米国のMyriad最高裁判決
2013/9/11
AFP=時事
女優アンジェリーナ・ジョリーが遺伝子検査を受け、87%の乳がんリスクと50%の卵巣がんリスクと診断され、予防的乳房切除を受けて前者のリスクを5%まで下げたことを綴った記事をニューヨーク・タイムズに自ら投稿したことは日本でも話題になったと思う1。皮肉なことに、その遺伝子検査等が高額すぎて払えないという患者その他が、関連する多数の特許を有するバイオベンチャーMyriad社に対して特許無効を訴えて最高裁まで争っており、最高裁が一部特許無効とする判断を下したのはアンジェリーナ・ジョリーの記事の直後であった。今回は、このMyriad最高裁判決2をとりあげ、法的・政策的な面から見てどうなのか、日本の知的財産制度にどのような示唆をもたらすか考えてみたい。
Myriad最高裁判決
Myriadは、BRCA1とBRCA2という、それが変異すると乳がんと卵巣がんのリスクを相当増大させるヒト遺伝子を同定3したことに基づいて多数の特許を有していた4。このMyriadに対して、分子病理学学会その他多数の患者、支持団体、医師らが立ち上がり、特許無効を主張したことが事件の発端である。連邦南部ニューヨーク州地方裁判所が特許無効と判断したのに対し5、控訴審である連邦巡回区控訴裁判所(CAFC)6はそれを覆した7。最高裁はそれを一部覆して一部特許無効としたのである。
最高裁で争われた論点は2つ。第一に「自然に生じる(naturally occurring)DNA断片は、他のゲノムから分離されたこと(isolation)を根拠に特許法第101条における特許適格性(後述参照)を有することになるか」、第二に「自然にあるDNA断片に見られるタンパク質をコードする情報と同じ情報を含む合成されたcDNAは特許適格性を有するか」であった。これに対して「自然に生じるDNA断片は自然の産物(a product of nature)であり、分離されたことのみを根拠に特許適格性を有することはないが、cDNAは自然に生じるものでないので特許適格性を有する」と判決で示した。
法的な面から見ると・・・
では、最高裁の上記判断は法的な面から見て適切だったのだろうか。
まず「特許適格性(patent eligibility)」とは、そもそも特許権の保護対象である発明といえるかを判断することで8、新規性、進歩性、有用性(産業上の利用可能性)という特許権を得るために必要な三大要件(特許性(patentability)という)の前堤として必要なものである。
その特許適格性に関して、米国特許法第101条は以下のように規定する。
- 新規かつ有用な方法、機械、製造物(manufacture)若しくは組成物(composition of matter)、またはそれについての新規かつ有用な改良を発明又は発見した者は、本法の定める条件及び要件にしたがって、それについての特許を取得することができる9。
この点、とくにバイオテクノロジー分野においてリーディング判決はChakrabarty最高裁判決10である。事件では、遺伝子工学を使ったバクテリア自体の特許権が問題となった。米国特許商標庁(USPTO)は、発明者=特許権者であるChakrabarty氏を相手どって最高裁に上告したのだが、USPTOは拒絶査定11に続き、審判12、審判取消訴訟13、そして上告に至るまで、微生物は「生き物」ゆえに特許適格性を有しないとの立場をとった。しかし最高裁は、USPTOの判断を覆した前審(CAFCの前身である関税・特許控訴裁判所)の判断を支持した。最高裁は、第101条の「製造物」も「組成物」も広く解釈されるべきで、そのような広い解釈は特許法の立法趣旨、すなわち保護対象に「人間の手が加えられた、この世にあるすべてのもの(anything under the sun that is made by man)を含む」ことに沿うとしたのである14。「製造物」「組成物」と日本語にすると重々しいが、とにかく「人間の手が加えられ」ればよいほどに特許適格性は広く認められてきたのである。
もちろん、例外もある。Chakrabarty最高裁判決よりも前から、「自然法則、物理現象および抽象的なアイデア」は特許適格性を有しないと確認されてきた。Chakrabarty事件でも議論となったが、最高裁は、本件バクテリアは遺伝子工学によるもので「未知の自然現象ではなく、自然に生じない(nonnaturally occurring)製造物または組成物」であるとした。すなわち、例外にあたるとされた先例の発明が「元々自然が提供できていた目的を達成するもので、発明者の努力とはほぼ独立して機能するものであった・・・〔のに対し、本件〕発見は自然の営みでなく、発明者自身によるものであり、第101条の特許適格性を有する」としたのである。
Myriad最高裁判決は上記例外を巧みに原則論で展開したように思う。Chakrabarty最高裁判決を丁寧に読めば読むほど、最高裁がChakrabarty最高裁判決を覆さずにどのように解釈したか理解できない。Chakrabarty最高裁判決からすると、DNA断片の「分離」はまさに「人間の手が加えられた」ものであって「自然に生じる」ものではない。発明者の努力を必要としない「自然の営み」ではなく、「人間の助けを借りずに自然のみによって複製」できるものではない。しかも、Chakrabarty最高裁判決以降、同様の特許が数十年査定されてきたことでChakrabarty最高裁判決が示した基準は社会に許容されていた。
さらに言うと、Chakrabarty事件でも、USPTOは遺伝子工学研究の人類にもたらすリスク等から遺伝子工学研究に係る発明の特許適格性は否定されるべきとの主張もされたが、最高裁はこれも一蹴した。「特許適格性を有するかの判断により、かかる研究努力を促進することになるか、インセンティブの欠如により退化させることになるか、を方向づけることになるかもしれないが、それまでにすぎない。」すなわち、裁判所は事実を認定して法律を解釈し、適用するのみであり、社会的弊害(リスク)のために特許適格性を制限するのは議会による立法によるべきとしたのである。Myriad事件において、Chakrabarty事件に比べるとより現実の社会的弊害が生じていたとしても、裁判所は、Chakrabarty最高裁判決を否定するか、維持したままにするか明確にすべきだった。
一般的に判決はいろいろに解釈しうるとしても、Myriad最高裁判決があまりに不安定であることは、その後のCAFCにおけるCLS大合議15判決からも明らかである。多数意見は匿名、かつ5つの意見が出された、という異例の事態となった。これは、熟議によって統一的な基準を示すという大合議の制度趣旨に沿わないだけでなく、最高裁判決の解釈があまりに多様にありえるため、それにより連邦巡回区控訴裁判所の意見がますます乱立し、実務家もどう対応すべきか混乱するという悪循環に陥っている。
以上からすると、Myriad最高裁判決は、法的な面から適切とはいい難い。とくに、長年の議論を経て最近やっと成立した米国特許法の抜本的改正(America Invents Act)において第101条が改正されなかったことや最高裁でほぼ全員一致で判決がなされたことを考えると、政治的な印象を受ける。特許法が技術の進歩がめざましいので法律が追いついていかないという状況は特別ではない。金融その他実務に法が追いついてない分野はいろいろ考えられるが、そのようななかで司法機関としての裁判所は、立法機関に比べ格段に限られた人数のなかで判断するのであるから、Chakrabarty判決を覆さないのであれば、その枠組みのなかで法を解釈すべきであったと思う。
政策面から見ると・・・
時代背景も合わせると興味深い。Chakrabarty最高裁判決は1970年代に遺伝子工学が台頭するなかで出されたのに対し、Myriad最高裁判決は、ヒト遺伝子に関する配列解読も一段落し、機能等の解明に着目するポストゲノム時代と言われ始めて久しいなかで出された。
実務家からも、Myriad最高裁判決について、DNA配列解読ないし分離に係る特許は概ね2-3年で満期を迎えるのでさして問題ではない、今やcDNAに基づく特許が重要なのでその特許適格性が認められたからよい、といった声が聞かれる。他方、Myriadは有効な範囲内で関連特許権を行使すべく侵害訴訟を引き続き提訴している一方で、Myriadの特許に大学も関与していたことをもって、資金元であるNIH(国立衛生研究所)がバイドール法に基づいて介入権(march in rights)16を行使して実効的に特許による独占を排除すべきとの主張もある。
そもそもMyriad事件の問題はなんだったかを考えると、特許権の存在ゆえに、費用を払えない患者が治療を受けたくても受けられない、ということではないか。未だにMyriadが有効とされる特許に基づいて侵害訴訟を引き続き起していることからすると、Myriad最高裁判決により無効とされた「分離されたDNA断片」に対応するコストを差し引いてもなお、費用を払えない患者がいることは変わらない。すなわち、問題の本質は医療制度であって、特許制度ではなく、Myriad最高裁判決は問題を解決できていない。
さらに国際的にみると、本判決は、昨今インドやブラジル、中国等新興国が医薬品へのアクセスを声高に主張してきたのに対し、米国が特許権の重要性を唱っていたこととも矛盾しないだろうか。
特許制度を濫用するパテント・トロールの台頭やインターネットによる複製の容易化から見ても、知的財産の保護を過大に強化する必要はないし、そのような法制度は是正されてよいと思う。しかし、長年の議論を経て特許法が抜本的に改正されるなかで特許適格性に関する特許法第101条が改正されなかったことを考えると、本判決は9名の裁判官のみで一方的な政治的判断を行ったもので、政策面から見ても、本判決は不適切と思う。
おわりに
以上からすると、Myriad最高裁判決は、法的にも政策的にも適切とはいい難いが、本判決から得られる日本の知的財産制度への示唆を考えてみたい。
第一に、どうしてMyriad最高裁最高裁判決がこのような結果となったかを考えると、米国では昨今の特許法の抜本的改正にみるように、あまりに議会での立法が予測できないことに主因があるように思う。それに比べると、日本は国会での議論の前に委員会ですでに決着していることが多く、立法の予測可能性は高く、裁判所もより忠実に法を適用しているといえよう。ただ、問題解決を限られたメンバーで決めてしまうことは日米に共通するように思う。官僚主導の委員会で決着させる方式でなく、現実社会で法制度のなにがユーザーにとって問題で、それをオープンに議論して法制度にとりこむべきか、という態度が望まれるのだろう。第二に、日本は、とくに知財に関して米国をモデルとしてきたが、その米国の制度には様々な問題が生じていて、今回のMyriad最高裁判決が象徴するように、モデルとすべきでないbad practiceの問題があることも認識できる段階となったといえよう。最後に、米国では今、本判決を受けて「発明」を定義すればよいが、それは難しいのではないかとの議論も聞かれる。日本特許法が「発明」を定義していること等、日本の法制度を世界に発信することも重要になってきたのではないだろうか。
脚注
- 記事はこちら。http://www.nytimes.com/2013/05/14/opinion/my-medical-choice.html?_r=0
- Association for Molecular Pathology, et al. v. Myriad Genetics, Inc., et al. 133 S.Ct. 2107 (June 13, 2013).
- 特許庁標準技術集参照。http://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/hyoujun_gijutsu/kakusan/0030.html
- 正確にいうと、ユタ大学も発明に関与しており、当事者となっている。
- Ass'n for Molecular Pathology et al. v. United States PTO et al., 702 F. Supp. 2d 181 (S.D.N.Y. Mar. 29, 2010)。
- 日本で言う知的財産高等裁判所に相当する特別な高等裁判所。
- Ass'n for Molecular Pathology et al. v. United States PTO et al., 689 F. 3d 1303 (Fed. Cir. Aug. 16, 2012)。
- 正確にいうと米国では「発明」のほか「発見」も保護対象であるが、認められる範囲は少なくともこれまでは日本と実質変わりはないので、ここでは便宜上「発明」で統一する。日本でも米国でも例えば、アインシュタインのE=mc2といった自然界の法則(科学的な法則)自体は特許適格性がないが、自然界の法則を適用したプラスアルファがあればよい。
- 日本法令外国語訳データベースシステムによる。
- Diamond v. Chakrabarty, 447 U.S. 303 (June 16, 1980)
- 特許権を与えないとのUSPTOの決定。
- USPTOの決定に対する不服を申し立てる手続。
- 日本と同様、USPTOの審判に対する不服を控訴裁判所に申立てる手続。
- 正確にいうと、この文言は特許法立法経過における議会(上院・下院)資料から引用されたものである。
- 重大な事件について通常の3名をはるかに超える全ての裁判官で扱うもの。
- 国費を原資として得られた特許権に関して、連邦政府が特許権者に対して第三者または自身にライセンスを許諾するよう求めることができる権利。