ASEAN回帰 − 対中牽制に諸国の知恵
2014/1/6
日本が東南アジアに帰ってきた。安倍首相は最初の海外訪問にASEAN(東南アジア諸国連合)諸国を選び、加盟国すべてを訪れ、年末には各国首脳を東京に招いた。東南アジアを学んできたひとりとして嬉しいことだ。
東南アジア諸国との関係は日本外交の柱だった。そこには第2次世界大戦で戦場とした諸国から信頼を得る必要と、海外市場を確保するという経済的な要請があった。戦時賠償は政府の途上国援助に引き継がれ、雁行型発展などと呼ばれる地域分業の下で、ASEANは日本の選挙区だと宮沢喜一氏が形容するほど政治協力も進んだ。
だがASEAN諸国が発展して経済援助から卒業すると経済外交は後退し、不況のため日本の直接投資も衰えた。小渕政権を最後に日本はASEAN諸国に関心を失ったのかとASEANの事務局長から言われたこともある。ASEANから日本は遠ざかっていった。
日本と入れ替わりにASEANに接近したのが中国である。経済大国として台頭する中国は経済外交を進め、対中貿易の拡大とともにASEAN諸国と中国の結びつきが強まった。
だが中国は、軍事的な脅威でもあった。南シナ海におけるフィリピン・ベトナムと中国との領土紛争は1990年代から激化していたが、2009年に入って核心的利益の名の下に中国の領土要求が強まると、ASEANの対中警戒が強まり、2010年の拡大外相会議では議長国ベトナムのもと、中国との間で領土領海に関する激論が展開された。中国との経済関係を強めながら軍事的には警戒するという相矛盾する対応が生まれたのである。
安倍政権によるASEAN回帰の背後には中国への牽制があった。南シナ海で中国との対立を抱えるASEAN諸国と連携することで、中国を牽制するネットワークをつくるのである。
もちろんそれだけではない。オバマ政権に入って、アメリカもASEAN重視に転じていた。日本企業は中国市場への過剰な依存を回避するために中国リスクのヘッジに向かい、その投資はインドネシアを頂点とするASEAN地域に流れていった。対中政策だけがASEAN回帰を生み出したとはいえない。
それでも日本のASEAN回帰に対中牽制という動機が働いていたことは否定できない。そして私も、中国への警戒を共有する諸国との連携を深める政策には賛成である。ただ問題は、どのような方法によって中国を牽制するのか、という点にある。もしその牽制が冷戦期のような軍事力を中心とする封じ込め政策という形だけを取るならば、その政策自体がアジア地域の分断と緊張激化を招く可能性も生まれてしまう。
本年12月13日と14日、アジア・アメリカ5大学によるアジア安全保障に関する国際会議がシンガポール国立大学で開かれた。私にとってこの会議は、日本のASEAN回帰をASEAN諸国がどのように捉えているのか、知る機会になった。
そこでわかったのは、安倍政権のASEAN重視は広く知られ歓迎されているが、中国を抑え込む手駒にASEANが使われることへの警戒も強いことだ。ASEAN諸国は対中政策の違いが大きく、中国との対立はASEANの結束を妨げる。日中両国とも結びつきを保ち、どちらを選ぶのかという選択は避けたい。大国は利用しても追随は避けたい。勝手といえば勝手、わかるといえばわかる政策だ。
そのなかで興味深かったのは、南シナ海紛争を議論するなかで、シンガポールの学者が、国際司法裁判所や国連海洋法条約など国際法と国際機構を通した解決を重視したことだ。
もちろん南シナ海と東シナ海を一緒にはできないし、国際法の手続きに沿った解決に中国が同意するのか疑わしい。それでも、国際法と国際機構を通して領土領海を考える姿勢には、優れてASEANらしい特徴が感じられた。
ASEANは北東アジア・東南アジアを通じて、唯一の実効的な地域機構であり、それを構成するのが超大国ではない諸国である。軍事制圧という選択を持たない諸国にとって、軍事的緊張に向き合う方法は超大国に頼るか国際法と国際機構を活用するか、そのどちらかしかない。そして大国を利用しつつも全面的な依存は避けたいのであれば、国際機構や制度を通して自分の利益を実現するほかに選択はない。
大国ではないからこそ国際法や制度を重視する。この小国の知恵に日本も学んではどうか。力だけでなく、世界各国と協力して国際法と制度の遵守を中国に求めるという方針で領土問題に対処すべきだろう。
この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2013年12月18日に掲載されたものです。