「ガソリン税を社会保障財源に」という発想
環境・福祉・経済の総合ビジョン
09/09/04
表題を見て奇異な印象をもつ人がいるかもしれない。「ガソリン税を社会保障財源に? なぜガソリン税と社会保障という、全く別のものが結びつくのか」と。ところが、意外に思われるかもしれないが、実はヨーロッパの国々はこれと同じような政策を実施しているのである。
具体的に述べれば、ヨーロッパの多くの国々は、ガソリンへの課税を含む「環境税」の税収を年金など「社会保障」の財源に使うという政策を90年代以降実施している。たとえばドイツは、99年に環境税を導入すると同時にその税収を「年金」の財源にあて、そのぶん年金保険料を引き下げるという大胆な政策を行った(月収の20.3%から19.5%への引き下げ)。これは「エコロジー税制改革」と呼ばれている抜本的な税制改革である。その考え方は、「資源消費やCO2排出に税にかけることで環境悪化にブレーキをかけるとともに、福祉の水準を維持し、しかも企業の社会保険料負担を軽減することで雇用改善と国際競争力の維持にも寄与する」というものだ。ドイツに限らず、オランダ、スウェーデン、デンマーク等も90年代からこうした政策を実施しており、最近のOECD報告書でもその効果が肯定的に評価されている。環境、福祉、雇用、経済、まちづくり等をにらんだ総合的政策と言える。
以上のような改革には、さらにもう少し深い理念がひそんでいる。それは「労働生産性から環境効率性へ」という考えだ。すなわち、以前は“資源は十分にあり、労働力が足りない”という時代だったので、「資源はどんどん使ってよいから、労働力を節約する」、つまり労働生産性の向上ということがもっとも重要だった。ところが時代は変わり、現在は“資源が不足し、むしろ労働力は余る(=慢性的な失業)”という状況になっている。こうした時代には、以前とは逆に「人はどんどん積極的に使い、逆に資源の使用を節約する」という企業行動が求められる。つまり「労働生産性」より「環境効率性」の向上ということが重要になっているわけで、これを促すインセンティブの一つとして「労働に対する課税から資源消費・環境負荷に対する課税へ」のシフトが必要となる。そこで環境税を導入すると同時に、年金などの社会保険料を引き下げたのである。
こうした「労働生産性から環境効率性へ」という考え方の持つ意味をさらに考えていくと、福祉や教育といった分野に関する次のような新しい見方が生まれる。すなわち、介護などの分野は“生産性が低い”ことの代表のように言われてきたが、それは従来の生産性の「モノサシ」から見ているからであって、環境効率性の観点からはむしろ“優等生”と言える。また雇用波及効果を産業分野別に見ると、労働集約的で“人がすべて”の福祉分野はもっとも高いものとなっている。雇用誘発効果が高いということは、現在の先進諸国のような慢性的な失業という構造において重要な意味をもつ。福祉や教育といった、「人」がキーポイントになる領域に積極的な資源配分を行うことが、経済の観点から見ても効果的ということになる。
私自身は、福祉や教育、心理、文化などを含む「ケア」という領域への人々の関心や需要が高まっていることを考えれば、以上のような「環境効率性」という発想にとどまらず、「ケア充足性」とでも言うような、より積極的な生産性概念がさらに構想されていってよいのではないかと考えている。
最後に、議論の土俵を大きく広げることになってしまうが、以上述べた「生産性概念の見直し」、「ケア分野や人への投資」ということに関して、次のような視点を記しておきたい。それは、私たち人間は、いわば歴史の中で3度目の「定常型社会」とも呼ぶべき時代を迎えつつあるのではないか、という点に関係する。
そもそも人間の歴史を超長期のタイムスパンで振り返ると、人類はこれまで大きく3回の「拡大−定常」のサイクルを経験してきている。たとえば人口学者のコーヘンなどは、世界人口がこれまで3度の拡大期 — — 道具の使用や狩猟を始めた10万年前頃、農耕を開始した約1万年前、産業革命がスタートした18世紀頃 — — をへてきたとする。また経済学者のデロングは世界の「超長期のGDPの推移」を試算しているが、単純化すればそこでもそうした拡大‐定常のサイクルが見て取れる。振り返れば、古典派経済学を集成した著作とされる『経済学原理』(1848年)の中で、J・S・ミルは人間の経済はやがて“定常状態”に達すると論じていた。
ここで、そもそもなぜ人間の歴史にはそうした「拡大」と「定常」のサイクルがあるのかを考えてみると、拡大期というのは、一言で言えば技術によって「人間と自然」の関係(特にエネルギーの利用形態)が大きく変わる時期であろう。これに対し成熟・定常期の特徴は、そうした技術パラダイムが成熟し、ある種の生産過剰が生じるとともに、物質生産の量的な拡大ではなく、人々の関心がむしろ「人」やコミュニティ、あるいは内的な充足に向かう時期と言える(拙著『グローバル定常型社会』参照)。上記のような「ケア」分野への関心の高まり、あるいは労働生産性から環境効率性、ケア充足性へという変化は、こうした時代構造とも関係しているのではなかろうか。
以上は一つの見方に過ぎないが、いずれにしても、大きな時代の認識に立ちながら、環境・福祉・経済の各分野を総合的に視野に入れた新たな社会モデルの構想や政策展開が今こそ求められている。