マサチューセッツ通り1775番地から眺めた世界

東京大学公共政策大学院 政策ビジョン研究センター併任 特任講師
佐藤 智晶

2013/2/26

photo by Rhoma. K

このコラムは、2012年8月から10月までの在外研究についての簡単な報告書である。タイトルは、慶應大学の阿川尚之教授「マサチューセッツ通り2520番地」(講談社・2006年)へのオマージュの意を込めているが、本コラムは阿川先生の作品とは一切関係がなく、文責はすべて著者にある。このコラムは、世界一と称されるシンクタンクの活動について、守秘義務に抵触しない範囲で書き残したいとの思いからまとめた。

わたしは、昨年2012年の夏の2ヶ月間、日本学術振興会(組織的な若手研究者等海外派遣プログラム)の寛大な支援を受けて、ワシントンDCにあるブルッキングス研究所(Brookings Institution)で研究活動に従事した。ブルッキングス研究所は、1916年に前身の組織が設立され、1927年には現行の組織体制となった非営利の研究機関である。同研究所は、アメリカ合衆国でも最も古い部類に入るシンクタンクの1つであるとともに、世界的にも著名な研究機関である。たとえば、年間ランキングでは昨年に続いて世界1位の評価を受けている(Think Tanks and Civil Societies Program, International Relations Program, University of Pennsylvania, 2012 Global Go To Think Tanks Report and Policy Advice, Jan. 28, 2013 at 41)。また、同研究所は、ランキングに関係なくヘリテージ財団、外交問題評議会、ランド研究所、アメリカン・エンタープライズ研究所などと並んで、我が国でもよく知られている米国のシンクタンクの1つであろう。

わたしが在外研究を行ったのは、ブルッキングス研究所の医療政策部門(Engelberg Center for Healthcare Reform)である。2007年に5年間の運営資金を寄付で得て設立されたこの部門は、より大きな経済研究部局(Economic Studies)の一部である。わたしは、医療政策部門の一員であるとともに、経済研究部局にも所属していることになる。経済研究部局は、全体の22パーセントの費用を計上するような、ブルッキングス研究所の中で2番目に大きな部局である(最も大きいのは、27パーセントの費用を計上している外交部局)。

医療政策部門のトップは、マーク・マクレラン博士(Mark B. McCllelan, MD/Ph. D)で、彼は2007年の部局設立までの間、ブッシュ政権下で2002年から2004年まで食品医薬品局(FDA: Food and Drug Administration)のトップ(Commissioner)を、2004年から2006年までCMSという公的医療保険部門(Center for Medicare and Medicaid)のトップ(administrator)に在席していた。

マクレラン博士が率いる医療政策部門は、1期目を首尾良く終えて、2012年からすでに2期目(6年目から10年目)のタームに入っている。同部門では、次長と4名のマネージング・ディレクターを中心に総勢約30名が活躍し、日々研究とワークショップを開催している。医療政策部門だけでこれだけの人数を雇用していることには正直驚いたが、高い質、独立性、そして影響力(quality, independence, and impact)をモットーにするブルッキングス研究所での研究は、これくらいの人数がいないと十分に行えないということかもしれない。医療政策部門は、医療保険改革法(通称「オバマ・ケア・アクト」)の実施において中核的な役割を果たしている分野での活躍が目立つ。たとえば、"Accountable Care Organization"については、他の追随を許さない研究が行われている。

このように記載すると研究者は日夜がつがつと研究ばかりしているように誤解されるかもしれないが、研究者の生活は慎ましく穏やかだ。すなわち、研究者は、原則朝8時半に来て夕方午後6時前には帰宅する。毎日、午後6時前に清掃が入ることもあって、その頃になると人はほとんどいなくなってしまう。効率的に働くのがここでの常なのだ、と痛感した。たとえば、同僚の広報/コミュニケーション部門の女性は、ブルッキングスの支援でヒンディー語を習いに行くのだといって、足早に帰宅していった。修士課程に在席しながら働いている同僚もいた。皆、ブルッキングス研究所での仕事と自分の時間を両立させているのである。

わたしが従事していたのは、アメリカ合衆国で進められている医療改革、とりわけ医療イノベーションを実現するための各種法政策の分析である。渡米当時、我が国でも『医療イノベーション5ヵ年戦略』が公表されたばかりで、日米の政策にどのような違いや類似点があるのか、欧州との違いはどこか、そのような違いが何に起因し、どのような影響に結びついているのかなどを研究していた。わずか2ヶ月間だったが、それでも現政府と一緒に医療政策を生み出している現場に身を置くことができたのは、わたしにとって非常に貴重な経験だった。

ブルッキングス研究所の内実は、おそらくベールに包まれている。インターネット上の情報を調べてもおそらく内実の半分もわからない。わたしが感じたのは、ブルッキングス研究所が優れた研究機関であると同時に、語弊を恐れずに言えば、非営利の優れた広告代理店でもあるという点である。研究が有名な学術雑誌に掲載されることがあるのはもちろん、政府関係者、産業界、優秀な学者を交えて公開の場で議論をする。また、非公開で研究を限られた人にのみ報告することもある。優れた研究が世の中に届けられ、理解され、影響を及ぼすところまで面倒を見ているのが、ブルッキングス研究所なのである。言い換えれば、ブルッキングス研究所は、単に研究に従事するだけでも情報を流すだけでもなく、まさに研究と情報発信を通じて政策形成の一部を担っている。

運営資金面の話は、コラムでは詳しく書かないことにしたい。ただ、2012年の年次報告書によれば、寄付と競争的研究費が資金の84パーセントを占めている。もっとも、寄付と競争的研究費の割合は不明ある。競争的研究費の中には、当然ながら財団や公益信託のような組織からの資金だけでなく、政府からの資金も含まれている。

わたしが東京大学で所属している政策ビジョン研究センターは、大学のシンクタンクという位置づけをされているが、実際のところはどうか。大学のシンクタンクとして、ブルッキングス研究所に学べることはまだまだ多く、成長の余地が大きい。悪く言えば、ビジョンセンターのシンクタンクとしての機能は、洗練されてゆく途上にある。超一流の研究を世の中に伝え、研究成果を社会の変化に結びつける試みは並大抵のことではないが、やはり、定型的なやり方はある。たとえば、政策ビジョン研究センターのエネルギー政策に関するラウンドテーブルは、おそらくスタンダードなやり方に沿っていて、だからこそ聴衆の注目と関心を集めているのだと思う。ビジョンセンターにおける今後の課題は、世界のシンクタンクに匹敵する研究を大学という場で行い、それを上手に発信できるのかどうか、そもそもそのような挑戦をしようとするのかどうか、リスクを取って実行し、成果を上げた人に報いることができるのか、ということにある。弊センターにおけるワークショップやカンファレンスでは、研究者と事務スタッフが協力して会の構成や情報提供の仕方を工夫し、少しでも世界のシンクタンクに近づこうと努力を続けている最中である。その努力が結実する日はまだ遠いものの、組織の内部にいて少しずつよい方向への変化を感じているのも真実だ。

わたしは、ワシントンDCから東京都文京区本郷に戻ってきた今でも、マサチューセッツ通り1775番地から眺めた世界を追いかけている。医療政策は比較的内政マターに思われがちだが、実際にはもはや内政だけで話は終わらない。とりわけ、医療イノベーション関連の政策は、グローバルな視点で常に研究が進められなければならないと思う。今回のインターンシップをご支援いただいた日本学術振興会には、医療政策についてグローバルな視点を得る貴重な機会をいただいたことに改めて記して感謝申し上げたい。