普及・啓発政策には国家試験の創設が解決策の一つに
「知的財産立国」政策における国家試験創設の事例を通じて

金沢工業大学 知的財産科学研究センター長・教授
杉光一成

09/05/14

国家試験の創設と普及・啓発の関係

まず、国家試験の創設と普及・啓発とがどういう関係にあると考えているかについて説明します。私は昔から「○○分野のことを知りたい」と思ったときは、その分野において適度な試験がないかを探し、その試験の合格までの勉強を通じて知識を獲得するという方法論を取ってきました。

しっかりとある分野の知識を身につけたいと思うならば、試験というのは自分がその分野の知識を身につけられたかどうかを客観的に確認できる有効な手段となります。そして、何よりも試験「合格」という「目標」が設定されることにより、当該分野の知識獲得への動機付けとなるだけでなく、継続的なモチベーションの維持までもが可能になります。

イギリスの登山家ジョージ・マロリーは記者からの「あなたはなぜエベレストを目指すのか」という質問に対して、「そこに山があるから。(Because it is there.)」と答えたという有名な逸話があります。この山を「試験」と読み替えれば、「試験があるという存在自体が動機付けとなってその試験を目指す、すなわちその知識を獲得したいという人が出てくる」ことを意味します。

自分は「知的財産」という分野で仕事をしてきた人間ですが、この分野では、日本が小泉政権のときに「知的財産立国」を目指すと宣言し、「知的財産立国」政策を取ることになりました。「立国」という以上は、一部の業界人や専門家に対してだけではなく、国民全般に「知的財産」の重要性について認識してもらう、すなわち普及・啓発することが当然の前提になっています。

このようなときに思い至ったのは、「知的財産」の分野において適度な国家試験があれば、その試験の存在自体が一つの動機付けとなって知的財産分野の知識を獲得する人が増えるのではないか、すなわち知的財産分野の知識の啓蒙・普及に効果があるのではないか、というものでした。

知的財産分野の国家試験創設による普及・啓発効果の事例

2008年7月に知的財産の分野において初歩的な知的財産の知識の習得度合いを国家が証明する新しい国家試験が誕生しました(2004年に民間試験として始まった「知的財産検定」が昇格)。「知的財産管理技能検定」という国家試験です。知的財産の分野には、弁理士試験という有名な国家試験が既にありましたが、弁理士試験は独占業務資格であるだけでなく、合格率も数%という難関試験であり、国民一般が目指すべきものではありません。

新しくできた国家試験の受検人数は、第1回が約4000人、第2回が7500人、第3回が、13000人で年間(年3回実施)累計が約24500人となっており、弁理士試験(年1回実施)の受験人数が最近になって年間約10000人となったことと比較しても急速にこの分野の知識が国民一般に広く普及していることが分かります。

また、知的財産に関連する省庁のほぼ全てが横断的に試験委員として参画し、各省庁が国民一般に周知化したい知識(国民啓発用のパンフレットの内容、新しい法律や審査基準等)を積極的に出題しています。これにより受検者もそのような資料を積極的に勉強するきっかけが生まれ、結果としてそのような知識が普及・啓発されています。パンフレットをただ作成して配布しただけの場合に比したその効果の度合いはデータを出すまでもないでしょう。

更に、近い将来、「知的財産立国」政策が実現したといえるかどうか、という政策効果の検証が必要となると考えられますが、この検定の受検人数のデータは、その際の客観的で有用な指標の一つとなるとも考えられます。

国家試験が創設できない時代 〜規制緩和方針の「壁」

ところが、実は国家試験の創設するのは非常に困難なのが現状です。それは、同じ小泉政権の「規制緩和」政策によって原則として「今後、国家試験は創設しない。」という基本方針が今も生きているからです。この考えの根底にあるのは、「民間でもできる試験は民間に任せる」という他の規制緩和策と同じ思想です。

しかしながら、やはり国家試験の信頼性というのは民間試験と比較して非常に高いものです。広くかつ確実に受検者を拡大(すなわち普及・啓発)するには「国家」試験という形式は重要です。民間試験は玉石混交であり、中途半端な試験が営利目的で実施され、何らかの理由で評判を失えば、むしろその分野の知識の普及・啓発の障害となることすら考えられます。

また、民間試験の場合にはその合格者に対して能力の証明以外に具体的なメリットを付与することが難しい面がありますが、国家試験の場合には、更なる別の普及・啓発政策(必置資格化や取得者に対する税の優遇等)とバンドルにすることも容易です。

普及・啓発の政策ツールとして捉え直すべき国家試験制度

試験制度というのは、「ある分野の知識習得を確認するためのもの」という機能面でのみ捉えられることが多いのですが、国家試験については「ある分野の知識習得を国民一般に積極的に促す政策ツール」という視点で捉え直してみてはどうかと考えています。

あくまで個人的見解ですが、「○○立国」を目指す場合、あるいは「△△」の知識を長期的な視点で国民一般に普及・啓発する必要がある、という具体的な政策課題がある場合、その分野において国家試験を創設するという選択肢も検討すべきであり、その意味で国家試験の分野でも既存の「規制緩和」策を見直す必要があるのではないでしょうか。