ポイント
- 環境技術、21世紀に入り「知の爆発」状態に
- 学術研究で特許化できる技術の知見多い
- 特許制度全面見直しに際し、重点テーマに
有望技術、早く権利化 大学側の意識改革も必要
2009年度の補正予算には、太陽電池、燃料電池、蓄電池、有機エレクトロ・ルミネッセンス(EL)など、日本が持つ革新的な環境技術への支援策が盛り込まれ、環境投資を景気浮揚につなげる日本版グリーン・ニューディールが1つの柱となっている。また先日、政府が発表した初年までには15%削減するとの温暖化ガスの中期目標で、その中核技術として期待されるのも、太陽電池やエコカーである。このように注目される環境技術の領域では、21世紀に入り、大学などでの知の創造スピードが加速し、学術論文の量も膨大になっている。
特許による権利保護は、発明へのインセンティブ(誘因)付与と情報公開でイノベーションを促進する面と、権利の囲い込みでイノベーションを妨げるという両面の効果を持つ。今後、環境技術の市場化に向けて特許権の取得が考慮される際にイノベーションを促す方向で権利を保護する場合、新規性の判断で膨大な学術論文との関係を適切に把握して審査に反映できるか、大学からの特許出願を効果的・戦略的に行えるか、といった点が重要になる。以下では、学術研究と産業技術の距離(サイエンスリンケージ)の接近に焦点をあて、特許制度や運用の改革を考えたい。
革新的な環境技術の創成を目指した学術研究が盛り上がりを見せている。米トムソンISI社の英文論文データベースを使ってキーワード分析すると、1950年代半ば以降、燃料電池については約3万本、蓄電池では約7万本、有機ELは4万本もの学術論文が出版されている。それらの出版時期は、平均を計算すると2000年前後であり21世紀に入ってからの10年に満たない知の生産量とそれ以前の四十数年間の生産量がほぼ同じなのである。まさに「知の爆発」と呼ぶべき状況であろう。こうした膨大な学術知識は、地球環境問題解決の鍵として期待されるグリーン・イノベーションに対し大きな可能性をもたらしている。
太陽電池を例に、学術研究の動向と特許で示される産業技術との関係をもう少し詳しく見てみよう。太陽電池分野では3万本の論文が発表されている。発表件数は、近年、指数関数的に増加し、足元では年間3500本となっている。この勢いが続けば、5年程度で学術知の世界は塗り替えられることになろう。
論文群を棺互の引用関係に着目して分類すると、シリコン系、化合物系、色素増感型、有機系という4つの主要領域が浮かび上がる。シリコン系は現症の太揚電池の主力で、論文数は最多だが、研究のピークは過ぎている。有機系や色素増感型は、次世代の太陽電池の候補として期待され、研究が活発化している新方式であり、この勢いが続けば近い将来、シリコン系を追い抜くものと予想される。国籍別にみてみると、日本の大学・研究機関は、4領域すべてで世界のトップグループを走っている。
次に、東京大学イノベーション政策研究センターの梶川裕矢講師・柴田尚樹助教との共同開研究を基に、学術研究と特許との対応関係を立体的に示してみた(図)。これによると、まず学術研究は太陽電池を構成するセルに集中する一方、特許はパネル、集光器、電極、バッテリーなどの周辺機器に及んでいることがわかる。学術と産業技術研究のすみ分けとしてうなずける結果といえよう。
注目すべきは、太陽電池の心臓部にあたるセルに関し、学術研究では4領域があるが、特許では有機系や色素増感系に関する技術がほとんど見られない点だ。変換効率や製造コストを考えると、10〜20年後に実用化が予想される革新的技術であり、特許化の対象としてはまだ早いと考えられているのであろう。
以上から見えてくるのは、特許出願、権利取得という行為としては顕在化していないが、将来、特許化の対象として有望な環境技術に関する知見が学術研究の中から大量に生み出されているという事実である。特許が引用する学術論文の数という単純な指標でサイエンスリンケージを測ると、日本の産業技術は米欧と比べてリンケージが弱いと評価されてきた。しかし、先の事実から、日本が強みを持つ環境技術について、今後、サイエンスリンケージは大幅に強まることが予測できる。日本の特許は、主に産業技術の関じた世界を想定した制度設計や運用がなされてきた。実際、特許庁が新規性の判断の際に先行技術調査の対象としてきたのは、主として既存特許であり、学術論文まで調査するケースは少ない。また関連する学術文献を短時間で効率的に探し出すシステムも整っていない。大学側でも、大学等技術移転法の制定以降、知的財産権本部や技術移転機関(TLO)といった体制整備を行ってきたとはいえ、国際競争の激しい分野において、多様な手法を用い、特許出願を迅速かつ戦略的に行える基盤が十分あるとはいえない。また、どこまでを公共の知として提供し、どの部分を権利として主張するかという知的財産管理の哲学も定まっていない。
現状では、特許の出願と審査の両面で、サイエンスリンケージの強まりに対する準備ができているとはいえない状況にある。審査の面では学術論文の調査が不十分なままに判断が行われた場合、本来、新規性の乏しい発明に権利付与が行われ、社会的公正さが損なわれたり学術知識の活用が不当に妨げられたりすることになりかねない。裁判に持ち込まれ権利が無効とされるケースが増加すれば、特許権の安定性も失われ、権利の移転やライセンスによる技術普及の妨げとなろう。大学の側では、出願に過大な時間を要したり、権利として価値を生む範囲をカバーする出願ができなかったりした場合、手が届きうる権利を他の国に渡す結果になりかねない。
日本がグリーン・イノベーションに関し、世界の先駆者となるには、サイエンスリンケージの強まりに対応した改革が欠かせないといえる。
そこで、具体的に以下の3つを提案したい。
第一は、学術文献と特許の双方を視野に置いた「シームレス検索エンジン」の開発である。論文、特許ともに既に膨大な量が存在するため、幅広に抽出したのでは物理的に調査が不可能である。関連性の高いものだけを選び出す検索精度の高いシステムがあれば、学術文献を含めた先行技術調査が可能となろう。
第二は、日本版「仮出願制度」の導入である。米国では、特許請求の範囲の明示と要約などの提出は必要なく、明細書と図面のみで仮出願した後、1年以内に本出願に移行できる仮出願制度が設けられている。この制度のメリットは、比較的簡便な手続きで行える仮出願の日付(仮出願日)で早い出願日を確保できる点にある。
環境技術を生み出す母体となる大学は民間企業と比べ出願支援体制が脆弱(ぜいじゃく)である。研究開発競争が激しい分野では、権利確保に早期出願が欠かせないことからこの制度は助けとなる。
第三は、国内の大学で、国際競争上、重要性が高く評価される技術が生まれた場合、その特許出願をサポートする「ドリームチーム」を編成することだ。特に、環境技術は、幅広い大学が先端研究に従事しており、どこで有望な技術が生まれるか事前に予測することは難しい。また、可能性のある全大学に強力な支援体制を整備することも現実的ではない。そこで、国全体で国際出願にも対応しうる各種専門家からなるチームを用意しておき、有望技術が生まれた現場に派遣するような仕組みをつくるのである。
特許庁では、現行特許法の制定50周年の節目を迎える今、「特許制度研究会(長官の私的諮問機関)」を設け、イノベーション促進の観点から特許制度の包括的な見直しの検討を進めている。サイエンスリンケージの強まりへの対応を重点テーマの一つとして位置づけ、迅速な取り組みを期待したい。また、大学の側には、公共の知の創造拠点という民間企業と異なる使命があることも踏まえ、研究成果の公開や権利取得の基本理念に関する議論を深めることを望みたい。