トロール問題からみたアメリカの特許制度をとりまく現状
2013/8/20
今回は米国で研修を終えたばかりの古谷真帆氏が、米国におけるパテントトロール問題について解説します。特許権を産業や技術の発展のためではなく、利益を上げるためだけに行使するパテントトロール。特許制度の悪用とも言えるこの種の訴訟提起が、現在米国では急速に広がっています。その背景には、正当な特許権者とトロールの区別が難しいことに加え、迅速かつ強力な権利行使を可能にしてきた、米国特許制度自体が抱える問題もあります。今年6月にはパテントトロール対策に関する大統領令も出されるなど、国を挙げての取り組みが進行中の米国。そうした動向も含め、米国におけるパテントトロール問題を巡る現状を概観します。
トロールとは
英和辞典によると、トロールは、北欧神話にでてくる巨人、或いは何かを釣るという動作を意味している。ネットスラングとしても使用されており、その場合は、インターネット上で他人に議論を投げかけたり、困らせたりする投稿をおこなう人を指している。知財業界においては、2001年にインテルのPeter Detkinがパテントトロールという表現をしたことがトロールという言葉が用いられるようになった始まりであると一般的に考えられている。本用語は学術用語ではなく、明確な定義がないという点が大きな問題と言える。「トロール」と単体で用いられることもあるが、知的財産を表す名詞と結合した、「コピーライトトロール」1、「トレードマークトロール」、「パテントトロール」といった用語も存在する。このように多くの「トロール」が言葉としては存在するが、その実態はほぼ同様であり、それらは「当該知的財産を自己が使用する意図なくして保有し、その知的財産を使用する他人に対してライセンスを受けるように求めたり、侵害行為であるとして訴訟を提起したりする個人及び法人」と一応まとめて定義できる。この定義に即すと、トロールは不当に知的財産権を取得し行使する主体であると想像できるが、本当にその理解でよいだろうか2。自己において発明を実施しない大学等の研究機関はトロールだということになってしまうのだろうか。大学等がその所有する発明を企業にライセンスをおこなう、侵害者に対して訴訟を提起することは、不当なことなのだろうか。もちろん、答えは否である。とはいえ、トロールとそうでないものとを線引きすること自体、非常に難しい。トロールを知財の世界の中で捉えていた段階では、あまりトロールの定義に関して議論が深まることはなかった。
しかし、この状況は、トロール問題が競争法分野の問題であると認識されるにつれて変化した。米国連邦取引委員会(Federal Trade Commission)など競争法に関連する機関は、トロールという曖昧な言葉から離れ、自分が特許を実施しないが、重大な競争法上の問題を生じさせない主体を NPE(Non Practicing Entity)と定義し、そうでない場合、つまり保有特許を実施せず、他人の製品に含まれる特許に関して、巨額のライセンス料を求めるために、訴訟を提起するなどの手段を用いて権利行使を行い、競争法上の問題を生じさせる主体をPAE(Patent Assertion Entity)3と定義して、それらの概念をトロールと区別しようという試みをした。
トロール問題の顕在化
トロール問題について、今回は主にパテントトロールを例に見ていく。パテントトロールの問題の解決が難しいのは、それらが法的に有効な特許権を行使しているという点にある。後述する大統領による「Patent Assertion and U.S. Innovation」という報告書を参照すると、ここ数年間でトロールによる訴訟提起が全体に占める割合は増加し、特許訴訟はトロールが先導しているともいわれている4。パテントトロールが元手とする特許権は中小企業だけではなく、大企業、時に敵対企業から入手されることもあり、他方で、権利行使の相手方としては、資金力のある大企業だけではなく、スタートアップまでも標的にしていると言われている。パテントトロールの活動が複雑化するにつれ、正当な特許権者による権利行使との区別がより困難になってきている5。
米国内でパテントトロールがこれほど広がった原因の一つは、特許権行使の場である特許訴訟制度それ自体である。米国での訴訟は極めて費用が高くつく。訴訟当事者に与えられた強力な情報収集手段であるディスカバリー等は、原則として自己の費用負担で相手方への開示に応じることとなっており、特許訴訟にかかる弁護士費用について敗訴者負担とする特許法285条の規定が用いられることは例外的で、基本的に自己負担となっている。しかも、特許訴訟の侵害等の判断は、陪審によるトライアルによって決せられるので、その帰結を事前に予測することは難しく、時に極めて高額な賠償が命ぜられるというリスクも存在する。そうすると、パテントトロールから訴訟を提起されたり、提起すると脅されたりした場合に、相手方が、訴訟の進行や帰結を待つことなく、その正義を問うことなく、解決金を支払うという行動に出てしまうという状況は想像に難くない。
特許権者として、連邦裁判所における特許訴訟のほかに、国際貿易委員会(International Trade Commission)に提訴することもでき、こちらは陪審ではなく、行政法判事による審理が行われているが、極めて短期間で、また、製品等の差し止めという重大な帰結が生じ得るので、やはり、相手方にとって脅威となっているのは間違いない。パテントトロールも、ここ数年国際貿易委員会の利用を活発化させてきており、2012年には知的財産にかかる337条申立て(侵害品の排除を求める申立て)の48%がPAEによるものになっている6。
トロールへの対策
次にその対策について概観していく7。パテントトロールに関しては、2011年5月の米国連邦取引委員会の「The Evolving IP Marketplace」というレポートで、問題点が指摘され、その後制定された『Leahy-Smith America Invents Act』(AIA)の中で、いくつかの対策が規定された8。しかし、AIAを経ても、パテントトロール問題が抜本的な解決を見ることはなく、更なる対策が要請された。そのような状況のもと、特許非侵害であることが裁判で明らかになれば、被告側の代理人費用を原告側が負担するという内容を盛り込んだSHIELD法案が提出された。112議会において提出された本法案SHIELD法案は、同議会では廃止という結論だったが、113議会においても継続して審理が進められている状況にある9。
各行政機関がそれぞれ本問題に取り組んでいるなか、ここ数年は省庁横断的な取り組みも増えている。例えば、2012年12月に、米国連邦取引委員会および米国司法省は共同でワークショップを開催し、PAE対策について検討している。このような活動は、本問題の解決に向けて、特許法分野の視点だけでなく、上述のような行政機関の視点をはじめとする、他分野の視点を取り込むことにつながった。さらに、本年6月にはオバマ大統領が、パテントトロール対策に関する立法提案10及び大統領令を盛り込んだ11「White House Task Force on High-Tech Patent Issues」を発表した。
同時に、国家経済会議(National Economic Council)と経済諮問委員会(Council of Economic Advisers)は、「Patent Assertion and U.S. Innovation」という報告書を発表した。この一連の動きには、シリコンバレーも賛同しており、国家をあげた取り組みとして本問題解決へ一歩前進したといえる12。余談になるが、同日、連邦巡回控訴裁判所のレーダー主席判事、Colleen V. Chien教授、David Hricik教授は、ニューヨークタイムズに「Make Patent Trolls Pay in Court」という記事を発表し、裁判官は特許法285条及び連邦民事訴訟規則Rule11等に基づき被告からパテントトロール(原告)に訴訟費用の負担をシフトすることで、濫用的な訴訟の数を減らすことができるとしている13。記事の中に、「Judges know the routine all too well, and the law gives them the authority to stop it. We urge them to do so.」という記載がある。これは特許訴訟について控訴審の専属管轄を有する連邦巡回控訴裁判所の主席判事の発言であり、注目を集めた。
国際貿易委員会も対策を講じている。ここ数年急激な事件増加に悩まされていた国際貿易委員会は、パテントトロールによる訴訟提起の数を減らすために、あるパイロットプログラムの導入を決めた。このパイロットプログラムは、特許に関する申立てをおこなう前に、アメリカ国内に重大なプレゼンスがあるか否かを6人の行政法判事が審査し、委員会は本要件を満たすかどうかについて、100日以内に判断を下すという内容のものだ14。
併せて、アメリカの特許(訴訟)制度改革の試みも、間接的なトロール対策として実施されている。先にも述べたように、トロールはアメリカの訴訟コストが多額であることを巧みに利用している。そのため、訴訟コストを削減するような取り組みとして、ディスカバリーの制限やeディスカバリーの導入の促進等を行っている。また、早期のサマリージャッジメントも提案されている15。そのうちeディスカバリーは、連邦巡回控訴裁判所のモデルオーダー導入後訴訟コストが削減された実例で既に評価を受けている16。
さらに、ソフトウェア特許の特許性が争われた連邦巡回控訴裁判所CLS Bank事件などの判例も、ソフトウェア特許について盛んに権利行使をおこなうトロールに対する、間接的な対策になるのではないだろうか17。
企業も、問題の対策に乗り出している。Googleは、今年の3月にOSS関連の一部特許で訴訟を起こさない公約「OPN Pledge」を発表した。「OPN Pledge」においては、「特定の特許に関して、OSSを開発、配布、使用する個人および組織を、相手から先に提訴されない限り、訴訟などの法的行動を起こすことはない」とし、同公約の対象とする特許のリストも公開している。18また、その後4月になって、Googleは、Black Berry(カナダ)、EarthLink(米)、Red Hat(米)とともに、トロールに対する脅威が広がっているとして、米国連邦取引委員会および米国司法省に意見書「COMMENTS OF GOOGLE、 BLACKBERRY、 EARTHLINK & RED HAT TO THE FEDERAL TRADE COMMISSION AND U.S. DEPARTMENT OF JUSTICEon PATENT ASSERTION ENTITIES」を提出した19。
トロール問題がもたらす特許制度への問い
これまでも述べたように、パテントトロールは、客観的にみた場合に、特許権者として特許の権利行使のための制度を利用しているに過ぎない。問題は、特許権が、その目的である産業及び技術の発展ではなく、パテントトロール自体が利益を上げるために用いられている点にある。米国は、特許権の権利性を強め、迅速かつ強力にその権利を実行する制度を構築してきた。だからこそ、特許権利者として特許制度が悪用された場合には、パテントトロールに大きな武器を与えてしまう、という困難な事態が生じている。産業や技術を発展させるための特許制度によって、産業や技術の発展が阻害されていて、そしてそれが特許制度をめぐる議論を巻き起こしている、それが今の米国の一つの現実である。
今では、トロール問題の火消し役にオバマ大統領も登場し、全米を挙げてトロール問題に取り組んでいる。殊に、パテントトロールのもつ競争法的な問題点を、米国連邦取引委員会および米国司法省が指摘したことで、本問題が特許法および特許政策による解決を模索するのみではなく、競争法および競争政策によっても解決されるべきだとする新しい段階に入ったことは、大きな進展であると考えられる。とはいっても、特許法と競争法の関係調整は、これまでの歴史を見ても難題であることは間違いない。特許制度に対する批判は現在既にあるが、もし、正当な特許権者とトロールの線引きができないなど、パテントトロール問題の解決に失敗する場合には、特許制度に対する批判がさらに大きくなることは避けらないのではないか。そのようなことを未然に防ぎ、アメリカが持続的なイノベーションを創出するためには、特許制度はどうあるべきか。この点について答えを探す場合、なぜ大統領までが知財問題解決に登場したかを考えてみるのもよいのかもしれない。
結び
アメリカという特許制度のおひざもとで起こったトロール問題。特許出願数を急激にのばす中国のかげもあるなか、新たなイノベーションを持続的に生み出すために、アメリカはこれまでどの様な施策を講じ、その効果は如何様で、そして、今後どの様な対策をとるのだろうか。今後もアメリカの動向からはしばらく、目が離せない。
脚注
- 有名なコピーライトトロールとして、Righthaven LLCがある。第9巡回区控訴裁判所の一連の訴訟で、Righthaven LLCが敗訴したこともあり、コピーライトトロールの活動にも影響があるものと考えられる。
https://www.eff.org/deeplinks/2013/05/9th-circuit-no-relief-copyright-troll-righthaven - 米国連邦控訴巡回裁判所のレーダー主席判事は、パテントトロールについて、「Any party that attempts to enforce a patent far beyond its actual value or contribution to the prior art.」という定義を示している。
- PAEという用語をはじめに用いたのは、2011年にFTCが発表した「The Evolving IP Marketplace」という報告書においてである。
- 「Patent Assertion and U.S. Innovation」11頁。本報告書は、以下のサイトで入手できる。
http://www.whitehouse.gov/sites/default/files/docs/patent_report.pdf - http://www.forbes.com/sites/ciocentral/2013/01/17/are-patent-trolls-now-zeroed-in-on-start-ups/
- http://www.patentlyo.com/patent/2013/03/chien-patent-trolls.html
- PAEへの実務上の対抗手段等について、酒迎明洋「パテント・アサーション・エンティティ(いわゆるパテント・トロール)から権利行使 を受けるリスクについて」を参照。
http://www.mylaw.co.jp/topics/topics3/news/detail.php?no=1368209752 - AIAの主要な改正点については、以下のサイトを参照。
http://www.mofo.jp/topics/legal-updates/tlcb/20111107.html - SHIELD法案についての和文での解説については、吉田哲「オバマ大統領も問題視、米国におけるパテント・トロール対策—SHIELD法案の現状と米国社会の動き」を参照。
http://chizai.nikkeibp.co.jp/chizai/etc/20130530_yoshida.html - 具体的な立法提言として、①PTOで真の利害関係者を開示させる手続き設ける、②特許法285条を活用して、濫用的な訴訟の提起に関して原告側に弁護士費用の負担を命じる、③ビジネス方法モデル特許に関するPTOの移行プログラムを拡大する、④製品を既に使用している消費者や企業を侵害訴訟から保護する、⑤ITCにおいて差止めを認める基準をe-bay判決に沿ったものとし、裁判所とITCでの基準を統一する、⑥Use demand letter transparency to help curb abusive suits、 incentivizing public filing of demand letters in a way that makes them accessible and searchable to the public、⑦ITCに質の高い行政法判事を雇用できるような適正な柔軟性をもたせる。詳細は以下を参照。
http://www.whitehouse.gov/the-press-office/2013/06/04/fact-sheet-white-house-task-force-high-tech-patent-issues - 具体的な大統領令として、①真の利害関係者情報の提供、②機能的クレームの制限、③エンド—ユーザー支援、④特許政策に関するExpanding Dedicated Outreach and Study、⑤排除命令手続きの執行を強化することが掲げられた。詳細は、前掲脚注のサイトを参照。
- http://www.washingtonpost.com/blogs/innovations/wp/2013/06/18/why-silicon-valley-likes-obamas-patent-troll-offensive/
- 本記事については、以下を参照。
http://www.nytimes.com/2013/06/05/opinion/make-patent-trolls-pay-in-court.html?_r=2 - http://www.reuters.com/article/2013/06/24/us-usa-patents-litigation-idUSBRE95N1F920130624
- 訴訟手続の改革に関しては、E.D. Texas Judicial Conferenceにおける、レーダー主席判事の講演録「The State of Patent Litigation」を参照。
http://memberconnections.com/olc/filelib/LVFC/cpages/9008/Library/The%20State%20of%20Patent%20Litigation%20w%20Ediscovery%20Model%20Order.pdf - http://www.ediscoverylawinsights.com/2013/01/federal-circuits-model-order-for-e-discovery-in-patent-cases-one-year-later-increasing-judicial-involvement-in-reducing-discovery-costs/
- https://www.eff.org/deeplinks/2013/05/whats-stake-cls-bank-software-patents
- http://www.google.com/patents/opnpledge/、http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20130329/467023/
- https://docs.google.com/file/d/0BwxyRPFduTN2VTE4TXlNcW9MR2s/edit?pli=1
脚注のウェブサイトについては、すべて2013年7月30日時点で確認済。