第11回 PARI政策研究会

 09/05/18

当センターのポリシーディスカッションペーパー:「安心して暮らせる活力ある長寿社会の実現を目指して 〜高齢化社会の「課題解決先進国」へ〜」 に関連して、元厚生労働事務次官の辻 哲夫先生にお話を伺いました。


行政実務経験者からみた日本の社会保障政策の構図と展望 

辻 哲夫 教授(東京大学高齢社会総合研究機構教授)

日本の社会保障の制度論的な特徴

戦後の日本としての本格的な社会保障政策は1960年の国民皆保険・皆年金制度ということで大きな展開が始まったといえる。全国民に医療保険・年金を適用する。病気になったらみんな治療を受けられる。年をとったら年金が出る。全国民対象の社会保険システムで不安のない社会を作ろうとした。社会保険システムは働く中間所得階層に焦点を当てた制度であるといってよい。社会保険システムで中間所得階層が安心すると、 国が安定するという国家観があったといえる。このように、完全雇用政策の下での社会保険システムで国民が不安にならないようするという国づくりを、保守合同以降の保守政権で始めた。しかしそれは当初は志の段階であって実際の給付水準は低く、医療費は被用者本人を除いては原則5割負担であり、年金もまだあまり出ていなかった。

1973年、田中内閣のときに夫婦5万円年金を一挙に達成した。これは現役の平均賃金の6割台である。さらに老人医療を無料化し、国保の5割負担を3割負担にし、高額療養費という仕組みを入れた。1973年に日本の社会保障は現実に本当に頼りになる、劇的な改革をした。これを福祉元年という。これがなければ日本の社会保障は現在、こんなに苦しんでなかったかもしれないが、逆に言えば、欧米とは到底肩を並べられないものであっただろう。

給付は急速に増えている。国民所得比で、5.7%(1970)から24%(2008)に増加した。 日本の社会保障は1973年の制度改革以来、基本的に国家経済の中に大きく組み込まれることになった。 市場主義経済と社会保障政策が、結合して国家が成り立つ仕組みになった。一方、少子高齢化が進み、社会保障費がどんどん膨らんでいくので、介護保険の導入ということも取り組んだが、基本的には、その後はただひたすらに適正化に取り組んだ。

年金は将来給付を適正化し、保険料は上げるということを繰り返し、それは予想を超える少子化が基本的な理由であったが、大変国民の失望を買った。無料だった老人医療を有料化することに必死に取り組み、ようやく1 割負担にしたのはつい最近。この適正化の時代における私の役人としての主な仕事は、給付と負担の調整にあった。すなわち、年金をいかに適正化して、日本経済に対するインパクト、あるいは将来負担の増加を抑えるか。ただであった老人医療費患者負担をいかに有料化し、適正化するかに約30年をかけたといっても過言ではない。

日本の公的年金制度の体系

それからもう一つ、必死に取り組んだのが、皆年金、皆保険を守るための財政調整だった。高度成長期に農業者や自営業者の子供たちがどんどんサラリーマンになって都市に移ったため、国民年金から、厚生年金、共済年金に移行する人が増えた。そこで、国民年金を安定化するために、基礎年金を導入し、全国民に国民年金を適用した(一階部分の一本化)。国民年金は全国民で支えるので、年金制度は基本的に安定化した。

厚生年金は、報酬比例性の高い制度だったが、ここに国民年金という定額制を組み合わせたことにより、非常に再分配機能の高い年金制度になっている。すなわち中小企業労働者や女性など比較的に賃金の低い人は優遇を受け、賃金の高い人は再分配に寄与しているという仕組みである。共済年金も一番特権的な制度と言われていたが、今や厚生年金と格差なしで一本化する方向にある。

産業構造が1次から2次、3次にシフトする中で急速に高齢化が進んで、各制度に所属している若い人とお年寄りのバランスが崩れていくので、限りなく母体を大きくしていわば被用者制度と農民自営業者などの制度の間の財政調整をしていかないと皆年金、皆保険が維持できない。そのためのロジックは、負担と給付の公平という論理だった。どの制度に入っても公平に同じ社会保障を受けたいという日本人の精神性が背景にある。

高齢者医療制度の創設

若い人はサラリーマンとなって都市に移り農業者や自営業者が多い国民健康保険は、そのままいったら若い人が少ないから倒れるが、被用者保険のほうは、サラリーマンとなった若い人の加入が増えただけでなく、サラリーマンは年をとったら年金受給者として国民健康保険に移るため、被用者保険の財政は構造的に有利になる。そこで、老人保健制度を導入して全制度で共同の事業として、公平に負担することにした。これは高齢者をみんなの親として国民全体で公平に支える仕組みであり、基礎年金と同じような考え方である。

皆保険・皆年金という、全国民を公平に社会保障で保障するという思想は、日本ではものすごく強い思い入れがあって制度を動かしてきた。これを守り抜くことに私の役人としての大部分のエネルギーは費やされたと言っていいように思う。これは、産業構造の変化に伴い財政的に有利となった厚生年金、共済年金から、不利となった農業者や自営業者の国民年金に財政調整する歴史であり、若い人の多い健康保険から、自営業者や高齢者の多い国民健康保険に財政調整する歴史でもあった。こうした、年金の将来給付の適正化、患者負担の引き上げ、高齢者に関する社会保険制度の一元化が、日本の社会保障政策のこの30〜40年の改革の歴史だった。

制度論的に相当いきつくところまでいっており、高齢者については基本的には一元化し、みんなで支えるという改革を行ってきた。これは全国一律の制度のもとに動く、国主導の仕組みにならざるを得ない。都道府県によってかなり高齢化の格差があるため、医療介護はお金を調達し調整する国の仕組みの下でしか運用できなくなっている。従って、大きくは国全体で運営をするが、その枠内で自治体ごとに実情や個性を生かしたサービスを充実させる政策はやってほしいという、組み合わせの仕組みになっている。

利用者負担も若い世代の医療保険の患者負担も3割負担まで行き、制度論的にはほぼ限度まできたという感じを持っている。

現在までの各制度の評価と展望

国民皆年金と皆保険の意味はやや違う。年金は年をとって現役時代の収入を失うことを守る仕組みであり、働かなかった人が老後突然所得を保障されるような社会の仕組みは想定していない。アルバイトやフリーターなど不安定雇用の人達をどう救うかで年金制度は問題が残っているが、これは厚生年金を適用して保障すべきだと思う。いわゆるホテルコストを含めた介護等の利用者負担は厚生年金をもらっている人をモデルとして制度設計がされている。7万円弱の国民年金では少ないということになるが、足りない分は医療介護サービスの利用料を減免する形でクリアーするという方向だと思う。

これに対し、基本的には理由を問わず病気で困っている人を救うのが皆保険の意味である。働けなくなった人、精神障害の人などが含まれる国民健康保険は、非常に重大な役割を果たしている。皆保険で給付が公平なので、どの制度でも診療報酬は一緒。従って医者は貧乏な人だろうと言って差別をせず、全国民を公平に扱う。これは困った時に対する安心感を与えるもの。私は国民皆保険は、日本社会の安心と秩序安定に大きな役割を担っていると思う。

その延長線に高齢者医療制度がある。皆保険システムは守り抜かなければならないと思ってきた。しかし、その市町村国保が非常に苦しんでいる中で、これまで述べたように制度を安定化させるのに数十年かかってここまで来たが、一方において医師不足が起こるなど新しい事態も生じる中で、これからこそ本当に高齢社会がやってくる。これをどうするか。

高齢化の現実と展望

日本は高齢化しているというが、高齢者が本当に増えて社会が老いていくのは、この先の20年である。75歳人口は2倍になり、特に80歳以上が猛烈に増える。また、都市部の高齢化という、日本ではまったく経験したことのないことが起こる。今までは、地方に老人保健施設や特別養護老人ホームを作ることをやってきたが、今後20年は都市部の高齢化がさらに深刻になる。

医療機関における死亡割合と死亡年齢の推移 −死に方の再考−

医療機関での死亡率は、戦後は1割強だったが、その後ものすごい勢いで増加し、昭和50年台には自宅で死亡する者の割合を上回った。近年ではこれが8割を超える水準になっており、死ぬのが病院というのは本当に幸せなのかということが、今後大きな議論になると思う。

年次推移を見ると、長らく死亡者数は年間80万人弱だった。しかし平成以降、後期高齢者人口が急速に増え始め、現在は110万人程になっている。この先これが170万弱まで伸びていく。さらに内訳をみると、昭和40年代は、死亡者数のうち75歳以上人口が1/3だった。つまり、2/3は75歳未満で、いわゆる若死であり、これと闘ってきたのがその頃の医療だった。しかし、その後は徐々に慢性疾患中心に移っていき、現在では、死亡者の2/3が75歳以上。20年後にはこれが3/4になり、30年後40年後は、もっと後期高齢者の死亡者に占める割合が増える。

つまり、人間は老いて、自分の臓器が弱って死ぬのが普通になり、若死はほんの一部になる。日本が経済成長して豊かになり、国民皆年金、皆保険を実現して社会保障を充実させた結果、人間が長寿化し、高齢社会が生まれた。老いて虚弱になって死んでいくというのは切ない、疎ましい、また、介護を必要とするという意味からはしんどい社会だということであれば、高齢化は深刻な問題である。日本の経済成長は何のためだったのか。これは今後経済発展を遂げつつあるアジア中で起こる現象である。明治以降の経済発展の成果が高齢化であり、人口減少であるともいえる。今から20年は、これはどんな時代なのかということが問われる、責任重大な時期にある。

やさしい社会

私たちは何のために豊かさを作り、長生きを作ったのか。それは、できる限りいつまでも元気でいられる社会であってほしいが、究極の形はやさしい社会を作るためだと、私は言いたい。

今回の医療制度改革は、医療費の適正化を目的として始まったが、高齢化の進行に対応して、税財源の確保は不可欠であり、増税を大前提としての改革でもある。したがって、無駄や不効率をなくし、今後のあるべき姿に向かいたいという視点に立って改革を行った。医療については、自己負担の引き上げと診療報酬のマイナス改定による、医療費の抑制には限界がきており、 医療費自身をコントロールできなければ解決しない。

現在の日本の疾病構造のポイントは、生活習慣病(主として循環器系の疾病)。これにより入院する割合が高くなり、要介護状態になり、生活の質が下がるだけでなくお金もかかってくる。今回の改革ではこれに真正面から取り組み、メタボリックシンドロームという概念が確認された。内臓脂肪から分泌される物質によって代謝の不調が起こり、血管が傷むこれらの症候群を予防するには、1に運動、2にダイエットであるということで、発症する前(医者にかかる前)を制御する政策を立ち上げた。

要介護状態に対応する最良の策は、その人がその人らしく地域の中で生活することである。そうすれば寝たきりにはなりにくく、認知症になったとしても徘徊などの問題行動は起こりにくい。隔離をするから人は閉じこもりがちで弱り、また、不安になるから問題行動が起こる。

認知症の方が地域の中のなじみの環境で生活していると、その人が安定するだけでなくその地域には本当に暖かい風が吹く。弱い立場の人と強い人が一緒にいると自然にやさしさが出てくる。助け合いが自然と起こるので、その中から人にやさしさがでてくるのだろう。私は20年間全国を見てきて、そのことを発見した。皆が地域で、精一杯何らかの形で認識しあって共に生きる社会が、やさしい社会であり、実は一番効率的で安定した社会だと思う。そのような認識が今の高齢化対応の最前線だと考えている。

医療を生活の場に −在宅ケアシステムのあり方−

やさしい社会を実現するには、医療はよりその機能を分化し連携しなければならない。急性期の治療とリハビリをそれぞれきちっとやって、その人の回復力を最大限生かす医療を行わなければいけない。今までの医療は臓器を治す医療が中心だったが、今後は医療機能をもっとクリアーにして、急性期の治療から回復期のリハビリや生活リハビリと連携させ、皆がともに暮らせるよう生活の場に返すこと、生活を支えることまでをしなければならない。

今の日本のシステムは高齢者に医療上のトラブルが発生した途端に、その人は入院し、家から離れたまま地域からいなくなる(病院に行く)ことが多いが、それでいいのだろうか。これからの高齢者世帯のモデルは一人暮らしである。ひとたび入院してもきっちりとした医療を受けたうえで、ケアハウス、有料老人ホーム、ケアつき住宅など、見守りやケアのある自分の部屋に戻って生活ができるようなシステムを目指すべきである。病気を持っていても必要な病院治療が終われば自分の生活の場に戻り、ペットととともにすごすなど、その人らしい生活をし、必要とあれば医療がその在宅に来るようなシステムを作りたい。

弱ったらおしまいというのは悲しい社会。弱っても人間の幸せ感や感受性は変わらない。弱った人間の気持ちを理解できない社会は、本当に成熟した社会だろうか。人間が弱った時にも感じる喜びを本当の喜びとする社会こそ、真に豊かな社会であると考える。

介護保険は、昼に通えるデイサービス、来られなくなればホームヘルパー、家族が介護を担いきれず、家におられなくなればショートステイ、認知症が重くなればグループホーム等、その人の生活本位で必要性に応じて、地域の中で小規模な拠点で応えるシステムを今後のあるべき方向とした。日本の医療は、高齢者が弱りながらも自分らしい生活をつづけられるような仕組みを急いで作らなければ、国民の願いにこたえるものにならない。病院は必要だが、本当に必要な治療が終われば生活力をできる限り残した形で生活の場に戻すのが病院である。そしてさらには、私は生活の場に医療が来るべきだと考える。

特別養護老人ホーム、老人保健施設も必要だが、できる限り自分の生活の場で頑張れるようにするため、クリニック、デイサービスセンター、訪問看護ステーションなどが、パッケージで連携しながら在宅を支えていれば、その人らしい生活ができる。都市部は急激に高齢化するので、特養、老健といった施設を新たに作るだけでは とても間に合わないし、それだけでは幸せにはなれない。頑張ろうとする限り自分の部屋で過ごせるようにすること、サービスのデリバリーがあり、地域の子供たちがまわりで遊んでいるようなシーンを作っていくことが大事。住宅政策と在宅ケアシステムを連動させていくのがポイント。障害のある方も、本当に必要な場合以外は、病院や施設ではなく、地域で過ごせる社会を作る必要がある。

少子化対策

2030年までは労働力人口は100万人くらい減るが、高齢者の就労と女性の社会進出でなんとかいけるだろう。しかし2050年には労働力が明らかに不足する。これから少子化の流れを変えないと日本はもたない。やさしい社会を作ると同時に少子化対策を本当にやらないといけない。育児支援をしながら、女性の能力をいかに尊重していくか。すべての人間に優しくなるということを本気で考えないと、この社会の未来はないと確信している。

日本の社会保障政策の国際比較と展望

平成16,17,18年に年金・介護・医療の三大改革を行い、保険料と公費の将来負担増加をできる限り抑え、特に年金を相当押さえ込んだ。介護も医療も無駄なところや不効率なところをなくする改革に必死に取り組んだので、今後は優しい社会をつくるために内容の充実に取り組む必要があると思う。国を挙げて我が国のかたち、すなわち少子高齢化対応にしっかり取り組みしかも経済も成り立つという国家全体のビジョンを議論する必要がある。

国際比較をすると、日本は高齢化が急速に進んでいる一方、社会保障の給付規模はかなり低い。日本の社会保障はヨーロッパの多くの国と比較してぎりぎりまで抑えてきており、あとは中身の問題を真剣に議論する必要がある。もっと国民負担を上げて、やさしい国を作るという路線に切り替える必要がある。そうすれば、国民は安心して消費するし、介護等の分野でふるいたって働く人も増えると思う。スウェーデンはこれだけ国民負担が高くても、国際競争率は相当に高く一人当たり国民所得も高い。

適切な国際競争力をもつ経済構造の中で、優しい社会を作るための内需がコンスタントに伸びれば経済は維持できると考える。グローバル経済の中で、優しい社会を作るための内需を喚起しながら、経済先進国の意地を示し、国際分業、比較優位を取るような産業を伸ばすことは、可能なはずであり、経済発展国の任務でもあると思う。

医療介護サービス分野は総波及効果も雇用誘発効果も大きい。今後は福祉機器といった技術分野で国際的な先進産業が育てられる可能性がある。その性格上、金の流れは税金と社会保険料でまかなう面が大きいという違いはあるが、国内の医療介護サービスは、今後20−30年間は増え続ける、きわめて安定した内需となる。問題は効率的かどうか。日本の医療介護サービスはほとんどアウトソース(民間)という形にしており、公務員が増えるわけではない。増税という試金石を乗り越えて、今本当に必要なのは、サービスを支える人材、やさしい経済を支える人材である。また、地域でよいサービスシステムを設計して管理するのは地方行政であり、自治体職員の質も重要。地方の行政官を含めて、本当にこの分野の人材の質を高める政策をやらなければいけない。経済的に成熟した国として、今後は教育政策も大切であると思う。

「社会は改革されなければならないが、人間の変革を伴わない改革に意味はない」(アーノルド・トインビー)という言葉がある。社会構造の変化とともに常に改革をしていく必要があると思うが、それは人間が本当に心豊かになるためであるというしっかりした価値観を持った改革であるべきだと考えている。