原子力規制組織 残された課題
この記事は日本経済新聞「経済教室」に 2012年5月15日に掲載された原稿です。
ポイント
- 自民党案は政府案より独立性など踏み込む
- 専門的人材育成のためには両案とも不十分
- 米国では保険料に自主規制組織の評価反映
自治体の関与、規定明確に
大震災に起因する東京電力福島第1原子力発電所の事故の教訓として、津波評価などの最新知見に対する十分な感受性を持っていなかったことなど、原子力安全規制組織の専門能力の問題が指摘されている。また、シビアアクシデント(過酷事故)対策の遅れにみられたように、事業者に対する自律的関与も不十分であった。そのため、事故後の対策として安全規制組織の再検討が不可欠となっている。
さらに現在、大飯原発の再稼働問題が注目される中で、地元の地方自治体が再稼働の前提の一つとして挙げる原子力安全規制組織の発足の遅れが、問題となっている。
政府は昨年8月、原子力安全規制に関する組織等の改革の基本方針を閣議決定した。四月には原子力事故再発防止顧問会議が提言をまとめた。これらを踏まえて、今年1月に原子力組織制度改革法案などを閣議決定した。一方、自民党は昨年四月に原子力規制組織に関するプロジェクトチームを設置し、今年4月に対案となる法案を提出した。
それでは、政府案と自民党案の違いをみていこう。
第一に、双方とも独立性の強化を主張するが、その内容が異なる。政府案では、原子力発電推進を担ってきた経済産業省からの実質的独立性を確保するため、環境省に原子力規制庁を設置するとしている。現に存在する縦割り体制を活用した現実主義的な案だといえる。内閣府への設置案も浮上したが、金融庁、消費者庁、食品安全委員会といった様々な機能が混在する内閣府では実質的独立性の確保が困難だと判断されたようだ。
自民党案は、経産省だけでなく、環境省を含む他の政府組織からの独立性を強調している。そのため大臣が長官を任命する庁ではなく、委員が独立して職権を行使できる行政組織法第3条に基づく原子力規制委員会を設置することとし、委員の任命は国会同意人事とした。委員の任命が政治化するリスクはあるが、超党派的に原子力安全規制を運用できる可能性もある。
第二に、一元化の範囲については自民党案が踏み込んでいる。両案とも従来の原子力安全規制に加え、テロ対策などのセキュリティl規制を統合している点では同じだ。使用済み核燃料の管理や冷却用海水ポンプ・非常用発電機の配置など、安全対策とテロ対策の対象に重なりがあることを考えれば適切だといえる。
両案は線量目標を設定する放射線審議会を統合する点でも同じだが、自民党案が日常的モニタリング(監視)も含めて一元化の対象とする点では異なる。さらに自民党案では、核不拡散を目的とする核物質の計量管理などの保障措置も一元化するとしている。核物質の兵器への転用を防ぐという観点で海外では保障措置とセキュリティー規制を一体的に考える傾向が強いことや、組織的にも米国やフランスでは保障措置、セキュリティー規制、安全規制を一体的に扱っていることを考えると、妥当な提案だと考えられる。
第三に、災害時における原子力安全規制組織の在り方も異なる。政府案では、災害時には原子力規制庁は内閣の原子力災害対策本部の下で統合的に活動することが期待されている。一方、自民党案では、災害時も原子力安全規制組織の独立性を維持するとしている。ただし、担当大臣を別途置き、所掌事務を明確に分けたうえで、原子力規制委員会の事務局たる原子力規制庁が原子力災害対策本部を補佐することは否定していない。
第四に、専門的人材育成の必要性も双方が強調するが、その在り方は異なる。政府案では、原子力規制庁を環境省の中に置くことで、その担い手についても、経産省の原子力安全・保安院からの人材に加えて、一定数の人材を現在の環境省から投入することを予定している。こうした異種配合により、新たな組織文化の構築を意図している。
一方、自民党案では、ノーリターンルールを幹部のみならず実務者にも適用し、新たな原子力キャリアパスの構築を志向している。独立行政法人の原子力安全基盤機構も規制機関と一体化するとしている。従来、原子力基盤機構におげる専門的知識の蓄積が原子力安全・保安院による安全規制に十分に活用されてこなかったことを考えると有意義だと思われる。しかし、行政改革の観点から公務員数の抑制が主張される中で、原子力安全規制の分野だけを例外扱いできるのか課題も残る。
次に、政府案、自民党案のいずれにおいても積み残された課題に触れておきたい。
第一に、専門的人材育成のためには、両案とも不十分だと思われる。各省や研究・教育機関などと連携した形で、必ずしも原子力安全に限定されないレギュラトリーサイエンス(規制科学)や危機管理の専門家のキャリアパスを構築し、人材確保と育成を図ることが重要である。米国では原子力潜水艦を持つ海軍が原子力に関する独自の人材供給源として重要であった。そうした供給源を持たない日本の場合、より幅広いキャリアパスの構築が不可欠であろう。
第二に、自主保安の再構築である。シビアアクシデント対策の遅れにみられたように、事業者による自主保安への過度な依存は問題だ。しかし、規制機能のすべてを政府が担うことは不可能であり、緊張感を持った自主保安の体制をどのように事業者レベルで再構築するのかが重要だ。
その点、米国で1979年のスリーマイル事故後に、事業者・メーカーによる自主規制組織として設立された原子力発電運転協会(INPO)の経験は重要である。原子力については他社の事故も自社の活動への評価に直接影響するため、お互いに厳しくピアレビュー(事業者間の相互点検)を行う仕組みが構築された。INPOによる評価に基づき保険料を決める仕組みも導入されている。日本では電力会社は異なった炉型を採用していることもあり、相互に口を出すことに慎重であったが、今後は緊張感のある事業者間のピアレビューの文化を確立することが必要だろう。
第三に、地方自治体の役割である。従来、立地自治体は事業者と安全協定を締結し、施設変更時や一定のトラブル後の運転再開時に事前了解を求めるなど、様々な形で実質的に関与してきた。こうした自治体の役割に対しては、立地地域におけるコミュニケーションの担い手として重要だと指摘される一方で、関与の根拠が法的基礎の明確ではない協定であり、また関与の基準が明確ではないという点に関して批判もあった。
今後のプロセスでも、自治体の事実上の役割が大きくなっている。その際、震災の経験を踏まえた国の原子力安全規制の在り方自体が自治体の関心事項になっており、従来のような自治体と事業者との協定のみで解決できる課題ではなくなっている。新たな原子力安全規制機関を前提として、自治体の役割を国の公式の規制の枠組みの中に位置づけることが必要であろう。
具体的には、フランスにおける地域情報委員会のように自治体が国の原子力安全規制機関、地域住民、事業者などの情報共有の場を設定する方式や、安全規制、防災計画の在り方について自治体と国の原子力安全規制機関との協議のメカニズムを規定する方式などがありうる。
政府案と自民党案が出そろったことで議論の土俵は整った。両案には考え方の異なる点もあるが、一元化や専門的能力の確保をはじめ、基本的方向性としては重なる部分も多い。両案では十分触れられていない人材育成、自主保安、自治体の役割も含めて早急な議論の進展を期待したい。