在宅医療に医療材料の適切な供給を

東京大学公共政策大学院 特任研究員
畑中綾子

09/02/23

我が国の在宅医療は国による積極的な推進がなされる一方、介護を担う人材の不足や地域における医療機関との連携不足など多くの問題を抱えている。この数ある問題の一つに、在宅医療における医療材料等の適切な供給体制の未整備の問題がある。

医療材料とは、医療行為の提供に必要な医療機器や器具、医薬品などの総称である。具体的には、栄養剤や薬を注入するときに使う注射針や注射の筒部分にあたるシリンジ、たんを吸引する際につかうチューブや、人工呼吸器の体内挿入部分にあてるY字型の滅菌ガーゼ、消毒薬などがある。また、大手のスーパーなど一般でも購入できるガーゼやカット綿などは衛生材料とよばれ区別されるが、ここでは在宅医療に必要となる用具など一式医療材料等として扱うこととする。

入院した患者には日々のケアに必要な医療材料等は病院に準備されている。一方、在宅医療では、まず自宅に必要な医療材料等を揃えることが必要となる。制度上、かかりつけの往診医や病院は、在宅の患者に必要かつ十分な量の医療材料を支給することとされている。しかし、この支給が患者が用いる量に対して十分ではない場合には、不足した医療材料等を患者が自ら購入せざるを得ないという現状がある。

医療者から在宅患者に十分な量の医療材料等が供給されない理由は大きく2つある。

第一に、保険制度における診療報酬点数の問題である。在宅医療では、多くの場合「在宅療養指導管理料」が保険請求され、この請求を行う医師が医療行為に必要かつ十分な医療材料等を提供することが求められる。しかしながら、この在宅療養指導管理料によって、具体的にどこまで支給すれば十分な量といえるのかは、各医療者の判断に委ねられ、医師ごとの判断のばらつきも大きい。また患者が、医師が標準的と考える使用量よりも多くの医療材料を用いる場合もある。多くの医療材料等を必要とする患者を担当すると、在宅療養指導管理料だけでは支給すべき医療材料の全てを賄うことができないということもある。

第二に、医療材料等のメーカーによる販売単位の問題がある。個々の在宅の患者に必要な医療材料は月に1〜2本程度という少数単位である。しかし、医療機関がメーカーや卸業者から医療材料を取り寄せるとき、50や100という大きな箱単位で購入しなければならない。医療材料等の製造業者も、在宅医療にはより少ない単位での医療材料のニーズがあることは把握しているものの、滅菌パック処理や包装の手間からすると市場規模の小さな在宅医療のための小分け包装のラインを作るインセンティブは十分ではない。

在宅を担う医療機関の中でも、地域の中でごく少数の患者や特殊な医療材料を必要とする患者を担当するところもある。また、患者の状態に合わせてチューブや器具のサイズを変更したり、高齢の患者が途中で亡くなったりすれば、使い切れなかった材料が在庫となって医療機関に残ってしまう。そこで、医療機関が少数の患者のために医療材料の発注をすることを躊躇するのである。

これらの理由により医療者から支給されず、日常的なケアに必要な医療材料を患者が自ら購入している実態がある。患者が自らメーカーや卸業者に問い合わせ、医療者と同様の大きな箱単位で医療材料を購入しているのである。在宅医療を行う家庭では、どこも医療材料の在庫が積み上がり、薬局さながらの状態にある。この材料購入には金銭的負担だけではなく、発注管理や新たな医療材料の情報入手などの精神的負担も大きい。

では、在宅において医療材料が確実に患者に支給されるためには、どうしたらよいのか。まず、在宅療養指導管理料の請求を行えば、必要な医療材料の供給を行う必要があることを在宅を担う医師に周知徹底することである。一方、医療者の在庫リスクへの対応としては、医療機関が共通して利用できる医療材料供給の拠点を設け、そこから小分けで必要な医療材料を供給できる体制が望まれる。この小分けの供給拠点には、大手の問屋によるインターネットの小分け販売の方法や、地域ごとに医師会や薬剤師会などで一括購入して小分けする場を設けることが考えられる。実際に地域の医師会が中心となって医療材料の小分けを行っている地域として、千葉県市川市の市川市医師会、長野県大月市があり、最近、大阪府平野区医師会でも活動が開始されている。この地域に医療材料等を供給する拠点をおくことで、地域の在宅医療を担う医師や訪問看護ステーションとのネットワークが構築されるなどの効果もあがっている。

また、将来的にはこれら拠点の活用によって在宅医療における医療材料の状況を地域ごとに把握することができ、在宅医療に関する診療報酬点数はどれくらいが妥当であるのか、在宅医療に必要となる支援はなにか、といった政策提言や提言の根拠となるデータの収集も期待することができるであろう。