尖閣問題への視角
2012/10/24
Photo by AP/AFLO
はじめに
私の専門は中国経済であるが、中国は政経不可分の国であり、しかも政治は経済に優先し、政治の中では内政が外交に優先する。この意味で、今般の尖閣問題についても単に「政治・外交」の話と片付けるわけにはいかない面がある。そこで本稿では、尖閣問題について、私なりの個人的な気づきの点を若干述べておきたいと思う。
尖閣をめぐる現状変更の経緯
まず、宮本元駐中国大使が中国側に対し公に指摘しているように、中国は尖閣に関する現状を変更させようとする行動を最初にとった面がある(注)。
2008年12月8日、中国の国家海洋局の公船が初めて尖閣の日本領海に逗留した。海上保安庁の退去要求にもかかわらず、中国の公船は「自国領海において職務執行中である」と答えながら、9時間にわたり日本の領海にとどまった。さらにその直後、国家海洋局は、中国の尖閣に対する実効支配を示すための行動であったと発表した。日本政府は、中国が民間ではなく政府そのものが動き、行動を明確にエスカレートさせたと判断し、衝撃を受けた。そして領海侵犯には強い態度で臨むこととし、それが2010年の漁船事件へとつながったのである。
その後しばらくおさまっていた中国の公船による領海侵犯は、2011年8月に再発した。今度は中国国家漁政局の船が1時間とどまった。そして今年に入り、3月には国家海洋局の公船が30分、7月には国家漁政局の公船が日本領海に4時間とどまり、「自国の領海において公務執行中である」と応答した。その翌日も領海を侵犯したのである。
このような一連の経緯が、今回の尖閣購入問題の伏線となっていることは否定しがたい。
中国から見た日本の対中政策
他方、中国は民主党政権が、途中で対中政策を大幅に変更したと解釈しているふしがある。
鳩山首相は東アジア共同体を提唱し、他方で普天間基地移設問題をめぐって米国と対立するなど、脱米アジア回帰の姿勢を強く打ち出し、中国はこれを歓迎していた。9月27日の日中国交正常化40周年の会談に際し、鳩山元首相を招待しようとしたのも、その表れであろう。
しかし、後継の菅内閣は東アジア共同体を口にせず、むしろTPPへの参加に前向きな姿勢を示し、米国との協調路線に戻った。2010年9月7日の尖閣諸島における漁船衝突事故はこの流れの中で発生している。船長の逮捕に踏み切り、政府が「国内法で粛々と対処する」と表明したことを、中国側は「実効支配の強化」と認識して激しく反発した。結局、船長の釈放で事態は解決したものの、中国側には「日本は尖閣諸島の実効支配強化を狙っているのではないか」との疑念を植えつけた可能性がある。
そして中国側は、今年になってから日本は更に中国に対してますます強硬になったと解釈しているふしがある。そのきっかけは、おそらくは今年初めの尖閣周辺の無人島の命名であったろう。また5月には中国の強硬な反対にもかかわらず、世界ウイグル会議が東京で開催され、さらには河村名古屋市長の南京虐殺事件否定発言、石原都知事の尖閣購入発言が飛び出した。
日本からすれば、これらはバラバラの事件であり、無人島命名以外は政府と無関係であるが、中国は、これらを政府が仕組んだ一連の対中強硬策と考えている可能性がある。
異なる相手国への理解
中国は一般に自国と異なる相手国の政治体制をなかなか理解できないところがある。
例えば、中国は司法の独立を理解できない。2007年の光華寮裁判において、中国外交部報道官が「中日共同声明の精神に照らして、適切に日本が処理する」よう要望したことからも分かるように、裁判の判決内容は、政府が操作できると考えている。世界ウイグル会議も、政府がその気になれば簡単に開催を阻止できるものと考えていたのであろう。
名古屋市長・都知事の発言にしても同様である。中国では、国家の重要政策に公然と反対する地方指導者がその職に留まることは許されない。1995年の北京の陳希同書記の解任、2006年の上海の陳良宇書記の解任、そして今年の重慶の薄熙来書記の解任はその代表例である。政府が名古屋市長・都知事を解任できないということは、彼らと政府が裏でつながっていると中国は推測する。地方の首長を鉄砲玉として利用し、政府はそれに押し切られるような形で、なし崩し的に歴史問題・尖閣問題を有利にはこぼうとしていると思っているのであろう。最近中国がよく口にする「茶番劇」という言葉はそれをよく示している。要するに、都知事と政府の「二人羽織」だったということであろう。
盧溝橋事件が勃発した7月7日に、野田首相が尖閣購入を表明した(と中国側に受け取られた)ことは、中国側の怒りを増幅した。もっとも、外務省によればこれは新聞のスクープ記事が発端であり、野田首相は記者団に聞かれたので慎重にコメントしたということで、元々発表の予定はなかったという。しかし、中国はそうはとらない。中国ではメディアも政府の完全統制下にあるわけであるから、7月7日にわざわざ新聞が記事を出したのは、政府の指示に基づくものと考えてしまうのである。
「立ち話」の帰結
さらに、今回問題を決定的に深刻化させたのは、9月9日ウラジオストックのAPEC首脳会議の際に急遽行われた、野田首相と胡錦濤国家主席の「立ち話」であったように思われる。
この場で胡錦濤国家主席は日本政府の尖閣購入に強く抗議したにもかかわらず、そのわずか2日後の11日に政府は購入の閣議決定をしてしまったため、胡錦濤国家主席は完全にメンツをつぶされた形となった。胡錦濤は、党の最高指導者、国家元首であるとともに、軍の最高指導者でもある。こういう立場の人がメンツをつぶされると、過激な反日行動にブレーキをかける人間は誰もいなくなってしまうのである。韓国の李明博大統領が竹島に上陸した際、「政治的パフォーマンスだ」と冷ややかに見ていた日本人も、彼が天皇陛下の名を出したとたんに激昂したことからも、事の重大さが想像できよう。
この「立ち話」は、もともと予定されていたものではなかったようである。胡錦濤国家主席が何を言っても、日本の尖閣購入の方針は変わらないわけであるから、本来であれば会談を避けるのが常識であろう。どういう経緯で「立ち話」が突然設定されたのかは、謎である。
プロフェッショナルな外交の必要性
以上からして、当分事態の改善は難しい。 中国はこれから党大会を迎える。共青団と反共青団勢力との人事の攻防はまだ続いているだろう。そもそも胡錦濤総書記は日本に宥和的と見られているので、ここで下手に妥協すれば、彼の人事構想がひっくり返りかねない。また、中央軍事委員会の人事を有利にはこぶには、軍の支持をとりつける必要がある。当分、状況は改善されないであろう。
重要なことは、これ以上事態を悪化させないことである。中国最高指導部は必ずしも望んでいないとしても、「局地的な軍事衝突を辞さず」という勢力が中国内にいることは確かであり、彼らに口実を与えるべきではない。とくに中国の軍の統帥権は戦前の日本と同様、政府から完全に独立しているので、ノモンハン事件のような事態が尖閣周辺で発生する可能性は十分あると心得ておく必要がある。
その意味で、今こそプロフェッショナルな外交手腕が求められているといえよう。
(注)9月15−16日に北京で開催された、日本日中関係学会(会長:宮本雄二元註中国大使)・中国中日関係史学会共催の国際学術シンポジウム『アジアの未来と日中関係』における、宮本会長の基調講演「日中の戦略的互恵関係を如何にして強化するか」
http://www.mmjp.or.jp/nichu-kankei/kokusai/2012.9.14pekinsimpo.html