規制緩和から制度創造へ−イノベーションを阻む制度の空白−

政策ビジョン研究センター教授
坂田 一郎

2009/1/28

坂田 一郎 教授

このコラムでは、イノベーションと制度創造との関係について、論じてみたいと思います。技術進歩と制度整備のスピードの大きなギャップが社会に損失をもたらしているという課題を提起したいと思います。

技術進歩のスピードの加速

近年、技術進歩のスピードはどんどん速まっています。ISI社のデータベースを利用して、サステナビリティ科学、太陽光発電、燃料電池、再生医療、ナノリスクといった分野の論文群を分析し、それらの平均の出版年を計算してみると、大半の分野で1990年代末から2000年代となっています。ISIのデータベースには、古いものでは1956年から登録されていることを考えると、これは驚くべきことです。20世紀後半の数十年と十年に満たない21世紀における学術知識の生産量が余り変わらないということを示しています。

こうした学術知識の爆発に後押しされて、これまで社会が想定してこなかったような新技術・手法が次々と生まれています。例えば、再生医療、在宅検診が可能なナノ医療デバイス、カーボンナノチューブ、生活支援ロボット、燃料電池、高効率の太陽光パネル、進化する教科書、金融工学です。

技術進歩と生活現場とのギャップ−「第2のデスバレー」

しかし、我々が日頃の生活の中で、これらの先端科学の恩恵を受けているかというと、その実感は余りないのではないでしょうか。ロボットは工場では多用されていても、生活の場にはほとんど入ってきていません。太陽光発電では、世界の中で日本が先行をしましたが、現在では、アメリカや欧州での普及の方に勢いがあります。

なぜ、我々は、もっと早く先端科学の恩恵を受けることが出来ないのでしょうか。大きな原因は、科学の進歩に制度の革新が追いついていないことにあります。ここでいう制度には、法律上の規制の他に、物や技術の承認基準、安全や倫理基準、標準、金融市場の監督・監視体制や基準、社会的価値の高い技術の導入支援制度等、幅広い要素が含まれます。科学技術の進歩が急加速しているのに比べ、制度の変化は緩慢です。それによって生まれた制度の空白が社会的イノベーションの実現を阻んでいるのです。従来議論されてきたイノベーションのデスバレー(死の谷)は、主に資金不足に起因するとされてきました。こうしたデスバレーに対し、私は制度空白が作る谷を「第二のデスバレー」と呼びたいと思います。

制度の空白がもたらすもの

制度の空白があると、具体的には、どのようなことが起こるのでしょうか。一つは、新技術が研究室から外の世界に出られなくなることです。新技術には何らかの危険が伴うことはよくあります。特にそのような場合、危険性を適切に評価し、社会的に管理するための制度が無いと、社会に受けいれてもらうのは難しい。規制が無いことがかえって完全な規制を引き起こします。具体例として、自分の組織(自己細胞)を利用した再生医療を取り上げましょう。現在、皮膚、血管、眼の角膜、骨等様々な組織に関する研究が盛んに行われています。自己細胞ですので移植に伴う拒絶反応は無く、普及に対する期待が高いのですが、これまで実用化されたものはわずかです。自己細胞は、テーラーメイドの製品であり、また、モノというよりはその製造技術の安全性等を問う必要性が高いという特性があります。また、細胞の管理・培養・運搬は病院ではなく、企業が主体となって行なわれることが望ましいと考えられます。対して、薬事法は、大量生産によって製造されるモノ(医薬品や医療機器)を対象としているため、テーラーメイド製品や技術の評価方法や評価基準が不明確です。また、病院と細胞の培養等を行う企業、病院の臨床研究と企業主体の治験を橋渡しするルールが不在です。ガイドラインの策定等、少しの進展はあるものの、研究室と社会の間には高い壁が立ちはだかっているといわざるをえません。生活支援ロボットについても、今後、同じような問題が出てくると思います。工場ではなく、市民生活の場に入るとなると、機械の専門家でない人々が使うわけですので、どうしても事故のリスクが高まります。生活の場に持ち込むには、出来るだけ事故を減らし、同時に、一定の危険性が避けられないものの利用について社会的コンセンサスを作るため、製品種類ごとの安全基準の早期整備が必要となってきます。

今ひとつは、その逆、新技術の濫用です。金融工学はその典型例です。金融工学のように物理的な制約がなく可視化されにくい技術は、再生医療とは違って、実用を止めることは困難です。濫用防止には市場サイドでそれを適切に抑制するメカニズムが欠かせませんが、今回の金融危機でわかったことは、金融工学を利用した新商品の急成長に市場が対応できていなかったということです。金融市場に関するデータ自体は、電子データとして社会に存在します。市場、金融商品や保有者の種類を超えて大量のデータを集め、分析し、金融界に必要ないち早く情報を提供する、そのような仕組みが無かったわけです。別の言葉でいうと、急速に広がった金融市場の全体像をだれも俯瞰する能力や権限を持っていなかったということです。今後、急場の対応策だけでなく、今後数年の不安定な時期、市場をうまくマネイジしていく上で、また、再発を防ぐために、必要なデータを集約しグローバルに監視・警告を行う権限を持った国際機関の設立が望まれます。

「規制緩和」から「制度創造」へ

これまで政府は、「規制緩和」を進めてきました。今後は、爆発する知識を国民生活に活かし、同時に新産業や雇用を生み出すために、先端技術に対応した規制や制度を迅速に作る「制度創造」の視点を重視すべきと考えます。

その際、必要となることが2点あります。一つは、国会や行政組織の限界を超えて迅速な制度整備を可能するために行う制度の基本的デザインの変更です。私は、国会で審議出来る法律の本数を増やすことが出来ず、また、行政機関の人員や専門性に限りがあるということを前提とすると、制度の骨格と制度の運営評価・管理の仕組みを法令や行政機関の規則で決めた上で、細則は、専門家コミュニティによる自律的な統制に任せるようなことが必要となると考えています。シンガポールの財務省を訪問したことがありますが、同省では税制の整備に外部専門家を大量に活用しているということでした。少し意味は違いますが、外部専門家を利用するという点は、私の提案と共通していると思います。

今一つは、リスクガバナンスについて、考え方を確立し、国民的なコンセンサスを作っていくことです。社会的メリットの非常に高いものについても、何らかのリスクは避けられない場合が多いと考えられます。どのような考え方で、社会的効用とリスクを比較考量し、社会として新技術を利用した商品やサービスを認知していくのか、機軸となる考え方や仕組みを作り上げる必要があります。 この点についての更なる議論は、専門家である森田教授のコラムにボールを渡したいと思います。

政策ビジョン研究センターとしての取り組み

東京大学政策ビジョン研究センターでは、こうした問題意識の下、「再生医療」「ジェロントロジー(老年学)」「医療情報の知の構造化」といった社会への応用が強く望まれている領域、「技術ガバナンス」や「生命・医療倫理」のような制度創造に関して横断的に必要とされる領域について、研究ユニットを設ける等により、研究を進め、提言をしていく予定です。


参考リンク