日本から新興国への発明者移動

知的財産研究所研究員
藤原 綾乃

2013/10/10

AFP=時事

A file picture taken on July 14, 2010 shows a view of evening traffic passing through downtown Kuala Lumpur Malaysia's auto sales rose 19.8 percent in the first half of 2010 and are tipped to hit a record high this year in Southeast Asia's biggest passenger car market, an industry group said on July 20.

新興国市場の持つ意味

近年、先進国では少子高齢化が急速に進み内需の拡大が見込みにくい中、高成長を続けてきた新興国市場への注目が集まって久しい。もっとも、2011年に中国の成長率が鈍化して以降、インドやブラジルなどでもGDP実質成長率が鈍化傾向にあることから、新興国の経済成長に疑問を呈する声があることも事実である。しかし、中長期的に見れば、生産年齢人口1が増加傾向にある新興国が、先進国に代わって世界経済を牽引するという構図は今後も続くものと思われる。

これまで日本企業にとって、新興国は生産拠点としての意味合いが強かった。しかし、近年、経済水準及び教育水準の向上等により、新興国には新中間層2と呼ばれる大量の消費者層が誕生しており、消費市場としての側面に注目が集まっている。都市化の影響で、電気や水道、道路などのインフラ整備が急速に進み、一般家庭でも炊飯器や冷蔵庫、テレビなどの家電製品が一気に浸透した。このように個人消費の主役となる中間層が急増する中、先進国企業は競って新興国の消費市場獲得に向けて動き出した。

しかし、日本企業の生産・販売拠点としての新興国進出が必ずしも順調に進んだとは言い難い。現地の地場企業や韓国企業、台湾企業、欧米企業等との厳しい競争の中、残念ながら日本企業は欧米や韓国企業に比べて新興国市場において遅れをとっていると言わざるを得ない。実際に、新興国の街中には欧米や、韓国企業の看板が並び、LG、サムスン、フィリップス等のテレビCMが間断なく流れていると言われる。日本が「失われた20年」に悲嘆している間に、欧米企業や韓国・台湾企業は既にインド、アフリカの市場を押さえてしまったのである。

新興国における研究開発

海外企業が新興国市場で成功するためには、現地のニーズに合わせた商品やサービスを提供することによって、現地の市場に深く入り込んでいくことが重要とされる。GEがインドの農村向けに開発した低価格の医療機器が爆発的にヒットしたのも、現地のニーズを詳しく知る現地の研究者が開発に関わったことが成功の要因とされている3。欧米企業や韓国企業は、日本企業とは異なり、価格やスペックを徹底的に市場に合わせた製品を生産・販売してきた。新興国市場を獲得するためには、現地のニーズを現地の消費者から汲み上げ、現地の研究者がアイディアを出し、それを製品化していくプロセスこそが重要になるのである。

このように、新興国市場で成功するためには、現地の研究者を活用して研究開発を進めていくことが重要であるが、このことは必ずしも新興国における研究開発において日本の研究者が不要であるということを意味していない。確かに、先進国企業が新興国市場に進出し始めた際には、製品価格をいかに低く抑えるかが重要であり、日本製品のような高付加価値商品は売れないと言われてきた。しかし、近年の中間層や富裕層の拡大に伴い、消費者は徐々にクォリティを求め始め、高価でも高品質な製品に対する需要が徐々に増えつつある。中長期的な視点から新興国の消費市場を見た場合、高付加価値な商品という視点も不可欠な要素の一つであり、日本の研究者が持つ高付加価値なアイディアは、今後さらに求められることになるものと思われる。

実際に、日本人研究者が有する高い技術力と高付加価値なアイディアは外国企業でも必要とされ、近年では日本人研究者が海外へ移動して活躍するケースも増えてきた。例えば、韓国企業はインドやブラジルなど新興国の研究者を採用する一方で、日本人研究者も多く採用している。特に、日本人研究者の中でも、日本の電機メーカーで携帯電話・スマートフォン関連の開発に当たっていた人材が多く韓国企業に移り活躍している。このことは日本企業にとっては優れた人材や技術の流出につながる可能性もあるので重要な現象である。しかし今までどのような人材がどこに移動していたのかは必ずしも定量的に明らかにされてきたわけではない。

特許分析から見える日本人研究者の海外移動

日本企業から海外の企業に移動した発明者に関しては、特許の書誌情報から一定程度把握することが可能である。具体的には、特許に記載されている発明者情報から、発明者がどの企業からどの企業へ移動したのかを把握したり、移動の前後における企業及び個人のパフォーマンスの変化、担当する技術分野の状況等を観察したりすることが可能である。著者はこれまで特許の書誌情報を用いて、企業の研究開発活動及び技術流出との関係について研究を行っており、日本企業から新興国へ移動した発明者の名前や前職、実績などから、外国企業で活躍する人材の特徴や最適な人材マネジメントについて分析を行った4。その分析結果によれば、韓国や台湾企業へ移動した日本人発明者は、現地の研究者数名のグループの中に一人あるいは2〜3人ずつ入って研究に従事していることが明らかになった。また、企業によっては、日本企業で同じ研究グループに所属して研究開発を行っていた複数の人材をグループごと雇い入れて研究開発を行わせているケースも見受けられた。このように、韓国や台湾企業は、グローバル展開を進めるにあたって、新興国の人材を採用すると同時に、日本企業等の先進国の人材も積極的に活用し、多くの新興国市場を獲得してきたと言える。

結び

新興国の持つ意味は、この数十年間で劇的に変化した。当初は生産拠点としての意味が強かったが、次第に消費市場としての役割が大きくなり、現在では研究開発拠点として活用することが企業にとって重要な意味を持つようになってきた。

日本企業から新興国へ移動する発明者は増加傾向にあるものの、日本企業の中に、現地の研究者を積極的に採用し、さらに日本あるいは欧米等の先進国の研究者と共に研究を行わせるというような流れはまだ見られない。しかし、グローバル経済の進展によって、先進国と新興国の間における人の移動がより活発になっており、これから先もこのような国際的な人材の移動は、拡大する傾向が続くものと思われる。海外企業が積極的に日本人発明者を採用しているのと同様に、日本企業も今後積極的に現地の高度人材を活用し、新興国市場での出遅れを取り戻していくことを期待したい。


脚注

  1. 生産年齢人口とは、年齢別人口のうち労働力の中核をなす15歳以上65歳未満の人口層をさす。
  2. 経済産業省では、年間世帯所得が1万5000ドル以上、3万5000ドル未満を「上位中間層」と定義している。
  3. ビジャイ・ゴビンダラジャン「リバース・イノベーション」、2012年
  4. 著者は現在、知的財産研究所において、この研究をもとに知的財産制度と企業の研究開発について研究を行っている。