健康長寿社会の実現に向けて医療機器分野を成長産業に

東京大学公共政策大学院/政策ビジョン研究センター 佐藤 智晶

東京大学政策ビジョン研究センター 黒河 昭雄

2013/6/11

はじめに

健康や長寿は、誰もが求める世界共通のテーマです。医療機器は、医薬品や再生医療関連製品とともに「健康長寿社会」の構築に貢献できることはもちろん、我が国にとって成長産業の核となりうる潜在的な価値を秘めています1。本稿では、まず健康・医療戦略 (仮称) について言及し、その後で医療機器分野に特に焦点を当てて、さらなる成長に向けた重要点を説明したいと思います。

日本では、かつてないほどに健康・医療分野を成長産業にするための試みが注目を集めています。2013年2月22日には、これまでこの分野の中心的役割を担ってきた医療イノベーション推進室が廃止され、同日新たに 「健康・医療戦略室」が内閣官房に設置されました。健康・医療戦略室は、我が国が世界最先端の医療技術・サービスを実現し、健康寿命世界一を達成すると同時に、それにより医療、医薬品、医療機器を戦略産業として育成し、日本経済再生の柱とすることを目指すものです。2013年6月中旬に公表され「健康・医療戦略 (仮称) 」では、医療分野の研究開発の司令塔機能を創設するという日本版NIH構想や、国際医療協力の推進組織としてのMEJ (Medical Excellence Japan) がより具体的に取り上げられる予定になっています。

日本版NIH構想

日本版NIH構想は、その名のとおり、米国のNIH (国立衛生研究所) から名前を借りていますが、その中身には若干異なっている部分もあります。たとえば、現在明らかになっている日本版NIH構想では、司令塔の本部として、内閣に、総理・担当大臣・関係閣僚からなる推進本部を設置することが予定されています2。政治の強力なリーダーシップにより、医療分野の研究開発に関する総合戦略を策定し、重点化すべき研究分野とその目標を決定するというのは、斬新な点として着目されます。先に当センターの医療機器ユニットの年次報告書で言及したとおり、医療機器をはじめとする医療関連製品の研究開発から上市までに関する政策を省庁間ですり合わせるような試みは、実は世界でもほとんど例がありません3。米国でも、省庁間で整合性のとれた戦略が注目を集めており4、ドイツでも我が国と類似のフォーラムが立ち上げられたばかりです5。日本版NIH構想は、計画や運用次第では、米国NIHに匹敵ないしそれを凌駕する可能性を秘めているように思われます6

国際医療協力の推進

健康や長寿がすべての人にとって重要な関心事であるように、医療はグローバルな世界と繋がっています。医療関連製品の開発はグローバルな規模で進められるのが通常で、上市された製品は世界に向けて販売されることが予定されています7。臨床研究を通じて生み出される医療技術 (診断、治療、または予防法など) の創出も、国内だけでなく国際共同研究という形で行われることがあります。このように、臨床現場から少し視野を広げてみると、実は日本の医療がグローバルな世界へと繋がっていることがすぐに分かるでしょう。

日本の医療が世界の人々の健康や長寿に寄与し、それによって経済成長や世界の持続可能な発展を実現することが重要です。世界の健康課題の解決に向けて関係省庁および官民が一体となって取り組むことを通じ、日本に対する国際社会の信頼を高めていくことなしには、結局のところ医療の国際展開の成功は難しいと思われます。健康・医療分野における豊かな知見と技術を背景に日本の優位性を活かし、世界のすべての人が基礎的保健医療サービスを受けられること (ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ) を推進すること8、そして我が国の医療技術・サービスを積極的に国際展開していくこと9の両輪が、国際医療協力にとって欠かせません10

医療機器の特性を踏まえた規制とインセンティヴ付け

医療機器分野の技術革新のためには、医療機器の特性を踏まえた規制だけでなく、より優れた製品をより早く上市させたくなる、そして、より優れた製品を使用したくなるようなインセンティヴが必須です。

医療機器の最も重要な製品特性は、医薬品と比べてプロダクトサイクルが比較的短いことに加えて11、システム面における頻繁な仕様変更や医師等の手技等、機器の利用環境が安全性や有効性に直接的に影響するという点です。短期間の間に研究開発を行い、審査後に上市させて十分に投資回収できる環境がなければ、たとえ革新的な技術であったとしても誰も投資をすることができなくなるのが医療機器分野なのです。世界に目を向けると、すでに米国では1976年に、欧州では1990年代に医療機器に関する規制を医薬品と区別する試みがなされており、その後は医療機器向けの保険収載・償還のあり方に関するさまざまな議論が進められました12。我が国においては、これまで重要な課題とされながらもなかなか結実することはありませんでしたが、今国会ないし次の国会における薬事法改正によって、ようやく医療機器の特性を踏まえた規制の導入へと大きく舵が切られようとしています。医薬品とは異なる医療機器のための規制を着実に具体化してゆくことが、医療機器分野の技術革新、さらには医療機器を介した健康課題の解消への第一歩となるはずです。

また、医療機器分野の技術革新には、限られた資源でより優れた医療提供を可能にした者が報われるというインセンティヴの仕組みが欠かせません。インセンティヴは、予見可能な形で、明確に質的な向上がみられるものに対して付与される必要があります13。さらに、医薬品以外の医療関連製品の場合、製品メーカーのみならず医療機器に関わる多様な関係者にとってのインセンティヴが必要となることも重要な点です。すなわち、医療機器の場合には要素技術の集合体から構成される上に、医師等の医療従事者が利用することが大前提であるため、コア技術や部材の開発者、メーカー、そして医師や医療機関向けのインセンティヴが揃わないことには、臨床現場における技術革新が生み出されない構造になっています。今後、医療機器向けの規制を具体化しつつ、医療機器分野の技術革新を促すためのインセンティヴのあり方について、さらに議論を深めていく必要があるでしょう14

結びに代えて

健康や長寿は多くの人の切なる願いであり、成長戦略や健康・医療戦略 (仮称) は、その希望を叶えるための手段です。2013年6月14日に公表予定の成長戦略や健康・医療戦略 (仮称) は、医薬品や再生医療関連製品分野のみならず、医療機器分野の技術革新を間違いなく後押しするものであり、それによって医療機器産業を含めた様々な経済分野における成長を実現するものとなるでしょう。他方で、医療機器の特性を踏まえた規制やインセンティヴ付けの問題については、ようやく具体的に着手され始めた発展途上の段階にあり、今後の具体的な制度設計を注視する必要があります。

充足されていない医療ニーズ (アンメットメディカルニーズ) に対応した医療サーヴィスの進化や医療システムの変革は、我が国のみならず世界の人々を豊かにすることに繋がっており、外交と通商の両面から医療の国際協力を進めなければ、健康長寿社会の実現はもちろん、医療を通じた経済成長も難しくなるはずです。経済成長と世界の健康課題の解消を着実に推し進めるように、医療機器分野についてはプロダクトサイクルに合わせたよりスピーディーな政策立案とその実行が最も重要だと思われます。

なお、本稿は成長戦略および健康・医療戦略 (仮称) の公表前である2013年6月第一週の時点までにアクセス可能な公開資料に基づいて執筆していることを付記いたします。

今後のポイント

  • 人口の高齢化に伴う新たな健康課題の発見と改善
    日本だけでなく世界における疾病構造の変化が、医療機器分野にとっての新しい市場となりえます。国内外のアンメットメディカルニーズを適切に把握し、それに対応した開発と製品展開が必要となります。
  • 研究開発投資の拡大と実用化サイクルの短縮によるさらなる技術革新
    医療機器の特性を踏まえた規制をいち早く導入することにより、技術の実用化サイクルを短縮し、重点的な研究開発投資の拡大を図ることが求められています。
  • 外交と通商による世界的な健康課題の解決
    健康・医療分野は、経済成長に向けた通商上の重要領域として位置付けられるだけでなく、国際的な動向を踏まえ、国際保健 (グローバルヘルス) の観点に立脚した長期的かつ持続的な外交的戦略のもとに展開されるべきです。わが国の有する豊かな技術と知見の提供によって、当該国における人々の健康増進と保健医療体制の整備に資することこそが、我が国の経済成長と世界の持続可能な成長を達成する上では不可欠だと思われます。
  • 地域における疾病予防や健康増進活動のための医療情報の活用
    限られた医療財源、医療資源のもとで、質の高い医療の提供を維持するためには、医療提供体制の一層の効率化が必要です。具体的にいえば、地域における医療機関の機能的分化の推進や地域包括ケア体制の実現に加えて、疾病予防を中心とする健康管理体制の拡充、医療情報の適切な利用とプライヴァシーの保護の実現、医療関係者間の連携を促進する情報インフラの構築などが重要です。
  • 健康・医療分野の技術革新に適切なインセンティヴを
    医薬品と比較してプロダクトサイクルが短い医療機器を介して、健康・医療分野の技術革新を生み出すためには、それに見合った適切なインセンティヴが欠かせません。適切なインセンティヴとは、予見可能な形で、量ではなくむしろ質の向上に対して行われる必要があります。患者のQOLの向上はもちろんのこと、医療従事者の負担軽減、医療機関にとってより効率的な医療提供を可能にする点などが、質の向上として広く考慮される余地があるでしょう。

  1. 医療機器の世界市場は、2012年度で約3070億7000万ドル、2017年度までには4340億4000万ドル規模になるものと予想されています。年間平均成長率 (CAGR: Compound Annual Growth Rate) で比較してみると、成長率は鈍化するという予測があります。具体的には、2006年度から2010年度までの成長率は7.9パーセントだったのに対して、2012年度から2017年度の数値は7.1パーセントにとどまるものと推計されています。ただし、アジア市場だけでみると9.3パーセントの成長率となっています。 See Espicom, Medistat: Worldwide Medical Market Forecasts to 2017, July 2012, at 21.
  2. 米国の国立衛生研究所は、連邦健康保健省の一部です。医学研究の優先順位や研究費の配分などについてはNIHが責任を負い、議会への年次報告および諮問委員会 (Scientific Management Review Board) での審議によるチェックを受けることになっています。 See NIH, About NIH, available at http://www.nih.gov/about/; NIH, National Institutes of Health Reform Act of 2006, P.L. 109-482.
  3. 東京大学政策ビジョン研究センター「医療機器の開発に関する政策研究ユニット3年目の報告書」 (2012年12月14日)
  4. PhRMA, Growth Platform for Economies Around The World, May 2012, at 47 (Many state‐level bioscience/life science strategies, No tradition of national innovation or competiveness strategy; some modest efforts under way, No coordinated national or regional strategy focused on promoting the sustainability and growth of the biopharmaceutical and related industries) . See also The White House, National Bioeconomy Blueprint, Apr. 2012.
  5. Federal Ministry of Education and Research (BMBF) , Federal Ministry of Economics and Technology (BMWi) , Federal Ministry of Health (BMG) , National Strategy Process "Innovations in Medical Technology" in 2011.
  6. 内閣に常設の本部を設置した過去の事例として、IT戦略推進本部 (高度情報通信ネットワーク社会形成基本法 (平成12年法律第144号) ) や、知的財産戦略本部 (知的財産基本法 (平成14年法律第122号) ) があります。
  7. たとえば、佐藤智晶「規制のハーモナイゼーションを通じた医療イノベーションの可能性」東京大学政策ビジョン研究センターコラム (2012年7月5日) ; Kesselheim, Aaron S. & Niteesh K. Choudhry. The International Pharmaceutical Market as a Source of Low-Cost Prescription Drugs for U.S. Patients, Ann Intern Med. 2008;148:614-619.
  8. 外務省国際協力局国際保健政策室「国際保健外交戦略」 (2013年5月17日)
  9. 内閣官房健康・医療戦略室「「一般社団法人 MEJ (Medical Excellence JAPAN) 」の骨子」第3回参与会参考資料 (2013年5月20日)
  10. United Kingdom, Health is global: UK Government Strategy 2008-13 (2008) ; Presidential Policy Directive on Global Development, Sep. 22, 2010; Department of State & US Aid, Leading Through Civilian Power The First Quadrennial Diplomacy and Development Review (2010) ; US Government, GHI Principle: Health Systems Strengthening Draft 6, Global Health Initiative, 2012.
  11. なお、最近ではソフトウェアの更新による対応などによる改良や改善も増えてきています。ソフトウェアのアップデート/バージョンアップによる改善サイクルは早いものの、機能に関する改善が行われると一変の申請が必要となり、上市までに時間がかかることもあります。そのせいもあって、海外で販売されている医療機器と比較して、我が国で販売されている製品が機能面で劣る場合もあります。
  12. たとえば、大西昭郎・佐藤智晶「医療機器に関わる規制の方向性について」医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス42巻12号 (2011年) 1053-1057頁.
  13. たとえば、中野壮陛「革新的医療機器に関する保険適用と開発インセンティブの課題」第6回医療機器産業研究会医療機器のイノベーションと保険償還制度 (2013年3月25日) ; 中野壮陛「革新的医療機器に関する保険適用と開発インセンティブの関係分析 (エグゼクティブサマリー) 」財団法人医療機器センター附属医療機器産業研究所 リサーチペーパー No.7 (2012年10月31日) .
  14. 林良造「相違促す診療報酬制度に」日本経済新聞朝刊経済教室欄 (2013年6月7日) .