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SSUフォーラム:David Leheny教授

日時: 2015年7月10日(金)10:30-12:00
場所: 伊藤国際学術研究センター 3F 中教室
題目: “感性のレトリック:えひめ丸、日本、そして米国”
講演者: David Leheny教授(プリンストン大学)
言語: 英語
主催: 東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット

2015年7月10日、プリンストン大学のデイビッド・レーニー(David Leheny)教授をお招きして、第19回SSUフォーラムを開催した。レーニー教授は、「感性のレトリック—えひめ丸、日本、そして米国」と題する講演を行うとともに、参加者と活発な意見交換を行った。

今回のSSUフォーラムは、藤原帰一東京大学教授(政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット長)が司会を務めた。冒頭、藤原教授は、レーニー教授の紹介を行った。レーニー教授は、東アジアおよび日本政治の分野において優れた貢献を重ねている研究者である。特に、標準的な構造主義的アプローチの外側において彼が発展させている規範やアイデアに関する研究は注目に値するものである。これまでには、Think Global, Fear Local: Sex, Violence, and Anxiety in Contemporary Japan (2009) やThe Rules of Play: National Identity and the Shaping of Japanese Leisure (2003)といった著書を出版している。

レーニー教授は、藤原教授の紹介に感謝の意を示すとともに、かつて東京大学において藤原教授とともに仕事をしていた時の思い出を紹介した。また講演に先立ち、今回の講演のテーマが現在執筆を行っている著書The Empire of Hope: The Melodramatic Politics of Japanese Declineの一部を構成しているとレーニー教授は説明した。

感性(emotion)と政治(politics)に関する文献は数多い。神経科学からコミュニケーション研究に至るまで、実に様々なアングルから研究が行われている。しかしながら、感情的な心の状態を用いた感性の統計的研究については、これまで限られた成果しかない。また他の研究は、政治的信条が単に理性的であるだけでなく、如何に感性と深く結びついているかを証明している。特に、何人かの研究者は、「感性の外交(emotional diplomacy)」を議論する際、そのような側面の重要性を強調している。

レーニー教授は、最近の日本による国際政治におけるいくつかを事例に研究することで、如何にそれが感性と結びついているか、そしてその感性が複雑なアイデンティティや国際関係の構築にとって如何に重要な要素となっているかを示そうとした。

そのためレーニー教授は、「えひめ丸」のストーリーを紹介した。えひめ丸とは、日本の水産高校の漁業練習船であった。2001年2月9日(日本時間では10日)、遠く沖合で漁業訓練中に米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」と衝突し、4人の高校生を含む9人の乗組員が命を失った。その深刻さと日米関係の複雑さのために、この事故は大きな波紋をよんだ。同様の事態における通常の対応(慣習)とは異なり、償いに加え、米国は船体の引き上げと遺体の収容に合意したのである。また、こうした対応は、アメリカ人と日本人の文化的志向の違いの結果として生まれたものでもあった。それは、彼らの死を偲ぶことにおける考え方の違いであった。

レーニー教授は、この物語における感性のダイナミクスを説明するためにいつくかの例を紹介した。それは、米海軍や日本の海上自衛隊、被害者の親族、また公式の調査が終了したあと個人的な謝罪のために日本を訪れた潜水艦の司令官など多岐に及んでいた。また、これらの個人それぞれが感じた感性に加えて、「国家の感性(national emotion)」というものもあるように思われる。それは、個々人の感性とは無関係ではないが区別されるものである。これもまた深く探求され、より理解されるべき要素である。

このえひめ丸の悲劇は、他の物語とともに、集合的な感性が日本の国際政治をいかに形作ってきたか、また今後どのようか役割を果たしていくかという問題に対するレーニー教授の研究の一部となるだろう。