大震災復興プランは、発想を転換しゼロベースで大胆に

政策ビジョン研究センター教授(学術顧問)
森田朗

2011/4/1

想定をはるかに超える大震災が起こって20日経った。今はまだ、被災者の救済、安否確認、そして何よりも福島第1原発事故への対処に、国全体が必死の状態である。被害の全容はわからないが、その規模は、おそらく第二次大戦によるダメージに匹敵するか、それを上回る規模かもしれない。

制度や社会の仕組みは幅をもって社会のさまざまな状態に対応できるように作られているが、今回の災害は、それらが想定していた以上の規模であり、既存の制度では対応できない状態に陥っている。今は、まだ被災者の救済と社会機能の回復の段階にあるが、それが一応完了すると、次に復興の段階に進むことになる。そのときに備えて、早急に、復興プランの検討に着手すべきである。

その場合、既存の制度を前提とし、その枠内での復興を考えることは生産的ではない。必要なことは、ゼロベースでこの国のあり方を考え、新たな発想に基づいて、大胆な改革に取り組むことである。

わが国は、これまでも少子高齢化と人口減少、そして財政難に陥っていた。それらの課題への対処に苦慮していたとき、それに加えて今回の災害に遭遇した。極めて厳しい状況であるが、次の世代のためにも、復興しなければならない。国の制度およびその運用のあり方を研究対象とする行政学の観点から、復興プランを考えるに当たって、考慮すべき事項を指摘しておきたい。

平時と異なる非常時の体制の必要

制度は、通常、それが想定する一定の社会的前提条件の下で機能する。その条件が大きく変わり想定外の事態が発生したとき、既存の制度では対処できない。今回の大震災で発生した状態はそのような状態である。

そのような危機的状態下では、それに応じた非常時の体制を構築し、事態に対処することが必要である。それは、平時の原則に反するものであるかもしれないが、端的にいえば、一元的な指揮命令系統の下で迅速に意思決定を行い、一体的な組織活動が可能な仕組みでなければならない。所管と責任の分担は、平時においては有効な仕組みであるが、非常時においては、対応の遅れと一貫性を欠く決定をもたらす可能性が高い。

これまでわが国では、平時と異なる非常時という発想が乏しかったが、現在のわが国は、そうした非常時の体制が必要な状態であることを認識し、従来の原則に囚われることなく、適切な体制形成のための立法措置を講じるべきである。たとえば、自治体としての行政能力を喪失した市町村については、都道府県ないし国が、その自治体職員の協力の下に直接事務を執行することや、瓦礫除去のために所有権を制限するなど、住民生活と地域社会の維持を優先する体制を柔軟に採用することが大切である。

ただし、こうした非常時の体制は、非常事態が収束すれば廃止されるべきであって、時限を限った措置として導入すべきである。

最悪の状態をベースにシナリオを書く──冷静な現状認識

原発事故をはじめとして、想定外の災害に遭遇し、国民は不安な心理状態に陥っている。その中で日本がもつ潜在的な力に期待する楽観的な復興プランの提案もみられるが、今後着実に復興を実現していくためには、直面する現実を冷静に見つめ、それを前提として可能性を探っていくことが必要である。それには、ある意味で最悪の状態を想定し、それをベースにしてプランを構築することが必要である。

これからのわが国では、震災の結果、産業の国際的競争力は低下し、海外からの投資も減少するであろう。また、観光産業はもとより、水産業、農業のダメージも大きい。被災地のみならず、高齢化、過疎化の進む農村部の衰退も避けがたい。他方では、これまでの成長の担い手であった都市部の高齢化が、大きな社会保障負担を生み出す。そして財政状況は一層悪化する。

こうした状況下で、必要なことは、うろたえることなく現状を冷静に分析し、わが国がまだ保有しているさまざまな資源を正確に把握することである。とくに、人的、知的な資源とその潜在的な可能性についての正確な情報の収集と共有を図ることが大切である。

コンパクト化、ダウンサイジングの発想

人口減少が急速に進み、かつ財政が危機的状態にあるわが国が採用すべき政策の方向は、一言でいえば「コンパクト化」あるいは「ダウンサイジング」である。

これまでの人口規模や財政規模に合わせて作られてきた社会インフラ等は、人口減少によって過剰になる。過剰部分をカットし、あるいはそれらを放棄し、集約化することによって、質を落とすことなく、資源利用の効率化を進めることをめざすべきである。

こうしたダウンサイジングは、地域における都市機能のコンパクト化をはじめ、産業においても高い付加価値を生む部門への投資の強化と、反面としての一般製造部門等の縮小や海外移転等の産業政策の転換として実施されるべきである。

さらに過疎化の進行する山間部の自治体等については、再度の合併を含む統合再編によって、人口と行政機能の集中を図る必要があろう。集落移転等は、住民感情から困難とされてきたが、将来的にコミュニティの維持が困難なところについては、長期的な計画の下に統合を進めることが望ましい。

同様の集約化、統合再編は、教育研究機能についてもいえる。科学技術イノベーションと高度の人材育成についても、限られた資源を最も効果的に配分する体制を整えることが必要である。

また、社会保障の分野でも、世代間の負担のバランスを保つために、資源配分の調整が不可欠である。

いかなる分野においても、質を高めつつ、集約化する方向で政策を立案することが肝要である。そのためにまず必要なのは発想の転換であり、これまでのような右肩上がりの発展拡大型の発想を捨てることである。そして、取り組むべき課題の間に優先順位を明確につけ、順位の高いものに資源を集中投資するとともに、資源に余裕がない限り、劣位のものについては断念する決断をすることが重要である。

政治行政の構造改革──科学的政策決定

このようなコンパクト化、ダウンサイジングの発想を貫くためには、既得利益と戦い、関係者に配分資源の削減を納得させることが重要であり、それこそ政治的リーダーシップが果たさなくてはならない最大の任務である。

現実には、民主主義体制下で、一部の人たちに負担増をもたらす政策を受け入れてもらうことは容易ではない。これまでの国債発行額の膨張は、それができなかった結果生じたものである。しかし、国債発行も限界に来ている今日、復興を図っていくために必要なのは、国家財政の持続可能性の確保である。それには成長を生む投資も必要であるが、思い切った歳出の削減・抑制が不可欠である。

明確な政策の優先順位に従って、劣位の政策を断ち切る決断こそ政治の責務であるが、それをスムーズに行うには、政策の必要性、優先性を、客観的なエビデンスに基づいて示すことが必要である。まさに「政策のための科学」に依拠したエビデンス・ベースド・ポリシーメイキングが重要となる。

このような観点からみたとき、これまでのわが国の政策形成は決して合理的、客観的、科学的なものとはいいがたい。政策形成についての研究の蓄積はあっても、それを応用して政策形成を行う意識と仕組みが欠けていた。今後は、政策決定過程に、こうした要素を取り込み、科学的知見に基づいた政策論争を通して、適切な政策選択が行われることを期待したい。

それとともに、科学的な政策形成のためには、客観的で信頼できる豊富なデータが不可欠である。たとえば、ようやく導入に向けた動きがみられるようになった国民番号制度であるが、この制度は、国民に対する行政サービスの著しい効率化と質の向上をもたらすとともに、質の高い政策形成を行うために不可欠なデータを作成する重要なツールである。これらの制度の利便性、必要性を強く示し、早期に導入を図るべきである。

以上、復興プランを策定するに当たって、考慮すべき事項について述べた。厳しい内容と受け止められるかもしれないが、従来の枠組みの中で、現実を直視せず楽観的な前提に基づいて作られたプランは、画餅に帰す可能性が高いと思われる。今回の災害の傷手は大きく長期に及ぶであろう。絶望することなく日本の底力を発揮し、世界を驚かせるような復興を成し遂げるには、われわれ自身が、厳しく自己を規律し、従来の制度や仕組みを大胆に改革し、復興のために適した制度や仕組みを構築していかなくてはならないのである。