東日本大震災は日本を変えたのか
三浦瑠麗/ジョシュア・W・ウォーカー
(米国ジャーマン・マーシャル財団Policy Brief掲載論文、日本語版)
1. はじめに
2. 日本を襲った悲劇
311を振り返って / 原発事故のミスマネジメント
救援活動とトモダチ作戦 / 被災地の今
3. 欠けていた政治的リーダーシップと復興のビジョン
政治的混乱 / 復興予算の遅れ / 蔓延する漸進主義とバラマキ
野党自民党の停滞 / 変革の試み
4. 日本は変わることができたのか?
日米同盟と外交安保政策 / 税と社会保障の一体改革
経済成長を目指すことができるか
5. 世界との比較における日本
日本の現状と世界各国の比較 / 不満を持つ勢力からの突き上げ
6. 明るい未来を目指して
1.はじめに
東日本大震災(3.11)は、第二次世界大戦後の日本が直面した最も大きな危機であるといってよいだろう。日本社会や個々人は連帯し、互いに助け合い、困難に対して果敢に立ち向かっている。しかし翻って政治の世界を見てみれば、東日本大震災に対する直後の対応も、また長期的な復興戦略の策定さえ遅れており、定かではない。
こうした3.11後の日本の特徴は、失われた20年と呼ばれたバブル崩壊後の長い停滞の果てに起きたこのような大惨事を経てなお、日本のシステムが変化していないことを意味する。このような危機を経験しながら、政府は自国の抱える構造的な問題に真摯に取り組めていない。日本は多くの分野で国際競争力を失って久しく、他方の国民は、じり貧の国内経済、政治的リーダーシップの欠如と次々と起きる政権交代を忍耐強く甘受している。ここでの問題は、日本が果たして変われるのか、少なくとも現在の日本に変化の兆候はあるのかということである。
日本は世界第三位の経済大国であり、高い言論の自由が保障された古くからの民主主義国であるが、その国内はあまりグローバル化されておらず、英語話者にとっては情報も少なく、閉鎖性を指摘されている。外からは全くのブラックボックスといえるほどに奇妙な国として映っているとさえいえよう。確かに、日本は良くも悪くも特異な国かもしれない。少なくともそのような印象を持たれているといってよい。だが、ひとたび日本の抱える表層的な印象の奥に潜む根源的な問題を概念化してみれば、何も日本に限った問題とはいえない。日本の長期的な停滞と政治の不決断、安定的な社会の裏で蓄積していく危機から目を背けさせる欺瞞の構造は、多くの先進工業国の将来を予期させるものかもしれないのである。
現在、東北各地には復興の槌音が響く一方、福島第一原発周辺の人々は子供の安全や今後の経済的な道筋についての不安におびえながら生活している。まだ復興は途に就いたばかりだが、2011年3月11日から一年を迎えた今、日本の長期的な復興について、客観的、国際的な視点に基づいたいったんの評価が求められているといってよいだろう。日米の筆者二人は多くのキーマンの政治家、諸外国の外交官等の方々にインタビューを行い、また公開情報の分析を行うことで、日本を内外から観察した結果、次のように結論付けることができた。
まず、日本社会はそのような不幸に見舞われながらも、世界で稀にみる安定と「絆」を示しており、それこそが日本の復興の原動力となるだろう。
次に、東日本大震災によって日本が持つ事実上の政策選択肢が大幅に狭められた結果、二大政党は経済成長重視と日米同盟重視の立場にほぼ収斂しつつある。だが、この「消極的なコンセンサス」ともいうべき現象は具体的な政策合意に至っておらず、当面の危機が去った今、両党のなかに潜む改革抵抗勢力の巻き返しに直面している。そのため、残念ながら必要な改革のスピードはあまりに鈍い。
本稿は、日本を襲った大災害が日本をいかに変え、また変えなかったのか、そして世界に対するインプリケーションはいかなるものかについてのレポートである。
2.日本を襲った悲劇
3.11を振り返って
昨年3月11日に日本列島を襲った、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波は、国内観測史上最大規模の災害であり、その被害は惨状を極めた。15,844人の死者と3,451人の行方不明者を出した東日本大震災は、ここしばらく先進工業国で起きた最も大きな惨事であった1。津波の被害が大きかった宮城県で最大時32万人超の人々が避難生活を送り、岩手県では最大時5万4千人超が避難生活を送った。さらには、福島第一原発事故がもたらした放射能汚染により福島県では自主避難の5万人を含め、約15万人が今も全国に避難している。
福島第一原発事故に関しては、事故規模レベルではチェルノブイリ原発事故と同等のレベル7と認定された。放出された放射能は約77万テラベクレル、520万テラベクレルとされるチェルノブイリの7分の1である2。福島県の一部の汚染レベルはチェルノブイリ付近の汚染レベルと同等である。福島第一原発では、津波による被水で多くの非常用電源が使い物にならず、地震で自動停止した原子炉を冷却することができなくなり、メルトダウンへと進んだ。さらに原子炉格納容器外における水素爆発により建屋が崩壊、放射性物質も大量に飛散した。現在ですら、原子炉内の状態がどうなっているのか、まだ分かっていない部分が大きい。2011年秋ごろにようやく、米仏の大企業の技術を用いて設営した汚染水の浄化設備が軌道に乗るなど、事故処理の道のりはまだまだ遠く、廃炉完了までに40年ほどかかることが想定されている。
原発事故のミスマネジメント
チェルノブイリと同様、福島第一原発事故には、人為的なミスや訓練の不足、無経験によって事故が深刻化したという人災の側面がある。政府の事故調査委員会の中間報告では、疑われていた通り、現場から東京電力本店、原子力保安検査官、首相官邸のすべてにおける人為的なミスのために事故が深刻化し、被害が拡大したことが発覚した3。また、財団法人日本再生イニシアティブが行った福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の発表によれば、菅直人首相による指揮系統は混乱を極めていた。東電は原発から職員を全撤退させ原発を放棄することさえ要求しており、かろうじて首相の命令で踏みとどまったという4。当時、経済産業大臣であった海江田万里衆議院議員は、これだけの大惨事でありながら現場の作業員に急性被ばくによる死者が出なかったことは特筆すべき成果であると筆者らに語る一方で、SPEEDIという放射能汚染物質の広がりを予測したデータをすぐに政府が公表せず避難に活かせなかったこと、そして、低濃度汚染水を海に放出した際に各国の在外公館に対する連絡が遅れたことは誠に残念であった反省すべき点であるとした。海江田元経産大臣の発言は率直であり、一人一人の人命は重視しても、多くの人々に被害をもたらす大惨事は防げなかった東電と日本の体質を示唆している。
福島の事故対応でもっとも根本的な過ちは、現場、本店、省庁、官邸のすべてが平時の手続きや発想でこの非常時に対応したことである。連絡不備や情報格差、情報公開の遅れなどはその結果に過ぎない。形式要件を重視することで責任転嫁の姿勢が生じ、真のリーダーシップも発揮されなかったのである。原発災害を受けて、政界やメディアで米国のFEMAの日本版を創設すべきだとか、危機対応の際の情報共有システムを作るべきだという議論が盛んになった。だが、こうした議論は制度上の問題に解決策を見出そうとするものであって、より本質的な問題は非常時の考え方を採用する思想そのものにある。日本における危機管理体制は、非常時にどのように指導者や責任者が行動すべきか、という根本的な考え方から見直さなければ意味がない。
救援活動とトモダチ作戦
被災地域への救助、救援活動で特筆すべきは、まず阪神大震災の時とは異なり、自衛隊の部隊人員のほぼ半分の規模を被災地域に展開し、原子炉事故と救助救援、復興支援活動にあたらせたこと、次にトモダチ作戦と名付けられた自衛隊史上最大規模の軍事協力を米国と行ったことである。米国は空母ロナルド・レーガンや、原子力事故に関する知識を持った特殊部隊、最新鋭の無人偵察機を派遣して協力を行い、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を初めて適用して両国がともに半ば有事のかたちで協力作戦を行った。これは両国間で実現した最も緊密な連携であった。米国の協力は迅速で大掛かりなものであったが、対して日本政府や自衛隊は当初迅速な対応ができなかったことは反省すべき点だろう。ほかにもオーストラリア、韓国とのあいだで二国間の軍事協力が実現し、中国からアフガニスタンに至るまでの多数の国や地域から多くの国際協力が寄せられた。しかし、日本側の受け入れ体制には、通訳や最適な任務をどのように提供するかなどの面で多くの課題が残った。実際、原発事故は国際的にも被害をもたらしており、長期的に協力して取り組んでいく必要がある。およそ2013年春ごろに大量のがれきがハワイに漂着する見込みで、また今後3年ほどで低濃度放射能汚染水がハワイに達すると見込まれている。
被災地の今
現在の東北は、がれきの撤去がまだ途上であるが、公共事業が始まりだして活気が戻りつつある。だが、津波の激しい破壊に晒された地区では公共事業以外の産業は依然痛手を受けたままで、事務職や女性の働き口は少ない。また、福島県の人々は今も放射能汚染の恐怖にさらされつつ生きている。避難区域外については、政府からの説明では、検知された放射能のレベルがただちに人体に影響を及ぼすものではないというわかりにくい説明が繰り返された。だが、福島の農産物の売れ行きは下がり、東日本ではミネラルウォーターの需要が増え、出生率は短期的に下がっている。最新の除染技術が大々的にTVなどで取り上げられているが、大手のメディアでは福島からの自主避難はあまり話題にされない。国が自主避難者に一時金を給付することは決まったが、自主避難をめぐる議論は地元では忌避され、行政やほかの住民、親類との厳しい軋轢が生じているという5。
3.欠けていた政治的リーダーシップと復興のビジョン
3.11後の政権運営においては、適切な判断や統率力が欠如し、直後の政治的混乱をもたらした。このことが、平時にこれまで指摘されてきた官僚組織の意思決定の遅さや縄張り意識などの弊害を助長することにつながり、官僚機構の持つ長所すら、十分に引き出せなかったのである。
政治的混乱
大震災が日本を襲う直前の国会では、菅総理に関する外国人からの個人献金スキャンダルで審議が紛糾していた。この問題で首相を激しく追及しようとした自民党は、鳩山内閣の普天間基地問題における失策や小沢元代表の大型政治献金スキャンダル、自民党時代と変わらぬ首相の頻繁な交代にもかかわらず、民主党を追い詰めることができずに焦っていた。だが東日本大震災が起きると、日本全体に挙国一致の空気が生じ、自民党もこのような大災害にあって菅政権のリーダーシップを損なわないよう協力するようになった。
ところが、菅首相の指導・調整力の欠如による政府の混迷が、二大政党間の協力の機運を台無しにしてしまうことになる。菅首相は根回しなしに自民党の谷垣総裁に大連立を持ちかける電話をかけて断られてしまった。自民党の菅義偉・党組織運動本部長は、党の基本政策が異なりマニフェストに書かれたばらまき政策の看板を下ろさないままに「大連立ありき」というのはどう考えてもおかしいと指摘する6。大連立構想が壊れた後も、菅政権は自党の政策を固める前、国会での議論の前に自民党を話し合いに取り込もうとしたが、失敗する。菅内閣は災害対応についても、既存の官僚組織をうまく使わずに新設した組織で屋上屋を架し、失敗を重ねた。そのようなリーダーシップの在り方について、与野党を問わず厳しい批判の声が上がった。6月初頭には内閣不信任案が可決されそうになるが、菅首相は震災復興と原発事故収束に一定のめどがついたら退陣するとして乗り切り、その後も退陣を遅らせるなどして政局を混乱させた。菅首相は海江田経産大臣のいったんの原発安全宣言を覆し、原発再稼働をめぐり7月6日になってストレステスト(耐性検査)を導入するよう関係閣僚に遅まきの指示を出し、混乱を招いた。さらに、首相は7月には突如脱原発宣言し、混乱を拡大した。この脱原発宣言は、与野党、与党内で、政権内ですら討論・調整することなしにいきなり述べられたもので、どのように達成するのかについての現実的な方策の検討もないままにポピュリズムに訴えかけるものとして出されたことは明白であった。筆者らがインタビューした与野党にわたる幾人もの政治家が、菅首相の3.11の政局利用を非難している。菅首相だけでなく、発生から100日が過ぎてからようやく任命された松本龍・震災復興特命大臣が被災地の知事らに対する無礼な失言で、任命後数日で辞任するなど、中央の政治家の態度は東北の復興の足を引っ張るものが目立った。
復興予算の遅れ
復興予算は当初16〜25兆円と見込まれた。政府は7月末に10年間で23兆円の支出計画を出した。だが、夏まで内閣の混乱とそれに基づく信用の低下で、菅内閣の第一次補正では4兆153億円、第二次補正では1兆9988億円と少額にとどまった。政争が激化し復興予算の財源を定められなかったため、8月に入って復興予算の財源の調整のため、民主党、自民党、公明党の幹事長のあいだで合意が練られた。そこで、特例公債発行の条件として、民主党のマニフェストに載っていた、高速道路無料化を2011年は計上せず、高校無償化、農業戸別所得補償などの巨大な支出項目を見直し、子ども手当を減額することで三党の幹事長が合意した。この三党合意は、当時の民主党の岡田克也幹事長、自民党の石原伸晃幹事長、石破茂政調会長、公明党の井上義久幹事長らの多大な努力でようやくこぎつけたものであった。このプロセスからは、両党にもコンセンサスを模索し、その中で議論を行おうとする政治家がいたことが窺える。だが、民主党の中ではこの三党合意は激しい反対を生み、自民党の中でも古い派閥の長老らは、民主党政権を救うことはないし、菅政権の退陣による民主党内での首相交代は政局上自民党には不利だとして批判した。
8月末には菅首相は退陣を決め、5人の候補者による代表戦が行われ、最終投票では小沢グループが推す海江田万里元経産相と、前原グループやその他グループからの支持を集めた野田佳彦財相の一騎打ちとなり、結果、野田政権が誕生した。その後11月成立の第三次補正で初めて12兆1025億円の大型歳出が組まれた。財源調整は難航したが、個人所得税と法人税、個人住民税の10.5兆円増税が決まった。2012年年頭の通常国会に提出された野田政権の第4次補正予算案は2.5兆円規模であるが、4次補正案は被災地域のためというより、選挙を見据えて与党のためのばらまきの色合いが濃い。原発事故を受け再考を迫られているエネルギー政策でも、現政権は政策をあまり明らかにしていない。菅前首相は「原発に依存しなくてもよい社会を作る」と表明したが、野田首相は国連で「最高水準の安全性を目指す」と宣言、原発依存度を下げた中でエネルギーのベストミックスを目指すとし、核燃料サイクルに関しては予算もつける方針だ7。
蔓延する漸進主義とバラマキ
復興計画に関しては、4月11日の閣議決定で東日本大震災復興構想会議が設置された。構想会議は、政治や経済の実務経験がない有識者で占められ、会合の日程調整のためだけでも大幅な時間を要したとされる。それから、実に9か月の時を経て、2012年1月にようやく復興庁が設置された。増田寛也野村総研顧問(元岩手県知事)が、復興庁をこれから作るのなら邪魔になるだけだと指摘するように8、復興庁を作るならばもっと早い段階で始動させるべきであった。復興庁に求められていたのは、政府内外や官庁間、国内外の関係者の利害を調整するパイプと実務能力、復興計画を策定するための戦略立案能力と強い権限を兼ね備えることだったが、トップにはマネジメント経験はなく、政府内外、国内外の関係者の利害を調整する能力が備わった組織となったとも言い難い。復興庁の設置が遅れたことで、当初官庁が自主的かつ創造的に復興に取り組もうとしていたモーメンタムを失ってしまい、むしろ管轄の奪い合いや、大変な仕事については管轄の押し付け合いが見られるようになってしまったと、近藤洋介民主党総括副幹事長は振り返る。3.11後、民間企業などから政権に様々なアイディアが持ち込まれたが、ほとんど活かしきれていない状況だという。
二大政党の間の不信は、三党合意が崩れるとともに決定的となっており、のちに述べる民主党の古川元久国家戦略担当相と岡田克也副総理が進める「税と社会保障の一体改革」をめぐる議論も、両党間で合意するには至らないだろう。菅義偉議員は、民主党の三党合意反故や整備新幹線三線同時着工などの大盤振る舞いに加えて、景気悪化の際に消費税を増税しようというのはとても話にならないと即座に退ける。当初の民主党にあったのは自民党の派閥政治と中間利益団体の政治を壊し、国民本位の政治を行おうという志だったが、これまでの三代の民主党政権に露骨に表れていたのは、中間利益団体をある程度排したのはよいが、家計や農家などに直接カネをばらまく政策だった。そして3.11後のいまや、以前の自民党に多少なりとも働いていた公共事業への抑制主義さえも取り払われ、自民党でさえ批判するような公共事業が認められている。日本の政治は、なんとか有利な状態で選挙を戦おうとする現政権にとっても、真摯な対策を望む国民にとってもにっちもさっちもいかない状況となってしまった。
野党自民党の停滞
驚くことに、危機に際してこれほどにまで失点を重ねた菅政権と、選挙なしに首相交代が続いたことにもかかわらず、2012年1月のANN世論調査では民主党支持率25.8%に対し自民党は28.0%と支持を伸ばしきれていない。その理由を、自民党の岸田国対委員長は民主党に対して三党合意を含め協力したことそのものが原因だとする9。だが、理由はむしろ自民党自身が変われていないことにある。例えば、金銭スキャンダルと普天間基地問題で鳩山政権が退陣し、菅内閣が消費税増税をめぐる二転三転の態度で支持を低下させ、自民党が参院選に勝利した2010年夏は、自民党に支持率を伸ばすモーメンタムがあった時期であった。ところが、自民党は派閥均衡や年功序列によらない人事を掲げて選出された中曽根弘文参議院議員会長に対して長老が派閥を無視した人事を妨害するなど、旧態依然の体質を晒してしまった。党内で額賀派を抜けた石破茂元政調会長が党内改革を試みるも、政調会長を外されてしまう。
次期総裁選出馬に意欲をもつ石破茂議員は派閥横断的な政策勉強会を立ち上げて最大派閥の人数に拮抗する人数を集めるに至った。長老からも評価されていると伝えられる石原伸晃幹事長も出馬に意欲的である。同じく出馬を表明している林芳正参議院議員も、勉強会を立ち上げ広く支持を集めている。林議員は、民主党は次の選挙で勝ち目はないと断言する。だが自民党も党内に古い体質を抱えていることは確かだ。民主党政権のミスが多いがゆえにそれに安住して党内改革を先送りするならば、トニー・ブレア率いる労働党に負けて以降、2000年代前半まで低迷を続けたイギリス保守党のように、負け続ける可能性すらありうる。
変革の試み
だが、新たな変化の兆しも生まれている。このように、対策が遅い菅政権、そうした政権の失点が利益となると考える自民党の古い体質の政治家らに反発した中堅や若手のあいだでは、超党派の議連が活性化した。民主党の樽床伸二衆院国家基本政策委員長、松野頼久元官房副長官、自民党の菅義偉衆議院議員、河野太郎衆院議員らが発起人となり、5月中旬に「国難対処のために行動する『民主・自民』中堅若手議員連合」(民自連)を結成した。民主党からは、菅政権に批判的だが必ずしも小沢派ではない民主党の中堅勢力が、広く中堅・若手の同志を募ったかたちである。その中には、野田政権に参画していくことになる人々もいた。民自連は両党に三党合意を順守し、原発事故関連の法制の整備を迅速に行ない、国会に「原発事故検証委員会」を設置することを両党に強く要請した。この民自連の提案のうち民間人から構成される国会の原発事故調査委員会に関しては、自民党の菅議員と塩崎恭久議員、民主党の松野議員が特に尽力してようやく昨年12月に設置された。
民主党の内部にも、責任ある政治を掲げる独立した若手の動きがある。野田派を飛び出て代表選に出馬した馬淵澄夫元国交相は、現在の政界には無責任の連鎖があるとし、自党を糾弾する。日系企業の米国法人社長を務めた経歴を持つ馬淵澄夫議員は、プロ・マーケットで外交・安全保障は保守寄りであることを公言している。現在は若手の不満の一部を集めているにすぎないが、こうした動きは国際的に見えづらくとも、志ある若手からの突き上げが出ている証である。
4. 日本は変わることができたのか?
これまで見る限り、3.11のように大きな危機でさえ古い日本を一新するほどの効果を持たなかったようである。これは国内改革でも、対外政策でも同様のようだ。日本政治に3.11がどのような影響を与えたのかという筆者らの問いに対し、与野党幾人もの政治家が、ほとんど日本の中長期的な政策に影響はないだろうとした。全世界から先進工業国か発展途上国を問わず日本に惜しみなく援助が寄せられたが、国際協力を得たことで日本がより国際的な意識を持つようになったとも言い難い。末松義規・復興庁副大臣は、ODAは当面減額せざるを得ないだろうとの見通しを示しているし10、筆者らがインタビューした複数の政治家も日本は震災でむしろ内向きになったとの観測を示している。
ただし何の影響もなかったかといえばそれは違うだろう。3.11を通じて強まった日本への制約やその自覚を通じ、民主、自民の政治エリートの間に日米同盟や税制改革、貿易協定などの論議に関する、消極的ながらある程度のコンセンサスが築かれつつあることが、議論や政策のニュアンスに見て取れるからである。
日米同盟と外交安保政策
まず、日米同盟はトモダチ作戦を通じて実務レベルでは大幅に深化したといえる。菅政権は鳩山政権よりも基地問題に関して経路依存的な政策をとっていたが、それでも米国に対しては自民党よりも距離がある政権であった。重要な同盟国であり、また原子力災害に関するノウハウを持ち、積極的な協力を申し出ている米国に対し、菅政権の受け入れ対応や情報共有が遅れたことは自民党がのちに激しく批判するところとなった。原発災害をめぐり近隣各国とのあいだに生じた摩擦に比べ11、米国の惜しみない協力は際立っていた。大串博志内閣府政務官はこのことが民主党政権にとっては日米同盟の価値が再認識されることへ繋がったとする。その結果もあってか、民主党政権では、クリントン国務長官とタイミングを合わせての玄葉外相のミャンマー訪問や、これまで日本のほとんど唯一の独自外交政策であったイランとの関係でも米側の制裁に協力するなど、共同歩調は増えてきている。
ただし、残念ながらトモダチ作戦のもたらした効果は国民に対しては限定的であるといわざるをえない。自民党の菅義偉議員が指摘し、当時経産政務官であった近藤洋介議員も、裏打ちするように、民主党政権が国民に対して米側の協力の規模やそれに助けられたことを十分に伝えなかったせいもある。結果、林芳正参議院議員が指摘するように日本国民は少なくとも地方レベルでは親米意識が飛躍的に高まったとは言い難い12。そのため、駐日米国大使館ではトモダチ作戦というブランディングを活かしながら、より直接的に被災地へ復興支援を行い経済的文化的な相互交流を深めるトモダチ・イニシアティヴを各種展開する試みを行っている。米国のこうした積極的な支援活動は、確実に被災地の人々の助けになっているし、また日本が今後国際貢献を進めていくうえでぜひとも参考にすべき事案だろう。
日米同盟に限らず、安全保障分野全般で過去のイデオロギー対立を脱し、現実に役立つ政策が進められるようになった効果も大きい。例えばこれまで改革が難しかった武器輸出基準の転換など、現実的な変化が大した波紋を広げることなく受け入れられている。結果、米以外との武器共同開発も容認することで国防費の削減も可能になり、PKOでも装備品供与が可能となるなど、その成果は大きい。松村五郎陸将補(陸上幕僚監部人事部長)が指摘するように、二国間の協力に加え多国間での安全保障協力を目指すことも重要である13。インドとのあいだで海上安全保障協力を高める試みも始まっている。
税と社会保障の一体改革
次に、消費税改革についてはどうだろうか。日本の財政を最も圧迫している高齢化社会に伴う社会保障費の自然増を補うためには、消費税増税は避けられないというのが二大政党のほとんどの政治家の本音であることはおそらく間違いない。問題は、激しい与野党対立を前提にすると国会では消費税で合意できないことと、ほかの改革が全くと言ってよいほど進んでいないまま、現政権が消費税増税にばかり力を注いでいることにある。民主党政権では古川元久国家戦略相が「税と社会保障の一体改革」を担当して2015年10月に10%とする素案をまとめたが、野党だけでなく海江田万里元経産相や小沢派を中心に党内の反対が強いため、ここへきて新たに任命された岡田副総理がこの問題を率いることになった。自民党は、増税が民主党のマニフェストに反していること、景気悪化の懸念があること、社会保障の将来像が不明確なことから、現在増税を決定することには反対を貫く構えである。みんなの党の江田憲司幹事長も指摘する通り、自民党橋本内閣の時に消費税率が3%から5%へ引き上げた結果、景気悪化の一つの原因となり、税収も減じたことは事実である。だが、自民党の反対の裏には選挙前にただでもばらばらな民主党や野田首相にひとつでも勝利を与えたくないという計算や、三党合意で合意したはずのばらまき政策撤回を実現させずに増税だけに同意したくないという思いが働いているだろう。民主党の中では消費税増税では国民の支持を得られず、選挙を戦えないと考える人々が多いことも確かである。
実は消費税を10%にしたからと言って日本の財政が立ち直れるわけではない。IMFの報告書では日本の大震災の復興費用で2011年から13年の財政負担だけでGDPの4%相当に上ると試算し、消費税税率を引き上げても債務比率を安定的に下げるには不十分だとの見方を示している。しかし、民主党政権の震災復興費用以外の部分におけるばらまきの姿勢は改められていない。国の借金は3月末には1000兆円近くになるであろうが、政府が今年発行した赤字国債は44兆円を超える。麻生政権は確かに金融危機後に多額の国債を発行したが、リーマンショックの前には小泉政権が新規国債発行額30兆円枠を設け、2007年の福田政権では25.4兆円まで下がっていた。いまでは44兆円が事実上の上限となってしまっている。消費税10%への増税が社会保障費を賄うのに十分であるともいえない。財務省は16%という試算をちらつかせ始めており、民間では25%程度は必要であり、それでも給付減が必要な状況であるという観測もある。
経済成長を目指すことができるか
最後に、経済成長を目指さなければいけないという考えも、ようやく3.11を経て民主党内に広がり始めた。民主党に参画した旧社会党系の議員は分配重視、労組重視の姿勢をとってきた。中堅若手でも、菅内閣で官房長官を務めた枝野幸男経産大臣は、低成長の福祉国家を目指すという考えをこれまで示してきた。これに対し、松下政経塾出身で1990年代前半に国政入りした野田首相、前原誠司民主党政調会長は、経済成長を重視している。さらに、直嶋正行元経産相など民社党の流れをくむ産業系大企業の労組出身の商工族は日本版コーポラティストであり、経済ナショナリズムの契機を持つ。民主党の中堅・若手には、馬淵議員や近藤洋介民主党総括副幹事長のように、保守よりの政治家も多い。例えば近藤議員は、自らを右寄りの政治家と位置付け、経済成長のために規制緩和と重点投資を行うとともに積極的に外国企業を誘致することが必要であり、TPPに参加すべきだと主張する。3.11による危機は、民主党内で経済成長重視の考え方に力を与えたといえる。
TPPは社会保障と税の一体改革と並び、現在日本の政界・メディアにおけるもっとも熱い論点の一つである。メディアに登場する何人もの有識者やコメンテーターがTPPに対し脅威論を唱えているが、脅威論の多くは根拠を欠いている。懸念されている投資家保護条項は多くの場合、進出先の突然の国有化や規制の導入に対し先進工業国を保護してきた。裁判所の公平性が問題となっているのであれば、交渉の過程でそれを主張し見直せばよい。TPPが日本経済にもたらすであろう利益は非常に大きく、参加しないことによる不利益も甚大だ。日本の消費者は最大の受益者となり、国内の規制緩和は国内企業をも大幅に利する。例えば、米国通商代表部(USTR)がターゲットとして指摘している簡保・共済は税法上の優遇措置を受けており、他の保険会社とイコール・フッティングの状況にないが、その優遇措置を撤廃することによる最大の受益者はアメリカの保険会社というよりむしろ日本の既存の大手保険会社である。日本がTPP交渉に入ることは、すなわち日本の会社が負けることを意味するわけでは全くないのである。
徐々にではあるが、ほかにも日本のグローバル化の試みが進展している。カナダとのEPA 交渉 が始まり、日本とEUは2011年からEPAの予備交渉に入った。
ただ問題は、政治家は、有力な票田である農業関係者が反対を貫いているために、必要な一歩をなかなか踏み出せないでいることだ。野田総理はTPP交渉を進めたい考えだったが、反対者の多い党内に配慮するあまり国内向けには交渉に対する慎重な姿勢をアピールしている。
民主党と自民党が似てきているということを指摘する声は少なくない。また、民主党は自民党以上に寄せ集めの政党としての性格が強い。だが、日本の政治における争点はいまや明確である。現実的な安全保障政策をとり国内経済改革を断行し、日本をより世界に開かれた国にしようとする改革派の勢力に対し、利益団体に支持された古い派閥の政治家と官僚主義である。このような対立軸に日本政治が貫かれているために、国内経済改革は、遅々たる歩みでしか進んでいないのである。
5.世界との比較における日本
日本の現状と世界各国の比較
もしも政府がこのまま改革を遅らせ、効果的な復興を実現させられなければ、日本は今後さらなる停滞と衰退の10年をたどるであろう。だが、国内経済を立て直し、適切な復興戦略を立案し実現させられれば、日本は目覚ましい再起を図ることも十分に可能である。なぜならば、日本は東日本大震災のような大惨事に際して見事なまでの結束と秩序を世界に示したごとく、強い力を秘めた社会だからである。さらに、日本の底力は「絆」のような目に見えないものだけでなく、先進工業各国と比較した場合の経済や社会の強度などの客観的な指標にも表れている。ユーロ危機に揺れる欧州と比較すれば、日本の経済と社会はより安定しているといえようし、日本社会は米国の社会ほどに大きな亀裂を内包していないからである。
日本経済は、2008年の金融危機以前に先進工業各国が享受したような高い成長率を1990年代以降経験していない。日本は、新しい技術や市場、高いレバレッジに支えられた「グローバリゼーションの配当」とでも呼ぶべき富を享受せず、バブル経済崩壊の後始末に追われ、長きにわたる停滞を経験してきた。金融危機後の欧米では、新たな現実がこれまでの高い成長にとってかわり、多くの国、とりわけ欧州各国は「日本化」してきている。アイルランドのように比較的小規模な国がレバレッジをきかせてグローバリゼーションの配当を享受していたあいだ、日本の銀行は預金超過の状態にあった。そしていまや、欧米各行は日本の銀行に資金を求めて巡礼にきているというのが実情である。日本の大企業は円高を活かして、1980年代以降初めて積極的に海外企業の買収を図ろうとするモードになっている。要は、現在の日本は世界の先進工業各国の実情に比べまだしも相対的な安定性を保っているのである。
しかしながら、現状が比較的安定しているからと言って楽観的になるのは早計であろう。現在の安定はむしろ嵐の前の静けさである可能性が高いからである。日本社会には、政治の不決断と説明責任の不在によって国民の目が見せかけの安心に欺むかれている裏で、危機が蓄積していく構造が存在している。日本の政治には真摯な危機意識が不足しており、多くの政治家は構造改革を避け、短期的かつ場当たり的な応急処置に走っている。このままの構造が続くならば、優良企業や優秀な人材は国を出て、日本の輸出力は衰えつづけるだろう。
不満を持つ勢力からの突き上げ
このような現状に対する不満の声はすでに地方政治の躍動に反映されつつある。大阪府と大阪市のダブル選挙では、橋下徹・現大阪市長率いる勢力が人々のフラストレーションや危機感から期待を集め、地滑り的勝利を飾った。橋下市長の勢力は次期衆院選を見据え、全国政党を組織すべく活動を加速している。その改革の目玉は、参議院の廃止、中央集権制度の打破と地域主権型道州制の実現、公務員給与の大幅削減と政党助成金の廃止、財産税の導入などであると伝えられ、長年の日本政治のタブーに取り組むものである。「大阪維新の会」の政治塾には応募者が殺到しており、全国政党のみんなの党が連携し、石原慎太郎都知事との連携も伝えられるなど、その勢いは増すばかりである。
けれども、日本経済や社会がギリシャやイタリアのようにいったん崩壊の危機に瀕しでもしない限り、橋下市長の勢力が国会を席巻するほどの大勝利を収めて政変が起きるとは考えにくい。それほどまでに日本のエスタブリッシュメント層は強靭であるといってよい。もちろん、大阪維新の会が改革を実現させるのに有効な議席数を獲得すれば、連立工作を通じて主要政党の政策に有意な影響を与えることはできるだろう。
より短期的には、日本の政治が劇的に変わる見通しは立っていない。利益団体や主要な有権者層の利益に訴えかける政治が展開される一方で、当初民主党が代表するはずであった社会的弱者は見捨てられているに等しい。民主党はさまざまな分野で農家の戸別所得補償や70歳〜74歳の高齢者医療費の窓口負担を一割に据え置くなどの、主要な選挙民を利する政策を推進してきた。他方で、幼保一体化が挫折した育児支援しかり、医療制度改革しかり、非正規雇用者の待遇改善しかり、地方公務員給与の削減しかり、当初掲げられていた必要な改革については、より永田町の現実に即した政策を採用したのである。
6.明るい未来を目指して
言葉も失うような大惨事を経験して一年、日本はいま岐路に立たされている。大震災と原発事故は、失われた20年と呼ばれてきた日本の長期的停滞の果てに生じた危機であった。この危機に際して日本の人々の圧倒的多数が無秩序に陥ることなく、強く連帯し、乗り越えようとする態度を示したことは、日本の国としての真の強さを示す出来事だったといえるだろう。だが、これまで見てきたように、中央の政治が危機に十分対応し、復興の道を示したとは言い難い。もちろん一人一人の意識は大事だが、それを活かす政治やシステムがあってこそ、日本は国家として力強く復興できるのである。3.11から一年、日本がどのように変化しつつあるのかに国際的に注目が向けられ、また支援の手も差し伸べられている今こそ、モーメンタムを活かして日本の変革のメッセージを発するべきである。野田政権にはまだ身を切って真の変革をもたらすための機会が失われてはいないし、自民党にも党内改革や国会審議を通じ、建設的な改革を成功させる勢力としての像を国民に示す機会がある。
日本が変わることができていない理由の一端には、一見逆説的だが社会に深刻な亀裂が少なく、同質的な社会を保持していることがあるだろう。いうなれば、改革のためのエンジンを欠いているのである。あらゆる利益団体がその利益を損なう改革に拒否権を持ち、あたかも小宇宙が林立しているような社会は一見平和的に見えるが、その裏では、社会的弱者が苦しんでいることを忘れてはならない。だが、その彼らでさえ、先進工業各国と比較すれば相対的には「まし」な状態に置かれているといえよう。けれども、蓄積しつつあるリスクは待ってはくれない。リスクが現実化し、国内経済が瓦解し、社会が分断され崩壊してからでは遅いのである。
いまや日本の希望は、言い古された言葉ではあるが、危機をチャンスに変えること、にほかならない。短期的な危機が去り、物事が鎮静化しつつある今、一年前の日本の結束や決心を忘れ去ってはならない。ここまで筆者が記憶する限り停滞してきた日本の政治や社会が、すぐにでも自己変革するという希望的な観測を持つことはできないし、決心してすら変化は一日にもたらされるものでもないだろう。それでも、政治がより強固な意志とリーダーシップを持って、国益に基づき、本質的な改革や戦略的なビジョンに基づいた復興計画を実行するならば、日本とその子供たちには明るい未来が待っているのである。
謝辞
インタビューにご協力いただいた方々へ、深く御礼申し上げます。ご協力いただいた方々(一部)のお名前を以下に列挙させていただきます(50音順)。大串博志衆議院議員(民主党、内閣府政務官)、江田憲司衆議院議員(みんなの党幹事長)、海江田万里衆議院議員(民主党、衆議院財務金融委員長、元経済産業大臣)、近藤洋介衆議院議員(民主党総括副幹事長、民主党東北地方太平洋沖地震災害復旧・復興検討委員会事務局長代理)、菅義偉衆議院議員(自民党・党組織運動本部長)、林芳正参議院議員(自民党政務調査会長代理)、馬淵澄夫衆議院議員(民主党、元国土交通大臣)。
本稿の内容、そこにおいて示された意見などは、筆者個人のものであることをお断りいたします。
著者略歴
三浦瑠麗(Lully Miura)
東京大学政策ビジョン研究センター特任研究員(安全保障研究ユニット)東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)、東京大学公共政策大学院修了(専門修士)、東京大学農学部卒業。専門は国際政治学。これまで、外交・安全保障政策、成長戦略、道州制改革など幅広い分野にわたる政策提言で、国連大学佐藤栄作記念財団主催「佐藤栄作賞」優秀賞、防衛庁・自衛隊主催安全保障論文コンテスト優秀賞、自由民主党主催国際政治・外交論文コンテスト総裁賞、三菱UFJリサーチ&コンサルティングより優秀賞、東洋経済新報社主催、高橋亀吉記念賞(佳作)各賞受賞。2011年より現職。単著論文に「滅びゆく運命(さだめ)?—政軍関係理論史」(『レヴァイアサン』46、2010年4月)、共著に『戦略原論』(日本経済新聞社、2010年)がある。近く、単著『シビリアンの戦争』(仮題)を刊行予定。
ジョシュア・W・ウォーカー(Joshua W. Walker)
ジャーマン・マーシャル財団トランスアトランティック・フェロー(アジアプログラム)幼少期より北海道札幌で育つ。米国プリンストン大学博士課程修了(PhD)、イエール大学修士課程修了(国際関係学修士)、リッチモンド大学卒。ハーバード大学、東京大学、外交問題評議会、トランスアトランティック・アカデミーなどでフェローを歴任。トルコのアンカラでフルブライト・フェローを務め、国務省と米国大使館でトルコを担当し、2011年より現職。ジョージ・メイソン大学客員研究員等を併任。ボストン・グローブ、クリスチャン・サイエンス・モニター、フォーリン・ポリシー、インターナショナル・アフェアーズ、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン、ニュー・リパブリック、ワシントン・クォータリー、ワシントン・タイムズ等多数の新聞雑誌に寄稿している。近著(共著)に、Turkey and Its Neighbors: Foreign Relations in Transition, Lynne Rienner Publishers, 2011. 近く、日本とトルコに注力した、帝国崩壊後の後継国家における歴史の記憶が果たす役割について、単著を刊行予定。
脚注
- 近年の世界の大規模災害の被害状況と比較すれば、1995年の阪神大震災は死者6434人、行方不明者3人、2005年8月に米国で起きたハリケーン・カトリーナは死者1836人、行方不明者135人であった。もちろん死者316,000人を出したハイチ地震(2010年)や、死者227898人を出したスマトラ沖地震(2004年)、死者69,197人、行方不明者18,222人を出した中国の四川地震(2008年)の規模ではない。だが東日本大震災は被害総額では約16〜25兆円と阪神の2倍以上、四川地震を上回っている。
- アメリカのスリーマイル島原子力発電所事故では想定外の事故に発展したものの、レベル5の事故に止まり、放出された放射性物質にセシウムは検出されなかった。
- 現場は津波が来るまでの間に有効な対処をせず、非常用冷却装置を一部作業員が手動停止するなどの判断ミスを犯し、その後も操作ミスを犯した。東電の現場と本店は本来設計上の構造から知っているべきであるにもかかわらず、当初非常用冷却装置の一部、非常用復水器(IC)で原子炉が冷却されていると思い込み、冷却するために必要な対策を取らなかった。その間に貴重な10時間以上が失われ、代替注水が遅れた。
- The New York Times, Feb. 28, 2012.
http://mobile.nytimes.com/2012/02/28/world/asia/japan-considered-tokyo-evacuation-during-the-nuclear-crisis-report-says.xml - 最も深刻なシナリオは4号機の使用済み核燃料プールの燃料棒露出による放射能汚染で福島第一原発、さらには第二原発も放棄せざるを得なくなることで、その場合首都圏も避難しなければならなくなるであろうことが予測されたが、原発放棄事故前の工事のミスなどの偶然によって大量の水がプールへと流れ込んで、危うくそうした事態が避けられたのだという。朝日新聞3月8日一面参照。
- 12月2日の衆議院 東日本大震災復興特別委員会での長谷川岳自民党議員の質疑における参考人聴取より。
- 2011年6月10日 毎日新聞参照
- これに対し、渡辺喜美が代表を務めるみんなの党は将来的な原発ゼロを主張する。江田憲司幹事長は、電力自由化と代替エネルギー推進が重要であると語った。民主党内でも、野田総理のグループから飛び出て民主党代表選に出た馬淵澄夫元国土交通相は、「原子力バックエンド問題勉強会」を率いて原発の使用済み核燃料を再利用する「核燃料サイクル」凍結などを柱とした報告書を取りまとめている。
- 日経12月19日一面参照
- 以下MSNニュース参照。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111212/stt11121215270005-n1.htm - 東京大学政策ビジョン研究センター主催国際フォーラム、「東日本大震災後の東アジアを考える」(2011年12月10日開催)にて発言(末松議員は当時総理補佐官)。
- 中国は日本に援助隊を派遣したがすぐに帰国した。海江田議員や大串議員らは、日中関係はむしろ原発災害をめぐり多少悪化したとする。韓国とは実務レベルでの協力が進んだものの、新聞における日本沈没と銘打った一部報道が問題視された。ロシアからも空軍の戦闘機が接近し、自衛隊がスクランブルをかけたほか、これらの国で日本製品が放射能汚染されている危険があるとして不買の動きが広がるなど、近隣ゆえの摩擦も目立った。 林議員への筆者インタビューより。昨年の内閣府の世論調査では、米国に対し親しみを感じる割合は昨年比2.1ポイントアップの82%と過去最高の数値を示した。
- 東京大学政策ビジョン研究センター主催国際フォーラム、「東日本大震災後の東アジアを考える」(2011年12月10日開催)にて発言。