日本外交の隘路:外交政策運営の混乱を超えて
2010年6月15日
外交政策における運営の失敗
昨夏における政権交代は、自民党支配の終焉のみならず、ついに「政治」の時代から「政策」の時代へと変化が起きるのではないか、そのような希望を日本に生み出した。にもかかわらず、その後の九ヶ月弱にわたる外交政策の運営面における混乱は、外交政策をメディアの消費財に陥れてしまった。ともに実現すべき日米関係の堅持と負担の軽減を天秤にかけた、鳩山政権の未熟さはすべての方面にただ禍根を残す結果となった。
しかし、より本質的な問題は、先の政権交代後に、外交政策に関する議論が進展したのかという点にある。日本にとっての利益を特定し、その中長期的な見通しを踏まえた上で、望ましい手段を選び取るような、政策の時代にふさわしい戦略立案は存在していたのだろうか。我々は政権交代の成果を評価できるのだろうか。
鳩山政権のアジア政策構想
私はその過程を知る立場にはない。しかし、少なくとも政府からこの期間に発出された文書を見る限り、その形跡はない。日米関係、アジア外交、国際社会への貢献、経済外交の推進など、それぞれの分野では旧来の方針が状況に応じて再確認されたに過ぎない。「友愛」に代表されるような、鳩山氏のレトリックの一方で、内実にはさして変化がみられない短い時期だった。
その代表例として「東アジア共同体」構想を取り上げてみよう。鳩山氏は選挙期間中に「Voice」誌上において政権構想の一環として地域統合によって国家間の諍いを解消する思いを訴え、通貨統合の夢を語った。その後、首相として同氏は3回、アジア政策に関して演説を行っている(09年11月のシンガポール南洋工科大学演説、10年3月の日本国際問題研究所・国際会議冒頭挨拶、5月の日本経済新聞会議「アジアの未来」講演)。辞任直前の6月1日には官房長官記者会見の資料として「東アジア共同体構想に関する今後の取り組みについて」が公表された。
これらの演説や文書は、アジアに対するこれまでの政策分野ごとに(つまり各省庁ごとに)積み重ねられてきた協力を強調したに過ぎない。あたかもバラバラに存在していた資料を製本したように、つなぎ合わせたその本には編者の哲学が不在だった。たしかに「国を開く」努力を訴えた点が目新しくみえるが、それは海外に向けたメッセージには決して聞こえない内省的な言辞に過ぎなかった。
国際秩序の変容と日本の隘路
それでは、菅直人を首班とする新政権を迎えるにあたって、アジア政策にはいかなる視点が必要なのか、何が欠けていたのか。
まず、前提として今という時代は、中国をはじめとする新興国の成長、アメリカの姿勢変化を踏まえ、国際政治の秩序を再編している節目の時期に当たっていることが認識されなければならない。たとえば、日中貿易は約2,322億ドル(2009年度)にのぼり、この20年で10倍に増加している。言うまでもなく、貿易構造を考えれば、アジア域内貿易、米中貿易も堅調に増加している。人の往来もいうまでもなく活発さを増している。
他方で、中国の軍事力が成長著しいのは衆目の一致するところだが、よく報道されていないが、戦費の増大によってアメリカは財政的限界に直面しており、今後、米軍の可視的な軍事的存在感はアジアにおいて減少する可能性が高い。人民解放軍が局地的に米軍のアクセスを拒否するシナリオも予見されている。さらに、平和構築や人道支援、自然災害への救援、感染症対策、海上保安など安全保障の領域は確かに広がっている。これらの結果、同盟国に対する期待はワシントンにおいてより高まっているのが現実だ。
日本外交の隘路はまさにここに存在する。つまり、新興国の発展という果実を享受しつつも、国際秩序の維持のためにアメリカや欧州からより一層の負担共有を迫られている。この両者は矛盾しかねない。それゆえにこそ、中国を国際秩序、地域秩序にいかに取り入れるのか、多くの知恵が必要とされているともいえる。
アジアにおける競合関係の登場?
しかし、アジアにおいて現在進展しつつある動きをつぶさに観察すれば、「友愛」に彩られた将来への障害が大きいことが明らかになってくる。
ここでは、たとえば韓国哨戒艇沈没以後の北東アジア情勢の緊張化や中国の軍事的成長、南シナ海の不穏な動き、中印関係のきな臭さだけを、必ずしも念頭に置いているわけではない。というのも、その背景にはより構造的な問題があるからだ。これらは中長期的に深刻化しかねない。
それは、まずアメリカを中心にくみ上げられてきたアジアにおける同盟システム(二カ国間同盟を中心にしたハブ・アンド・スポークスと称される)が現在変容し、アメリカの同盟国相互の連帯が強まっていること(いわゆる「ウェッブ化」)、さらにアメリカや日本が中心となった多様な協力関係がアジアに政策分野別に張り巡らされはじめていることを指す。そして、他方で中国は同盟を批判し、またアセアンの枠組み外でも大いに発展しているそれらの新しい関係性へ消極的な姿勢を貫いており、自らが発言力を確保できる上海協力機構などに関心を寄せている。ここにあるのは、競合する二つのシステムが形成されつつある状況だ。
たしかに一方ではアメリカを中心とする枠組みも、上海協力機構も、国際テロリズムなどグローバルな関心事ともなっている多様な安全保障上の課題に対して協力を深めているが、これらの競合関係が意味ある効果を生み出すとは思えない。中国の台頭に警戒感が増すなかで、米中それぞれの影響力が角逐し、各国の囲い込みになることは、アセアン諸国をはじめどの国も望んでいない。
あるべきアジア政策構想とは
この点にこそ、アジアにおける地域安全保障構造をデザインする意義がある。あるべきアジア政策とは、日中関係や日韓関係、日アセアン関係などの単なる集合体ではない。相互依存、自由貿易、国際協調の進展に彩られた、リベラルな秩序をアジアに確立しようとすれば、日本のアジア政策に求められることは外交政策の寄せ集めではなく、新興国の成長のなかで、地域に存在している外交・安全保障上のメカニズムと地域統合の接点をみつけることにある。この点において、新首相による所信表明演説は何も語っていない。
このような接点を見いだす知的作業は、長年欧州でも行われてきたが、アジアの有識者、政府関係者のあいだで既に10年以上も続けられている。重要なことは、アメリカの適切な位置づけを図ることだ。アメリカがアジアに関わり続けようとする意図をもっていることも、オバマ政権の一連の政策文書から強く発信されており、アメリカ抜きの経済統合への警戒感に加え、力の分布の変化、また多くの安全保障上の課題の解決によって地域が安定することがアメリカの利益になるという認識がそこにはある。他方、鳩山政権時代の混乱のさなかに多くのアジア諸国が気づいたように、日米関係の安定は地域の公共財ともいえるものであり、アメリカをアジア秩序に関連づけるための重要な装置とも思われている。
アメリカが地域に関わり続けることが、新興国の成長のなかで地域の急激な力の分布の変化を和らげ、特定の国家が圧倒的な影響力を持ち得ることを防ぐことになり、さらに朝鮮半島情勢のような伝統的安全保障、さらには航行の自由や人道支援、感染症対策などの新しい課題に対する地域の対応力も高める手助けともなっている。
それゆえ、アジア政策の文書に「日米関係が重要」と最上段に書けばよい、という程度の認識ではもう通じない。新興国の成長による秩序の変動はグローバルな次元でも、地域の文脈でも生じている。そのなかに、アメリカの存在感をいかに組み込むのか、その具体的なアイディアと、地域諸国との調整能力が求められる。まずは、同盟か共同体か、そのような単純な見方が既にワシントンでも、アジアでも通じないという認識を持つべきだろう。
菅政権へのメッセージ
鳩山政権時代のアジア政策構想には、アジア・太平洋地域にバラバラに作り出されてきた多くの協力枠組みを整理していくロードマップが欠けていただけでなく、域外大国のアメリカの存在感をどのようにアジアの秩序のなかに位置づけるのか、肝心のデザインが不在だった。
新政権には、この経験を他山の石として、アジア政策のビジョンを構築するための議論をできる限り早期に始めてほしい。アメリカをアジアに招きいれ、他方で中国に対しても要求の押しつけではなく、ともに秩序を構築していくような仕掛けが必要であり、東南アジア諸国や豪州といった長年のパートナーは日本発の創造的なデザインを求めている。良好な日中関係、日韓関係も、そのための重要な基礎となっていくだろう。
参考: 佐橋亮 「安全保障と防衛力に関する懇談会」における「地域における協力」について−地域安全保障アーキテクチャーという発想」 東京財団HP、2009年8月。
Ryo Sahashi, "Japanese Vision for East Asian Community-building, " East Asia Forum Quarterly, vol.2, no. 3 (Canberra: Australian National University Press), forthcoming.