政策形成における科学と政府の行動規範について

東京大学政策ビジョン研究センター顧問
科学技術振興機構
有本建男

10/07/14

近年のグローバリゼーションの加速と、金融経済・地球温暖化の2つの危機の深刻化の下で、市民、国、世界の各層において多くの問題が顕在化しており、環境・エネルギー・水、経済、科学技術、教育、安全・衛生、貧困など、複雑で不確実性の高い問題の解決に向けた政策の形成や実施の過程で、科学的知識を使用することに期待が高まっている。

国内では、総合科学技術会議で議論が進められている第4期科学技術基本計画(来年4月からスタート)の案において、TA(技術評価)、ELSI(倫理的・法的・社会的課題)、規制科学など、科学と社会をつなぎ、知識・技術の社会への同化、価値の創造を媒介する新しい専門分野の振興、人材育成の重要性が強調されている。

一方、最近のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の一部科学者のデータの扱いを巡る疑義は、国連が国際科学会議(IAC/ICSU)に対して、IPCCの組織運営・手順に関して独立評価を依頼するまでに至り、メディアでも大きく取り上げられている1。また、わが国では新しい政治体制になって、政策形成過程における科学者、科学者共同体と政治、行政との間の距離感、助言関係について、ルールや規範が十分確立していないように見受けられる。

こうした問題意識の下、筆者らの所属する科学技術振興機構・研究開発戦略センターは、最近、報告書「政策形成における科学と政府の行動規範について」をとりまとめた2。これは、広く議論を喚起するために、日本、アメリカ、イギリス、ICSU(国際科学会議)などの関連の動向をまとめたものであり、本稿では以下にその概要を示す。なお本報告は中間的なもので、今後も調査分析をつづけていく予定である。

まずアメリカでは、昨年3月、オバマ新大統領が、ホルドレン科学担当大統領補佐官に対し、「政府の政策決定における科学の健全性を回復する」ための勧告を策定するよう指示し3、近々公表される見込みである。その骨子は、①行政府における科学者・技術者の任用は、知識・実績・経験に基づく、②政策決定に用いられる科学・技術上の知見・判断は、原則公開。行政機関は、確立した科学的プロセス、例えばピア・レビューを経た科学的・技術的知見を用いる、③各行政機関は、科学的プロセスの健全性を確保するため適切な規則(内部告発者の保護を含む)を策定すること、などになりそうである。

イギリスでは今年3月、ビジネス・イノベーション・技能省(BIS)が「政府への科学的助言に関する原則」を公表した4。その骨子は、①政府は、科学的助言者の学問の自由、専門家としての立場および専門知識を尊重評価する、②助言者は、広範な要因にもとづいて決定を下すという政府の民主主義的任務を尊重し、科学は政府が政策策定の際に考慮すべき根拠の一部に過ぎないことを認識する、③政府と助言者は、相互の信頼を損なうような行為をしない、助言者は作業過程で政治的介入を受けない、④政府は、助言について先入観を持って判断してはならない、公表される前にその助言を非難もしくは拒否してはならない、⑤政府は、政策決定が科学的助言と相反する場合には、その理由について公式に説明しなくてはならないなどである。この原則は包括的で大変示唆に富むものである。

少し古いが、国際科学会議(ICSU)の外部評価委員会報告(1996年)の、科学的助言に関連する部分の指摘は概念的であるが参考になる。すなわち、①科学的知見に不確実性が含まれる場合には、そのことが政策決定者に正しく伝えられなければならない、②純粋な科学的知見の提供、政策決定に近い助言などと必要に応じて段階的に行うべき、③イデオロギーに基づく議論とは距離を置き、健全で信頼できる質の高い助言の発信源としての評判を維持、そのための手続きを確立する、などが強調されている。

日本においては、①政府における科学的知見の取扱いに関する共通的な行動規範は存在しない、②科学者共同体の側も、科学的助言の中立性・透明性を担保する仕組みが十分整っているとはいえない、③ただし、日本学術会議は設置法で「独立して」職務を行うと規定されている。また、提言を作成する際の手続きなどを内規として定めており、その理念は同会議内で広く共有されているという。

今回の調査は、次のような示唆を与えてくれた。①近年、海外では、政府と科学との関係を律する包括的な行動規範を整備する動きが急である、②この分野の研究の蓄積は予想に反して少ない、③政策形成・実施に関する多層的な構造(政策決定、ファンディング、政策提言、研究実施、科学者個人、共同体など)を踏まえた調査分析が必要、④今後組織的継続的に研究すべき多くの課題があるなど。

第4期科学技術基本計画の策定、総合科学技術会議の「科学・技術・イノベーション戦略本部」(仮称)への改組など、近い将来、わが国の科学技術の公共政策の形成・実施体制が大きく改革される予定である。それに合わせて、科学と政府の関係、行動規範について多様な研究や政策提言を蓄積していくことが、科学の健全性を維持しながら、政策の形成や実施に当たって科学的知見が有効に作用する基盤を整えるものと確信している。さらに世界を見ると、科学研究活動が欧米からアジアへ、イスラム圏へと急速に拡大する中で、近代科学の健全性や行動規範がどのように影響を受けるのか注目すべきと思っている。


<参考文献>

  1. Remarks to the press on the Intergovernmental Panel on Climate Change (IPCC)、Secretary-General Ban Ki-moon UNHQ,10 March 2010. Newsweek May 28, Science May 7, The Economist July 10, 2010.
  2. 政策形成における科学と政府の行動規範について−内外の現状に関する中間報告−」、科学技術振興機構・研究開発戦略センター、2010年7月。
  3. ”MEMORANDUM FOR THE HEADS OF EXECUTIVE DEPARTMENTS AND AGENCIESSUBJECT: Scientific Integrity”, March 9, 2009 March 9, 2009、THE WHITE HOUSE
  4. “Principles of Scientific Advice to Government”,The Department for Business, Innovation and Skills, March 24,2010.