政府、リスク管理手法磨け

東京大学公共政策大学院 客員教授 林良造

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この文章は日本経済新聞「経済教室」に 2009年10月22日に掲載された原稿です。

林良造 教授

ポイント

  • 様々なリスク、政府も共通の尺度で管理を
  • 民間の仕組みや英国政府などの例参考に
  • 政策決定過程の透明化・客観化を第一歩に

民間に倣い、統合的に 機能不全正し、信頼を回復

1980年代以降、米国で大型の企業破綻が相次いだ。破綻の直接の原因は様々であったが、それを契機にリスク管理に対する関心が急速に高まった。そうした流れの中、コーポレートガバナンス(企業統治)や内部統制、さらには様々なリスクを共通の尺度で評価する統合リスク管理(ERM)などに関し、企業経営者が適切にリスクを管理することを担保すべく、制度的な整備も進められた。

この背景には急速なグローバル化や技術進歩に対し、従来のやり方や組織では十分対応できなくなったことがあるが、同様の影響は、国家や政府機構でも生じている。

例えば技術進歩にもかかわらず副作用を恐れるあまり新薬が承認されにくい問題が起きている。温暖化ガス削減でやみくもに高い目標を設定すれば経済成長は阻害されかねない。国際テロに備えどの程度のコストをかけるべきか。

政府の役割とは、自然や人為的な大規模な破壊による被害を予防・軽減し、経済の長期的停滞や破局を防いで持続的発展を可能にし、新たな技術の及ぼす影響に留意しつつその恩恵を国民が最大限享受できるようにすることだ。だが政府が直面する問題は多様化・複雑化し、政府が機能不全を超こし信頼性を揺るがせるケースが増えている。そこで政府もリスク管理の視点を導入、リスクを常に監視してなるべく同じ尺度で統合的に管理し、最新の手法で効率的に対応することが望まれる。

各国は様々な試みを行っている。特に英国では、財政赤字問題に加え、BSE(牛海綿状脳症)やコンピューター誤作動が心配された2000年問題への政府の対応に不信が高まり、当時のブレア首相の指示で02年にリスク研究報告書がまとめられた。

特に強調されたのはコミュニケーションの重要性だ。政府の最も重要な役割は、直面するリスクに対する最善の対策を国民自らが選び、政府が行う措置を的確に判断できるよう、偏りのない情報を提供することだという。それを左右するのは政府の信頼度いかんであり、このため行政機関の強力なガバナンスと透明性が重要であるとされた。

リスクの様相変化に伴う政府の機能不全と信頼性の喪失は日本も例外ではない。80年代までは高い評価を得ていた日本の政策決定プロセスは、90年代のバブル崩壊以降の長期不況で評価が一転。国民の信頼は急速に失われ、規制改革の遅れや財政赤字問題の深刻化、不明朗な政策の優先付け、新たに出現した技術への対応、行政機関のさまざまな不祥事など広範囲にわたり問題が指摘された。

そうした信頼回復の手がかりを考える上で、民間企業で発達してきたリスク管理をめぐる仕組みや英国など諸外国での公的機関のリスク管理の取り組みが参考になる。

まず統合的リスク管理を効果的に働かせるには、事業執行の最高貴任者が、ステークホルダー(関係者)の利益最大化に向け責任ある判断をする制度になっているか、また組織全体が最高賞任者の意思を実現するよう行動することを保証しているか、という基本設計が前提となる。

政府では、企業の場合のように「企業価値の最大化」というように単純化はできない。また国民の一時的な意思や権力者の恣意(しい)性を排除するための、政府機構内で相互にけん制する仕組みが組み込まれている。国民の意思の集約方法とその政策としての実行の担保に関しては、さまざまなパターンがある。

小泉郵政選挙以前の日本の国政選挙では、有権者が政権政党の政策を明確に選択するという傾向は薄かった。したがって政策の企画立案では、執行機関でもある縦割り型省庁の官僚機構が果たす割合が大きかった。特に立法プロセスでは、担当省庁が、主要利害関係者を集めた審議会での答申、強力な党議拘束を伴う与党内の合意、閣議決定といういずれも〝全会一致" が原則の3層のコンセンサス構造の下でぎりぎりの調整を行い、内閣を通じ実質的最終案を提出する。この結果、首相が目に見える形で指導力を発揮する余地は限られていた。

こうした従来型の硬直的な政策決定システムは、国民の強い不満を受け、大きく変化しつつある。小泉純一郎政権は、大臣を通じて各省を指揮し、多数決による決定を活用して思い切った改革を実現しようとした。さらに政権交代に伴って、政策決定プロセスの透明化、合理化が大きく進む期待が高まっている。

一方各省庁内部でも、縦割りの分権的な構造の結果、内部統制は必ずしも貫徹されていなかった。これは多数の省庁で頻発した不祥事でも明らかであり、政府の信頼感喪失の程度は大きい。改めて民間の実務も参考にしながら政府内の内部統制メカニズムを再点検し、人事・業務上の監督部局の責任と権限の明確化が急務である。特に内部統制が弱くなりがちな専門分野ごとに人事的に独立している部局では、外部監視を通じた建設的批判を入れる社外取締役のような仕組みの導入や積極的な人事交流、内部統制の有効性を第三者が確認する仕組みの導入などが不可欠である。

政府の統合的リスク管理を働かせるための第二の重要な要素は、通常の政策決定過程の中で、国家全体のリスクを不断に見直し、リスクの蓋然(がいぜん)性・被害などを科学的に分析・評価し、省庁横断的な効率的資源配分と政策評価に裏打ちされた合理的な処理方針を選ぶことだ。

国家全体の直面するリスクに対する認識と対応は施政方針演説や財政演説などで示される。だが実質的な検討は、一部を除き個々の省庁に委ねられ、標準化されておらず、他省庁のベストプラクティス(最良の慣行)を参考に改善が図られることは少ない。

米国の国家安全保障会議事務局のように常時リスクを発見・評価し、各省を指揮して責任を持って対応方針を決定する能力のある機関を設け、首相の統合的な判断を支える体制を整備する必要がある。その成否は適切な人材の確保にあり、長期的には、専門性や独立性を備え、政策決定の基本要素に習熟した人材が育つ環境をつくるべきである。

予算編成過程を通じた、政府による政策資源の効率的な配分とマクロ的な規律は国家の最も重要な機能である。だがわが国の予算編成過程では、シーリングなどによる一律削減方式が一般化し、個々のプロジェクトの効率性やリスク間の政策資源の分配の合理性が保証されず、その中で財政赤字が急速に拡大した。

これをリスク管理の視点でとらえ直せば、信頼回復に向け、分野間の優先度の決定、マクロ的規律との調整、個々のプログラムにおける効率性の追求など、編成過程を国民が見えるように改革することが基本となる。その上で、これらの点での透明性・客観性が増すよう公会計制度を見直し、定量的な政策評価を徹底するとともに決算プロセスを厳格化することが重要だ。

国家によるリスクへの対応のもう一つの形は規制だ。中でも医療産業分野は世界の各国で公的機関のリスク管理の代表例であり、規制のもたらす利益とコストを反映する制度設計と理念的論争にとどまらず、具体的データに基づいた運用が求められる。

このためレギュラトリーサイエンス(規制科学)に基づく合理的・科学的基準づくり、それを継続評価し迅速にフィードバックして市場の価格シグナルとインセンティブ(誘因)を最大限活用できる保険などの制度設計が必要になる。また整理された研修プログラムを経た専門的知識を持った人員の適切な配置、制度・政府への信頼確保に向けた情報の積極的公開、プロセスの透明化なども望まれる。

これらの政府のリスク管理で、官僚機構が実質的に担う部分は極めて大きく、官僚機構のリスク対応能力が国家のリスク管理能力を左右するといっても過言ではない。その強化に向け、国民へのコミュニケーション能力を高め、海外の知見も取り入れながら官民で共有を図り、ベストプラクティスを浸透させる必要がある。それには、省庁横断的な人事異動や官民の人事交流の活発化や、政府内外の教育・研修プログラムの拡充といった工夫が求められよう。

林良造(はやし・りょうぞう)
48年生まれ。京都大卒。元経済産業省経済産業政策局長