第24回PARI政策研究会

10/12/14

Read in English

世界でも権威のある、英国の国際政治・経済週刊誌The Economistの東京支局長、Henry Tricks氏をお招きし、労働人口の減少や高齢化が経済にもたらす影響、また人的資源発掘の重要性についてお話を伺いました。


The future of Japan: The Japan syndrome

Henry Tricks

エコノミスト 東京支局長
Tokyo Bureau Chief, The Economist


労働人口の減少は、国内経済の縮小に直結する

15-65歳までの日本の労働人口の減少は、日本の好況の終焉とリンクしている。日本の労働人口は、第二次大戦後、約5000万人からピーク時には約8700万人(1955年)まで増加し、2050年までにはまた約5000万人にまで落ち込むと予想される。この変化は世界のどこよりも激しいものだ。労働人口=経済のエンジン・ルームである。労働人口は消費し、貯金する、子供を持つあるいは持たない働く人々であり、経済成長は[労働人口増加分]×[一人当たりの労働力]の和である。ゆえに、その減少は直接的に生産量の減少、そして経済の悪化へとつながってしまう。これをエレベーターに例えて説明してみよう。これまでの50年間、労働人口は増えており、これは昇っていくエレベーターのようなものであった。それに比例して生産力が上がっていったので、日本はこれまでの成長率を享受できたのである。そのエレベーターが今、下り始めている。これはつまり、これまでの生産力を維持するためには、2倍仕事をする必要があるということだ。1995年以降日本の経済成長率が低迷しているのも、この理由を考えれば全く不思議なことではない。これまで日本の経済を語る際に、人口統計はあまり使われてこなかった。2002年から2008年までは日本において戦後最も長く経済成長が続いた時期であるが、これには特殊な背景があったことを理解せねばならない。この時期は円が非常に安かったため、輸出量を確保することが容易だったのだ。したがって、統計には経済の悪化はあまりはっきりと表れてこなかった。しかし、この間、デフレーションは常に背後に潜んでおり、今後人口減少による国内需要の減少に伴いさらに深刻化していくことが予想される。実際、企業のキャパシティを越え、負担となってしまった工場が今次々と閉鎖されており、恐らくこれらは永久に再稼働することはない。このまま需要が減少していくと、これらの工場は最終的には取り壊さざるを得なくなるだろう。なぜなら、この過剰生産能力を受け入れるに足る成長率はもう今後望めないからだ。日本は今、数年単位のデフレーションなどではなく、長期的な経済危機に瀕しているのである。

高齢化社会がもたらすもの

労働人口の減少と表裏一体をなす高齢化社会には、必ずしも悪い面しかないというわけではない。日本の新技術を利用して、例えば日本を高齢者の医療サポートを改良するヘルスケア・センターにして観光客を呼ぶなどし、高齢化を良い方向に活用する余地は明らかにある。しかし、問題もあるのだ。高齢化における大きな2つの問題を挙げよう。まず1つが、保険財政の問題だ。これから2年後、人数にして実に800万人にのぼる日本の第一次ベビーブーム世代が65歳になり、年金受給開始年齢に達する。これは現在の年金システムに打撃を与えることになる。既に債務対GDP比が非常に高く、保険財政も非常に緊迫している現状に加えてである。さらに難しい2つ目の問題として、高齢者は生来危険を嫌い、変化を嫌うので、変化をもたらすことがより難しくなるということがある。彼らは全投票数のかなり大きな割合を占めるので、投票ブロック(voting block)になりかねないということだ。彼らは、望めば、変化を拒む力を持つのである。さらに、グループとして見ると、彼らはデフレーションの恩恵を被ることになるかもしれない。高齢者の貯金は、経済の悪化から生じる物価の低下に伴い、さらに価値が出てくるからだ。

こういった諸々のコストは、若者によって担われていくことになる。これは、大きな経済的障害になるであろう。高齢化はチャンスでもあるが、コストでもあるのだ。これらの問題にどのように対処していけばよいのだろうか。一つの方法として、現時点で存在する日本の人材の潜在能力をフルに活用し、労働人口の減少を埋め合わせ、日本の生産力を再び高めることが挙げられる。

日本における人的資源活用上の問題

日本で現在十分に活用されていない人材とは、どのような層だろうか。まず真っ先に挙げられるのが、経験を積んだ女性のシニア管理職層である。彼女たちは、文化的背景、税金の事情、また復帰時に再び同様のポストに就くことが難しいことから、結婚・出産後に戻ってこないことが多い。企業社会が、彼女たちの復帰を想定していないのである。また、高齢者も、埋もれている人的資源の一部であり、彼らが働ける環境作りが必要である。ただし、その労働は若者のコストによって行われるのではなく、積極的に利益を生むような構造になっていなければならないので、年功序列型の賃金システムは廃止すべきである。年金システムも、高齢者が働くモチベーションを持ちにくくなっている要因の一つである。働けば、年金額が下がるからだ。

こうした状況に立ち向かうには、教育システムに立ち返る必要がある。教育システムが起業精神を育て、彼らが大企業で良い仕事を見つけたり、自身で会社を設立したりするのを促すような状況を作っていくことで、日本の人材資源の活用率は上がる。また、日本の大学と企業は一致協力して雇用システムを改善し、日本人の若者が、就職が難しくなることを心配せずに留学できるようにしていくべきである。また、海外から留学生が日本に来る際には、日本の文化・言語を学べば、日本でその後良い仕事を得られると事前に想定できる状況が望ましい。また、女性がもし出産後に職場復帰できない場合には、企業が保険金を支払うべきであろう。さらに、政府と企業は、保育施設の充実にもっと力を入れる必要がある。企業に関してはさらに、創造的な破壊(creative destruction)のプロセスが必要である。つまり、企業間の競争の激化によって、企業の世代交代がより増加することが望ましい。日本の企業の「年齢」毎の分布は、日本の人口統計グラフにそっくりなのだ。高齢企業が非常に多いのである。これらの企業の多くは、銀行が彼らに対し低金利で融資をしてきたために、生き延びていたまでである。

競争的(competitive)というよりは協調的(collaborative)な日本の企業風土により、日本は窮地に立たされている。国内市場が縮小しているにも関わらず、企業はまだ国内を見ている。例えば、日本は数多くの素晴らしいソフトウェアを開発しているが、多くは日本国内用にカスタマイズされており、海外市場への投入が難しい。経済の立て直しを図るには、アジア全体を市場として捉えなければならない。

企業が変化を迫られている現在、少しずつ新たな試みも始まっている。現在日本に足りないのは、政治的なリーダーシップである。本当の壁にぶつかる前に対策を講じるのか、壁にぶつかって初めて変化することを受け入れるのか。日本の命運はここにかかっている。