複雑化する社会 −システミックリスクの時代に生きる−

政策ビジョン研究センター 教授
谷口 武俊

2012/10/23

谷口 武俊 教授

谷口 武俊 教授 (photo by Ryoma. K)

—  2011年3月11日の東日本大震災では、その後の対応も含めてリスクに対してどう備えをするのか、それを地域社会とどう共有するのかなどいろいろな課題が突きつけられました。まずはリスクをどう考えるのかというあたりから、お伺いしたいと思います。

谷口 未曾有の被害となった今回の自然災害そして原子力災害は典型的なシステミックリスクの顕在化です。本当に残念で悔やまれますが、これを機会にリスクと向き合っていく意識が様々なところで表れ行動につながることを期待したい。リスクに対処するとは、ネガティブなものを管理するというイメージがあるけれど、その本質は前向きの思考、責任ある思考そしてバランスのとれた思考で、未来を拓き選択していくということだと私は考えています。このことへの理解が生まれてほしいと思っています。

リスクという言葉は様々な場面で使われますが、学問の世界においても一般人の理解においても共通して受入れられている定義はありません。ただ社会を眺めてみると、事象の発生の不確かさの程度と望ましくない結果の大きさの程度の両面に関連して使われています。今後、リスク問題について、一般市民も含め様々な利害関係者の対話や共考が進むことを強く期待しています。そこでは「望ましくないこと」についての認識は、その人の価値観や置かれた社会的・経済的な立場などが影響し、非常に多様だということを理解していくことが大切です。つまり「リスク」と言っても、それぞれの頭の中では「それぞれのリスク」が思い浮かぶわけです。

一方、工学や自然科学系の専門家は、しっかり定義された変数で測定したデータを用い比較可能性を重視する科学的なリスクアセスメントを行います。たとえば、放射線被ばくによる小児の発ガンのリスクは何%か、損失余命は何年か、といった具合にエンドポイント、すなわち「望ましくないこと」を明確にすることで、その発生の不確かさの程度を定量的に議論する。変数がしっかり定義されていれば室内環境での化学物質の暴露によるリスクとの比較も可能となるわけです。

このように、一方は確率要素を重視し、他方は不効用構造を重視するという認知ギャップが起こると、同じリスク問題について専門家と非専門家、あるいは一般の人々同士でもなかなか議論はかみ合わない。技術系の専門家はリスク・コミュニケーションに際しては、一歩踏み込み、相手が何を望ましくないことだと考えているかについて幅広い思いをもって考えてみること、そして「素人は危険だと思っているに違いない、彼らは過剰な報道の影響を受けやすい」といった思い込みで不要な認知ギャップを作らないことが大切だと思います。

複雑化した社会におけるリスク問題、とりわけ科学技術リスク問題については、この「望ましくないこと」への共通的理解が進まないと、科学技術者や規制機関や産業界と市民を含む利害関係者の間の対話は進まないでしょう。共に考え対処していく問題とは何か、どのような「望ましくないこと」を取り上げるか、科学技術リスクのガバナンスにおいて問題のフレーミングは非常に重要ということです。

—  福島第1原子力発電所の緊急事態そしてその後の災害対応では、官邸、東電、原子力安全・保安院、原子力安全委員会の間での情報共有、専門家や行政からの情報提供に多くの問題がありました。そして今、リスク・コミュニケーションが重要との声がありますが、どう思いますか。

谷口 リスク・コミュニケーションは積極的に進めるべきです。ただ今回、緊急事態でのコミュニケーションはまったく不全状態で多くの課題が露わになりましたが、リスク・コミュニケーションと一括りにして捉えられすぎているように思います。両者の状況はまったく異なります。ただ、平時から本当のリスク・コミュニケーションができていれば、危機のときにも耐えられたでしょう。これができていなかったのだから、問題が出てくるのは当然だと思います。

リスク・コミュニケーションとは、利害関係者が互いに自分たちの懸念や関心、情報をやり取りして、意見交換、協議をし、さらに一歩進めてリスクへの対応についても協力してリスクの削減に向かうということだと私は考えています。これは組織のなか、規制者と事業者の間、一般市民や地域社会を含めた利害関係者の間で、平時から実践すべきことで、広い意味での安全確保活動です。

原子力発電施設の過酷事故の発生については、可能性としてゼロに近いというのではなく、現実性としてゼロではないというリスクの存在、不確実性の存在を意識的に直視続けなければならない。リスク・コミュニケーション活動を実践することです。これが出来なければ、また「安全神話」は生まれると思います。

—  なぜリスク・コミュニケーションができないのかでしょうか。何が重要なのでしょうか。

谷口 米国研究評議会が「リスク・コミュニケーションの改善」という報告書を出した直後の90年代初めから、特に1999年のJCO臨界事故以降、電気事業者や原子力安全保安院などにリスク・コミュニケーション活動を推進するよう働きかけましたが、なかなか難しく進んでこなかったですね。

地域社会や市民といった外部の方々とのリスク認知のギャップ、心理的な距離があり、コミュニケーションへの積極的な姿勢が生まれなかったことが背景にあると思いますが、第一に自らが所属する組織の中でリスクマネジメント、リスク・コミュニケーションができていないからだと私は思っています。内でできないのに、外とできるわけがない。

リスクは常に変化し、隠れているものですから組織内外の先入観に囚われることなく、自ら認識しなければいけない。新たな科学的知見により発見されるリスクもあります。そして日本では一度リスク対策を行ったら、それで終わりということが多いけれど、既に受入れているリスクや対策済みのリスクも社会の価値観や構造の変化に伴い新たな文脈の中で相対化され重要視・問題視される可能性がある。リスクは再興するのです。

リスクが顕在化し危機的事態に至った福島第1原子力発電所そして東京電力本店でも、これまで必ずシグナル・兆候はあったはずです。それは物理的なシグナルであったり、言語的あるいは非言語的なシグナルかもしれない。おそらく組織には少なくとも一人ぐらいは差し迫った危機に気づいている人がいるものです。問題は、そのような人は往々にして組織に対して問題提起する権限をもっていないことが多い。スペースシャトル、チャレンジャー号の事故はその典型例です。

原子力界ではこれまで、「何にも優先して安全に注意を払う個人ならびに組織の態度や気風」、いわゆる組織の安全文化の重要性が言われてきたが、やや漠然とした精神論的なレベルで留まっていたように思います。私はむしろ「リスクを発見・評価・対処していくことについて組織内で価値あるものとの認識が形成され実践され、これらの情報がオープンに共有される風土」、いわゆるリスクカルチャーを作っていくことが大切だと思います。リスクについて何か指摘する人は、組織の中では「困った奴」ということになって嫌われがちだし、「あいつが何か言うからスケジュールが遅れる」とか批判をされ、無視されてしまう。しかし逆に言うと、そういう人を大切にすることが組織としては重要だと思います。

もう一つリスクマネジメントでは、利害関係者を広く意識できるかどうかが重要です。目に見える直接的な利害関係者ばかりでなく、裏に隠れている間接的な利害関係者のことに目が届かないと、不意を突かれてしまったりするわけです。企業の従業員同士、他部門も利害関係者ですし、それを延長すれば地域社会も利害関係者です。組織の中でリスクが洗い出され、それらはどのような利害関係者にどのような「望ましくないこと」を及ぼす可能性があるのか等、リスクの影響の連鎖について議論が行われるような状況にあれば、必然的に組織外の人たちともリスク・コミュニケーションができるようになってきます。

—  しかしシグナルが出ていて、それをつかまえ対処して結果的に安全が守られたということになっても、その対処した責任者の功績、つまり「何も起きなかったこと」について評価することは難しいのではありませんか。

谷口 安全管理やリスク管理に関わる人たちの評価は難しいということは昔から言われています。しかしリスクや損失を回避することにより便益や利益を生み出している。そこに価値があるということを社会全体、組織、そして経営者は理解すべきです。今回のような事故が起きれば、どれだけの損失を被るか、よくわかったと思います。

シグナルがあっても何もしない、あるいは自分の任期中は何もしない(先送り)というようなこともありますが、リスクが現実のものにならない限り、それがマイナス評価に結びつくことはありません。結局、最善のプロセスを経て決定されたかどうかではなく、結果によって評価されることが多いのが日本の社会ですから、「先送り」という意思決定が蔓延してしまうでしょうね。

—  福島第一原発の事故については、民間事故調、東電事故調、国会事故調、政府事故調とその報告書がでそろいました。その教訓を生かすにはどうすべきだとお考えですか。

谷口 様々なレベルでの教訓が示されましたが、組織再編や設備追加など目に見えるタンジブルなもののみの反映に留まってしまうのではという懸念があります。本当に学ぶということが、個人、組織そして社会として出来るだろうかと。やはりじっくりと共考し、本質的問題やインタンジブルな教訓を理解し共有する努力の継続が必要だと思っています。

今、巨大技術システムのリスクは制御可能であるという考え方から、レジリエンス能力を確保しつつリスクに適応、順応していくという考え方に変わりつつある。いわゆる順応的管理という考え方です。そこでは、管理の前提を常に監視、検証し、必要なら修正するという学習とフィードバックコントロールが柱となる。教訓が活かされるかどうかは、PDCAが回る組織、社会かどうかではないか。これがこれから試されるのではないでしょうか。