脳死臓器提供: 法改正で何が変わったのか

(こちらは、2008年に設置され5年間活動した生命・医療倫理政策研究ユニットによる、CBEL(The University of Tokyo Center for Biomedical Ethics and Law/東京大学グローバルCOE 次世代型生命・医療倫理の教育研究拠点創成)の研究成果を踏まえた政策レスポンスです)

臓器移植法(「臓器の移植に関する法律」)が改正された。今回の法改正によりどのような変更があったのか、またこうした変更によってどのような影響が出てくるのか。
「Q1今回の法改正で『脳死』は「人の死」となったのか?」 「Q2今回の法改正によって、提供意思の表明の仕方はどう変わるか?」 「Q3ドナーカードはどうなるか?」 「Q4その他、今後の制度設計においてどのような課題が考えられるか?」 の4点から見ておこう。


Q1.今回の法改正で「脳死」は「人の死」となったのか?

今回の法改正によって脳死が一般に「人の死」になった、とはいえない。但し、「脳死は人の死」とは明記されていないものの、こうした理解が普及していることを前提とした改正であった点に注意が必要。

「脳死は一般に人の死」は不正確

1. 臓器移植法の改正法案が成立した際、「脳死が一般的な人の死となった」とする報道が少なからず見られた。これは必ずしも正確ではない。

2. 法改正により、「脳死した者の身体」の定義から「移植術に使用するための臓器が摘出されることとなる者であって」とする部分が削除された(注)。この点について、「脳死」が移植の文脈に限定されなくなったとの理解があったようだ。

3. しかし、法的脳死を判定する手順について、本人および家族には判定に先立って反対する機会が与えられている。また、この判定手順が、臓器移植の実施条件として規定されている形式にも変化はない。むしろ論点とするべきは、提供や判定の意思表明の手順が「脳死を人の死とすることが社会的に受容されている」ことを前提としたものに変更され、個人の意思表明の形式が大きく変わったことにある(この点は、Q2で詳述)。

「法定脳死」の位置づけをめぐる二つの議論

4. 法改正後の「脳死」の位置づけを理解するには、これまでの議論の構造を振り返る必要がある。1997年に臓器移植法が成立した背景の一つには、脳死者からの臓器摘出を実施した医師が殺人容疑で告訴・告発される事例が約10件も続き、脳死移植についての法的な判断が求められていたことが挙げられる。臓器移植法の成立により、臓器移植という目的について、法定の脳死判定手続きを経ることで脳死者からの臓器摘出が可能となった。しかし、成立した「法定脳死」をめぐって、大別して二通りの受け止め方がある。

5. 一つは、①「脳死は、臓器移植という特殊な活動に限定された人の死である」とする立場(脳死選択説)である。つまり、脳死は一般的な人の死ではないが、日本で脳死移植を始めるために、移植目的に限って脳死を人の死とした、とするものである。

6. もう一つは、②「脳死は一般的な死」(脳死一元論)とする立場であり、いずれは移植以外の領域でも、脳死者を人の死として考えていくべきだとするものである。この立場からは、死は本来一律に決められるべきであり、移植目的でのみ通常と異なる「人の死」が生じることを批判している。

7. 前者の立場に立てば、脳死は臓器移植に関係してのみ成立する概念であり、脳死は「人の死」として一般化されない。一方、後者の立場に立てば、脳死は、脳死移植が合法化された1997年よりすでに人の死である。これまで、1997年の立法は両者の妥協によるものであり、法的脳死は提供意思を個人が積極的に表明した場合に限られてきたこともあって、結果的に①、②の主張は併存して2009年に至っている。

8. 今回の改正案の提案者も、趣旨説明や質疑において、「おおむね社会的に脳死が人の死であるという考え方が受容されてきている」としつつも「脳死を人の死としない人にも配慮し、臓器移植に関係しない場面においては、脳死を一律に人の死とする、あるいは統一的な人の死の定義を決めるということはない」とするなど、上記の①、②の矛盾を克服する説明は示されなかった。ただし、今回の改正により、脳死を「人の死」とする社会的受容が進んでいるとする主張が通ったことから、②に傾斜した制度設計が進むことが予想される(拒否する場合には強制しない、いわゆる「脳死拒否権説」)。「人の死」としての「判定された脳死」が、移植以外の状況にも適用されるべきだとの主張が強くなるだろう。


(注) 第六条1項「医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。・・・(以下、省略)」、2項「前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたもの者の身体をいう」(以下、省略)。※下線部が追加された部分、打ち消し部が削除された部分(臓器の移植に関する法律、一部書式を変更)。


Q2.今回の法改正によって、提供意思の表明の仕方はどう変わるか?

親族の判断が極めて重要になる。親族の意見が個人の意思と異なっている場合への対応など、運用の方針は明確になっていない。家族の役割の明確化とともに、個人の意思の尊重のあり方が課題である。

1. 今回の法改正によって、個人の生前の提供意思を必須としてきた従来の方式に加えて、「生前に提供に反対する意思表明をしていなかった場合」について、家族(脳死判定後は遺族)が承諾して提供することが可能となった。「反対する意思表明をしていなかった場合」である以上、提供を希望していた場合のほか、反対していたかどうかがわからない場合も含まれる。このため、家族の判断が極めて重要な役割を占める。

2. しかし、このときの家族の「承諾」の性格は整理されていない。たとえば、この「承諾」は、あくまで本人の自己決定を補助し代弁するものなのか、あるいは遺族が本人の生前の希望や人生観とは全く関係なく判断できるのかという、家族の判断の位置づけの問題がある。家族はその個人にとって一番身近な存在ではあるが、本来、個人の意思決定はその人限りのものであり、家族も万能ではない。たとえば、臓器移植法が1997年に成立した際には、個人の直接の意思表明は家族の判断で代弁できないものとされた。一方で、家族は本人の生前の意思を覆すことができるとも規定されている。このように、家族の判断は本人の意思と異なる役割を持っている場合があることに注意が必要である。

3. このほかにも、子どもが示した意思をどう評価するか(すべて親が判断していいのか)、親族の範囲や資格はどこまでか、親族間で不調和があればどうするか、など多くの難問が残っている。

4. なお、1994年に議員有志が作成した法案の運用指針は、「遺族は、承諾するに当たっては、本人の意思の尊重の観点から、本人の意思を忖度して判断すること」を求めていた。例えば、「本人の意思を忖度して判断し承諾可能な具体例」として、「臓器提供のために、ドナーカード、登録について調べていた」「本人は死んでも肉体の一部が生き続けることを望んでいた」「死後もぜひ医学・医療のために何か役に立ちたいと言っていた」、同じく「承諾できない具体例」として「臓器移植という医療は行うべきではないと言っていた」「死後は、遺体に傷をつけずにそっとして置かれることを願っていた」などが例示されている。検討材料として注目に値する(「脳死体からの場合の臓器摘出の承諾などにかかる手続きについての指針骨子(案)」)。


Q3.ドナーカードはどうなるか?

ドナーカードは「提供を希望する意思表明」、および「提供を希望しない意思表明」について、意思を表明するための手段である。個人の意思を表明する重要な手段であり、形がい化されてはならない。

1. 個人の提供意思を示す規定が引き続き残っており、また個人の明確な提供意思を示す手段であることから、引き続きドナーカードの存在は重要である。しかし、これまでの提供実績が少なかったことをもって、普及活動が消極的になることが危惧される。

2. 一方、今回の法改正で加わった、提供に反対する場合の意思表明をどのように実施していくかが問題になる。脳死者が生前に「提供に反対していなかったこと」を証明することは難しい。家族にあらかじめ託しておくなどの方法も考えられるが、物理的な手段によって個人の反対意思を記録するなど、法の趣旨に沿った手順の整備が必要である。法改正では、移植医療に対する理解を深める手段として「免許証や健康保険証に書くこと」を挙げているが、これはあくまで表明の一手段にすぎない。基本的にはすべての国民が提供ドナー候補になる仕組みである以上、移植について考える場の提供や教材の整備、意思を変更できる仕組みなど、本人が臓器提供について検討した上で意思を表明できる機会の確保が必要である。

3. なお、「提供を希望しない」とする意思表明がなされればなされるほどドナー候補が減ることから、こうした広報活動自体が運営上軽視される可能性も否定できない。しかし、提供に反対する意思表明の確保は、今回の法改正が正当化される大前提であり、個人が有する貴重な意思表明の場であると同時に、制度全体への社会的信頼上も重要な仕組みであることから、制度設計が疎かになってはならない。


Q4.その他、今後の制度設計においてどのような課題が考えられるか?

医療従事者・医療機関の対応

1. 臓器提供には、個人および親族のほか、患者の治療にかかわる医療者の判断、医療施設の環境要素も大きい。現在、日本の医療、特に小児医療、救急医療は苦境にあり、個々の患者や家族への十分な対応ができる体制整備なしには、機会を有効に活かせないどころか、医療現場が混乱する可能性がある。

2. 家族の判断する範囲の拡大のほか、社会的懸念となっている子どもの虐待など、意思決定に困難を伴う事例が質量ともに増加することが予想される。移植を実施する機関における病院内倫理委員会、倫理コンサルテーション等、医療現場で発生する倫理問題に対応する組織整備が至急必要である。

3. 脳死状態を一種の終末期とみなせば、終末期医療における意思決定への影響も懸念される。「脳死が受容されている」が濫用されてはならない。また、「脳死者」を「人の死」として公的医療保険の対象から外すことは、自由な意思表明を脅かす圧力になる可能性があることから避けるべきである。

研究活動への影響

4. 臓器の研究利用は、医薬品の研究開発等に極めて重要である。日本では、摘出した臓器の移植以外の用途が認められておらず、摘出したものの移植に利用できない臓器(「移植不適合臓器」)を海外からの輸入に頼っている状況が続いている。

5. 脳死を人の死とする認識が広範に広がっているという今回の立法判断に照らせば、脳死体を対象とした研究を希望する研究計画が提案される可能性がある。 1997年の法成立当時は、「脳死体の研究利用は想定しない」と説明されてきたが、改めて論点となる可能性がある。各省庁より告示されている各種の研究倫理指針で、脳死者の身体を対象とする場合の影響について検討するべきである。