「高齢者を標準とする社会へ」
NHK「視点・論点」 2009/03/05(木) 教育:PM22:50-23:00 / 総合:AM4:20-4:30(再)
森田センター長出演
わが国は、これから本格的な高齢化の時代を迎えます。
高齢化に伴う問題は、既に年金、医療を始めとして、主として社会保障負担の増加の問題として論じられていますが、国民の多くが将来に不安を抱いているところです。
これまで、高齢化の問題は、人口減少とともに、どちらかといえば農村地域や過疎地域の問題と考えられてきました。しかし、これからは都市部の「団塊の世代」の人たちが高齢化を迎えることによって、その規模の点においても、また生活スタイルの面においても、これまでに経験したことのない課題に直面することになります。
しかし、高齢者の増加は事実の問題です。少子化対策によって人口の増加を図ったとしても、高齢者数がピークを迎えるときに、人口バランスを回復させるほどの効果は期待できないでしょう。したがって、これからのわが国のあり方を考えるときには、高齢者の増加を前提として、すべての国民が「安心して快適に暮らせる社会」の姿を描いていく必要があります。
私の所属しております東京大学の「政策ビジョン研究センター」では、学内外のさまざまな研究プロジェクトの協力を得て、近頃、今述べたような「安心して暮らせる活力ある社会」のあり方を、政策提言の方向性として発表いたしました。
今日は、その取り組みの一端をご紹介したいと思います。
まず第1に確認しておきたいのは、高齢化の実態です。<図1>をご覧ください。これは、2005年、2030年、2055年の人口構成の推計を示したものです。オレンジと赤の部分が示しているように、2005年には20パーセントであった65歳以上の人口の比率が、2030年になると、32パーセント、約3分の1になり、さらに75歳以上の人口が20パーセントを占めています。2055年には、65歳以上が41パーセントになり、75歳以上は27パーセント、約4分の1になると推定されています。そして、それ以後も、人口全体は緩やかに減少しつつも、同様な人口構成が続くと予想されます。 図1>
これまでは、65歳を過ぎ、企業等で定年を迎え、年金生活に入ると、「余生を送る」というイメージで捉えられてきた人生ですが、人口の3分の1以上が高齢者になり、多くの方が長生きするようになると、65歳以降の30年近い期間は、青年期や、中年期と同様に、否それ以上に人生の充実した一時期と考えるべきだと思います。そうだとしますと、人生のそうした時期をいかに送るか、というライフサイクルにおける新たな生活のあり方を示すことが必要です。
第2に確認したいのは、健康な高齢者の割合です。歳をとるとどうしても病気がちになり、医療や介護が必要になるのではないか、と思われるかもしれません。確かに、それ以前の世代よりは、そうしたサービスを必要とする人の数が多くなります。また85歳を過ぎると実際に多くなることも間違いありません。しかし、<図2>が示しているように、実際には、65歳から85歳くらいまでは、医療や介護を必要とせず、元気に暮らしているお年寄りが多くを占めているのです。 図2>
ここで申し上げたいのは、これからは、こうした比較的元気なお年寄りが充実した生活を送ることができるような社会のあり方を考えていこうということです。
しかし元気とはいっても、人間は歳をとるとともに、若いときと比べると、体力が低下し、認知能力も低下してくることは否定できません。したがって、今の社会で、若い世代の人たちと同様に行動し暮らすことは、負担になる場合が多いといえるでしょう。
そこで、第3に、社会の制度や生活環境におけるさまざまな「標準」を、これまでのものよりも、より高齢者にふさわしいものに変えることが必要です。すなわち、これまでの社会は、若者や中年世代を標準として作られてきたわけですが、これからは、高齢者を標準とした視点を積極的に取り入れ、さまざまな世代の人たちが安心して快適に暮らせるコミュニティのモデルを創り出していく必要があるということです。
たとえば、視力や聴力が衰えてきますと、若い世代の人を標準にした大きさの活字や話し方などについていくことが困難になってきます。そこで、印刷物や画面の文字の大きさにも工夫が必要でしょうし、テレビやラジオの出演者が話す速度も少し遅くして、聞きやすくすることも必要でしょう。
また、歳をとると足が弱くなり歩行が困難になる人が増えてきます。整形外科の専門医によると、足の不自由な人にとっては、階段は登りよりも下りの方が負担がかかるそうです。しかし、街にあるエスカレータは、一つしかない場合、ほとんどが上りです。高齢者を標準にした社会を作るということは、たとえば、それらを下り方向に変え、高齢者に優しい街にすることなのです。
今の例も示しているように、現在の社会には、私たちがまだ気付いていない、高齢者にとっては生活や行動の障害となるさまざまな生活環境や制度があります。
それは、バリアフリー化のようなハードの面だけではなくソフト面についてもいえます。たとえば、快適な住環境を維持するためには住宅の管理が必要です。しかし、お年寄りには負担である場合が少なくありません。とくに高齢者が大勢住んでいる分譲マンションの場合、充分に管理していくためには、管理組合のあり方を含め、現在の区分所有の制度を見直す必要があると思われます。
また、お年寄りを対象とした「振り込め詐欺」が問題となっていますが、高齢者の財産管理のあり方も重要な問題です。成年後見人制度をはじめ、高齢者の生活を広くケアする社会制度についても真剣に検討する必要があります。
ところで、このような観点から、高齢者にとって住みやすい社会にするためには、現在の科学技術が大いに役立つことは間違いありません。とくにITと呼ばれている情報技術は、既に一部で導入されていますが、もっと高度に活用することにより、高齢者が住みやすい社会を作る上で貢献するところは大きいと考えられます。
とくにこの点を強調したいのが医療の分野です。遠隔地診療などの医療情報のIT化によって、多くの人々の健康管理をより適切に行うことが可能になります。これからの高齢社会では、当然のことながら、できるだけ健康で長生きすることを目標にすべきですが、それには、高齢者の日常的な健康管理や生活支援だけではなく、生活習慣病を減らすために、若いときからの系統的な健康管理が大切です。医療情報のIT化によって、このような長期的かつ総合的な健康管理も可能になると考えられます。ITをはじめとする先端的な技術の応用は、医療の質を高めるとともに、負担の増加が心配されている医療サービス全体の効率化ももたらすことになるでしょう。
わが国がこれから迎える高齢社会は、その規模においても速度においても、人類史上初めての経験です。わが国のあと、アジアの諸国も同様の高齢社会を迎えます。その中で、わが国は、より望ましい高齢社会のモデルを作ることが期待されています。そうしたモデルを作るためには、部分的、パッチワーク的なものではなく、総合的体系的な政策を作る必要があります。それには、これまで述べてきたように、高齢社会についての発想を切り替えることが、何よりも必要と思われます。