西暦3000年、日本人は「朱鷺」になる
2016/1/6
Crested ibis (Nipponia nippon)
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト [Public domain],
via Wikimedia Commons
朱鷺(トキ)、学名 Nipponia Nippon は、2003年に日本産最後の1羽「キン」が死亡し、絶滅した。ニホンカワウソも、1979年以降目撃情報がなく、2012年に絶滅種に指定された。
わが国の合計特殊出生率は、現在1.4強であり、この状態が恒久的に続くと、人口は、西暦3000年を過ぎて遠くないうちに1名になり、その後ゼロになる。その数十年前か、それ以上前には、「日本ウナギ」と同様、絶滅危惧種に指定されるのだろうか。
このような推計はあまり知られていない。これまでのところ、政策論議にせよ、将来の社会像についての議論にせよ、わが国に人は住み続け、繁栄し続けるはずだと、ほとんどの日本人が思い込んでいる。最近になって、多数の自治体が少子化で消滅するかもしれないということが急に話題になり始めた。それでも国自体が、人口がゼロになり、消滅する可能性について考えたことのある人はほとんどいないのではないか。
もちろん、これは推計であって、あくまでも現状をベースとして一定の仮定を置いた上での計算結果である。しかし、平安時代からの人口動態をみてみると、全くゼロにはならなくとも、現在に生きている人々が信じられないくらい減少することはあり得ないことではない。
こうした数百年、千年という時間軸で物事を考えてみると、将来に向かっての議論の空しさ、おかしさがみえてくる。たとえば今、わが国が直面する大きな課題の一つとして、貯まってしまった核廃棄物、とりわけ高レベル核廃棄物の最終処分場の立地が問題となっている。
強い放射能を出し続ける危険な高レベル核廃棄物は、地下深くに埋めて数万年間管理しなければならないのだという。しかし、今のままだと、管理期間の終了より日本人の滅亡の方が格段に早い。それほど長期にわたって、誰のために、誰がどうやって管理することを想定して、この議論をしているのか。
必要なのは美田を継ぐ子孫だ
それほど先のことではなくとも、現在、河川管理のための堤防の補強やダムの建設は、100年から200年に一度の確率で起こる水害を防ぐことを想定して整備の必要が論じられている。それくらいだと、日本人は滅亡しないにしても、現状の人口減少が続くかぎり、まさに消滅する地域は相当数に及ぶ。
果たして、今取り組む政策として、われわれは何をどのように考えればよいのであろうか。これまでは、日本中に人間が住み続ける、人口減少による衰退はあっても、振興策を講じれば人口は回復して、日本という国は永遠に続き、そのためにわれわれは子孫のことを考えて国づくりをしなければならない。そう根拠もなく信じてきたとすれば、それは大きな思い込みであるといわなければならない。
わが国がこれまで築き上げてきたものを永遠に維持していこうとするならば、長い目でみて必要な人口増加策を、長期にわたってガマンして続けていかなければならない。すべきことは、子孫のために美田を残すことではなく、まずは子孫を作ることなのである。