米国のオゾンの基準値が改訂 - 最新の科学的知見が反映される仕組み
2015/10/26
米国環境保護庁は10月1日、オゾン(光化学オキシダント)の大気環境基準値(NAAQS)を現行の0.075ppmから0.070ppmに強化することを発表した。2014年12月には、0.065〜0.070ppmという範囲が提案され、パブリックコメントを受け付けていた。その範囲の上限の値に決められたことになる。新基準値の強化と同時に発表された規制影響分析(RIA)では、2025年における年間規制遵守費用が14億ドルであるのに対して、年間便益が29〜59億ドルに上ると推計された。便益には320〜660人の早期死亡や23万件の子供のぜんそく発作の削減が含まれている。
それまで産業界は、基準値の未達成地域では工場の新設や改修に制限が加えられるなど産業活動への影響が大きいことから、オゾン基準の強化に対して、「史上最高の遵守費用がかかる規制だ」として反対キャンペーンを行ってきた。他方、環境保護団体は、提案された範囲でさえも健康を十分に守れないとしてさらに厳しい基準値を要求していた。このように、新基準値は妥協の産物という側面を持つ。とはいえ、新しい科学的知見がきちんと織り込まれていることも確かである。鍵となったのは、近年実施された健常人のボランティアを対象とした曝露実験のデータで、基準値未満の濃度でも悪影響が見出されていた。
オゾンは大気中で窒素酸化物と揮発性有機化合物が反応することで生じ、呼吸器系へ様々な悪影響を及ぼすことが分かっている。米国の大気環境基準値は、大気清浄法において、「十分な安全マージン(an adequate margin of safety)」をもって人々の健康を保護するレベルに定めることが指示されていて、裁判所はこの文言を、基準値を決めるにあたって遵守費用や技術的可能性を考慮してはならない、すなわち、健康への影響だけを考慮することを意味すると解釈した。そのため、大統領令により、規制策定の際に実施が義務付けられている規制影響分析(RIA)において推計される規制遵守費用は基準値決定において考慮されてはらないというややこしいことになっている。他方、近年発表される疫学調査では、オゾンやPM2.5について基準値を大きく下回る値でも健康影響が見出されており、環境保護庁は提案する基準値を正当化するロジック作りに苦心している。
日本の環境基準値は米国と異なり、規制値でなく、「維持されることが望ましい基準」、すなわち目標値である。そのような性格の違いはあるものの、科学的知見の反映という点で米国に見習うべき点が多くある。日本では光化学オキシダント(測定の実態からはオゾン)の大気環境基準値は1973年に、「1時間値が0.06ppm以下であること」と定められて以来、一度も見直されていない。しかも、平成25年度の達成率は、住宅地にある一般局で0.3%、主要道路近くの自排局で0.0%であることからも分かるように、日本国中で長らく基準値超過が続いているという状態である。理由は、数値の厳しさに加えて、諸外国と異なり、一度たりとも超過を認めない基準であるからだ。そうしたことからいつしか0.06ppmという環境基準値は誰も気にしなくなり、その2倍の値である0.12ppm(1時間平均値)という「注意報レベル」が事実上の基準値として機能するようになった。基準値が策定された1973年には科学的知見もほとんどない中でとりあえず決められたような値である。ましてその2倍の値の「注意報レベル」も科学的根拠は薄い。
米国の大気環境基準値には日本にない2つの特徴を持っている。1つは、1977年の法律改正で5年ごとに最新の科学的知見を収集・分析し、現行の基準値の妥当性を判断することが義務付けられたことである。今回が5回目のレビューにあたる。もう1つは、基準値を策定する前に、基準値策定の手順が策定されることである。基準値策定プロセスは2009年に図のように大きく改訂された。日本の大気環境基準値は、1970年前後に一通り設定されて、1970年代に2度改訂されたのちは、2009年にPM2.5の大気環境基準値が新設されただけである。PM2.5の基準値を策定するのに10年間も要したのは、手順があらかじめ決められていなかったことも理由の1つだ。環境基本法の第16条には「(環境基準値は)常に適切な科学的判断が加えられ、必要な改定がなされなければならない」と書かれているにもかかわらず、最新の科学的知見が反映される仕組みが存在していないのである。日本において必要なことは、まずは少なくとも10年に1度は最新の科学的知見を反映して基準値が更新される仕組みである。それと同時に、そもそも基準値とは何だろうか、そして何のためにあるのだろうかという本質的な議論も必要だ。
参考文献
- 村上道夫,永井孝志, 小野恭子, 岸本充生(2014)基準値のからくり.講談社ブルーバックス. (講談社のウェブサイトへのリンク)