診療データの利活用における問題点と将来展望

PDF

この記事は月刊ジャーマック2011年5月号に掲載されたものです。

秋山 昌範 教授

1. 医療の信頼維持・回復
Pari PI 11 No.02

秋山昌範教授 (photo : Ryoma.K)

超高齢化を迎えたわが国の医療を考えてみると、ますます増大する医療費や崩壊しつつある医療提供体制への不安が増大している。医療提供体制の維持のためには、費用を増やす必要があるが、国家財政は逼迫している。国民も医療費の財源問題は深刻と考えているので、医療費の増額は理解できるが、その額を最小限にしたいと考えている。医療の効率化とはいっても、簡単な話ではなく、大幅な制度変更が必要になってくる。

そこで、医療制度の見直し、それも国家レベルでの仕組みの変更が必要になる。しかし、「本当に医師は足りないのか?」「必要最小限の医療費はいくらか?」など、医療費の問題や医療事故の問題では、患者・国民側と医療従事者側の視点は、180度違うように思われる。

仕組みを変える際には「正しい情報」が大きな力を持つ。正しい情報に基づいたデータを見せることにより、初めて合意形成が可能となる。この過程で、国民から医療提供側に求めるものは、「透明化」いわゆる「見える化」である。そこで、「見える化」による「信頼維持・回復」が求められる。

ここで、信頼回復にあたり、Transparency (透明度を上げること) やAccountability (説明責任) は必須のことである。ただ、患者や国民は現状で医療側にそれらがかなり不足していると考えているようである。不足の程度の認識が、両者間で乖離しているというのは、「情報」の流通不足と考えられるだろう。すなわち、「患者のための医療」を考える場合に、患者が求めているのは「信頼」であり、その継続により、それは「信用」とか「ブランドjというもの (Trust) に変わっていくと考えられる。その「ブランド」を維持することが、医療機関の目的にもなる。そのためのキーワードが、前述したTransparencyとAccountabilityと考えるが、医療従事者から見ると、患者の側にも考えて欲しいことがある。それはResponsibilityということである。

Responsibilityを日本語にした場合、責任とか責任感となるが、欧米ではそれとは少し語感の違う「自己責任」〜自分の力で決めて、自分がその結果責任まで負う〜というニュアンスが入っている。その意味では、病気に向かって、医療従事者と患者や家族が一体となって戦う仕組みが、本当の患者本位の医療体制ということになる。したがって、そこで担保されるべきものは相互の信頼関係 (Trust) になる。

2. 情報を正確に記録する

その信頼関係を考えたときに、それを阻害している大きな要因は、「医療の閉鎖性」とか「ブラックボックス」という言葉で表現されている。患者サイドから見たときに、いかに医療機関内部が見えないかということであるが、その閉鎖性を払拭しようとする場合に、ITが役に立つ。すなわち情報の偏在性というものを解消することに、ITが有用である。現在は、診療情報の重心が医療機関側に偏っており、情報の偏在性が指摘されている。そこで、この情報の重心を患者と医療機関との中心に持って行くことを、医療機関が目指すべきであり、情報公開という言葉はこのことを指している。

しかし、単に情報の重心を中心に移すのみでは不十分である。情報の重心を移動させても、たとえば、カルテ開示をする、カルテを見せるという行為だけで、単純に信頼を回復できるとは思えない。たとえば一度事故が起こってしまうと、単に情報公開しただけでは、また重心が戻ってしまうのではないか、一部のみで全体像ではないのではないか、最悪の場合、当初まで戻ってしまうのではないかという危慎が、患者側にあると思われる。いわゆるカルテの改ざん等である。また、事故が起こった場合、そもそも「最初からカルテに記載しない」という例もあるだろう。この場合は、いくら開示をしても無意味である。

したがって、信頼回復には、ただ単に見せるのみではなく、その情報がいかに正しいか、情報の正確性ということが担保されなければ、どんなにカルテを見せても、いくら看護記録を閲覧させても、何の信頼感も得られない、ブランドは維持できないのではないだろうか。即ち、「正確に記録をする」ということは、簡単なようで意外に難しい。

周知のように医療現場は大変忙しい。医師・歯科医師のみならず看護師も大変である。諸外国に比べ職員が少ないという大変な激務の中で、いかに正確な記録を行うかを追求すると、さらに多忙になる可能性がある。そして、正確な記録を取る時聞をかけつつ、医療の質を下げないようにするという難しい問題を孕んでいる。さらに、診療情報をただ単に見せるだけで、医療側の説明責任は十分に達成されるわけでなく、患者や家族に理解されるように丁寧な説明を行う必要があることはいうまでもない。結果として、超過勤務が増えるようでは、良い解決とはいえない。

3. ITは正確な記録作りに有用

それでは実際にITは何を実現するのであろうか。診療に関わる指示だけでなく、指示受け、実施を含む医療行為の経過や実績が記録されるシステムであることが望ましい。具体的には、オーダリングシステムや電子カルテシステム等において、医師による指示の発行、内容の変更、指示の中止の記録以外に、看護師による医師指示の確認、診療や医療行為の実施記録、薬局、検査部門など診療部門における指示の確認、指示に基づく実施記録は必須であろう。もちろん、診療行為の実施者によって作成された実施記録やレポートについて、指示・実施内容と更新履歴、またそれぞれの時刻、操作者が一元的に記録できるシステムであることも必要である。

従来のオーダリングシステムは、いわば大型印刷機であり、病院内で迅速に伝票が印刷できることを可能にしてきた。伝票を運んだり、再利用したり、コピーしたりする手間は大幅に省くことができた。しかし、このデータの単位は、伝票単位であったために、「いつ (when)、どこで (where)、だれが (who)、だれに (to whom)、どういうふうに (how)、どういう理由で (why)、何をしたか (what was done)」といった情報を正確に記録することができない。

たとえば、手術やインプラントを留置する作業は、カテーテルや医療材料を発注し、処置室や手術室に運んで一時的に保管し、他の消毒器具などと一緒に直前に準備し、医師の処置を介助し、後片付けを行うというように、多くのスタッフの共同作業になっている。つまり、医師を含めて少なくとも5〜6人、場合によっては10人以上がかかわっている。しかし、伝票に記載されている実施者は、指示を出した医師のみであることが多く、その行為に関わったすべての人間の6W1H (whoにto whomが加わるので6Wになる) 情報は記録されていない。もちろん、紙でも同様である。

チーム医療が重要であることは当然であるが、記録まではチーム医療になっていない部分がある。そこで、入力の自動化を図り、すべての医療従事者の実施記録まで、正確に記録できることが望まれる。

4. 評価可能な記録〜全数を記録

医療の仕組みを変える過程で、患者から信頼を得るために、議論に必要なデータには正確性が必須である。さらに、医療費の値上げ等、将来の見直しを見据え、再評価 (自己評価、客観評価) が可能な記録が行えなければならない。そのために、医師が行った診療行為に関わる記録を、自己および第三者が追跡、検証できる機能が必要になる。診療に関わる行為を発生順に参照、出力できる、すなわち医療のプロセスがわかるように時系列表示ができなければならない。

正確性のためには、医師による指示の記録だけではなく、衛生士など他の医療従事者が作成した記録、それらの記録の参照履歴 (Audit trail) についても蓄積できるシステムであることが望ましい。正確な記録により原価計算も可能になるが、レセプトやDPCのような蓄積された診療に関わる実績情報から、患者、疾病、医療従事者、診療行為単位に抽出し、各々のグループの中で比較、分析を行うことにより、医療のパフォーマンスの数値化や治療結果の評価ができることも求められる。同時に、経営に資する情報を含んだ記録が作成され、十分な経営管理を可能にする必要がある。その要件として、電子カルテシステムに記録される情報は医事会計システム、物流システム等から得られる実績情報と関連づけを可能にして、病院の経営状況を把握し、改善のための情報を提供できるシステムであることが挙げられる。

また、昨今の中医協 (中央社会保険医療協議会) 等の議論でも、データのサンプリングの偏りが問題になっている。そこには、恣意的にデータを集めたのではないかという疑念がある。周知のように、ピアソン統計学では、データサンプリング手法が、大きな問題点であり、全数をつかめないという前提では、サンプリング時、データ解析時の2点でどうしても誤差を生みがちである。しかし、コンピニエンスストアのPOS (Point of Sale) のようにITを用いると、簡単に全数を集めることが可能になった。医療においてもこの考え方で全数を収集可能である。そうすれば、相互不信の解消につながるだろう。

5. 根拠に基づいた意思決定

現在の国民皆保険は、ちょうど半世紀前の1961年 (昭和36年) に達成された。その後も、日本の医療は機能分化せず、長期間病院と診療所の区別しかなかった。本来なら福祉的な分野の介護と、予防医学的な部分、クリニック的な部分、専門医療的な部分という4つのドメインに分化していくという方策も考えられたが、政府がとった政策は、医療費抑制のために総病床数を減らそうというものだった。

一方、当時、病院のなかでも、特に自治体病院では、多くの院長に権限がなかったがゆえに経営感覚も不足しており、時間単価の高い医師に雑用が多いという現状であった。近年の医療制度改革で、経営学的に生産性を上げる必要が増加した。そのために、医師に事務的なことを受け持つクラーク (事務員) を付ければよいといわれる。しかし、クラークを付ければ、単純に生産性が向上するというものでない。医療は市場経済ではなく、計画経済によって運営されているからである。このような経緯から、今の医療費の原価計算は困難である。

信頼関係を維持するためには、正確な意思決定に基づく必要があり、費用も含めてどのような根拠に基づいて診断と治療を行ったかを検証できるシステムでなければならない。その要件として、電子カルテシステムで診療行為がどのような根拠に基づいて行われたかを検証できるように、診断の履歴、各種検査実施記録、検査結果などのレポートの参照記録、医師の診療行為の指示、その他の医療従事者が作成する各種記録について時系列的に追跡が可能であることが挙げられる。

また、インフォームドコンセント推進の観点から、患者に説明する際に、これらの情報を3D等、最新のIT技術を用いて視覚的に提供できることが求められる。さらに、EBMをより実効的なものとするためには、個々の診療行為とその行為を行う原因となった病名、プロブレム、アウトカム等との関連を明確にすることが必要である。

6. 正確な分析と個人情報保護

この診療情報を分析する上で、個人情報保護が重要である。個人情報には、氏名、性別、生年月日、住所、住民票コード、携帯電話の番号、勤務場所、職業、年収、家族構成、写真、指紋などの生体情報、コンピュータのIPアドレス・リモートホストなどが該当する (出典:Wikipedia)。

しかし、単にこれらに該当しても、個人を特定することができなければ、個人情報には該当しないのである。個人情報の保護に関する法律の定義では、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により「特定の個人を識別することができるもの (他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるもの<たとえば学籍番号>などを含む) をいう。つまり、上記に該当しない情報であっても、複数の情報の組み合わせにより、その個人を特定し得る情報も個人情報である。

個人情報はプライパシー保護の対象であり、本人の意図しない形での情報流通は防止する必要がある。しかし、個人情報を全く流通させないと、名前がわからないまま付き合うことで誤解を生じたり、ミスも起きやすい。通常、初対面での挨拶は名前紹介から始まる。この場合、名前や所属などは、むしろ情報流通させることが個人を大切にすることになる。また、集団においても、個人情報の保護だけではなく、その活用を図ることが、各人を大切にする上では重要であろう。

たとえば、各種の方針決定に使うためにも客観的な情報は有用であり、特に、学術面では、コホート研究のように、一人分では新奇性はないが集団になると、新奇性が生ずる場合も多い。その個人情報の当事者のみならず、同じような特徴を持つ他の人々にも役に立つ。したがって、個人情報を活用することがその集団の進歩と発展に寄与できる。昨今のように、個人情報の保護ばかり偏重され、利活用がないがしろにされると、その集団も閉塞感に襲われるように思う。特に、多くの国民が関心を持っている「医療崩壊」の解決策として、費用対効果を加味した制度の導入案が考えられるが、そこにも「集積した個人情報」の利活用が必要になる。

7. 英国の医療制度改革に寄与したNICE

それが上手に活用された例を挙げると、英国での医療崩壊からの回復がある。英国には、NationalHealth Service (NHS) と呼ばれる医療制度がある。NHSは国営医療サービス事業で、1948年から患者の医療ニーズに対して公平なサービスを提供することを目的に運営されている。利用者の健康リスクや経済的な支払い能力にかかわらず誰でも利用可能であり、基本的に無料である。しかし、医療の進歩などにより、コスト面で圧迫されるようになった。石油ショック後にさらに悪化し、1980年代から90年代前半の保守党政権下で、「競争」や「民間の手法」を導入することで、効率化が進み、医療の質が良くなると期待されたが、医療費が抑制された結果医療サーピスが低下し、現在の日本のような医師不足などの問題が生じた。

そこで、97年に誕生したブレア政権化で、医療改革が行われた。医療の品質管理や評価、効率を重視して、国立最適医療研究所 (NationalInstitute for Health and Excellence、略してNICE) などの独立行政法人が設立された。このNICEがイギリスの医療制度改革に寄与して、医療サーピスが改善されたといわれている。

NHSの特徴は組織や意思決定が地域ごとに細分化されていて、居住地域ごとに市民を担当るGP (一般医) というかかりつけ医師が決まっている。この方式は、地域の実情に合わせたきめ細かな対応が長所だが、地域が違うだけで方針が違っていて、患者は嫌だったら引っ越すか、高価な民間医療を受けるしかない。問題を解決するのがNICEである。新しい医療技術や、新薬などについて、専門家が保険適応の是非を検討する。これは義務付けではなく、EBMに基づいた推奨 (日本ではガイドライン) である。ここでは、限られた医療予算の有効活用という見地から、費用対効果を加味した上で推奨を決める。わが固では難しい、抗がん剤と血圧降下剤を同列に検討することが可能になった。最近では、どの国も医療予算は不足しており、医療に優先順位を付ける必要がある。NICEはEBMの手法を採用しているが、実はエビデンスが十分ではない分野もあるので、医療提供側にとっても納得できないことがあるといわれており、NICE批判もある。

NICEは単なる効果のみでなく、費用対効果を審議するので、もし製薬会社が値下げすれば、NICEのガイドラインに採用される場合もある。ここが大いに参考になる点であり、わが国もその方法論がないわけではないが、事実上保険収載は価格とは別の有効性や安全性を中心に審議されており、費用対効果の観点から論じる割合はNICEに比べ、大幅に小さいだろう。

この理由として、欧州にはEUという仕組みがあり、関税障壁が低く、国が密集しているので、一つの国で値引きをすると他の国での価格交渉にも影響する点がある。どの国の薬価交渉も厳しいが、多くは水面下で行われるので国民や他国民の衆目は浴びにくい。一方、NICEは判断や根拠を明示するので、結果的に、国民的な議論を呼び、コンセンサス形成にも寄与している。NICEが活躍すればするほど、薬価に対する国民の評価が明確になって、国民の合意形成をしやすくなっている。

8. 個人を大切にする仕組みづくりを

このような仕組みを日本にも構築することで、診療データを利活用した分析が可能になるだろう。しかし、わが国における個人情報保護関連の法制度では、それに対応しきれないと思われる。現在は、個人情報の保護に力点が置かれすぎるために、利活用に制限が多いからである。合意形成のためには、政府のみでなく、大学や民間の研究者にもそのデータを用いた解析を可能にする仕組みが必要である。NHSでは、その仕組みも整備されており、わが国も個人情報を十分利活用できる仕組みをつくることで、「個人情報を大切にする仕組み」から「個人を大切にする仕組み」につながっていくだろう。

その上で、英国のNHSで行われているように、診療のガイドラインや各種データベースの作成に資する情報も提供できる必要がある。つまり、電子カルテは蓄積した情報を患者、疾病、診療行為単位に抽出し、その分析によってEBMの根拠となる診療ガイドラインやデータベース作成に情報を提供できることが望まれるだろう。医療費の問題についても、全数収集を前提にした正確なデータに基づく議論が必要である。


関連リンク(秋山 昌範教授)

個人の尊厳と公共の利益 (コラム 2011/02/03)