医療イノベーションと医療に関わる諸制度を考える

東京大学(主催:東京大学公共政策大学院、共催:東京大学政策ビジョン研究センター/ワシントン大学)は、10月13日、第1回の損害保険ジャパン寄付講座「公共政策とリスクマネジメント」2011年度シンポジウムを開催しました。

「医療イノベーションと医療に関わる諸制度を考える」と題した今回のシンポジウムでは、今日の日本の社会に医療のイノベーションをどのように組み入れていくのかについて、領域横断的で活発な議論が交わされました。我が国は、高齢化の進展に加えて、震災からの復興という課題を抱えつつ、社会保障制度全般についての制度設計を進めていくべき重要な局面に差し掛かっています。新しい医薬品や医療機器の開発、再生医療技術の進展、遺伝子情報に基づく医療など、目覚ましい発展を続ける医療技術は、我々に新たな可能性と希望を示している一方、これら新しい医療技術を臨床現場へ導入するにあたっては、医療に関連する諸制度に関わる幅広い課題を提起しているからです。今回シンポジウムでは、欧米や我が国の最先端の研究者や各界の識者の方々に、我が国における医療イノベーションの現状、課題、展望について議論していただきました。

今回のシンポジウムは、基調講演と2つのパネルディスカッション、計3部から構成されています。清水孝雄教授(東京大学理事・副学長・前医学部長)による開催挨拶に引き続き、医療イノベーションをめぐる日本、米国、欧州の最新の状況を踏まえて、我が国における医療イノベーションの現状と課題を把握し、さらには制度面からの課題解決の方向性を探るという極めて包括的なものでした。最初の基調講演では、八山幸司氏(内閣官房医療イノベーション推進室企画官)から我が国における医療イノベーションの進め方、ラリー・J・シャピーロ教授(ワシントン大学医学部長)から米国における個別化医療と予防医療の現状、ハイメ・カロ氏(United Bio source・シニア・バイスプレジデント)から欧州におけるヘルス・テクノロジーアセスメントの動向について、それぞれご報告していただきました。

政策ビジョン研究センターからは、城山英明教授・センター長がパネルディスカッション1のモデレーターとして参加しました。城山教授は、パネリストの松本洋一郎教授(東京大学理事・副学長)、小澤洋介氏(ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング社長)、そして大林 尚氏(日本経済新聞 編集委員)とともに、医療イノベーションを進める上で実際にどのようなことが課題になるのかについて、実例やデータに基づいて議論しました。そこでは、安全規制、価格規制、病床規制に加えて、医療提供体制のあり方、医療の情報化の推進、医療上の価値を適切に評価する仕組みの重要性などが議論されました。

パネルディスカッション1の内容は、新しい技術の安全性を確保しつつ、社会に迅速に導入してゆく際の現実的な課題を議論するものです。政策ビジョン研究センターでは、技術ガバナンス研究ユニットやテクノロジーアセスメント実証研究ユニットが、このような課題を研究しており、医療機器分野については医療機器の開発に関する政策研究ユニットが、研究会を開催して検討を続けています。

パネルディスカッション2では、林良造客員教授(公共政策大学院)をモデレーター、  遠藤 久夫氏(学習院大学経済学部教授)、児玉 安司氏(弁護士、東京大学客員教授)、杉本 和行氏(みずほ総合研究所理事長、東京大学客員教授)をパネリストにお招きして、現在の様々な課題を乗り越えて、我が国で医療イノベーションを推進するための方向性が議論されました。そこでは、高齢化が進展する中での医療財源のあり方、医療資源の有効活用と医療提供体制の効率化、安全や価格面についてのより合理的な規制の模索など、医療制度のあらゆる面から医療イノベーションの実現に向けて取り組むべき方向が示されました。

政策ビジョン研究センターでは、センターでは、新しい技術が社会に与える影響について様々な研究を分野横断的に行っており、医療分野における新しい技術についても今後関係各位と意見交換を進め研究を進めて参りたいと存じます。

各部の概要については、以下をご参照下さい。

Ⅰ基調講演:

1.日本(医療イノベーション推進の基本的考え方)

  • 新しい医療として発展しつつある個別化医療、再生医療等を推進するための環境整備を実施し、医療システムを抜本的に変革する
  • 日本発の革新的な新薬・医療機器や再生医療等の技術を産み出す環境を整備し、日本の成長産業を創出する
  • 医療の質を上げつつ医療費の増大を抑える、費用対効果の高い医療を実現する

2.米国(個別化医療と予防医療)

  • 公衆衛生は、世界的な課題である。特に慢性疾患、人口の高齢化、感染症の拡大、健康格差が課題である。先進国では、肥満、糖尿病、心臓病、がんへの対策が急務となっている
  • 健康は、遺伝、環境、その他の確率統計的な事象によって決まる。遺伝学の発展とともに、今日はかつてないほどに、治療や予防に関するイノベーションを実現できる可能性が高まっている。それと同時に、我々は社会、規制、倫理、法、そして経済的な問題に直面している。
  • がんに関する研究やワーファリンの実例を交えて、個別化医療と予防医療をめぐって倫理、規制、医療経済などの諸問題について説明された

3.欧州(ヘルステクノロジーアセスメントの展開)

  • 1987年にスウェーデンでスタートしたHTAは、現在、何らかの形で欧州全土で行われるようになった
  • 英国国立最適保健医療研究所(National Institute for Health and Clinical Excellence, NICE)では、ある治療が費用対効果に優れているかどうかを判断するために、当該治療の必要性と医療上の価値を計る一般的な指標が生み出された
  • ドイツでは、平等な医療を保障する見地から、費用対効果分析のために英国で採用された指標が使われていない。もっとも、それは医療財源の制約を無視するという意味では決してなく、ニーズや社会的な価値を考慮するということ

Ⅱパネルディスカッション1:医療イノベーションの現状と未来への期待

  • 医療イノベーションの基盤として、安全規制と価格面の規制の両方が大きな役割を果たしているが、研究開発から上市までの時間を短縮するには、医薬品と医療機器などのように医療関連製品にある特性の違いに鑑みた規制が重要ではないか
  • 新しい医療技術を導入するにあたっては、安全性の確保のために臨床研究や臨床試験へのスムーズな移行、被験者保護、医療情報の利活用による効果的な市販後調査が欠かせないのではないか
  • テクノロジーアセスメントで用いられる指標は、各国で異なりうるものであり、実際の判断は、経験上極めて難しいものとなる

Ⅲパネルディスカッション2:医療イノベーションの促進と社会基盤の整備

  • 医師の偏在、研究開発の停滞、医療提供に伴う法的責任、ドラックラグやデバイスラグ(デバイスギャップ)、新規医療関連製品や医療技術の導入に対するインセンティヴの低さなどの問題を、経済の停滞と社会保障関係費の増大に直面しながら解決してゆく過程にある
  • 公的医療保険制度の中で産業政策を実現することに伴う問題、イノベーション評価に伴う費用、公定価格を設定する際に費用対効果の導入についてさらに検討が必要
  • よりよい規制を模索する際には、相互理解と一体感の醸成のためにも、情報生産機能を強化する必要があるのではないか
  • 高齢化や医療の高度化などにより医療費が経済の伸びを上回って増大するなかで、公的医療保健制度の持続可能性・安定性を確保するためには、サービス提供体制と保険制度の見直しによる給付の重点化・制度運営の効率化が必要ではないか

(文責:佐藤智晶/政策ビジョン研究センター特任助教)