全人代から見たマクロ経済運営の課題

この記事は日本経済新聞「経済教室」に
2012年4月24日に掲載された元原稿です。

全人代から見たマクロ経済運営の課題

政策ビジョン研究センター客員研究員 田中修

ポイント

1.マクロ経済運営の基本は経済成長・物価・社会の安定維持

2.地方政府債務・住宅価格・民間金融が当面のリスク

3.高い成長よりも構造改革を進め持続可能な成長を実現

3月5−14日、全国人民代表大会(全人代)が開催され、温家宝総理が政府活動報告を行った。本稿ではこの報告を中心に、2012年の中国のマクロ経済運営の課題を明らかにする。

 2011年の中国経済は、金融の引締めと欧州ソブリン危機の影響により、GDPの実質成長率が四半期ごとに低下した(図参照)。特に、4−6月期から7−9月期の成長率の落込みが大きかったため、10月から11月にかけてマクロ経済政策のあり方をめぐる論争が発生した。即ち、①このままでは経済はハードランディングに陥るとして、金融政策・住宅政策の緩和を求める意見と、②インフレと住宅価格の急上昇を抑えることを最優先し、多少成長が減速しても当面は引締め気味の政策運営を継続すべきだとする意見が対立したのである。

中国 実質GDP成長率及び消費者物価上昇率の推移 (前年同期比 /単位: %)

このため、例年11月末から12月上旬に開催される中央経済工作会議も、12月12−14日開催と大幅に遅延した。そしてこの会議で決定された経済政策の基本方針の決定を踏まえ、政府活動報告(以下「報告」)の草稿が作成されたのである。

 以上の経緯を受け、報告の構成にも変化が生じた。「経済の平穏で比較的速い発展」が政策順位の筆頭項目となり、これまで筆頭項目であった「物価総水準の基本的安定の維持」が第2位となった。これにより「経済成長の安定維持」が2012年のマクロ経済運営の最重要課題であることが明らかにされたのである。

 中国のインフレは2010年後半から加速していたが、金融引締めの効果もあり2011年7月の6.5%をピークに、次第に上昇率は鈍化していった(図参照)。特に本年2月の消費者物価上昇率が3.2%であったことから、インフレ防止は当面最重要課題ではなくなった(ただし、3月は3.6%に再上昇)。このため、2012年の成長率とインフレ目標は次のように定められた。

(1)GDP成長率 7.5%(昨年の目標は8%前後、昨年実績は9.2%)この成長率目標の下方修正につき報告は、「更に長期に、更に高水準で、更に質のよい発展を実現することに資する」としているが、国家発展・改革委員会の「経済報告」は更に具体的に考慮した点として、①内外経済情勢の厳しさ、②第12次5ヵ年計画の目標(平均7%成長)へのリンク、③資源・環境の制約、を挙げており、温家宝総理は3月14日の内外記者会見において、「これは主体的にコントロールした結果であり、構造調整のためである」と説明している。高成長を無理に続け、資源・環境を浪費するよりも、多少成長率が鈍化しても構造調整を進め、持続可能な成長を目指すことを指導部は選択したのである。

(2)消費者物価上昇率 4%前後(前年と同様、昨年実績は5.4%)やや高めの目標を維持した点につき、報告及び「経済報告」は、①賃金の上昇等のコストプッシュ・インフレの圧力、②世界的な流動性過剰、③庶民の受容力の限界等を総合的に考慮したとする。3月の消費者物価は3.6%と再び上昇を速めており、物価の安定化・コストプッシュ・インフレへの対応は今後の長期的課題である。

報告は、2012年のマクロ経済政策の基本的考え方としては、「穏」の中で「進」を求める(安定の中で前進する)ことを堅持し、「経済の平穏で比較的速い発展と物価総水準の基本的安定の実現に努力し、社会の調和のとれた安定を維持することにより、経済社会の際立った成績により18回党大会を成功裏に迎えなければならない」とする。2012年は18回党大会が開催されるため、社会の安定維持が特に強調されているのである。

財政・金融政策については、「積極的財政政策と穏健な金融政策を引き続き実施し、情勢の変化に応じて適時適度な事前調整・微調整を行い、政策の的確性・柔軟性・展望性(予見性)を更に高めなければならない」とする。

2012年度は成長維持のために一定の財政赤字を維持しつつも、その対GDP比を1.5%前後に引き下げることで、財政の健全性確保にも配慮している。また、小型・零細企業やサービス業に対する減税策も掲げられている。

金融政策については、「総量を適度に慎重かつ柔軟に調節するという原則に基づき、経済の平穏で比較的速い発展の促進・物価安定の維持・金融リスクの防止を併せ考慮する」とする。「穏健」の表現は維持されているが、金融政策の「微調整」は既に進められており、人民銀行は昨年12月と本年2月に計2回預金準備率を引き下げている。ただし、これは金融政策の全面転換ではなく、例えばM2の増加目標は14%と昨年の16%より厳しく設定されている。また、小型・零細企業への貸出支援を強化するとしている。

さらに、金融リスクの防止が強調されているのも今回の特徴である。この金融リスクは、具体的には、①地方政府債務の償還リスク、②住宅価格急落による住宅関連融資の返済リスク、③資金逼迫による民間金融の破綻リスク等が考えられる。

地方政府の債務管理とリスクの防止については、地方政府の融資プラットホーム会社を更に整理・規範化するとともに、地方政府が新たに債務を増やすことを厳格に抑制するとしている。住宅価格については、温家宝総理は会見において、「住宅価格は合理的な価格にはほど遠い」としており、報告では住宅価格の合理的回帰を促進するとともに、中低所得者向けの住宅供給を増やすとしている。民間金融については、温家宝総理は会見において、「民間金融の発展がわが国の経済社会の発展の需要にまだ適応できていない」とし、浙江省温州で民間金融総合改革のテストを実施することを明らかにしている。

人民元レートについて報告は、「(上下)双方向への変動の弾力性を強化」するとしており、温家宝総理は会見において、「人民元レートは既に均衡水準に接近している可能性がある」と述べている。また報告では金融制度改革として、金利の市場化を深化させ、人民元の資本項目の兌換化を段階的に推進するとしている。

 経済成長の重点を投資から消費に転換することは、胡錦濤指導部の「発展方式の転換」の重要な柱の1つである。報告は、「所得分配構造の調整に力を入れ、中低所得者の所得を増やし、個人消費の能力を引き上げる。個人消費を奨励する政策を整備する」とする。また、社会保障体系の整備では、2012年末には、新型農村社会年金保険と都市住民年金保険制度のカバー率を100%にするとした。これは、セーフティネットの構築により、個人貯蓄を消費へと向かわせる消費振興策でもある。

投資については、「構造調整に対する政府投資の誘導作用を強化し、建設中・継続建設中の重点プロジェクトを優先的に保証し、国家重大プロジェクトの着工・建設を秩序立てて推進する」としており、政府投資拡大による景気下支えを図っている。また、民間投資を奨励・誘導し、民間資本が鉄道・市政・金融・エネルギー・電信・教育・医療の分野に参入することを奨励するとしている。この点につき、国家発展・改革委員会の張平主任は記者会見で、今年前半に実施細則を打ち出す旨明らかにしている。

外需については、「わが国経済発展に対する外需の重要な役割を決して軽視してはならない」とし、2011年の輸出入総額の伸びを10%前後と設定するなど、貿易収支の黒字縮小のなかで輸出の伸びの確保を図っている。

以上のように、胡錦濤指導部は任期の最後に当たり、経済の減速傾向の中で2008年のような大型景気刺激策を発動するのではなく、一定の成長率を維持しながら構造調整を着実に進めることにより、持続可能な経済発展への道筋をつけようとしているのである。