北斎の青とセルロースナノファイバーで、被災地の水や土を除染する
この記事は、ナノテクノロジーイノベーション研究ユニットのメンバーにインタビューをし、まとめたものです。
2016/11/16公開
セシウム除去に効果があることで知られた青の顔料・プルシアンブルー。葛飾北斎の絵をヒントに、ナノ材料開発技術を用いて除染スポンジが開発された。
2011年3月11日の東日本大震災に際し、福島第一原子力発電所の原子炉から大量の放射性物質が飛散し、土壌や水が広範囲に汚染される事態となった。現時点においてもまだ、住民の方々の帰還、農業の復興等のために、汚染された土壌や水を除染することは、大きな社会的課題となっている。
放射性物質のうち、特に除染が必要なのはセシウムだ。セシウムは水に溶けるため、雨によって、表層から地中30cmぐらいまで浸透していく。土に浸透する過程で、土中にある粘土や鉱物などのさまざまな構造の隙間にセシウムが入り込み、地下水、河川水、海へと流出する。海に流れ出た放射性物質は、プランクトン、魚など、食物連鎖全体の汚染につながり、国際問題に発展するおそれもある。まずは土を除染し、セシウムが地下水、そして海へと流出することを防がなければならない。
この問題に対応するため、政策ビジョン研究センター・ナノテクノロジーイノベーション研究ユニットでは、農林水産省農林水産技術会議からの助成を受けて、2014年から、革新的技術創造促進事業「工学との連携による農林水物由来の物質を用いた高機能素材の開発」というプロジェクトを開始した。その目標の一つは、東京オリンピックが開催される2020年までの除染に貢献することであり、理論的予測と実験での実証という両面からアプローチしている。プロジェクトで行っているいくつかの研究のうち、「除染スポンジ」の開発について紹介する。
海水の除染では塩化ナトリウムが邪魔
拡散しているセシウムは、現実的にはやはり表層から除染していくべきである。ただ、一個のイオンであるセシウムは非常に小さく、また地中・水中に散らばっているため、回収は容易ではない。また、通常存在しているセシウムに似た物質も、除去の障害になる。例えば、海水の3%は塩分つまり塩化ナトリウムであり、海水中ではナトリウムイオンと塩化物イオンになる。このナトリウムイオンとセシウムイオンは非常に性質が似ていることに加え、かつナトリウムイオンはセシウムイオンの何億倍も存在する。そのため、選択性の低い除染材を用いる場合、海水を除染する場合はまず塩分を取り除いてからセシウムを除くことになる。これは非常に難しい作業だ。
こうした状況の中で、塩分があってもセシウムだけを効果的に除去できる(高い選択性を持つ)方法を考案しようというのが、このプロジェクトの出発点であり、結果として、「除染スポンジ」を開発することができた。
「除染スポンジ」とは、ほかに似た物質があってもセシウムだけを選択的に吸着する材料を開発し、それをスポンジ状に加工したものである。見た目は普通の食器を洗うスポンジのような感じで、きれいなプルシアンブルーの色である。スポンジの性状の自由度は高いことから、やわらかいもの、少しかたいものなど、数種類出来上がっている。形状は、用途に応じて様々に変化させることが可能だ。スポンジを電子顕微鏡でみると、10の-10乗メートルという、きわめて小さいナノ材料でできている。ここで使われている3つの主なナノ材料は、紙の成分であるセルロース、青の顔料であるプルシアンブルー、スポンジになる高分子ポリマーである。それらの分子を組み合わせて大きくし、スポンジにしている。
セシウムを閉じ込めるプルシアンブルー
人間の体内に入ってしまったセシウムを体から除去するに有効な薬は、世界に1つしかない。それは、青の顔料、プルシアンブルーだ。水溶性なので、摂取後、尿などと一緒に体外に排出され、安全性も高い。実はプルシアンブルーがセシウムを吸着するという性質自体は以前からから知られており、チェルノブイリ原発事故の後も、使用されていたと聞いている。
プルシアンブルーは、人間が初めて作った合成顔料だ。なぜこのプルシアンブルーが、セシウムを吸着するのか。プルシアンブルーの分子構造を見るとそれがわかる。プルシアンブルーの分子には小さな部屋がたくさんあるが、この部屋のサイズは、あつらえたかのようにセシウムの分子のサイズとぴったりで、セシウムを捉えるのだ。ナトリウムなどのよく似た物質がこの部屋に入っても外に出てくるが、セシウムはいったん入っていくと、出られなくなる。このナノサイズの小さいポケットを使って、セシウムを除去するのである。
この性質は除染という面では非常によいものであるが、除染作業への適用を考えた場合、プルシアンブルーが水に溶出してしまうという性質を修正することが不可欠となる。たとえばプルシアンブルーをそのまま海水に流しても、回収できない。
葛飾北斎はプルシアンブルーをこうして使った
この問題を解決するヒントとなったのは、葛飾北斎の絵だった。北斎は、青い色を出すのにプルシアンブルーを使っているが、雨に濡れてもこの青色は落ちない。つまり水に溶けないのだ。これは、北斎が、プルシアンブルーと紙、つまりセルロースとを化学結合処理していたからだった。ここから発想を得て、実験を繰り返した結果、セルロースとプルシアンブルーとを分子レベルで化学結合処理していけば、プルシアンブルーが水に溶けなくなるということを発見することとなった。
葛飾北斎 富嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見
ナノセルロースとの組み合わせで除染スポンジを開発
しかし、問題はまだ残った。普通のセルロースを利用した場合、わずかな量のプルシアンブルーにしか結合しないため、実用性が低い。セルロースがプルシアンブルーと結合する官能基をいかにたくさん作り上げるか、という課題を解決しなければならなかった。
この問題は、東京大学大学院農学生命科学研究科の磯貝明教授のセルロースナノファイバー研究成果と出会ったことによって、解決した。セルロースは、概ね10ミクロンぐらいの肉眼で確認できるサイズの集合体であり、中により細いファイバーがたくさん含まれている(ファイバー理論)。磯貝教授が開発したこの技術を使うと、セルロースをナノファイバーレベルまでほぐすことができ、それによってセルロースの表面にプルシアンブルーをキャッチする官能基を大量に作り出すことができる。プルシアンブルーとナノセルロースが接触すると複合体になる。ナノセルロースの表面に砂のようなプルシアンブルーが葡萄のようにくっついているイメージである。プルシアンブルーは、水に溶けない一本の繊維であるセルロースナノファイバーと複合体になることで、水に溶け出さなくなる。また、複合体は表面積が大きく、セシウムが入る部屋の数が増えるため、多くの放射性セシウムを吸着する場所ができる。この複合体のパウダーを、スポンジの中に入れると、除染スポンジが完成する。このスポンジを土に埋めると、土からセシウムが入ってきてそのスポンジの中に閉じ込められるわけだ。
ナノテクノロジーの力を得て、プルシアンブルーの水溶性、妨害物質の問題が解決され、多くのセシウムを一度に吸着でき、また、回収も容易なスポンジを開発することが出来た。適用範囲が広く、実用性も非常に高い研究成果と考えている。ナノテクノロジーイノベーション研究ユニットが、世界で初めて成し遂げたことである。
使用後はコンパクトに圧縮して埋設
水の除染を行う場合は、スポンジを水に入れ、セシウムイオンを吸着させ、作業が終われば回収する。土の場合は、地表に撒き、ブルドーザーを使用し、回収する。非常にシンプルな使用方法だ。スポンジは99%空気でできているので、回収後は体積の100分の1まで圧縮することができる。除染によく使われているゼオライトや鉱物は、減容することができないためその処分が難しいが、除染スポンジは、地下に埋めるにも場所を取らないという利点がある。また、特別な焼却炉を用いれば、セシウムを吸着したスポンジの焼却処理も可能だ。
4週間で土壌のセシウムが半減
除染スポンジの効果については、実験でも実証された。昨年から、福島で住民とともにため池と土壌の除染を行っている。30平方メートルの農地に、土の中に除染スポンジを埋め込んだ。雨が降ると、セシウムイオンが土中からスポンジの中に移動する仕組みだ。
4週間実験したところ、土中のセシウム量が最大で半分まで減った。新たに汚染されるのを防ぎつつ、ひとつのスポンジを一年間程度、使用するとして、4、5回ぐらいスポンジを取り換えれば、その土壌で農作物を作れるようになると考えている。4〜5年かかる計算だが、通常30年で半減するセシウムを、それよりずっと早いペースで減らすことができると期待される。
土壌の除染を行う場合は、土とセシウムが固着しているため、まずセシウムイオンを水に溶け出させることが必要だ。そのため時間がかかる。それと比べると、水の場合はずっと早く除染が進む。水の中をセシウムが自由に移動しているため、吸水性が高いスポンジでは数時間で除染作業が終わり、放射能が検出できないレベルにまでなる。我々のスポンジは吸着できるセシウムイオンのキャパシティが大きく、一度では、飽和状態にならないので、繰り返し使用できる。ただし、スポンジに放射性物質であるセシウムがたまりすぎると人間が触ることができなくなってしまうため、ほどほどのところで交換しなければならない。それも計算に入れて、スポンジに配合するプルシアンブルーの割合や交換頻度を決めることが重要と考えている。
コストについては、研究段階であるため、具体的な金額までは算出できないが、適用範囲が広くなり、作る量が多くなると、当然、一気にコストは下がると考えている。原価そのものは、セルロースも、プルシアンブルーも高いものではない。地球から原料がなくなる心配もない。
政策ビジョン研究センターとしては、多様な用途への適用を可能とする等の観点から、応用研究、除染の手順の開拓や被災地の方々の協力を得て行うフィールド実験を丁寧に進めていきたい。また、早期の除染実現に貢献するため、この技術が持つ大きな可能性を具体的なエビデンスを持って広報していきたい。
(インタビュー:政策ビジョン研究センター 佐藤多歌子特任専門職員
編集:政策ビジョン研究センター 藤田正美特任研究員、佐藤多歌子特任専門職員)
関連論文
Scientific Reports(11月15日オンラインで発表)
"Cellulose nanofiber backboned Prussian blue nanoparticles as powerful adsorbents for the selective elimination of radioactive cesium"
著者:Adavan Kiliyankil Vipin, Bunshi Fugetsu, Ichiro Sakata, Akira Isogai, Morinobu Endo, Mingda Li, Mildred S. Dresselhaus