第10回 PARI政策研究会

 09/04/20

当センターのポリシーディスカッションペーパー:「安心して暮らせる活力ある長寿社会の実現を目指して 〜高齢化社会の「課題解決先進国」へ〜」 に関連して、「持続可能な福祉社会」を提唱しておられる千葉大学の広井先生にお話を伺いました。高齢化社会における日本型のコミュニティはどうあるべきか。これまでの日本における社会保障やコミュニティの変遷を踏まえ、今後目指すべき政策の方向性も含めた、示唆に富んだお話が伺えました。


持続可能な福祉社会の構想 

広井良典 教授 (千葉大学法経学部教授)

はじめに 〜「持続可能な福祉社会」とは〜

「持続可能な福祉社会」とは、「個人の生活保障や分配の公正が実現されつつ、それが環境制約とも調和しながら長期にわたって存続できるような社会」。 「環境と福祉」の統合という基本的な問題意識から構想した。

環境と福祉はそれぞれ異なる文脈で行われてきた。環境というのは富の総量と持続可能性(サステナビリティ)に関わる部分であり、福祉は富の分配と公平性に関わる。経済は富の生産と効率性に関わる。いかにこの環境・福祉・経済のバランスを取っていくか。

政治的な文脈で言うと、横軸が社会保障・福祉の対立軸、縦軸が環境の対立軸。欧米の場合は、従来は大体横の対立軸が政権交代で、大きな政府=高福祉高負担型の社会を志向するか、小さな政府=低福祉低負担型の社会を志向するかで対立があった。いずれの側も経済成長志向をいかに達成するかという目標においては、共通していた。それが70年代位から成長志向、環境(定常)志向という縦の対立軸が出てきた。だんだん左右の対立軸が相対的に縮小して、縦の対立軸になり、単純な大きな政府でも小さな政府でもない、上から下にシフトする環境志向という方向性を持った社会が求められるようになった。これを「持続可能な福祉社会」と呼んでいる。

これからの社会保障

日本の社会保障の特徴

社会保障給付費が非常に増えているということは言われるが、国際的に見ればヨーロッパは社会保障規模が大きくて、日本はアメリカと並んで低い。内容は、年金の比重が大きく、社会保障の半分以上を占めており、福祉の比重が小さい。

日本の社会保障給付がこれまで「低くてすんだ」理由は、一つには会社や家族といったインフォーマルな社会保障の存在。もう一つは、公共事業等が「職の提供を通じた生活保障」という形で社会保障的な機能を果たしてきたことがあげられる。一人当たりの公共投資と県民所得には高度成長期のころは、ほぼ相関がないが、1970年代前後からは負の相関、つまり県民所得が低い県に公共投資が行われる傾向が顕著になり、公共事業が所得再分配機能を持つようになった。

戦後日本の所得再分配政策

戦後日本の所得を平等化するような政策は、下記の4つに分類される。
(1)終戦直後・・・強力な「機会の平等」政策。特に、①農地改革による土地の再分配、②新制中学の義務化による機会の平等があった。土地の分配の平等と経済成長はある程度相関しており、日本をはじめ、東アジアの国々での土地の再分配政策はそれなりに成功してきたといえる。
(2)1970年代頃まで・・・「生産部門を通じた再分配」。社会保障そのものは小さかったが、
①農業補助金、②地方交付税交付金、③産業政策により、生産部門の中でいわば成長の果実を配分して平等を図る政策が積極的に行われた。
(3)1970年代頃以降・・・公共事業への依存と社会保障による再分配(年金等)の開始
(4)近年・・・公共事業が既得権となっていることへの批判と市場経済化の推進

結果的に、所得格差(ジニ係数。当初所得と社会保障や税で再分配した後の所得の差)は大きくなった。OECDの国際比較で見ても、社会保障の規模と相対的貧困率が相関している中で、日本はメキシコ、アメリカ、トルコあたりと並んで、社会保障が低く貧困率が高い。

経済システムの進化に伴い、「格差」も下記のような様相を見せてきた。
(1)「土地所有」をめぐる格差
(2)都市−農村の格差
(3)退職者(高齢者)をめぐる格差
(4)現役世代(都市居住者)内部の格差

現在はポスト産業化時代の主要な格差ともいえる(4)への対応が基本的な課題になっており、背景には労働力過剰による失業といった構造的な「生産過剰」がある。

これからの社会保障の方向 - 人生前半の社会保障

社会保障は基本的に強化が必要だが、あらゆる分野を公的に保障するのは困難。年金を基礎的な部分に集約化し、医療・福祉重点型の社会保障を行うことが1つの選択肢として考えられる。

もう一つは、「人生前半の社会保障の強化」があげられる。高齢者関係が重要であることは言うまでもなく、実際日本の社会保障全体の約7割は高齢者関係給付となっているが、これに対し、家族・子供関係の保障は3.4%と、かなり見劣りがする。

この理由としては、これまでリスクが高齢期にほぼ集中していたことがあげられる。ところが現在は失業率は若者の方が高齢者よりも高く、相対的貧困率の増加も若年層において特に著しい。人生全体において、生活上のリスクが広く及ぶようになっている。

また、ストック(土地・住宅等)の分配をめぐる社会保障の重要性が増している。個人が共通のスタートラインに立てるという状況がかなり揺らいできている。社会の活性化という点から見ても、個人の自由、チャンスの保障という点から見ても、人生前半の社会保障は考えていく必要はあるのではないか。

社会保障をめぐる財源 −労働への課税から資源消費への課税へ−

社会保障の財源としては、消費税、相続税、環境税等が考えられる。ドイツ等では環境税を社会保障に充ててその分、年金保険料を下げるという政策を取っており(税収中立)、環境負荷を抑えながら福祉の水準が下がらないように社会保障に充てている。ヨーロッパでは社会保障の保険料が企業にとって大きな負担になっており、国際競争力という点でもマイナス。また、人を雇うごとに保険料が増すため、雇用に対して消極的になってしまう面を是正する意味もある。

こうした政策のベースにある考え方は、労働生産性から資源効率性・環境性への転換。人が足りなくて資源が余っていた時代から、人が余って失業が生じているが、資源が足りない時代になった。労働への課税から資源消費への課税へ。このあたりが1つの福祉と環境の接点といえる。


「定常型社会」の可能性

「定常型社会」=経済成長を絶対的な目標としなくとも、十分な「豊かさ」が実現していく社会。これには、人口減少社会への移行、資源・環境制約との両立といった要因がある。

やがて経済は定常状態に達する。それはむしろ望ましい状態ではないか、とした「定常状態論」は、古典派経済学を大成したといわれるJ.S.ミルが最初に提唱した。ただ、ミルの時代は工業化社会の入口であり、土地の制約にやがて経済はぶつかるだろうと予想していた。しかし、その後は実際には産業化が進み、土地の制約から離陸する形で経済が発展。それが地球規模での制約に今もう一度ぶつかっている。ミルの提唱が新しい形でリアリティを持っている時代となった。

日本・アメリカは貧困率が高く失業率が低いのに対し、ドイツ・フランス等は貧困率が低く失業率が高い。一方、北欧は貧困率・失業率ともに低くなっており、この理由としては、国際競争力の高さ/フレクシキュリティと呼ばれる雇用・社会システム/労働時間の短さ/介護・福祉分野への積極投資があげられる。

慢性的な生産(供給)過剰の状況から生じる失業の慢性化といった、背景にある構造をどう是正していくか。対応の基本的方向としては、「労働生産性の上昇分を(賃金)労働時間削減で対応する」という発想への転換が必要になってくる。そうした市場経済の時間をコミュニィ・自然に関わる活動に使う(時間の再配分)。これは「労働生産性→環境効率性」という方向とも合致しており、従来は労働生産性が低いとされていた、労働集約型分野(介護・福祉、農業など)の積極評価にもつながる。生産性という概念のものさしを変えることが基本テーマとしてある。


コミュニティの再構築と「福祉都市」

日本における「コミュニティ」の変容

戦後の日本は農村から都市への大移動の歴史といえる。これによりコミュニティの単位が、
地域(農村共同体) → カイシャ・(核)家族 → 個人 
と変容してきた。

日本は先進諸国の中で社会的孤立度が最も高い。個人がばらばらで孤立した状況にあり、コミュニティが弱くなっている状況。特に都市型のコミュニティをどのように引き継いでいくのかということが、日本社会の基本課題だと考えている。これは、農村型の一体化するコミュニティというよりは、独立した個人と個人のつながりを実現するコミュニティである。介護状態にならないためにもこうしたコミュニティは重要。

人口全体に占める「子ども・高齢者」の割合の推移を見てみると、現在はちょうどU字カーブの谷に当たる。以前は子供が多かったが、将来的には高齢者の割合が多くなる。ライフサイクルという点で見た場合、子どもと高齢者はどちらも地域とのかかわり、土着性が強い。つまり、ここ50〜60年は地域とのかかわりが比較的弱い人が増え続けた時代だったが、これからは地域とのかかわりが強い人々が増えていく、そのちょうど入口にある状況と言える。こういった点からも地域コミュニティは非常に重要になってくるだろう。

全国にお寺や神社は8万数千箇所ある。考えてみると日本におけるコミュニティの原型はこうした神社やお寺であった。それが戦後、そういうものは人々の関心から薄れていったが、もう一度そういうものを社会資源として、再評価していくべきではないか。実際それを高齢者ケアや子育て支援に活用している事例も見られている。

地域コミュニティ政策のあり方

「福祉地理学」という視点

地域コミュニティ政策に関する自治体アンケート調査によると、「コミュニティの中心」として特に重要な場所の1位は学校、2位は福祉・医療関連施設となっており、いずれも地域に開かれたコミュニティの拠点として機能することが求められていることがわかる。神社やお寺についても自然関係・商店街に次いで、重要な場所とする回答が多くみられた。

ただこうした地域コミュニティに対する課題は地域差が大きい。小規模町村の場合、人口流出を挙げるものが群を抜いて多く、限界集落的なものや雇用の問題も挙げられる。一方、大都市ではコミュニティの帰属意識、旧住民新住民との距離といったソフト面の問題が大きい。

「福祉」はこれまで普遍的かつ場所を超越した概念としてとらえられる傾向が強かったが、今後は「福祉地理学」ともいうべき、地理的・空間的な視点を導入していくことが重要ではないか。

公有地の利活用

土地や住宅に関する自治体アンケート調査によると、市町村では、人口減少に伴う空地・空家の増加/土地所有のあり方としての公有地の活用の問題/低所得者・高齢者の住宅確保の問題が上位に見られた。都道府県では低所得者住宅の問題が1位になっており、次いで空地・空家の問題が挙げられた。

90年代後半に公有地は増えている。ヨーロッパに比べると日本は公有地の割合は非常に小さいが、現在自治体は財政難であり土地がリスク資産化している中で、それを売却合理化しようとする向きが強い。しかしむしろ、現在を一つのチャンスとして捉えて、公有地をコミュニティ政策・土地政策の有効なツールとして活用していくことを考えていくべきではないか。これによりコミュニティの中心もしくは拠点としての機能を強化することが、求められている時期ではないかと考えている。

高齢者や低所得者等に関する住宅の確保をめぐる近年の状況としては、どちらかというと悪化という回答が多くみられた。国際比較でみると、公的住宅(社会住宅)の割合はオランダが一番高い。住宅も含めて公的部門の役割を、縮減という方向ばかりではなく、保障機能としても見直すべきではないか。中心市街地の活性化やコミュニティ形成、地域再生の一つの梃として使うことも含めて、空間的な視点を考慮しながら公的住宅を整備することが、有効かつ費用対効果の高い施策となりうる。

都市政策(開発主導でハード中心の思考)と、福祉政策(場所・空間という視点が希薄でソフト中心の思考)を本当の意味で統合していくことが必要であり、「持続可能な福祉都市」といったようなビジョン作りや実践が求められている。


老人・こども・コミュニティ

「人間の3世代モデル」

最大寿命と性成熟年齢の関係を見ると、人間は他の生物に比べ高齢期が構造的に長い。この要因を考えるにあたって、「人間の3世代モデル」が考えられる。大人には「働く」役割があるのに対し、老人と子どもは直接の生産活動からは離れており、「遊ぶ」ことが役割とも言える。さらに老人には子どもを教える役割、子どもにはそこから学ぶという役割も考えられる。こうした一見生物学的には余分とも言えるような、生産活動から離れた時期が長いところに、人間の創造性の源があるのではないか。

文化は遊びに始まるとも言われるが、こうした高齢者と子どものつながりをいろんな形で作り出していくことが、現代社会に不足しがちである。これに対しては、老人と子ども統合ケアといった視点、世代間交流や世代間の継承性を重視した都市・街のあり方といった視点で現在様々な試みがなされている。

”ケア”の意味の再考

現代人が自然やコミュニティから離れがちであることをつないでいくことが課題である。”ケア”とは本来、 「個人」という存在を、その底にある「コミュニティ」や、「自然」、「スピリチュアリティ」の次元に “つないで” ゆくことではないかと考えている。

これまでの時代は経済や個人がひたすら「離陸」していく時代であった。経済が成熟化・定常化していくこれからの時代は、コミュニティや自然等とのつながりを回復していくこと=「着陸」という方向が大きな課題となっていくだろう。