福島第一原子力発電所における汚染水の放出措置をめぐる国際法
2011/4/12
当センターの技術ガバナンス研究ユニットの活動にも参加していただいており、国際法・海洋法がご専門の西本先生より、以下の文章を寄稿いただきました。
要旨 Pari PI 11 No.01
東京大学海洋アライアンス 海洋政策学ユニット
東京大学公共政策大学院 海洋政策教育・研究ユニット 特任講師 西本健太郎
- 福島第一原子力発電所からの汚染水の放出措置をめぐっては、国際法上の問題がある可能性が報じられてきたが、国際的な海洋法秩序の枠組みをなす国連海洋法条約には、今回の事態に直接対応するような規定は用意されていない。
- 今回の汚染水の放出措置をめぐる報道等においては、ロンドン海洋投棄条約の名前が登場しているが、同条約にいう「投棄」とは船舶等から廃棄物を海洋へ処分することと定義されており、陸上から汚染水の放出を行った今回の事態は同条約の適用範囲外である。
- 海洋汚染に関する国際法においては、汚染の発生源ごとに異なった規制がなされているが、船舶の活動による汚染や海洋投棄の場合と比べて、陸上からの海洋汚染については詳しい具体的な国際法上の規制が未発達のままである。
- 今回の措置が国際法に従ったものであるかどうかは、汚染水の放出措置がこれまでに説明されている通りに、他国に対する環境損害を発生させるレベルのものではないのであるとすれば、国連海洋法条約上の海洋環境を保護・保全する一般的な義務との整合性によって評価される。整合的なものであるとの立場が説得力を持つためには、今回の措置が福島第一原子力発電所における事態の推移に照らして、「利用することができる実行可能な最善の手段」であったことが国際社会に対して十分に示される必要がある。
1.はじめに
2.国際法における海洋汚染の規制
3.1972年ロンドン条約および同1996年議定書
4.国際法における「海洋投棄」と「陸からの排出」
5.汚染水放出の国連海洋法条約上の評価
6.他国に対する通報
7.おわりに
1.はじめに
福島第一原子力発電所の事態をめぐっては、放射性物質を含んだ汚染水を海に放出する措置がとられることとなった。これは、高濃度の放射能汚染水の保管場所を確保するため、相対的に汚染度の低い汚染水を海に放出したものであると説明されている。4月4日に東京電力は、「集中廃棄物処理施設に溜まっている低レベルの滞留水(約1万トン)と、5号機および6号機のサブドレンピットに保管されている低レベルの地下水(延べ1,500トン)を、原子炉等規制法第64条1項に基づく措置として」海洋に放出することを発表した。その後、集中廃棄物処理施設の滞留水については全10台のポンプにより、また5号機および6号機の地下水については放水口を経由して放出が実施され、10日までにそれぞれ、約9070トンと約1323トンの汚染水が海洋へと放出されたと報じられた。
この措置については、海洋環境に対する影響の観点から、国内のみならず近隣諸国からも懸念が表明されるとともに、国際法上の問題が存在する可能性についても報じられてきた。以下では、海洋への汚染水の放出に関連する国際法上のルールとしていかなるものがあり、その中で今回の事案はどのように位置づけられるのかという点について説明する。
2.国際法における海洋汚染の規制
海洋に関する国際法上の問題について、中心的な規律を行っているのは、「海洋法に関する国際連合条約」(以下、「国連海洋法条約」)である。国連海洋法条約は、海洋のあらゆる側面について規定している包括的な条約であり、国際的な海洋法秩序の枠組みをなすものとして国際社会に広く定着している。
国連海洋法条約には、地震と津波によって発生した原子力発電所事故に由来する汚染水の放出という意味での今回の事態に直接に対応するような規定はない。もっとも、国連海洋法条約上、締約国には海洋環境を保護し保全する一般的な義務があり(第192条)、海洋環境の汚染を防止するために「利用することができる実行可能な最善の手段を用い、かつ自国の能力に応じ」て、必要な措置をとることが求められている(第194条1項)。ただ、この一般的な義務の具体的内容としてどのような措置をとることが求められているのかについては、条約の他の規定やその後の国際法の発展に委ねられている。そして、どの程度具体的な国際法の規制が存在しているのかについては、海洋汚染の種類によって大きく異なっている。
海洋汚染に関する国際法の規制のあり方は、船舶の活動によって生ずる海洋汚染(船舶起因海洋汚染)、陸上の活動によって生ずる海洋汚染(陸起因海洋汚染)、そして陸上で生じた廃棄物等の海洋への投棄(海洋投棄起因海洋汚染)等といった発生源ごとに異なったものとなっている。このうち、船舶起因海洋汚染と海洋投棄起因海洋汚染については、国連海洋法条約上も詳細な規定が置かれているほか、前者については国際海事機関(IMO)を中心として採択されてきた様々な条約、後者についてはロンドン海洋投棄条約および同議定書が存在しており、これらの条約上の義務は国連海洋法条約にも組み込まれている(国連海洋法条約第210条、211条)。これに対して、陸起因海洋汚染については、IMO諸条約やロンドン条約に対応するような国際的な包括的枠組みは存在しておらず、より多くの部分が国家の裁量に委ねられてきた。
3.1972年ロンドン条約および同1996年議定書
今回の汚染水の放出をめぐる報道等においては、以上のような海洋汚染をめぐる条約のうち、国連海洋法条約とともに1972年のロンドン海洋投棄条約(以下、「ロンドン条約」)および1996年のロンドン条約議定書(以下、「議定書」)の名前が登場した。ロンドン条約はその正式名称を「1972年の廃棄物その他の投棄による海洋汚染の防止に関する条約」といい、一見今回の汚染水の放出のような事案に対する適用を連想させる。しかし、結論からいえば、同条約は今回の汚染水の放出措置には適用されない。
ロンドン条約は、毒性・有害性に応じて廃棄物を3つのカテゴリーに分類し、それぞれのカテゴリーごとに海洋投棄の許可・禁止を定めることによって、海洋への廃棄物の投棄を規制する条約である。これは、海洋への廃棄物の投棄を原則として禁止するものではなく、海洋の自浄能力を超える投棄を規制することを目的とするものであった。しかし、同条約の強化を目的として1996年に締結された議定書では、投棄そのものを原則として禁止し、例外的に許可により投棄が可能なものを列挙する方式に改められた。今回問題となっている放射性廃棄物について、当初ロンドン条約は高レベル放射性廃棄物の投棄のみを禁止し、国際原子力機関(IAEA)が定めるガイドラインの範囲内の低レベル放射性廃棄物の海洋投棄は許容していた。しかし、締約国内での反対の高まりを反映してモラトリアムが成立し、議定書では放射性廃棄物の投棄は完全に禁止されることとなった。
ただし、海洋に関する国際法において海洋への「投棄」とは、船舶等を用いて陸上で生じた廃棄物を海洋において処分することを意味し、陸上からの放出は「投棄」には含まれない。国連海洋法条約、ロンドン条約および同議定書ではいずれも「投棄」の定義を明示しており、例えばロンドン条約では、「海洋において廃棄物その他の物を船舶、航空機又はプラットフォームその他の人工海洋構築物から故意に処分すること」と定義している。今回の事案では、集中廃棄物処理施設に溜まっている滞留水については陸上からポンプによって、また5号機および6号機のサブドレンピットに保管されている地下水については放水口を経由して海洋へと放出した。このような形での陸上からの汚染水の放出は、条約上の「投棄」には当てはまらず、ロンドン条約および同議定書の適用範囲外である。
なお、今回のようにやむを得ず廃棄物を海洋へ処分することが必要となる場合、仮に船舶や航空機等を用いて海洋投棄を行ったとしても、ただちにロンドン条約および議定書の違反となるとは限らない。ロンドン条約および議定書には緊急の場合に、例外的に海洋投棄の許可を与えることを締約国に認める規定がある。議定書8条は「人の健康、安全又は海洋環境に対して容認し難い脅威をもたらし、かつ他のいかなる実行可能な解決策をも講ずることができない緊急の場合」、締約国は投棄の許可を例外的に与えることができるとしている。ただし、この場合には一定の手続を踏む必要がある。まず、許可を与えるに先立ち、影響を受けるおそれのあるすべての国及び国際海事機関(IMO)と協議する必要がある。この協議を受けてIMOは関係国・機関と協議の上とるべき最も適した手続を速やかに勧告する。締約国は海洋環境に対する損害を防止する一般的義務に即して実行可能な最大限度まで勧告に従った形で投棄を行い、かつ自国がとる措置をIMOへ通知することとなっている。
4.国際法における「海洋投棄」と「陸からの排出」
現行国際法の下では、汚染水を船舶や航空機に積載して海上で投棄するとロンドン条約の適用対象となり、上記のような詳細な規制の対象となるのに対して、陸上から排出することについては、明確な形で禁止する条約規定は存在していない。汚染水の放出が他国に対する環境損害を発生させるレベルではない場合には、国連海洋法上の海洋環境を保護・保全する義務という一般的な義務との整合性が問題となるにとどまる。海洋環境に同一レベルの汚染を及ぼすにも関わらず、船舶等を用いて海から投棄する場合と、陸上から放出する場合とで国際法の規制は極めて不均衡であるが、これは海洋汚染をめぐる国際法の規制がその発生源によって大きく異なっていることに由来している。
上述の通り、陸起因海洋汚染に関する国際法の規制は他の態様の海洋汚染に比べて極めて未発達であるのが現実である。これは、陸起因海洋汚染の規制が、そのほとんどが陸上で行われる国内の経済活動そのものに対する広汎な環境規制の導入を必要とするからである。国内の経済活動の全般に関わる環境規制について、国際的な合意に至ることが極めて困難であることは、京都議定書をはじめとした地球温暖化対策のための国際的な枠組みをめぐる展開にも見られる通りである。これまで陸起因海洋汚染を規制する包括的な多国間条約は締結されておらず、地中海などいくつかの地域において周辺諸国間で条約が締結されているほかは、国連の機関である国連環境計画(UNEP)が「陸上活動からの海洋環境の保護に関する世界行動計画」といった法的拘束力のない文書を通じて各国の環境行政に対する影響を及ぼし、海洋環境の保護を図ろうとしているのにとどまっている。
これに対して、陸上で生じた廃棄物を海洋へと運搬して処分する行為のみが問題となる海洋投棄起因海洋汚染については、海洋環境の保護・保全に対する意識の高まりに呼応するように、1972年のロンドン条約、そして1996年の同議定書と段階を踏んで国際法の規制が強化されてきた。また、船舶起因海洋汚染については、国ごとに船舶の設計・構造や運航に関する規制が異なると円滑な国際交通にとって大きな支障となることから、何よりも国際的に統一的な規制が求められてきたという事情がある。こうした事情を反映して、極めて詳細ながら国際的に統一的な規制を定める仕組みがIMOを中心として実現し、そのなかで船舶起因海洋汚染に関する国際法の規制も整備されてきた。このように、現行の海洋汚染に関する国際法は、船舶起因海洋汚染や海洋投棄起因海洋汚染については詳細な規制をもつ一方で、海洋汚染の原因の約8割を占めると言われる陸起因海洋汚染の規制については規制が未発達なままに残されているという、海洋環境の保護・保全の観点からはいびつな構造にある。「海洋投棄」と「陸からの排出」との間の国際法の規制の差異は、海洋汚染に関する国際法の構造を反映したものである。
5.汚染水放出の国連海洋法条約上の評価
陸起因海洋汚染に関する詳しい規制が存在しない以上、今回の汚染水の放出措置に国際法上の問題があるか否かの評価は、国連海洋法条約上の海洋環境を保護・保全する一般的な義務との整合性を評価するほかない。上述の通り、日本は国連海洋法条約の締約国として、海洋環境を保護し保全する一般的な義務があり(第192条)、海洋環境の汚染を防止するために「利用することができる実行可能な最善の手段を用い、かつ自国の能力に応じ」て、必要な措置をとることが求められている(第194条1項)。しかし、「利用することができる実行可能な最善の手段」や「自国の能力に応じ」といった文言に見られるように、他国に対する環境汚染が生じない場合の海洋環境を保護・保全する一般的な義務の内容としては、締約国に一定の裁量が認められている。
ただし、これはあくまでも他国に対する環境損害が発生しない場合に、海洋環境の汚染を生じさせてしまったこと自体がどのように評価されるかという話である。仮にこれまでなされてきた説明に反して、汚染水の放出措置が他国に対する環境損害を生じさせるレベルのものであったような場合には、別途の問題が生ずる。国家は、他国の法益を侵害するような形で、自国領域を使用しまたは私人に使用させてはならないという原則が国際法上確立しているものと理解されているからである(「領域管理責任」)。こうした理解は、国連海洋法条約においても海洋との関係で具体化されており、第194条2項では、「いずれの国も、自国の管轄又は管理の下における活動が他の国及びその環境に対し汚染による損害を生じさせないように行われること並びに自国の管轄又は管理の下における事件又は活動から生ずる汚染がこの条約に従って自国が主権的権利を行使する区域を越えて拡大しないことを確保するためにすべての必要な措置をとる。」と規定されている。
4月5日の外務大臣記者会見では、「どの国もあらゆる発生源から海洋汚染を防止・軽減・規制をしていくために実行可能な最善の手段を用いて、かつ自国の能力に応じて海洋汚染の発生源からの放出をできる限り最小にするための措置をとるということになっておりまして、私どもとしては、今ベストを尽くしてやっていると理解をしております」としており、国連海洋法条約第194条1項を念頭に、今回の放出措置が国連海洋法条約との関係においても、国際法に従ったものであるという立場をとっている。こうした立場が説得力を持つためには、汚染水の放出が他国に対する環境損害を発生させるレベルのものではなく、今回の措置措置が福島第一原子力発電所における事態の推移に照らして、「利用することができる実行可能な最善の手段」であったことが国際社会に対して十分に示される必要がある。
6.他国に対する通報
今回の汚染水の放出措置をめぐっては、近隣諸国への通報のありかたについても周辺各国が言及するなどして報道等で取り上げられた。他国への通報については国連海洋法条約上も規定があり、海洋環境汚染による損害の危険が差し迫った場合または損害が実際に生じた場合に、他国および国際機関に対する通報を行うことを定めている(第198条)。しかし、今回の汚染水の放出をめぐっては「直ちに差し迫った汚染の影響を周辺各国に及ぼすものではない」(平成23年4月5日枝野官房長官記者会見)として、この規定が適用される場合ではないとの判断がなされているものと思われる。
他方で、海洋環境汚染に限ったものではないが、原子力事故の通報に関しては特に「原子力事故の早期通報に関する条約」(以下、「原子力事故早期通報条約」)という条約が存在しており、日本もその締約国となっている。この条約はチェルノブイリ事故の発生を契機として1986年に採択された条約であり、放射性物質を放出するかまたはそのおそれがあり、かつ国境を越えて他国に「放射線安全に関する影響」を及ぼす可能性のある原子力事故について、締約国が直接にまたは国際原子力機関(IAEA)を通じて、他国に対して事故の発生を直ちに通報し(第2条(a))、放射線の影響を最小にとどめるための提供可能な情報をすみやかに提供することを義務づけている(第2条(b))。放射線の影響を最小にとどめるための提供可能な情報の具体的な内容としては、原子力事故の発生時刻、正確な場所、種類をはじめとして、事故の原因や予想される進展、放出の全般的な特徴、気象学的・水文学的情報で放出を予測するために必要なもの、環境監視の結果、敷地外の防護措置などが挙げられている(第5条)。また、通報義務が生ずる場合以外の原子力事故についても、締約国は放射線の影響を最小のものにとどめるため、自発的に通報を行うことができるとされている(第3条)。
このように、原子力事故早期通報条約上は全ての原子力事故に通報義務が生ずるのではなく、国境を越えて他国に放射線安全に関する影響が及ぶ場合に限られている。そして「放射線安全に関する影響」をもたらす可能性があるか否かの判断基準については、条約上は不明確なままに残されている。これは条約の起草上「放射線安全に関する影響」の客観的な定義を意図的に回避したことによるものであり、その結果として影響の評価は事故の発生した締約国の裁量に委ねられている部分が大きい。日本政府は、今回の汚染水の放出措置についてもIAEAに対する通報を行ったが、「現段階では国境を越えて影響を与えるというものではな」いとして2条に基づく通報義務が生ずる場合には当たらないものと判断しており、3条に規定する自発的な通報と位置づけている(平成23年4月8日松本外務大臣記者会見)。
7.おわりに
以上のように、今回の放射性物質を含む汚染水の放出という事態に直接に対応するような具体的な国際法上の規則は存在していない。また関連する国際法上の規則に照らしても、今回の汚染水の放出措置が、これまで説明されてきた通りに他国に対する環境損害を発生させるレベルではないのであれば、「ただちに」国際法上の問題があるとはいえない。しかし、仮にそうであったとしても、日本が国連海洋法条約の締約国として海洋環境を保護・保全する義務を負っていることに鑑みれば、今回の汚染水の放出措置が福島第一原子力発電所における事態の展開のなかで「利用することができる実行可能な最善の手段」であったことを国際社会に対して十分に説明していく必要がある。今後の展開も予断を許さないが、事故への対応を行っていく上では、国内における対応はもちろんのこと、国際法のルールを踏まえた上で国際社会に対して十分な説明を行っていくことが重要である。