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東アジア安全保障の将来

日時: 2015年1月31日(土)午後2時30分-午後4時30分(午後2時開場)
場所: 品川プリンスホテル メインタワー 28階「エメラルド」
登壇者: ジョン・アイケンベリー(プリンストン大学)
チュンミン・リー(延世大学)
賈慶国(北京大学)
藤原帰一(東京大学)
言語: 日英同時通訳
主催: 東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット
共催: 日米同盟アジェンダネットワーク

※ 本公開フォーラムは外務省の外交・安全保障調査研究事業費補助金および国際交流基金日米センター助成プログラムにより開催いたしました。

「Workshop on the Future of Security」

2015年1月30〜31日、東京の品川プリンスホテルにて、東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット(SSU)主催のワークショップ「Workshop on the Future of Security」が行われた。日本、中国、米国、ヨーロッパ、オーストラリア、韓国、シンガポールから著名な研究者が一堂に会した。

二日間に亘って行われたワークショップでは五つの非公開セッションのほか、「Towards Common Security In East Asia(東アジア安全保障の将来)」と題した公開セッションが行われた。

Photo: Izawa Hiroyuki

一日目、2015年1月30日


藤原帰一教授(東京大学)が開会の挨拶をし、本ワークショップの参加者に感謝の意を述べた。2014年の品川でのワークショップに言及し、その成功をたたえるとともに、今回はその時よりも安全保障をより広範な概念として扱い、また脆弱国家によってもたらされる国際的不安定にも注目するという珍しい焦点の当て方をしたいと述べた。二日間に亘るプログラム概要を説明した後、最初のスピーカーであるOle Wæver教授(コペンハーゲン大学)を紹介した。

Wæver教授はDefining Securityと題した講演で、特に第二次世界大戦後の国際政治学研究で顕著に用いられるようになった「安全保障」概念の進化と、今後の展開の可能性を追った。「安全保障の将来」を論じる時、三つの視点があると考えられる。第一に古典的”な軍事・政治的意味合いにおける世界の安全保障、第二に概念としての「安全保障」の将来、そして第三に安全保障研究の今後である。第三の点について教授は、古典的な安全保障の概念に未来はなく、今後はそのレッテルを乗り越えていかねばならないだろうとの考えを明らかにした。また、安全保障をめぐる言説の歴史と軌跡を再構築するなかで教授が強調したのは、第二次大戦後に外交・軍事政策上の概念として誕生した「安全保障」という概念は、意味論的拡大と批評の時代に突入し、「国家安全保障」という概念の縛りを越えて拡大すると同時に、その説明力の少なくとも一部を失った(伝統主義者vs拡張主義者の論争)ことである。

この論争に貢献した国際関係論におけるコペンハーゲン学派は、安全保障の代わりに「セキュリタイゼーション(安全保障化)」という概念を導入することで、従来の「安全保障」を超えることを提案した。安全保障化とは、「問題が、従来の政治的手続きや手法の範囲を超えた行為を正当化するような実存する脅威として提示される」過程を意味する。この定義の主な要素は、「基準となる対象」(その生存が何よりも重要視される存在)、安全保障化を行う行為主体(脅威の存在を主張する者。通常は国家)、および聴衆(このような主張を納得してもらう必要のある者)からなる。この図式から分かるのは、「安全保障」から「安全保障化」に移行するには、安全保障化が言語行為として概念化されることが重要な要素の一つとなるという点である。よって安全保障化プロセスの研究とは、脅威と、それがどう論じられているかの関係、そしてさらに重要な点として、政治的事象がいかにして「安全保障化」されていくか、ある特定事象が「安全保障化」されるべきか否か——といった点を調べることにある。

教授はさらに、安全保障化は常に未来に関することであり、行為の有無に関する複数のシナリオを評価することであると指摘した。「安全保障」概念の歴史的軌跡に話を戻すと、過去数十年において安全保障において台頭したものは、それまで広く普及していた国益(raison d’tat)や必要性という言説を吸収してしまった。安全保障上の懸念は「リスク」という言葉で表現されるのがますます流行となりつつある。リスクとは「主に自らが引き起こす危害の可能性」と定義される。その対立概念は「危険」、すなわち外的に発生した危害である。今や「リスク」は中心的な分析ツールとなりつつある。それは主に技術的・経済的発展の結果であるが、それによって人間環境は「自然」の力よりも人間の力によって形作られるようになりつつある。これは社会学者が高度産業社会を「リスク社会」と捉える際の「リスク」に相当する。ここで、政治的問題を「リスク」を元に再定義した上で政策設計を行うべきとなりそうだが、そこには問題があまりに多いように見受けられると教授は述べた。これまで「安全保障」の範囲とされてきた古典的問題が、「リスク」では完全には含まれない可能性が高いのだ。その主な原因は、「リスク」が根本的に異なるロジックを伴う可能性のある不安定な概念である点による。代わって、政治的問題を「脅威」「リスク」「不確実性」からなる三角形の概念を使って対処することが可能かもしれない。これら三つの概念のそれぞれは、政策立案の異なる基盤を示す。すなわち脅威は「起きてはならないことを避けるために必要なすべての手段の根拠となる」、リスクは「可能性と結果を計算し、予測・計画・均衡を打ち立てる」、不確実性は「予測可能性と計算を超えて行為を遂行する」。三つの概念はそれぞれ「安全保障化」「リスク化」「不確実性化」という三種類の言語行為につながる。続いて教授は、未解決の諸問題(地球温暖化、グローバルテロリズムなど)をこのスキームで捉える方法を示した。ただし、政治的問題が専門家によって一見「反政治的に」処理されるたびに脱政治化のリスクが存在するとも指摘して締めくくった。

セッションI: Security as Risk Management

セッションIの司会を務めた藤原教授は、最初の発表者である城山英明教授(東京大学)を紹介した。あわせてYee Kuang Heng博士(シンガポール国立大学)を紹介した。

城山教授は、「安全保障」と「安全」の意味の重なりを探ることでリスクマネジメントの言説や手続きを採用し、ひいては「リスクマネジメントとしての安全保障」として再形成することを試みると述べた。これまで「リスクマネジメント」はもっぱらエンジニアリングや工学分野で使われてきた概念であり、国際政治問題の体系的分析を行うツールとして構想されたことはない。「リスク」の標準的解釈を「複合的・体系的リスク」へと拡大すると同時に、「安全保障」の標準的解釈を従来存在しなかった脅威にまで広げるべきであり、そうすることで新たな研究の方向性が広がると城山教授は主張する。そのためには、リスクを安全保障に適用するアプローチとして、アクターの意図に関連づけてリスクを正確に定量分析しつつこれらを明らかにすべきである。リスクアプローチの基盤が見直しを迫られるなか、このようなリスクと安全保障が重なり合う部分の研究は、公共政策研究の分析手法そのものに対し多大な示唆を与える可能性がある。

Yee Kuang Heng博士は城山教授の発表を受けて、リスクの台頭、特に「リスクマネジメント」が国際政治学研究と関連する政策決定の新たなアプローチとして台頭しつつある点を考察した。数多くの社会学者、最も有名なところではウルリッヒ・ベックが1992年にRisk Societyで提唱したように、高度産業社会ではリスクテイクとリスクマネジメントの役割がますます重要化しつつあると述べ、さらにこの分野は、特有の曖昧さがあると同時に、分析概念と規範的概念が存在するという二重性、また、避け難い不確実な将来への方向性も持つ、と博士は強調した。また、ここで「リスク」が国際政治の議論に含まれるようになった点をめぐり、いくつかの指摘を行った。すなわち冷戦終結後は、それまでの軍事・政治的敵意が大幅に後退したことで、安全保障上の脅威に関する強い不確実性の感情が広がり始めた。以来、政策立案者は、いくつかのシナリオにおけるさまざまな脅威を評価検討した結果、自身の政策をリスクマネジメントの観点で言い換える方法を学んだのである。過去20年にもいくつかの例がある。政策立案においてリスクマネジメントというアプローチはますます重要性を増しており、いくつかの国では国内全域を対象としたリスクアセスメントに関する文書を作成している。これらはシンガポールなどのアジア諸国でも取り入れられつつあり、日本でも開発中である。

セッションII: Fragile States and International Security

藤原教授からセッションのスピーカーであるAila Matanock助教(カリフォルニア大学)と青井千由紀教授(青山学院大学)が紹介された。藤原教授は両教授について、脆弱国家と安全保障上の脅威との関係という、国際関係でますます重要になりつつあるトピックの理解に貢献してきた卓越した研究者と紹介し、脆弱国家と安全保障上の脅威との関係の重要性は中東やアフリカなどのテロ活動の深刻化によっても証明されていると指摘した。

Matanock助教はShared Sovereignty in State-Building:Explaining Invited Interventionsと題した発表で、脆弱国家が直面する国際安全保障上のリスクについて論じた。脆弱国家の政府はさまざまな理由により実効性を失っており自国の領土を支配していない。米国の脆弱国家に対する関与は、さらなる介入への躊躇から、特に近年では以前と比べて変化が見られる。この変化は完全な不介入こそ意味しないものの、他の介入方式の可能性への道を開いている。なかでも重要なのは「招かれた介入」(invited intervention)と呼ばれるものである。これは、脆弱国家政府が諸外国の助けを明示的に要請するもので、ソロモン諸島、マリ、グアテマラなど数カ国で見られる。こうした例は、理論研究と実証研究の両面で価値のあるより広範な現象の存在を示している。その特徴は、政府が国内主権を回復するためにウェストファリア的で古典的な主権国家の概念に拠っている点にある。招かれた介入は、短期的には有望だが、長期的な効果は今のところ不明である。

青井教授はStabilisation as a Security Agenda: Western Policy-Making Dilemmasと題した発表で、国際的ミッションの枠内における安定化の取り組みをめぐる主要概念を列挙した。教授は、まず複数機関がそれぞれに提唱する「安定化」の定義を示した上で、それを包括的に定義し、複雑な取り組みの概要を示した。そのうえで主要概念として(1)政治目的が第一義であること、(2)戦略的アクターの同意が欠如している、割れている、もしくは流動的であること、(3)介入する機関が採用するアプローチの種類、および(4)安定化は一組の活動にとどまらず、プロセスとしての性質を持つこと——を挙げた。また安定化をめぐる主な誤解や、導入にあたっての困難を指摘するとともに、この点で西側の政策が直面するジレンマを強調した。

セッションIII: The Economy-Security Nexus

司会の飯田敬輔教授(東京大学)より、スピーカーであるT.J. Pempel教授(カリフォルニア大学)とChristina Davis教授(プリンストン大学)が紹介された。

Pempel教授はまず、国の経済と安全保障政策には歴史的に密接な関係があると指摘した。安全保障問題は経済発展の推進を目指す方向で扱われる一方、経済問題が国家安全保障問題へと急速に発展する場合がある。東アジアの大半の国はベトナム戦争終結後、経済発展だけに注力できたため、安全保障問題については多かれ少なかれ暗黙のうちに現状を受け入れることとなった。この20年でひとつの矛盾した状況が顕在化しつつある。すなわち1997年のアジア危機以降、東アジア諸国では国としてより高いレベルの経済発展を追求し、実現してきた。これは経済事項に関する制度的協力、さらには経済と財政の統合と相互依存の両方が大幅に強化されたことも手伝っている。しかしながらそうした経済統合の一方で、安全保障上の懸念が再び表面化しているのだ。特に2008〜2009年以降の懸念は不穏なほどに高まっており、領土問題、第二次世界大戦の歴史的記憶、日本の帝国時代(1895年〜1945年)の行為の解釈をめぐる論争が中心になっている。こうした懸念の重要性は二の次と考えることはできなくなっており、政府のアジェンダは変更を迫られている。経済発展に関する問題だけに注力することから、経済と安全保障の交錯というより幅広い範囲へと焦点が広がりつつある。

Davis教授はコメントの中で、安全保障政策と経済政策の関係に関するいくつかのトピックを挙げた。商業は平和維持の方向に働くという「商業的平和論」があるが、いまだにその決定的証拠も明らかにされておらず、因果関係も説明されていない。自身の論文を引用し、経済的相互依存と、国際紛争を国際司法裁判所(ICJ)で解決する性向には関係がある可能性があると指摘した。商業によって国家が紛争解決に法律を使う可能性が高まるとの証拠があるものの、一部の政治的論議では逆のメカニズム、すなわち政治的論議や対立が商業関係に大きなダメージをもたらすのではとの懸念がある。また教授は、この点は、国営企業が国際貿易に重要な役割を果たす国では特に顕著だとも指摘した。こうした国では政治的指導者の指令に直ちに対応できることによる。典型的な例としては日中関係がある。短期的で象徴的なボイコット活動とは対照的に、最近の紛争は投資や貿易の低下傾向をもたらしているように見受けられる。

二日目、2015年1月31日


二日目は非公開セッションが二つ、午後に一般公開セッションが行われた。

セッションI: De-Escalating Territorial Conflicts

二日目の最初のセッションは、Chung Min Lee教授(延世大学)が司会を務めた。Lee教授から、スピーカーであるZhu Feng教授(南京大学)、Ren Xiao教授(復旦大学)、田中明彦博士(国際協力機構(JICA)理事長)が紹介された。

Zhu教授は、主催者とリー教授に感謝の言葉を述べた後、本題である東アジアの国際対立、特に日中の対立の深刻化を防ぐ方法について論じた。こうした対立がなぜ起こるのかを理解するには、歴史的背景が重要であり、歴史的背景を知ることで、特になぜ中国が現在の外交上さらには防衛上の姿勢を取るようになったかが理解できると述べた。中国は非常に弱体化し外国の介入を受けてきた時代を経て、現在は「北京は国際舞台における弱いポジションには戻らない」と他のアクターに断固として示したいのである。こうしたことは誤解につながる可能性があり、攻撃的と見なされる可能性があるが、中国の視点から、また歴史を踏まえると、現在のスタンスはおおむね正当化できるものとみられる。また中国は南シナ海の海上紛争では柔軟性とレジリエンスの両方を見せており、これは中国国内の聴衆から来るプレッシャーが非常に重要な役割を果たしている。深刻化を防ぐ方法としては、尖閣諸島問題については、両国首脳が何らかの政治的解決に至る意志に大きく左右されるが、むしろ残念ながら尖閣問題が国内的な理由に利用されるリスクが高い。教授は実務家も研究者も、こうした紛争に対処するための手法を共同で開発し、国際関係のさらなる悪化につながりかねない誤りを防ぐことの重要性を強調した。

Ren教授は、まず日中関係の現状を示した。昨年11月の北京APEC会議の場での首脳会談後、両国関係は「新たな規範」に戻っている。この首脳会談は日中関係回復を示す最も明確なサインであり、北京での握手の前と後とでは、ハイレベルでの二国間の接触が再開したことを示している。この外交の再開というコンテクストの一方で、問題が山積することも否定しがたい。これらは変化を続けるグローバル政治環境のなかで、またとりわけ東アジアにおいては中国の台頭と日本の役割の低下のなかで、とらえなければならない。日本はかつて東アジア唯一の工業国であったが、現在は新たな現実への適応を迫られていると教授は指摘した。中国から見ると日本は今も非常に重要な隣人であり、中国に隣接する外的環境を形成するキーファクターであるが、両国関係は中国の視点から見ると、まず歴史的記憶の問題によって、また日本の政治におけるいくつかのテーマの扱い方によって、依然としてネガティブな条件下にある。第二次大戦終結から70周年という節目を迎え、日本政府が世界にどのように発信するかが重要であると締めくくった。

田中博士は、国際領土紛争の深刻化を防ぐ戦略やメカニズムの可能性について論じた。日本政府は尖閣問題の存在を認めていないことから、日本政府が領土紛争と認めるのは竹島(独島)と北方領土をめぐるロシアとの大型領土問題だけである。ただし尖閣諸島をめぐる中国との論争の重要性は過小評価できない。深刻化を防ぐという目標達成には主に三つの方法が考えられると博士は述べた。すなわち、何らかの条約を締結すること、他の問題へと注意をそらすこと、そして協力的イニシアチブに注力することである。中国との二国間関係においては、条約の締結は特に難しいと考えられる。理由としては、首脳レベルでの信頼が不十分であること、また相手の動きに対する見方が対立していることがある。後者の例としては、東京都による尖閣諸島の国有化を北京政府が攻撃的行為と解釈した一方、日本政府の意図は正反対だったことが挙げられる。こうした摩擦にもかかわらず、他の数多くの分野での協力は継続可能であり、実際最近の危機的状況においてもJICA(国際協力機構)は中国での活動、特に技術援助や医療協力を継続している。二国間の不信が、さらに多くの協力の醸成に力を注ぐことで克服されることを願う。これは国際援助の取り組みの調整によって可能であろう。いまや中国はODAの主要提供国になりつつある。また学術交流・学術協力や観光客の増加も不信の克服に役立つであろう。

セッションII: The Future of International Order

セッションIIは、John Ikenberry(プリンストン大学)が司会を務めた。Ikenberry教授は、スピーカーである藤原教授、John Swenson-Wright氏(ケンブリッジ大学)、Evelyn Goh教授(オーストラリア国立大学)を紹介した。

藤原教授は、まず1991年以降のリベラルな国際秩序は崩壊しつつあるとは言わないまでも、危機的状況にあると述べた。ソビエト共産主義の崩壊後最初の10年は、グローバル政治の将来の展開に対し楽観的な見方が非常に多かった。世界核戦争の脅威が終結した点によるところが大きい。この歴史的転換による唯一最大の成果と言えるかもしれない。ポスト冷戦秩序のもう一つの特徴としては、オープンな軍事介入に敵対的な政治環境の確立である。現在、世界には一連の大規模かつ不穏な現象の台頭が観察される。とりわけ、民主政治を掲げる大型資本主義国と中国やロシアなどの新興国との熾烈なパワー・コンペティションが一方にあり、他方には国の深刻な脆弱化や崩壊の副産物としての安全保障の非対称脅威がある。当初の楽観性は後退し、多少悲観的なものにとって代わられている。その特徴としては、局所的な戦争の再来、新興国の民主主義における政治的不安定の顕在化、ネオナショナリズムの台頭、民族的/宗教的対立の激化が挙げられる。中国さらにはロシアでもある程度、非リベラル勢力に有利な権力委譲がみられるが、これらは中国やロシアというアクターの意図をめぐるシナリオの不確実性を高めており、またこうした出来事の全体的な方向性のシナリオの不確実性も高まっている。少しでも国際秩序を維持したいなら、集中して取り組むべきは「対立が激化していない紛争の深刻化を防ぐ」「軍縮と紛争解決」「脆弱国家の安全保障の強化」である、と教授は述べた。理論的レベルでは、思慮深いリアリズムのあり方が、台頭しつつあるグローバル政治環境への最良のアプローチかどうか検討するのが重要である。

Swenson-Wright教授は1970年代のヨーロッパ政治におけるヘルシンキ・プロセスと現在の東アジアの国際政治状況の共通項をめぐる考察を示した。いくつかの共通点があるものの、「ヘルシンキ精神」に類似する何かの兆しをベースにした歩み寄りのプロセスが世界のこの地域で起こる可能性は、皆無とは言わないまでも低いと考えられる。その理由はいくつかの要素に見てとれる——例えば二つの主要「ブロック」の外交的および軍事的姿勢が欧州ほど均質的でない点、また米中の国際秩序に関する見方が異なる点、東アジアの問題への長期的解決策を戦略的に考える意志または能力、もしくはその両方が米国に欠けている点、および、国内のコンセンサス構築のために国外の対立を利用する政治的ポピュリズムの蔓延である。ただし日本についてはポジティブな要素、すなわち安倍首相の最近の総選挙での勝利が積極的平和主義の再確認につながっている点を教授は指摘した。安倍首相の外交政策の全体的影響を判断するのは時期尚早だが、現政権は外交状況改善の必要性を認識しているように見受けられる。最後に、地域協力の強化とりわけ信頼構築のために考えられるいくつかの方法を提案するとともに、日本についてはさらなる国際化の進展と、近隣諸国との「積極的和解」の推進を期待したい。

Goh教授は、東アジアの国際秩序の進化についてコメントした。東アジアの国際秩序はポスト冷戦期の二極構造から、何らかの地域的統合の形態へ進化を遂げることができていない。実際、地域統合は問題が多いように見受けられ、その理由として日中が歴史的にライバル関係にある点が挙げられる。これは両国が鎖国政策を撤廃し近代に突入して以来、一貫してこの地域の国際関係の特徴であった。第二次世界大戦後のコンテクストでは、米国が安全保障の主たる提供者として、また主要な経済プレーヤーとして関与してきたことは、そのような分裂を事実上許容することにつながった。現在は急速な変化というシナリオ、そして東アジアさらにはグローバルな権力が中国寄りにシフトしつつあるが、そうしたコンテクストの中でも依然として米国主導型のリベラルな国際秩序という古い構造が残っている。この点は世界の経済財政的な基本構造のみならず——これを新たな種類のヘゲモニー的制度で置き換えるのはあまりに犠牲が大きいだろう——安全保障の提供という点にも当てはまる。米国のパワーはしばしば「低下しつつある」と描写されるが、米国が提供する安全保障への需要は高いどころか、中国の戦略が不透明であることを受けてさらに高まっているようにも見受けられる。このため、米国を東アジアの覇権国と見なすヒエラルキー的秩序が強化されるパラドキシカルな状況が生まれている。ただし、将来に目を向けると、東アジアの秩序は中国のポジションの強化を反映して再構成されるのは明らかだろう、と教授は述べた。これにより米中両国政府の相互調整と配慮が必要となるとともに、中間層のヒエラルキー、とりわけ日本の地位について満足の行く落としどころを見つけるという困難な作業が伴う。

公開セッション: Towards Common Security in East Asia

ワークショップFuture of Security In Asiaの公開セッション「Towards Common Security in East Asia(東アジア安全保障の将来)」は、2015年1月31日14:30〜16:30、東京・品川の品川プリンスホテルにて、国際政治学の卓越した研究者であるG. John Ikenberry教授(プリンストン大学)、Chung Min Lee教授(延世大学)、Jia Qingguo教授(北京大学)、藤原帰一教授(東京大学)を迎えて行われた。

司会の藤原教授は登壇者を紹介するとともに、これまでのワークショップの主な論点を整理した。すなわち、変化を続ける国際政治環境における「安全保障」概念の再定義をめぐる諸問題、特にパワーバランスの変化、脆弱国家、非対称脅威、複雑な経済的相互依存、ナショナリズムや領土紛争の再台頭について指摘したうえで、本セッションでは東アジアにおけるより安定した共同安全保障システムへの取り組みについて議論したいと述べた。


Jia Qingguo教授の発表は、「安全保障」を従来の方法で捉えた場合、東アジア地域が直面する安全保障の主要課題の整理から始まった。第一の問題は、米中関係の現在と未来である。国際政治学の古典的理論によれば、台頭勢力と衰退勢力との関係は、軍事対立ひいては戦争という結末に容易につながる可能性がある。古代ギリシャの歴史家トゥキディデスはスパルタとアテナイの間で起きたペロポネソス戦争(紀元前431〜404年)の原因を、両都市国家の間の「パワーバランス」の変化とスパルタ人がアテナイの台頭に抱いた恐怖にあるとしているが、同じことが現在の米中間で起こっているとの分析もある。第二の問題は海上紛争だ。これには日中間の問題と南シナ海での問題の両方が含まれる。これらの紛争は目新しいものではなく、実は古い問題が再び表面化したものである。第三の問題は朝鮮半島問題である。これには核に関する問題と、より全般的な南北対立の問題の両方が含まれる。第四に、現在の東アジア地域の安全保障構造の不適切性である。この点については特に三つの要素を強調したい。すなわち1)全体構造が米国とその同盟国vs中国・ロシアという二項対立に固定化され、そのことが対立を後押ししているように見受けられる。2)米国政治への依存度が高すぎる、3)中国・ロシアとも、現在の東アジアの秩序のなかで自身が周縁化されていると感じている。

こうした課題に対処するため、中国は米国に対して新たな大国間関係を構築すべきと提案し、米国政府も好意的に返答したが、さまざまな理由から期待されたほどの進展はない。またメディアは狂乱的に書き立てているが、中国は海上紛争については自己抑制的な政策を守っている。朝鮮半島問題については、中国は北朝鮮政府当局を六者会合の席に再びつかせようと努力を続けている。

教授は、国際的な対立を緩和するには何をすべきかについて、以下のように語った。多彩なアクターが具体的な問題、特に政治的な意味合いにおいてそれほど差し迫っていない問題に関して、もっと協力していくべきだ。地球温暖化問題などは一例だろう。長期的にみて首脳間の信頼構築につながるはずだ。海上紛争は抑制的に、かつ軍事行動については話し合いによって対処すべきである。とりわけ尖閣問題については、鄧小平が掲げた天然資源の共同開発に戻るのが、配慮のある行動かもしれない。朝鮮半島については、非核化への努力の継続が重要であると同時に、台頭しつつある危機への緊急対応計画の議論も続けるべきである。最後に、国際問題のアクターは協力しあい、この地域における多国間安全保障協力の強化に向け取り組むべきである。

Lee教授は藤原教授とワークショップの主催者・後援者に感謝の言葉を述べた。教授は現在の東アジア地域の状況は「アジアン・パラドックス」であると呼び、過去数十年の経済成長政策は大成功を収めたにもかかわらず、安全保障問題は未解決のままであり、いくつかの国においては時間とともにその深刻さが増していると指摘した。また、今後数十年のアジアが直面する課題として以下を挙げた。1)アジアは「世界の安全保障問題の百貨店」である。この地域には安全保障上のあらゆる問題が存在する。世界最大級の軍事国、また経済大国の存在、WMD(大量破壊兵器)の拡散、領土紛争、特に中国の過剰な軍事支出などである。2)国内政治も非常に非均質的な様相を呈しており、共産主義や民主主義、過渡期にあるものが交錯するなか、さまざまなレジームが存在する。こうした政治的見通しにおいては、多くのレジームがその政治的安定性を疑問視されることから、いくつかの安全保障上のリスクが発生する。3)このまま行けば東アジアでは2050年以降、非常に深刻な高齢化が進む一方、東南アジアの一部諸国では大幅な人口増に見舞われる。このような人口構成の変化に対処するのは非常に困難と予想される。4)オーソドックスなものから外れるような安全保障上の問題や脅威が多数台頭し蔓延しつつある。この点はとりわけサイバーセキュリティーの分野で明らかである。

「アジアン・パラドックス」の克服はいかにして可能か。一方では、政治的リーダーシップを慎重に全面的行使することが、国内、国際両レベルで必要である。もう一方では、現世代のリーダーが次世代リーダーにどのような種類の遺産を残すか、また次世代リーダーは台頭する課題、とりわけアジア諸国の歴史的分裂に臨むためにどう準備すべきか——そういったことを考え始めることが重要である。

Ikenberry教授は藤原教授とワークショップの主催者・後援者に感謝の言葉を述べた。まず、東アジア地域の全般的な観察からコメントを始めた。東アジア地域の特徴は経済的成功と、深刻な危機に発展する可能性のある不穏な国際紛争にある。この地域における二つのダイナミクスはいかにして複合的に作用するか、言い換えれば、複雑な相互依存はいかにしてパワーコンペティションの緩和と協力強化につながるだろうか。この地域の未来に向け三つの問題を指摘したい。1)安全保障の観点では、最大の脅威は北朝鮮である。北朝鮮政府の非核化推進能力については今やかなりの懸念が存在する。北朝鮮の核はそれ自体が安全保障に大変革をもたらす可能性がある。2)東アジア地域の秩序、おそらくは世界秩序も、米国主導型のヘゲモニー的秩序から部分的多極秩序への移行期にある。その主な背景には中国の台頭がある。この新たな秩序にはインドやオーストラリアといった新たなアクターも含まれることになるだろう。3)この変化を一歩進めると、東アジア地域は二元的なヒエラルキー、すなわち、米国同盟システムに支配された安全保障のヒエラルキーと、中国を中心に据えた経済のヒエラルキーを構築しつつある。中国はここ数年で、アジアのほぼすべての国における主要な貿易パートナーとなっていることがその背景にある。

現時点では二元的ヒエラルキーがどのように機能するかは不透明であるし、二元的ヒエラルキーは様々なアクターの意思決定に依存する、と教授は指摘した。二元的ヒエラルキーは二つの大国のさらなる競争を刺激する可能性が高いが、それ以外の結末にもつながるであろう。第一に、東アジア地域のミドル・パワーは困難な選択を迫られる。ただし現実には多くのアクターは片方の国だけへの忠誠を強制されたくないと考えている。第二に、米国は引き続き東アジア地域の安定を推進し続ける。この地域の戦略的バランスを不安定化させることは米国の国益に沿わないのがその理由である。第三に、中国は特異なポジションに位置するようになる。現在の中国は、多くの歴史家が台頭権力について指摘してきた昔からのジレンマに直面している。実際、大国が上昇するだけで、近隣諸国にとっては疑念さらには恐怖すらも喚起し、自己包囲(self-encirclement)につながる。対決を回避し緊張を緩和するためにも、東アジア地域さらには世界全体に非常に質の高い外交努力が求められる。また幸運もある程度要求されるだろう。

最後に藤原教授は、東アジア諸国には戦争を始めようとする兆候は見られないものの、特定の引火点をめぐるいざこざが悪化するリスクは常に存在し、こうしたリスクを過小評価してはならないと指摘した。潜在的な危機を防ぎ押さえ込むためにも、協議の仕組みを外交・技術レベルで強化することが重要である。政府は対決を回避しているように見える一方で、ナショナリズム的な言辞が好ましくない政治的風景を作り出しているのも事実である。