震災から1年——日本の政治と将来
2012/3/14
森田 朗
東京大学大学院法学政治学研究科 公共政策大学院 教授
政策ビジョン研究センター シニアフェロー(学術顧問)
1.震災から1年
まもなく東日本大震災から1年が経つ。わが国の歴史上未曾有の災害は、わが国の社会に計り知れない大きな衝撃を与えた。震災直後、あまりに大きな変化に遭遇した被災者はいうまでもなく、日本社会全体がショックを受け、早急に以前の状態への復興を期待した。
しかし、現実はどうか。復興は遅々として進まず、原発事故もまだ安心できる状態にはほど遠い。
さらに、ヨーロッパの財政危機に端を発する円高は、日本の製造業、輸出関連産業を直撃し、それらの産業の海外脱出は、わが国の経済的な活力を著しく低下させつつある。加えて、これからますます進む高齢化は、社会保障負担を激増させる。それに対して、財政的な備えは充分どころか、今議論されている消費税率の引き上げが行われたとしても、財政の立て直しにはまだまだ足りない。
わが国は、このように、今、かつては想像もできなかったようなさまざまな困難に直面している。なぜこうなったのか。どのようにしたら、この状態から脱出することができるのか。多くの国民は、脱出の道筋が見えないがゆえに、わが国の将来に不安を抱きつつある。この稿では、こうした疑問について、筆者の専門とする政治学、行政学の観点から考察してみたい。
2.「政策」の貧困
昨年3月11日の震災は、これまでわが国が経験したことのない規模の被害を広範囲にもたらした。そもそも政令指定都市である仙台周辺を除く、岩手、宮城、福島各県の海岸部の被災地域は、これまでも少子高齢化による過疎化が進行し、それへの対応が課題となっている地域であった。
いうまでもなく、これらの地域の復興は容易ではない。被災地域の範囲は広く、この地域の多くの自治体の財政力は弱い。加えて、津波によって破壊された土地は、そのままでは住宅を建て、街を再建するために使うことはできない。再度の津波に対して脆弱であり、これまで以上の強度を備えた堤防の建設等の防災対策を講じる必要があるからである。しかし、それでも不充分かもしれない。そのため、安心して暮らせる街を作るためには、高台への移転等、確実に津波から地域社会を守る対策を講じることが必要である。だが、それに、多額の経費と長い時間がかかることはいうまでもない。
こうした状況の下で復興のあり方が議論されてきたが、現実に起こっていることは、多数の被災者の被災地域からの流出である。震災は多くの住民の職場を奪った。復興まで長い時間がかかると想定されるとき、それらの人たちは生活を維持するため、職を求めて住み慣れた地域から離れていく。その地域に住んでいても年金等の収入のある高齢者等を除き、若い世代の人たちが流出していくならば、残された地域は、仮に復興プランが実現されたとしても、以前とは全く異なった社会となるであろう。かつての地域社会を復活させることはきわめて難しいのである。今、現実に起こり始めていることはそういう事態である。
震災後、これまで多数の復興プランが提案され、政府に設けられた復興構想会議も、復興に当たっての提言を行った。しかし、筆者の見る限り、それらの多くは以前にも増して災害に強く、繁栄する地域社会の建設を唱えたものであり、人口流出の現状を見据えた、早急に実現が可能なプランとはいいがたい。
確かに、突然の被災というショックが強く残っている中で、現実を直視することを被災者に求めることは酷なのかもしれない。しかし、早急に実現可能な復興計画を策定するには、現状をしっかりと見据えて思考することが、何よりも大切である。この点で、政策ないし対策という観点から見たとき、まず政策課題の認識が不充分であるといえよう。
さらに、その後の政府の復興プランの策定では、被災者の声を重視し、地元の自治体からの提案を求めた。確かに、地方分権の時代、国主導ではなく、基礎自治体である市町村の意向を重視することは、その限りでは望ましいことである。だが、現実には、被災し住民が離散した自治体で、住民の声を集約することは容易ではない。将来を見据えた緻密な復興計画を作るだけの力量を、現在の多くの市町村に求めることは難しいのではないだろうか。
したがって、充分に地域の声に耳を傾けつつも、自治体の区域を越えて復興のあり方を描いていくためには、国が積極的な役割を果たすべきであると考える。もちろん国の集権的な体質や姿勢について問題があることは否定できないが、それでも何よりも早急な救済と復興が要請される状況下で、迅速に体制を構築できなかったことは、課題に対する対応の失敗といえよう。
今回の震災は、被害は大きかったものの、比較的その範囲が限定されていた阪神大震災と異なり、そのダメージは全国に及んでいる。とくに、東京電力の福島第一原発の事故に由来する全国の原発の稼働停止は、わが国の社会を支えるエネルギー不足の問題を惹起した。
福島第一原子力発電所の事故に関しては、それによって、われわれは、絶対安全といわれてきた原発において事故が実際に起こりうること、その影響がどれほど広範囲に及び将来にわたって大きな被害をもたらすものであるかを思い知らされた。
この原発事故に関しては、第一に、津波という自然災害が原因とはいえ、このような事故が起こることを予想できたにもかかわらず、それに対して必要な対策を講じてこなかった点、第二に、そうした無策の背景には、絶対安全を求める国民の意識のために、事故の可能性そのものを否定し充分な対策を検討すること自体を怠ってきた政府、電力会社の姿勢が批判されよう。
結果は、「想定外」という言葉に集約されるように、発生した事態への秩序ある対応はできず、指揮系統の混乱、情報発信の不足等もあって、後世に大きな禍根を残すことになった。今後、数十年あるいはそれ以上にわたって、国土の広い範囲で目に見えない放射能の恐怖におびえ続けなければならない状態は、わが国民にとって、これまでの不作為に対するあまりにも大きな代償といわなければなるまい。
原発事故については、現在、そしてこれからも強力な体制で検証が行われ、今回の教訓から新たな管理の制度が構築されるであろうが、今回の事故によって、受け入れたくないリスクを「想定外」として可能性から排除しようとする姿勢が改められたかというと、そうとはいえないように思われる。
これまで充分に想定されているとはいいがたいリスクの中には、海外からの侵略やテロ、とくにサイバー・テロ、さらにはパンデミックなどもある。現実に起こりうるこれらの可能性に対して、絶対安全な状態を求めるのではなく、被害や犠牲を最小化するという発想で、現実的な対応策を検討しておくことが急務であろう。このことは、沖縄の基地問題や情報セキュリティへの対応について、とくに指摘しておきたい。
ところで、福島第一原発の事故によるエネルギー、電力不足の問題に加えて、異常な円高が重なったこともあり、これからわが国の産業や経済が被るダメージはきわめて大きいであろう。長期的にみて、わが国の経済基盤は深刻な状態に陥りつつあるといえよう。
そして、いうまでもなく現下のわが国の財政状況は危機的な状態にある。まだ、国債金利の上昇はみられないとはいえ、突然、ギリシアのように金利が上昇し、財政破綻の状態に接近しても不思議はないというのが専門家の見解である。こうした状況であるにもかかわらず、高齢化の進展によって、年金、医療等の社会保障負担は毎年増加している。プライマリー・バランスの回復に向けて、消費税率の引き上げが課題となっているが、それすら反対の声もあり、また現在引き上げが予定されている税率では、財政状態を好転させるには充分とはいいがたい。
こうした状況を改善し、震災からの復興を着実に成し遂げていくためには、「制度疲労」に陥っている諸制度の抜本的な改革が不可避である。このことは以前からいわれてきた。しかし、そうした改革は、既存のステイクホルダーの利益を損なうことになるがゆえに、当然のことながら、抵抗は強い。とりわけ社会保障費の抑制のように、多数の社会的弱者といわれる人たちに影響を及ぼす改革においては、政治的抵抗は強い。
しかし、そのような抵抗に屈していたのでは改革は実現できず、状況はますます悪化し、破綻への道をたどることになろう。そうした改革によって不利益を受ける人たちを説得し、彼らに既得利益の減少ないし負担の増加を受け入れさせること、現状を打開するために、国民に、とくに相対的に余力のある人たちに、我慢をするように説得することこそ、政治の役割であり、改革を唱え政策を提言する政権党の責任である。しかるに、わが国の政治の現状はどうか。それとはほど遠い状態にあるといわざるをえないのではないか。
3.「政治」の貧困
1990年代、バブル経済の終焉によって右肩上がりの成長の時代は終わったが、国民の成長への期待は変わらず、当時の自民党政権は、その期待に応えられなかったがゆえに支持を次第に失い、93年に政権から転落した。その後、自民党は政権に復帰したものの、国民の不満を解消することができず、あえていえば過大な総花的政策、バラマキ政策を繰り返してきたといえよう。結果は、大量の国債発行による債務残高の累積であり、後世への付け回しである。
2000年代に入り、国民的人気を背景にした小泉内閣の下で、一時的に構造改革が功を奏したと思われる。しかし、国民に一定の我慢を強いることになった改革は、小泉首相退任後、「格差」批判として揺り戻しが生じ、小泉内閣を継承した安倍、福田、麻生の内閣もそれに対抗できず、政策は小泉改革の成果を否定する方向へ改変された。それでも一段と厳しくなった財政状況の下、さらに進んだ高齢化の時代にあって、国民の不満を解消することはできなかった。
そのような背景の下で、それまでの自民党政権の政策を批判し、国民の期待に応えることと不満の解消を約束して2009年の衆院選を戦い、圧倒的な勝利を得て政権に就いたのが民主党である。民主党は、国民が不満を抱いている状況が官僚主導の政策によるものであると指摘し、国民が求めながらも満たされていなかった要望に応えるべく、実現を目指す諸改革を「マニフェスト」に掲げ、その実施を約束した。
自民党に失望を感じていた多くの国民が、民主党のもつ未知の可能性と政権交代がもたらす政治の革新効果に期待し、民主党へ投票したことはまちがいない。政権に就いた直後、民主党は、その政策が民意から乖離していると批判してきた官僚を排除し、選挙によって民意を反映し信任を得ているという前提に立って、「政治主導」による「マニフェスト」の実現を目指した。
それは、国家戦略局、行政刷新会議の設置等を目指す組織改革、各省における政務三役主導の決定等にみられたが、肝心の国民に対する行政サービスの充実に関しては、財源が確保できず、その実現に苦慮することになった。子ども手当にせよ、もともと財源は、それまでの行政の無駄をなくすことによって捻出する予定であったが、期待通りに捻出できず、「事業仕分け」という派手なパフォーマンスも、その効果は限られたものであった。
その後、外交問題への対応の失敗もあり、国民の民主党に対する評価は一変し、大いなる期待から大いなる失望へと転じたといってよい。今、民主党は、国民への約束である「マニフェスト」と現実との矛盾の解消に苦慮している状態にある。民主党は、社会保障制度を持続可能なものにするために、財源として消費税率の引き上げを提案した。明示的ではないにせよ、マニフェストの明らかな修正であり、これには党内でも異論が出ている。
こうした状況下で、野党は、衆議院の解散によって、再度民意を問うことを求めているが、選挙での敗北が濃厚な民主党はもちろんそれを受け入れることに消極的である。国会が衆参のねじれ状態にあることもあって、事態は閉塞状態にある。
こうした政治情勢の下で生じつつあるのは、当然のことであるが、国民の政治不信の高まりである。そのことは、世論調査で「支持政党なし」が圧倒的に多数を占めていることにも現れている。国民は、財政にせよ、震災からの復興にせよ、課題が深刻になりつつあることは認識し始めているが、他方で、福祉にせよ、地域振興にせよ、これまでの要望、期待を取り下げるつもりはないといえよう。
政党も、そしてマスメディアも、このような状況の下で、国民に対して負担を求めることについては消極的である、というよりも、高福祉のために高負担を甘受するか、あるいは負担増が受け入れられないならば、低い福祉水準で我慢するか、という選択肢を突きつけて、国民に判断を求めるということはしようとしない。さらなる行政改革や、恒久策とは到底いえない「埋蔵金」の流用によって財源を調達し、きわめて可能性の少ないと思われる低負担で高福祉の社会の実現を提唱している。
同様のことは、前述のように、震災からの復興策でもみられる。民主党政権は、すべての被災地域を平等に復興することを目指しているように思われるが、利用可能な資源が限られている状況下で、それは合理的な策とは思えない。明確に優先順位を示し、それに従って復興を図ることが合理的であろう。だが、優先度が低く後回しにされたところからの反発を恐れてか、そのような策はとろうとはしていない。
さらにいえば、原発事故とその後の対応のあり方は、こうした高度の技術を用いた政策における専門家への不信感を生み出した。専門家の見解が分かれ、しかも彼らが唱えた安全神話が崩壊したとき、国民は信頼すべきものを失ってしまった。官僚も、政治家も、そして専門家までもが信頼できなくなったとき、国民はすべてのものに対して不信感を抱き、不安な心理状態に置かれる。今、国民の多くがそのような状態にあるのではないか。
こうした中で、課題や負担を先送りすることによって、当面の選挙での勝利を重視する政党の姿勢が厳しく批判されてはいるが、仮に今、政党が国民に真実を告げ、負担や我慢を求めたとしても説得力はない。
こうした問題状況は、そもそもの民主主義のあり方に対して疑問を投げかける。選挙による民意反映のメカニズムが、国民の現実的とは思えない期待に応えることを政治家や政党に促し、それがますます期待に反する結果をもたらすようになっていく。すべての国民の利益を考慮し、それに応えようとすることは、結果として、バラマキ政策と負担の先送りに帰結するといえよう。
わが国では、そうした政治行動がそろそろ行き詰まり、そこから国民の間に、何ともいえない不安ややり場のない怒りが蓄積されてきていると思われる。では、こうした状況から、どうしたら脱出することができるのであろうか。
このようなとき、しばしば期待されるのが、政治の信頼を取り戻し、苦境から脱出させてくれる強力なリーダーの登場である。実際、メディアや論壇で、こういう時代にふさわしいリーダー像が語られ、リーダーシップの必要性、重要性が強調されている。確かに閉塞状態であるがゆえに、明るく進むべき方法を示し、国民を導いてくれるリーダーがいれば、課題は解決するかもしれない。
しかし、リーダーは作ろうと思って作れるものではない。厳しい足の引っ張り合いが行われる中で、いかにして多くの人々の支持を集めて指導力を発揮できるリーダーを輩出することができるか。そのリーダーの最大の役割は、政府の政策によって不利益を被り、負担を強いられる人たちに、それを説得し受け入れさせることである。
民主党政権も野田内閣になって、社会保障・税の一体改革を推進するために、消費税率の引き上げを国民に対して訴えかけ始めた。その方向は支持したいが、国民の支持を得られず、有権者を説得できずに権力の座を去ることになったのでは、改革のリーダーとは到底なりえない。
4. 国民の不安と政治の危機
リーダー待望論について触れたが、国民の多くが現状について不満を持ち、将来について不安を感じているとき、彼らは、安心を求めて、現状がなぜそうなのかについて理解できる説明を求め、納得できる原因を探求しようとする。そして、しばしばわかりやすい説明や単純で明解な原因ないし責任者を見いだし、責任者の糾弾と原因の除去によって、事態を好転させようとする。
しかし、現実の世の中はそれほど単純ではない。一つの物事や一団の人々がすべての原因であることなどは、まずありえない。だが、不安に駆られた一種の群集心理は、そうした単純なストーリーと責任者を求め、それが見いだせないときは、それらを作ろうとする。そして、そのようなストーリーを描いて見せ、誰が悪いのか、そしてどうすればそれを取り除くことができるのかをわかりやすく示す人物を、容易にリーダーとして受け入れることになりかねない。
1930年代のドイツやわが国は、不況のどん底にあり、前途に夢を失った多くの人々が、不安から逃れるためにスケープゴートを作り、それを不満のはけ口とすることによって、心理的な安心を得ようとした。そのときスケープゴートとされたのは、社会においてそれまでも差別されてきたマイノリティ・グループであり、自分たちよりも劣るとみなしてきた外国である。マイノリティ・グループの迫害と外国への侵略が、その後いかなる悲劇を生んだかは改めて述べるまでもないだろう。
現在の日本でそのような事態が発生しているとは思わないが、若者の失業問題を始め、現状についてのやり場のない憤りと将来についての不安が蔓延したとき、ふとしたきっかけで、われわれは同様の心理に陥りかねない。こうした不安から逃れたいという心理状態を「自由からの逃走」と呼んだのはエーリッヒ・フロムであるが、こうした現象が、多数の人々の支持に基づく民主主義の手続きに従って生じうることは、われわれが歴史的に経験したことである。そうした民主主義の陥穽に陥らないようにするために、われわれは歴史をもう一度振り返り、学び直すことが必要であろう。
話が震災復興から若干それてしまったが、3月11日の災害は、それがなくても衰退へ向かいつつあるという不安を抱いていたわが国を、さらに一歩危機の方向へと押しやったといえよう。不安定な国際経済の影響もあり、わが国の状況は、たとえていえば「自覚症状なき重病人」に等しい。まだ自覚症状がないために見かけも本人の意識も元気ではあるが、節制をしようとはしていない。
では、どうすればよいのか。妙案はない。今筆者がいえることは、まず、不安から逃れようとして根拠のない主張にすがったり、絶望的になるべきではなく、また、まだわが国は底力がある、大丈夫だと強がるべきでもない、ということである。必要なことは、現状を客観的に把握して、その中で最善の可能性を追求し、それを実現することであろう。それには、従来の発想を捨て、新たな視点から冷静に現実を見ることが大切である。
これまでは、右肩上がりの成長、発展拡大が常態であった。現状水準の維持や、まして縮小という発想はありえなかった。しかし、人口減少が続くこれからの時代にあっては、発展拡大の可能性は乏しい。しばしば地域振興のために企業を誘致し、住民、とりわけ若者の定住を図る政策が提唱されているが、絶対的な人口減少の時代にあって、一地域の人口増加は、周辺地域の一層の人口減少をもたらす。必要なことは、そのような発展指向の発想を捨て、広域的な集約化を図って、地域社会の質の向上を図ること、すなわち質を落とさず、規模を縮小して効率化を進める「ダウン・サイジング」の発想に切り替えることである。
東日本大震災は、大きな被害と悲しみをわが国にもたらした。だが、今こそ、それを一つの改革の機会として、従来からの時代遅れの遺産を捨て、新たな一歩を踏み出すべく、発想の転換を図るべきである。