第2回 科学技術ガバナンス研究会 連続ヒアリング企画
日時:4月23日(金)15:00〜16:30
場所:東京大学公共政策大学院 会議室
講師:中須賀 真一 東京大学大学院工学系研究科 教授
参加者:11名
講師による主要な問題提起
◆ 宇宙開発の歴史を振り返ると、1960年代の東西冷戦下において米ソ中心に発展した。当時は国家の威信や安全保障のために多額の国費が投入され、宇宙開発の実用的意義は不問であった。1970年代から宇宙の産業利用が放送通信分野や気象分野ではじまった。現在ではこのような衛星利用は一通り行われつくしており、新たな利用方法を探っている。
◆ 現在でも、宇宙開発は、世界各国に対し自国の技術レベルを示す機会であり、同時に国家のブランド構築(国内外双方に対して)のためには非常に有効な手法である。
◆ スーパー301条による衛星調達合意以降、日本の産業衛星開発は停滞した。日本の衛星開発はまず開発ありきで、衛星を打ち上げてから利用を検討している。現状では、衛星の開発コスト(1基300−500億円)に見あった成果は得られておらず、ビジネスとしては難しい。日本の宇宙開発では、衛星やロケットの製造・打ち上げ自体が自己目的化してきた傾向があり、技術の活用法やビジネスとのつながりが検討されていないことが問題である。
◆ 日本でも、宇宙科学分野の研究者間では競争が活発に行われ、高精度かつ高効率の技術が生まれている点は素晴らしい。この背景としては、宇宙科学の分野では研究者がユーザーコミュニティーとしても、役割を果たしてきたという事情がある。
◆ インターネット衛星や国際宇宙ステーションについては、多額の投資に見合った成果を出せているかは疑問である。
◆ 欧州の宇宙開発には、ガリレオ計画(衛星による有料のGPS機能の提供。新しい社会インフラ開発の可能性を秘めており、1,000社を超える企業がビジネスとして参画)や観測衛星ラピッドアイ(分解能は高くないが、5機を連動させることで、継続した観測が可能。農業の収穫量予測、先物取引などに利用可能。コストも合計約90億円と安い)などの、利用と連結した注目すべき例がある。
◆ 国家や行政の役割は、宇宙開発(衛星の存在)を前提としたインフラ・社会システムの構築についてのグランドデザインを行うこと、また技術イノベーションと社会イノベーションを結び付ける機会を創出することである。
討議における主要な論点
◆ 旧NASDAと旧宇宙科学研究所は、組織文化が異なっていたのであり、これらを統合することがマネジメント上適切であったのかには議論の余地がある。
◆ 欧州では、日米より早くから宇宙開発の産業化を見越していた。またESAのミッション(お金を出している国に産業を作り出して還元するという目的がある)なども影響し、政策課題の解決方法として宇宙開発がどのように役立つかを考えていたことが、ガリレオ計画やラピッドアイといったプロジェクトの実現に寄与したのではないか。
◆ 日本において社会インフラとしての宇宙利用を促進するためには、利用に関わる関係省庁の予算配分と、彼らが宇宙を利用したくなる論理を根本に見直す必要があるのではないか。
◆ 日本において宇宙開発を振興するためには、省庁がトップダウンで衛星の利用を先導し、インフラを整備することが重要であろう。各省庁に宇宙利用のメリットを説明し、省庁を横断する連携を促すこと、また、プロジェクトの初期段階からビジネス関係者を関与させることが重要である。日本には各分野の優秀な研究者が散在しており、彼らを巻き込み連携させた多角的な宇宙開発コミュニティの構築が必要であろう。
◆ 宇宙分野に限らず、日本のトップで社会システムの考案、考察ができる人材が少ない。ロードマップとグランドデザインの重要性を理解した上で、ひとつの事業の推進力となる人材(少人数でも推進力のある人や企業)が重要である。
◆ 日本はある政策を「やめる」決断ができない。やめるためのツールとしてのテクノロジーアセスメントも重要であろう。
◆ 日本では宇宙基本法の成立後も、残念ながら依然として宇宙開発・利用についての包括的議論がされておらず、政権交代後は議論が凍結されている。有識者会議は戦略形成の必要性を訴えているが、省庁の反応は鈍い。省庁の認識としては、具体的ニーズが見えないこと、過大なコストを負う恐れのあることが、躊躇を生んでいるようである。
◆ 日本においては技術選択がいわば「キーワードビジネス」(例えばインターネットといったキーワードに飛びつく)によって行われてきたが、これをテクノロジーアセスメントによるものに変えるべきではないか。また、単発のプロジェクトではなく、継続性・連続性を意識した「プログラム」をベースに考える必要性がある。
◆ 米国は宇宙開発の主な対象を月から火星に変更する方針を発表したが、米国から日本の方針を問われたとき、日本はどのような根拠やプロセスをもとに方針を決め、説明をするのかが懸念される。