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SSUフォーラム:Ellis Krauss名誉教授

日時: 2015年4月30日(木)10:30-12:00
場所: 伊藤国際学術研究センター 3F 特別会議室
題目: “The Yoshida Doctrine, Abe's Foreign Policies, and the 2014 Election”
講演者: Ellis Krauss名誉教授(カリフォルニア大学サンディエゴ校)
言語: 英語
共催: 科研プロジェクト「経済と安全保障の交錯」

東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット(SSU)では科研プロジェクト「経済と安全保障の交錯」との共催で第18回SSUフォーラムを開催した。司会は本学法学政治学研究科の飯田敬輔教授、ゲスト・スピーカーはカリフォルニア大学サンディエゴ校のエリス・クラウス名誉教授で、「吉田ドクトリンと安倍政権の外交政策および2014年総選挙についての一考察」("The Yoshida Doctrine, Abe's Foreign Policies, and the 2014 Election")と題した講演をいただいたのちに質疑応答を通した活発な議論が展開された。2015年度最初のSSUフォーラムとなった今回のイベントには大学教員、学生、政府関係者、メディア関係者など45名が参加してくださった。

講演でクラウス教授はまず、吉田ドクトリンが日本政治に及ぼしてきた影響、そして現在も及ぼしている影響について述べた。クラウス教授の見解によると、吉田ドクトリンはすでに過去のもの、もしくは過去のものになりつつある("dead or dying")一方で、日本の世論は吉田ドクトリンを維持したいように見受けられ、それゆえに安倍政権の政策を支持しない傾向がみられるという。安倍政権はすべての政策における支持率が非常に低いにもかかわらず選挙を勝ち抜いてきた。この現象をどう説明できるだろうか。クラウス教授はそれを日本が「二極化」している("Japan is polarized")からだと説明した。右派は「世論の考えは間違っており、安倍政権の政策はすべて正しい」と思っている一方で、左派と中道の多くは「世論の考えはすべて正しく日本にとって最良のものであり、安倍政権の政策は間違っている」と考えるという。この極端な二極化現象は典型的な戦後日本における論争であり、現代においては意味をなさないものであるどころか、日本の政治をともすれば傷つける現象であると指摘した。

吉田ドクトリンの目的とは、日本が守られていること、日本がアメリカの冷戦時における政策や紛争に巻き込まれないこと、アジア諸国に対して日本が脅威ではないことを再認識させること、そして経済大国になることであった。多くの日本人はこのことを忘れがちであり、むしろ吉田ドクトリンを、アメリカに屈服する政策、もしくは平和主義の追求のいずれかとして見がちであった。吉田茂が行ってきた様々な政策は、一義的にアライアンス・ディレンマ(alliance dilemma)を解決するためのものだったとクラウス教授は説明した。吉田の政策は、アメリカの政策に取り込まれること(entrapment)とアメリカに見捨てられること(abandonment)の両方を避けるものであり、これに成功したといえるだろう。

日本では日米同盟と防衛問題がもっとも論争を呼んできた議題であり、1990年代には大きな転換を迎えたといっても過言ではない。日本経済にとってアジアがますます重要な地域となり、ほぼ同時期に冷戦が終結し、中国が軍事的な台頭を開始し経済的な大国となり、北朝鮮の脅威が増した。このように、冷戦期とは大きく異なる状況のなかでは吉田ドクトリンはもはや有益なものではないとクラウス教授は指摘した。

では吉田ドクトリンに頼らずに、日本はどのように日米同盟を維持しつつも一定の自主性を保つことができるだろうか。アメリカに基地を提供するだけではもはや難しく、また憲法第九条に頼ることもできない中で、「二重保険戦略」(Dual Hedge)をとることが一つの解決策であるとクラウス教授は分析した。二重保険戦略が吉田ドクトリンの延長であるとの考えがある一方で、クラウス教授はこれを吉田ドクトリンの代替策であると考え、いずれにしてもこの政策は1990年代以降の日本にとっては非常に有効なものであったと説明した。

安倍政権ではこの二重保険戦略の一側面、すなわち軍事的な政策でよりアメリカ寄りになる点しか強調しないところに、これまでとは大きな違いが認められる。クラウス教授の分析によると、安倍政権は領土問題への対処を非常に明瞭かつ的確に行っている一方で、歴史認識問題においては残念ながら失敗しているという。安倍政権がとる歴史認識の立ち位置は二重保険戦略でのアジア諸国に対する政策を傷つけているといわざるを得ないからだ。

クラウス教授によると、歴史認識の問題は謝罪するか否かの問題ではなく、過去の戦争時に日本政府が行ってきたことを現政府が否定すること("denial")が問題だといい、この点は二重保険戦略を傷つけるものであるという。アジア諸国の安心と信頼を勝ち取る政策に失敗している点では、吉田ドクトリンとの大きな違いが見受けられ、クラウス教授の分析によれば、安倍政権の外交政策における最大の失敗であるという。それゆえに、安倍政権が行ってきた防衛政策の転換はこれまで類を見ない大転換であり、必ずしも賛同できるものばかりではない一方で、日本がとるべき方向としては間違っていないだろうとクラウス教授は述べた。

ではなぜ日本の世論はこれらの諸点を見抜けずに安倍政権に投票するのだろうか。世論は安倍政権の外交政策を決して好んでいるわけではない。クラウス教授によると、世論調査によると安倍政権の外交政策はどれもが過半数の賛同を得ているわけではない一方で、吉田ドクトリンにしがみつく姿勢がみえるという。2014年総選挙の最大の争点となったアベノミクスについても政策自体には反対意見は少なく、これも吉田ドクトリンを支持する一側面でもあると考えられるだろう。

安倍政権は2014年総選挙を実に巧みな戦略で勝ち取った。クラウス教授はこれを「おとり商法」(Beit-and-Switch)戦略だったと指摘した。自民党と民主党は防衛政策を含めイデオロギー的はそれほど差異がなく、大きな違いといえば経済政策としてのアベノミクスであった。それゆえに投票者はどの政党が政権運営を行う「能力」(competence)を持っているのかという指標で投票を行った。安倍政権の戦略は、アベノミクスに焦点を当てることで多くの票を獲得することに成功した。投票者はアベノミクスが成功しているかを明確に判断することはできない一方で、他の選択肢がない状況に置かれており、民主党の外交政策が自民党のものと差異がほとんどない状況のなかで、多くの市民は選挙に行かない、あるいは安倍政権の政策に明確に反対しているより小さな政党に票を投じるという投票行動にでた。実際、2014年総選挙の投票率はかつてないほど低く、共産党の票数が飛躍し(沖縄は例外)、自民党の勝利に終わった。そして安倍政権が再び誕生したのち、政権は念願だった防衛政策の転換を進めはじめた。

安倍政権の防衛政策はよりアメリカの政策に呼応する形で進められている一方で、現政権の歴史認識は対アジア諸国の観点からこれを大きく損ねるものであり、また日米同盟にも悪影響を及ぼしかねないものであるとクラウス教授は警鐘を鳴らした。世論は安倍政権の防衛政策を評価する一方で、歴史認識については批判すべきであるにもかかわらず、その逆を行っている。これらの点からも明らかなように、日本は未だに過去にとらわれているとクラウス教授は指摘した。そしてこの姿勢は結果的に安倍政権の政策の大半を許して成功に導いてしまうシナリオを作ることへの強力な一助となっているといえる。世論と安倍政権の関係は一見して対立するものに見えるが、その実は相互補完する関係ともいえるのだ。クラウス教授はこのままでは日本の外交政策や北東アジアにおける立場が芳しくない悲観的な将来が待ち受けていると警鐘を鳴らし講義を終えた。