版かといえば、やや異なる。ちなみに保健所の所管は健康局である。現場に近い保健所では住民の健康に関わる幅広い業務がカバーされている。

    図2

    図2 保健所等が想定している健康危機事案

    • 東日本大震災では、関係法令の弾力運用及び規制緩和に係る通知が数多く出されている。今のところ、こうした弾力運用等を制度的に取り決めたり事前に通知を出したりすることは難しい印象である。しかし、東日本大震災を含めこれまでの災害において出された通知をリスト化し公表しておけば、便利であると思う。
    • 今回、厚労省では横串の組織ができたが、省庁間の調整のために、政府全体に横串を刺す組織を設置することについてしっかりとした議論が必要だと思う。
    • 厚労省はICS(インシデント・コマンド・システム)について強い関心を持っている(参考:永田高志他『ICS緊急時総合調整システム基本ガイドブック』、日本医師会、2014年)。なぜなら、厚労省が所管する勢力は軍隊のように自己完結しえないからである。他組織との協調や調整の中でようやく十分に機能するのだから、各組織のあり方や、組織間調整の方法論としてICSが非常に有用だと考えている。
    • 要援護者の問題は、内閣府防災を含め関係省庁の間に落ちやすい問題である。被災地の要援護者の関連の施策にしても技術的検討を含めてさらなる充実が必要だと思う。
    • ここ長年の傾向として、医療費抑制のための病床削減、あるいは救急病院と慢性期の病院の整理・統廃合という病床コントロールの動きがある。しかし、平時には多少無駄に見える病床が、災害時の収容という意味では有効かもしれないという考え方もありうる。平時の医療資源の配分状態と、危機時の状態の連続性を考えることも必要である。最近の医療計画では、災害拠点病院では緊急時に2倍に増床できるような確保をしてはいる。
    • 危機管理における予防領域については、各省庁ごとに各論的になりすぎている印象である。ナショナルリスクアセスメントにも関連するが、エビデンスを元にしたリスク評価をしながら資源投入をするという仕組みについて、これから検討を深める必要があると思う。

      以上

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    第1回 レジリエンス政策研究会 開催概要 https://pari.ifi.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/2015/03/05/resilience-1/ Thu, 05 Mar 2015 06:31:25 +0000 http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/?p=380
  • 議題:「緊急事態における我が国の危機管理体制と危機管理の課題」
  • 日時:2014年4月22日 18:00〜20:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス 伊藤国際学術研究センター3F 特別会議室
  • 講師:伊藤哲朗氏 東京大学客員教授・元内閣危機管理監
  • 緊急事態における我が国の危機管理体制と危機管理の課題

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    講師による主要な問題提起

    • 危機管理という考え方について
      • 「危機管理」とは曖昧な概念であり、30数年前から使われているが、定義が定まっていない。危機の予防(平時において行うリスク・マネジメント)と、実際に危機が発生した場合の対処(クライシス・マネジメント)がある。
      • どのようなメカニズムで危機が起こるのか、研究しておくことが最善の策であり、早めに予知することも必要。人為的なものは予防が可能である。一方、危機は全く突発的に起こることも多く、処理・対処の時間が短く、情報が錯綜し、被害が拡大するので、少ない情報の中で判断し、決断しなければならない。これは通常の業務とは全く異なる。
      • いずれの危機においても、危機管理の基本的な考え方はほとんど同じであり、事態を想定し、研究し、訓練し、情報をしっかりと取り、今後どうなるかを情報に基づいて判断し、政府の意思決定をすぐに行い、現場で事態対処を行うことである。また、国民に対して必要な情報を公表し、望ましい行動を呼びかけることである。一番必要なのは、リスクに関する準備であり、事案が起きた時に対応できる能力である。
      • 緊急時においては平時とは価値観が変化するため、クライシス・マネジメントではリーダーの役割、リーダーシップが重要となる。
    • 日本の体制
      • 日本の内閣制では、国の重要政策は閣議で全会一致でないと決まらないが、緊急時には常に閣僚が集まれるわけではないため、緊急時の体制の重要性が高まる。緊急対策本部を作り、総理大臣に権限を与え、指揮していくことになる。つまり、実際の内閣の危機管理は、内閣総理大臣をトップとして構成された体制となっている。
      • 緊急事態における初動においては、官邸危機管理センターから内閣危機管理監に報告し、内閣総理大臣に連絡する。緊急時の意思決定には局長が参集して協議すれば極めてスムーズに物事が決まるので、緊急参集チーム(関係省庁の局長による)で協議を行う。
      • 緊急事態においては内閣総理大臣が災害対策本部長となり、各省庁及び都道府県知事を指示できる。現地の対策本部を設置することもあるが、福島原発事故の際に設置した現地の対策本部は全く機能しなかった。オンサイトには原子力安全・保安院の職員がおらず、オフサイトセンターは停電等により機能不全となったため、福島県庁まで後退してしまった。
    • 情報管理
      • 現場の情報の取り方には2つある。第一は、県において集約される市町村からの情報を、政府に報告させる方法であり、第二は、全ての情報を国の行政組織の縦割りの系統で収集し、執行も縦割りで行う方法である。この二つを同時に行うことはできない。東日本大震災では同時多発的に情報が大量に集まり、新しい情報なのか既に来た同じ情報なのか分からないことがあった。複数のルートからの情報の収集よりも1本のルートからの情報をしっかり取ってくる方がはるかに信頼性が高く、特に迅速性においては、国の行政組織の縦ルートで取る方が勝るため第一の方法は使用されなかった。さらに、現地対策本部には一定の範囲の事柄の指揮を任せることになるが、高度な意思決定はできないため、重要なことは中央/本省で判断することとなる。緊急時には、情報収集及び命令系統の一本化を図る必要がある。
    • 地震の場合(東日本大震災の事例より)
      • 地震発生後、震度7との情報から、災害対策基本法ができて初の緊急災害対策本部の設置をする必要があると判断した。50分後には地震についての緊急災害対策本部会合が招集されたが、一方、原子力災害については、国民に向けた緊急事態宣言の発令までに2時間のロスがあった。原子力安全・保安院が手順を把握していなかったのが問題であった。
      • 緊急事態においては、全役所が一丸となって役割分担と役割の認識が必要だが、お手伝い感覚だと効力を発揮しない。阪神淡路大震災における反省から、政府全体の統一、調整のため、内閣危機管理監による調整機能の制度ができたが、それでも福島第一原子力発電所の事故では上手くいかない部分があった。
      • 主務官庁である原子力安全・保安院や原子力安全委員会の平時におけるリスク・マネジメントができていなかったのが大きな要因である。サイバーテロやインフルエンザ対策、バイオテロの可能性もあり、危機感とイマジネーションを駆使してあらゆるパターンと動きを想定し危機に備える必要がある。
      • 複合事態、すなわち様々なことが同時に起きる可能性もあるので、2箇所以上のオペレーションルームを用意する必要もある。また、普段から十分大きい体制を整えておく一方、リソースの限界についても考慮し、地域における共助、自助、備蓄等の体制を整えるとともに、訓練によって準備しておかなければならない。
      • 過去に起きた事案についての研究、危機管理の経験を伝承していく仕組み作りを行い、専門家を育成する必要がある。また事後の検証のため、責任追及と検証の区別をルール化することが求められる。

     

    質疑応答における主要な論点

    • 海外でも、危機管理の分野は、国により得意不得意がある。アメリカは戦争に対しては対応が万全で、経験者も専門家も多数いる。自然災害については、日本はかなりの対策技術とノウハウがあると言える。
    • 震災、インフルエンザ等の事例に見られるように、日常からどれくらい準備をしているかが重要であるが、原子力については、あれほど被害が出るとの事故は想定していなかったのと、訓練できていなかったという反省がある。専門家による事故の想定に加え、事後の事態進展の予測に甘さがあった。また、事態対処のための方策について専門家から意見がもらえなかった。これらの教訓とは、想定外のことを想定することは難しいが、想定外のことがおこることを想定して準備することはできるということである。
    • 情報が上がってきたら、不確かでもそれが何を示しているのか判断しなければならない。分析する時間はないので、専門家の知見が重要。しかし、原子力安全委員会の解釈は不確かで信用しがたく、専門家による判断もできなかったのが問題だった。精緻さに拘る必要はなく、生煮えの情報でも拙速に上げることが大事になる。一方、ノイズの入った情報への対処(テロでは意図的にノイズの入った情報が流される)についても、専門家の分析に任せるのがよい。
    • 状況認識の統一化などのシステムはまだ構築されておらず、それがどのようなものを想定しているかは別として、現在は、専門家の知見を頼りにしている。専門家の集団でもある緊急参集チームは情報の評価を行う。ただし、中央では情報の集約と命令はできるが、双葉病院の事例のように、現場でのオペレーションにはまた別の組織的な判断が必要となる。
    • オールハザードを想定した対策としては、事前のマニュアルを作るなど、各省庁で連携が取れるように統一のものを作っている。防止のために何をすべきかについては各省庁でやっており、内閣官房がすべて取り仕切っているわけではない。ただし、限られた国の予算で優先順位をつけるため、リスクの大きさを比較するという事前のアプローチについては、人員と予算があればの話であるが、危機管理監のスタッフで行いうる。日本では未だナショナルリスクアセスメントはできていないが、各省庁の力を借りて、リスクを洗い出し、全体を予測して対策する機能は、内閣官房に持たせるしかない。そのためには、内閣官房の体制(権限とスタッフ)の充実が必要である。
    • 検証と責任追及のプロセスは、実際には定まっておらず、仕組み作りが必要である。法律家や専門家で免責の考え方が違う。また、本格的に検証を行うためには、相当の人員を専従させる必要がある。
    • 事前のシナリオは大事だが、分野横断的な事例に関しては研究が難しい。特に省庁縦割りの場合、横断的な研究を行うのは、やはり調整権を持っている内閣官房しかないが、内閣官房のスタッフはそもそもの人数が足りない上、継続性がないのが問題。
    • 縦割りの中でも、横の官庁とも緩やかに動ける仕組みに関するアイデア、すなわち完全な横割りまたは縦割りではないシステムの可能性については、予算と人事システムという課題がある。危機管理の機関が提携しスペシャリスト官僚といった人材育成をする必要は、将来の可能性としては検討の余地がある。
    • 現地の対策本部の役割としては、国と知事部局との調整の役割が重要である。現地の対策本部に専門家を置き、現地の色々な機関との調整役としての機能を持たせるのが望ましい。
    以上
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