ソーシャルイノベーションが拓く世界 −俯瞰工学の可能性−

産業技術総合研究所、日本経済新聞社主催 イノベーションオンライン(11/19〜20)

坂田一郎 東京大学政策ビジョン研究センター教授 兼 工学系研究科教授

21世紀に入り、我々は、大きな3つの地球的課題(Global Challenges)に直面しています。それは「社会の高齢化」、「小さくなった地球(地球環境問題と資源制約)」、「不安や不信の拡がり」です。

温暖化効果ガスの排出量25%削減が典型例ですが、このような課題は、非常に複雑で、かつ、インパクトが大きいものであるために、従来の路線や知識の延長線上で解決することは困難です。従来の延長線上でなんとか解決できるとしても、別の面で社会に多大な負担を強いることになります。

そこで、「ソーシャルイノベーション」が必要となってきます。ソーシャルイノベーションとは、技術の革新、新たなアイデアの投入と社会システムの改革を組み合わせ、社会の有り様自体を変革することを言います。近年、社会を大きく変えた技術に携帯電話とインターネットがあります。それらは、情報の伝達の頻度やスピードを上げただけでなく、人々を時間や地理的な制約から開放したことで、市場や生活自体も変えました。例えば、知識労働者は、必ずしも、会社のデスクで仕事をする必要が無くなりました。産業革命は、それまで一体であった家庭と仕事場とを引き離しましたが、新技術の登場と働き方の変化によって、再び、家庭と仕事場が接近してきています。社会システムの側では、それに合わせて、裁量労働制やテレワークの導入のための環境整備がおこなわれてきています。

今日、ソーシャルイノベーションにつながりそうな技術やアイデアは、多数生まれています。例えば、スマートグリッド、電気自動車、ウエブ工学、バーチャルリアリティ再生医療、オンデマンドバス、在宅検診キットなどです。現在、OECDは世界から知恵を集めてInnovation Strategyを策定中ですが、提言として、新技術やアイデアによって地球的課題を解決することの重要性とそれを加速するための政策強化を盛り込もうとしています。

一方、ソーシャルイノベーションを阻む「壁」も存在します。一つは、知識の爆発と細分化です。21世紀に入り知識の生産・発信量が爆発的に増加しています。太陽電池、二次電池、ヒートポンプといったエネルギー・環境技術の多くは、21世紀に入ってから生産・発信された知識が人類の持つ知識の半分又はそれ以上を占めるようになっています。そのこと自体は、イノベーションのフロンティアを拡げるものですが、一方で、大量の知識の中から有用な知識を抽出し、組み合わせることは、10年前と比べても数段、難しくなっていると言えます。知識が大量であるが故に、単純な検索では、ヒトが物理的に把握できる限界をはるかに超えた情報量が出てきてしまいます。例えば、DNA研究は、ワトソンとクリックが二重螺旋構造を発見した1953年当時は、年間100件程度でした。それが今日では10万件にもなっていると言われます。溢れる情報をうまくマネイジメントできないと、大量の情報がありながら、“情報の海に溺れ、知識に飢える”結果になりかねません。国家や企業戦略としては、有用な知識を迅速に抽出し、構造化して活用できた者が競争の勝者となりうるといえるでしょう。

今一つの「壁」は、“制度革新の遅れ”です。イノベーションを支える社会的な制度(例えば、法令、ガイドライン、標準、安全基準)の新設や改廃は、国会や審議会等の審議を経る必要がありますが、審議の量やスピードは、過去から余り変わっていません。国会審議や審議会のやり方が変わっていないからです。一方で、社会で活用可能な技術やアイデアの生産スピードは、飛躍的に早まっています。つまり「法律・規制時間」と「技術・アイデア時間」との乖離が拡がっているのです。研究室には、有用な技術やアイデアがあっても、社会や市場が受け入れるための基盤ができていないために、それらが研究室から外に出ることができないという問題が起こります。主として金融市場面の要因で研究室から出たばかりのベンチャーが成長を阻まれる場合が多いことを「死の谷」といいますが、私は、先ほどの制度的要因による壁を「第2の死の谷」と呼んでいます。「規制緩和」の時代は過ぎ、今後は、政府において、「制度創造」というクリエイチィブな活動が重要になってくると考えます。また、制度の立案を専門家コミュニティの手に委ねる部分を増やしていく必要もあると考えています。

「俯瞰工学」は、これら2つの「壁」を克服し、ソーシャルイノベーションを加速することにより、新たな世界を開くことに貢献しうるポテンシャルを持っていると考えます。「俯瞰」とは、いわば、様々な現象が起こっている地上の姿を上空から見渡すようなものです。ナスカの地上絵は、地上ではその意味がわかりませんが、上空からみることによって、全体の姿が把握でき、また、各部の全体構造の中での意味づけも理解できます。「俯瞰工学」の研究では、今日、ネットワーク分析、自然言語処理、検索等の最新技術を活用しながら、大量の知識の構造化、細分化された知識同士の関係づけ、様々な角度からの重要度の特定、課題自体の構造化といったことに関する手法の開拓が進められています。また、これら手法は、技術戦略ロードマップの策定等に活用されつつあります。

今回、ソーシャルイノベーションと俯瞰工学の可能性について、少し拡がりのある議論をしてみたいと考えています。