超高齢社会の二等分線

東京大学政策ビジョン研究センター
シニアリサーチャー
大阪府政策企画部企画室統括参事
喜多見富太郎

10/04/19

超高齢社会の二等分線

日本は2007年に超高齢社会(高齢化率21%以上)になったが、それにともない人口数が二等分される年齢階級は40〜45歳層となっている。人生80年の往路、復路の折り返し点は、ほぼ現代日本社会の人口二等分線でもあるのだ。もし、人生の往路・復路が意味を持つ政策があるとしたら、ここしばらくはその政策は政治的に拮抗する政策となるだろう。

超高齢社会に関する議論では、増大する高齢世代の社会福祉のコストを、縮小する若年世代が負担できるのか、といった論の立て方が多い。当然、それは解きがたい難問であるので、高齢問題の議論はあまり明るいものにならない。しかし、この立論には再考に値する前提があるように思われる。それは、高齢世代と若年世代は、年齢に由来する属性を除いては同質な社会成員であり、したがって、高齢世代の社会福祉のコストは、若年世代を含めた社会全体で負担すべきであるという価値判断である。ここでは、その前提にあえて異を唱えてみたい。

戦後日本の信条政策とその形骸化

まず、高齢世代と若年世代は同質な社会成員なのか。ここで日本人の生産性にかかわる信条政策というべきものを考えてみたい。信条政策とは、国策的に誘導され社会意識として定着した巨大制度に関する政策といった意味で考えているが、戦前の「富国強兵」のような、「国是」とか、「時代のエートス」というようなものである。

よくいわれるように、戦後日本には、家計の投資支出を誘導する少なくとも三つの信条政策があった。一つは、家計から巨大な教育投資を引き出すための企業における学歴別新卒一括採用慣行と終身雇用制である。学歴神話ともいわれる。二つ目は、国の公共事業を補う家計の住宅投資を呼び込むための持ち家政策である。マイホーム主義ともいわれる。三つ目は、家計の貯蓄性向を高めるための離島・僻地にまで張り巡らされた郵便局を通じた公的保険制度や都市部を中心とした金融護送船団である。親方日の丸と揶揄されることも多い。こうした巨大制度によって、社会の中間層の家計所得を近視眼的な消費ではなく、長期的な有形無形の投資に振り向けることができた。

しかし興味深いことに、これらの信条政策は、人口の二等分線世代、つまり40歳代前半層の出生期である60年代後半から70年を境にして形骸化がはじまっている。まず、大学進学率が、1966年の16.1%から、1976年の38.6%へと10年で2倍以上に跳ね上がっている。大学の大衆化は1966年からはじまったとみてよいが、それは、当然、大学教育への期待収益率を低下させる。また時期はやや上がるが、1962年の区分所有権法の制定が注目される。区分所有権法によって都市部を中心に中高層の集合住宅の「持ち家」化が可能となったが、集合住宅は、経年によって資産価値が償却され、さらに大規模改修費用を伴うマイナス資産となる。投資資産としての実質を伴わない名ばかりの「持ち家」なのである。さらに、社会保険制度も、この時期に積立方式から賦課方式になし崩し的に転換していき、金融護送船団と対になったメインバンク制度も、70年代には形骸化が始まったといわれている。人口二等分線の前半層、つまり人生の往路にある世代は、生まれた時から信条政策の喪失の危機にあり、後半層、つまり人生の復路にある世代は、自らが生きた信条政策の裏切りに遭遇しつつある。

二つの社会問題と二つの信条政策

いま、日本社会は、高齢世代の福祉問題と若年世代の貧困問題という二つの社会問題のフロントに直面しているが、この二つの問題への処方箋は、信条政策という共通の文脈をもって語ることができる。この文脈からみるとき、これまで当然の前提とされてきた若年世代が高齢世代を扶養するという考え方を再検討する必要があるように思われる。

高齢世代は、全体としては過去の資産を蓄積している。しかもそれは高齢世代には過剰、あるいは余剰の資産となっている。広すぎる持ち家、運用技術や意欲をもたないまま低金利に放置された金融資産、余暇に活用するには分に過ぎる教養や技能、等々。これらは個々の家庭でみれば若年世代のパラサイト化を助長しているかもしれないし、相続を通じて社会階級の固定化を促進しているかもしれない。高齢世代への過去の信条政策を裏切らないためにも、彼らが自分たちで蓄積した資産を自分たちの福祉のためだけに使いきってしまえる制度開発が必要ではないだろうか。とくに人生の復路にある団塊の世代は「児孫のために美田を残さず」を時代のエートスとすべきである。そのためには、相続税制や社会保障制度、大都市の不動産所有制度の抜本的なルールの変更が必要だろう。高齢者の自足的な社会保険制度をめざした後期高齢者医療制度にはその方向性が見られたが、本質的にまずかったのは、それを信条政策の文脈で社会全体のビジョンとして示さなかったことだ。

他方、若年世代は、高齢世代の社会福祉の費用負担からできるだけ解放して、自分たち自身の資産を形成するための新しい信条政策に誘導することが必要ではなかろうか。そのための基本は、失敗のコストとスティグマを社会から可及的に払拭することだ。人生の往路にある世代を常に挑戦に駆り立てる競争的で何度でもやり直しのきく野性的な社会基盤といってもよい。たとえば、ベーシックインカム構想などはそれを実現するものであろう。経済的に成功すれば当然に多額の税金を納めるのと同じ感覚で、失敗すれば税金から生活資金の「還付」を受けるのが当然視される政策と、その前提にあるチャレンジ精神を駆動する信条政策。それがなければ、セーフティネットが勤労のモラルを破壊する。

二等分線の分離と融和

超高齢社会の二等分線を境にして、二つの信条政策に導かれた日本人社会をつくる。しかしこのことは、高齢者という社会的弱者を扶養することを通じて社会の連帯感を相互確認するという、もう一つの重要な信条政策を損なうものであってはならない。この兼ね合いが、巨大制度の政治的な成否に結びつくだろう。