大学と政策提言

政策ビジョン研究センター長
森田 朗

2008/10/16

社会には常に問題が多数存在している。それを巡って何が原因か、どのようにすれば解決できるか、日々議論が展開されている。そして解決策が「政策」として提言され、「制度」として制定されると、解決へ向けての一歩前進となる。だが、実際には、政策のあり方は関係者の利害と密接に関連しており、とくに政局が流動化し不安定になったりすると、しばしば政策を巡る議論は加熱し、過激な主張がなされるようになる。

大学は、研究と教育の場である。研究に関していえば、日々自然現象、社会現象を分析し、それらを支配する法則や理論の解明に取り組んでいる。社会の課題を解決するための政策は、当然に、そうして発見された理論なり法則に基づいて作られなければならない。言いかえれば、政策は理論や法則に拘束される。それに反した策は実現できない。こうした理論や法則は、課題の解決だけではなく、社会を改善するためにも用いられる。もちろん核兵器のような例外もあるが、医学の進歩がそれまで助からなかった人々を病から救うように、これまで科学の応用が人類の幸福を増加させ、社会の発展をもたらしてきたことは否定できない。

ただし、科学的な法則の応用が自動的に社会の進歩に結びつくわけではない。この世の中には、しばしば議論となる「産業振興」か「環境保護」かの選択の場合のように、価値判断が必要な問題が大半であり、それらについてはしっかりとした手続を踏んで価値選択を行うことが必要である。しかし、その前段階で、いかなる政策の選択肢がありうるのか、精密な分析と体系的な選択肢の提示がなされなくてはならない。

だが、現実の政策の多くは、必ずしもこうした過程を経て提案され、慎重な議論を経て決定されているとはいいがたい。医学部の学生定員を増員すれば、本当に地方の医師不足は解決するのか。人口減少、少子高齢化に向かう時代に、国民負担を増やさずに充分な社会保障を維持する方法が本当にあるのか。保育所の待機児童を減らすことによって本当に少子化を食い止めることができるのか。毎朝納豆を食べれば本当にダイエットでき、メタボ対策になるのか・・・。

このような主張には、政策とその効果の因果関係が明確ではないものが多数ある。また仮に因果関係は明かであったとしても、社会には、薬の副作用のように、想定外の副次的効果をもつものも少なくない。社会は複雑なのである。

他方、一般の人々が複雑なことがらをそのまま理解することは容易ではない。そのため、政策論議では何よりもわかりやすさが求められる。新聞やテレビなどのメディアも、それに応えてものごとを単純化し、ある提案に賛成か反対かの両極に課題を争点化する傾向がみられる。その結果、何か社会に害悪をもたらす課題が発生すると、何らかの責任のある者を悪者にして、糾弾し謝罪させ、溜飲を下げるといった現象がしばしばみられる。これは一時的な心理的解決をもたらすものではあっても、抜本的な解決にはならない。課題を抜本的に解決するためには、課題発生のメカニズムを明らかにし、充分なデータに基づいて有効な解決策を考案し提示することが必要である。薬は、その副作用を認識した上で、有効な場合に処方しなければならず、効かない薬をやみくもに処方しても効果が期待できないのと同様に、理論とデータの裏付けのない政策の効果は期待できない。

政策ビジョン研究センターの役割は、このような課題の分析に基づいた政策選択肢の提示を行うことであり、とくに複数の政策選択肢の効果のみならず、そのデメリットも提示することによって社会における政策を巡る議論の質を向上させることをめざしている。

東京大学には、このような課題の解決に利用しうる情報や知識がたくさん生産され、蓄積されている。しかし、それらの多くは、広く社会の現実の問題の解決に結びつく政策提言という形で作られてはおらず、またそのような形で発信されてはいない。当センターは、東京大学がもつさまざまな知の産物を結びつけ、社会に役立つような形に加工して情報発信することをミッションとしている。現在、大学の社会貢献が求められているときに、当センターがこうしたミッションを果たすことは、その重要な一環を担うものと考える。学内外の多くの方々のご理解とご支援・ご協力を期待したい。