経済教室(杉光一成) 知的資源大国へ戦略持て

金沢工業大学教授、政策ビジョン研究センター客員研究員 杉光一成

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この文章は日本経済新聞「経済教室」に 2010年10月19日に掲載された原稿です。

杉光一成 教授

ポイント

  • 従来の「知的財産立国」は国内政策に偏重
  • 日本の知的資源、有効活用されず海外流出
  • 海外で知的財産権侵害の取り締まり強化を

輸出拡大の新政策を −権利の活用、欧米に見劣り−

「知的財産立国」宣言から既に8年が経過した。今こそ政策を見直し、これからの日本は「知的“資源"立国」を目指して進むべきだ。

政府が2002年にまとめた知的財産戦略大綱によれば、「知的財産立国」とは「発明・創作を尊重するという国の方向を明らかにし、ものづくりに加えて、技術、デザイン、ブランドや音楽・映画等のコンテンツといった価値ある『情報づくり』、すなわち無形資産の創造を産業の基盤に据えることにより、我が国経済・社会の再活性化を図るというビジョンに裏打ちされた国家戦略」である。

ところが、この戦略大綱は、「無形資産の創造を産業の基盤に据える」と、その結果としてなぜ「我が国経済・社会の再活性化」が図られるのか、その「経済的な仕組み」については触れていなかった。ここに当時は想定できなかった大きな問題点があった。例えば、日本企業同士で知的財産権のライセンスフィー(使用料)を支払った場合、それがどれほど「我が国の富」を増大させたことになるのだろうか。

我が国の先端技術、あるいは「クールジャパン」と呼ばれる漫画やアニメなど、日本人の生み出した「知的財産」は、諸外国から高く評価されてきた。実は、こうした「無形資産の創造」が「我が国の富」を増大させる最も明確な場面は、その無形資産を海外で活用し、外貨を獲得するビジネスである。これは無形資産の「輸出」と考えることができる。

従来のスローガンには、この視点が欠如していた。その結果、国内に視点を向けた「対内的」政策が「知的財産立国」政策の中心となっていった。その象徴的な例として05年の法改正による「知的財産高等裁判所」の設置がある。

知的財産高等裁判所の設置は、「知的財産立国を目指す日本」という印象を国内外に植えつけたという「看板」効果を除けば、日本の富をどの程度増大させたのか必ずしも明らかではない。これ以外の法改正も同種のものが多い。つまり、根本的問題は、どの程度まで「日本の富」を増大させる結果を出すのかはっきりしない「国内」政策に重点が偏りすぎていた点にある。

中東の石油産出国は、石油を外国に輸出することで国富を増大させている。我が国の持つ技術やコンテンツなどの「知的財産」も一種の「資源」ととらえることができる。ある日本企業が最先端技術を開発し、外国において特許権として確立し、現地企業よりも有利に事業を展開し、あるいは現地企業にライセンスを供与すれば、いずれの場合でも外貨を得ることができる。

日本のアニメやゲーム等のコンテンツについて、海外市場で興行的・事業的に成功した場合も同様だ。日本企業が外国から外貨を得れば、わが国の富が増大することは明らかだ。このように知的資源は天然資源のアナロジー(類推)として見ることができるが、重要な相違点がある。まず、知的資源は「無限」である。石油は将来的に枯渇すると考えられているが、知的資源は、人間が思考をやめない限り、無限に産出される。

他方、知的資源の「もろさ」を象徴する相違点もある。知的資源は無体物であり、究極的には単なる「情報」にすぎないという点である。例えば、有体物の石油を他国から盗むことは容易ではないが、知的資源は「流出」しやすく、しかも一度流出すると回収するのはほぼ不可能だ。

知的資源は情報であるから、その排他的管理は容易ではない。しかも、それが特許権のような技術的情報の場合、権利を各国で独立の審査を経て取得する必要がある。また、特許は基本的にすべて一般に公開されることになっているため、例えば、日本の最先端技術について外国で権利を取得しなかったり、あるいは権利を取得しても盗用者の取り締まりがなかったりすれば、結局、日本の「知的資源」がその国に流出したことになる。

アニメなどコンテンツの知的財産権の場合は、外国への申請はほぼ必要ないものの、例えば日本の映画館内で違法に撮影されたものがごく短期間に海外へ流出してしまっているのが実情である。この分野では諸外国における取り締まりが重要となる。

ここで「知的資源立国」とは何かがおのずと明らかになる。すなわち、知的資源の国外への流出を最小化し、輸出(外国で取得した権利を有効活用した海外事業収入および外国企業からのライセツス収入)を最大化することで国富を増大させることを目標とする国家戦略である。

この観点から見ると、米国は自国の知的財産権侵害の取り締まり状況について関心が高く、不十分な国には外交的に圧力をかけるという政策をとってきた。他国への制裁措置を定めた通商法スペシャル301条がその象徴であり、最近では中国を優先監視国の筆頭として公然と批判してもいる。このような意味において、米国は「知的資源立国」の先駆けといえよう。

これに対して、日本はどうであろうか。アジア諸国における知的財産権の保護が不十分な国に対して、米国並みの断固たる外交的措置は全く見られないのが実情だ。

08年のデータでは、日本人・法人の日本国内での特許出願は約33万件で「国内」出願数では世界一であった。これをもって日本は「特許大国」であるといわれることがある。しかし、先に述べたように国内出願だけして外国に出願しなかった先端技術はすべて、国外に流出してしまう可能性がある。このような視点はこれまであまり議論されてこなかった。

この観点でデータを見てみると、日本の約33万件のデータの特許出願のうち、国内出願だけして外国で出願しなかった全体の76.7%の知的資源は、国外に流出した可能性がある。年間約25万件もの先端技術を外国へ流出させている日本は、実は世界で一番の「知的資源“流出大国"」だったのだ。

「知的資源立国」を目指す場合、知的資源の国外流出の最小化を志向することになる。産業財産権(特に特許)の場合、自国に出願するのみでなく他国にも出願する比率、すなわち「グローバル出願比率」が重要な指標となる。この指標が、米国は50.6%、欧州は62.6%(いずれも07年)であるのに対し、日本は08年で23.3%にとどまるのである。

経済産業省「コンテンツ産業の成長戦略に関する研究会」が今年5月にまとめた報告書によると、日本のコンテンツ産業の現在の国内外売上高15兆円のうち海外はわずか0.7兆円であり、海外売上高比率は4.7%にとどまる。輸出という視点で見る限り、「クールジャパン」のクールは実は「お寒い」という意味かと思えるような状況にある。

最後に日本がこれから「知的資源立国」を目指す場合の具体的な政策の例を掲げる。

まず、諸外国におげる知的資源の無断利用に対して取り締まりをしてもらえなければ知的資源は絵に描いた餅(もち)である。したがって、模倣品・海賊版拡散防止条約の交渉などを含む外交政策をさらに強化し、知的財産権侵害の取り締まりが緩い国に対しては毅然(きぜん)とした態度で臨むことが必要となろう。

次に、日本貿易振興機構(JETRO)が行ってきたような諸外国における情報収集と、諸外国における権利取得および権利行使を支援する体制の強化である。

さらに、優れた技術やコンテンツをもつにもかかわらず外国市場に関心のない日本企業もあり、知的資源が諸外国に流出するかもしれない。そのような場合は、外国に関する権利のみをその企業から国が譲り受け、諸外国における「国有財産」として保有し、活用するなど、今までは考えられなかったような政策案も視野に入ってくるであろう。

このように、知的財産を一種の資源として外国に輸出して国富を増大させることを国家の目標とする「知的資源立国」という明確かつ分かりやすいスローガンを掲げる必要がある。そうすれば、国内のみでなく「海外」を視野に入れた様々な新たな政策オプションを生み出していくであろう。そして日本が、「知的資源大国」となって世界をリードするための一助となる、と確信している。

杉光一成(すぎみつ・かずなり)
東大修士(法学)課程修了、東北大博士(工学)。弁理士。専門は知的財産権