医師を増やせば医療崩壊は止まる?
2008/10/24
昨今、医療政策上の問題として、医療崩壊という現象が取り上げられることが多くなっています。医療崩壊とは、主に病院に勤務する医師が退職したことをきっかけとしてある地域の医療体制が維持できなくなる現象を指しています。原因としては、若い医師がきつい医療現場を避けるようになったためとか、医療訴訟が増えているからとか、医療事故を原因として逮捕された医師がいたためなどと言われています。しかし崩壊していると言われる医療機関や診療科を見ると、上記の原因以上に、時間外診療体制の運営が不適切であること、具体的には当直制度により維持されていることの方が大きな原因になっているようにも思えます。そこで今回は医師の当直制度について問題提起させていただきます。
当直とは労働基準法では宿日直と呼ばれています。一般的に宿直という言葉で想起されるのは、「非常事態に備えて、職場に泊まって手持ち無沙汰に時間を過ごす役回り」であり、日直は休日日中の当直に相当します。これが労働基準法の宿日直に相当する業務です。正確に言えば、労働者が通常の勤務終了後、引続き翌日の所定始業時刻まで、事業場内の定時的巡視、文書および電話等の収受、非常事態の発生に備えて勤務するものであり、勤務時間中に相当の睡眠時間が設定され、常態としてほとんど労働する必要のない勤務を指しています。回数も宿直が週に1回まで、日直が月に1回までと制限があるため、宿日直合わせて1ヶ月に5〜6回以下でなくてはなりません。
それでは医療の世界ではどうなっているかと言えば、「宿日直」すなわち「当直」は、通常の勤務時間終了後から朝の始業時までに生じるすべての業務を担当しています。もちろん通常の勤務が免除されることはありませんから、当直を担当する日には、朝の勤務開始から翌日の勤務時間終了までの1日半が勤務時間と言うことになります。さらに日中の通常業務に加えて、救急外来の診療も含まれています。時間外に受診される患者さんは、状態が不安定な場合が多い上に、診療体制が限定されていることから、診療を担当する医師にとっては大変な負担となります。また回数制限が有名無実化している医療機関も少なくありません。
実際、このコラムを読んでいる方の中にも、「当直医」の業務は夜間診療だと思っていた方も多いかもしれませんし、医師の間でもそういう認識が一般的だと思います。その証拠として、非常勤医師の求人情報では「当直医募集、救急外来5〜10名、救急車2〜3台、病棟管理」というようなものが多く見られます。常勤医の募集でも、民間病院ならまだしも公立病院常勤医でさえ、当直回数が月に10回以上あることが明示されている場合があります。少し前まではテレビや新聞の報道でも、当直医が夜遅くまで通常業務を続けながら救急外来の患者を診察して朝を迎えたとか、家に帰った途端に呼び出されて朝日を見ながら家に帰ったなどというものを見ることができましたが、特に問題視されていませんでした。
そうは言っても、勤務時間外に医療が必要な緊急事態があれば、医師が対応することは当然のことであるため、止むを得ない場合に限り法律上も時間外手当の支給を要件として実施可能とされています。しかし実際には、時間外診療が行われた場合でも、時間外手当が支払われないことが多く、さらに深夜に呼び出された時の交通費さえ払ってもらえないことが多かったのです。最近では、そのような医療機関は報道されなくなりましたが、それは問題点が解消されたためではなく、その状態自体が違法であることを自覚しているため、報道されることで労働基準監督署から睨まれることを恐れて、医療機関が取材を受けなくなったためと言われているのです。時間外診療が当直医により維持される状態を放置して来た厚生労働省が、労働基準法に基づいて当直医による時間外診療の提供を禁じているというのであれば、一体誰がこの状態を改善するのでしょうか。
近年、医療崩壊と呼ばれる現象の報告が多数あり、その原因として前記のように訴訟の増加や医療事故に対する逮捕などが挙げられていますが、これは急激に進行する医療崩壊の説明としては不十分です。実際には医師達は、これまで時間外の奉仕的労働、特に当直制度の名を借りた夜勤体制に何とか耐えてきたものの、その上、民事訴訟ばかりか逮捕までありうるという現状に耐えられなくなってきた可能性が高いと思われます。実際に医療崩壊が起こっているのは、診療科としては小児科や産婦人科が多く、それ以外の診療科でも都市部以外の基幹病院を中心に多数報告されています。いずれにおいても時間外診療の需要が高いために当直医の負担が過大になりがちであり、時間外診療の負担が過大な医療機関(多くは地元の基幹病院)の医師が次々と退職しているのです。
そうは言っても、当直制度を適切に運用することは、現在の診療体制や医師数では全く不可能です。最近になって医師養成数を増加させるという方針が政府により立てられるようになっていますが、その目的は、漠然と医師が足りないからというだけで、時間外診療体制の整備とか当直制度の適切な運用とはされていません。慢性疾患を中心とした日常診療と、緊急対応を要することの多い時間外診療を一緒にして医師数の過不足を語るべきではありません。医師数が足りないかどうかという問題はスケジュールの立て方や評価方法によって変わる可能性がありますが、当直医による現状の時間外診療体制は明らかに労働基準法違反であり、患者さんにとっても、疲れて判断力の低下した医師に診療を受けることになってしまうのです。時間外診療体制の問題は、医師・患者の双方のために早急に解消されなくてはならない問題であり、医療政策の現場においては最優先で取り上げていただくことを期待しています。
(参考文献)
都市部民間二次救急病院の現状と課題、医学のあゆみVol.226 No.9 pp.708-713、2008年