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SSUフォーラム:Rune Saugmann Andersen研究員

日時: 2015年11月12日(木)10:30-12:00
場所: 伊藤国際学術研究センター 3F 特別会議室
題目: Video, securitization and algorithms - towards understanding video as security articulation
講演者: Rune Saugmann Andersen研究員(タンペレ大学)
言語: 英語
主催: 東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット

2015年11月12日、タンペレ大学のRune Saugmann Andersen研究員をお招きし、第22回SSUフォーラムを開催した。

司会を務めた藤原帰一教授は、国際関係研究における有望な若手研究者としてRune Saugmann Andersen研究員を紹介した。Saugmann博士は、コペンハーゲン大学において、Ole Wæver教授のもと、博士号を取得したばかりの研究者である。Ole Wæver教授は、国際政治における安全保障の概念研究で有名なコペンハーゲン学派を代表する研究者の一人である。

Saugmann博士は、藤原教授への感謝の意を述べた後、講演を開始した。そのテーマは、セキュリタイゼーションが生じるプロセスの中で、動画(ビデオ)がどのような役割を果たすかであった。

まずSaugmann 博士は、安全保障問題の概念化に関するコペンハーゲン学派の取り組みについて概要を説明した。特に、「セキュリタイゼーション」がどのように生じるか、すなわち、ある問題が如何にして「安全保障問題」と認識されるかについて概念的な説明を行った。そのようなプロセスは、通常、言語行為(speech act)を通じて生まれる。そこでは「セキュリタイゼーション・エージェント」と呼ばれる権威ある者によって、特定の問題や状況が政治的コミュニティの安全保障に対する脅威であり、リベラルな憲法の原則を基盤とする通常の法的手続きを超えた対応を必要とする課題であると主張される。そして、そのような主張が広く受け入れられるとすれば、セキュリタイゼーションが生じると考えられる。

Saugmann博士は、こうしたプロセスにおける新たな要因の一つとして動画の役割に注目した。現在、動画はソーシャル・メディアや他のインターネット・ツールを通じて生産され、拡大されている。

現在、動画の生産は、携帯電話やカメラ機能のついたその他デバイスを持つ者であれば誰でも可能となっている。その結果、毎日あらゆる場所で撮影される多くの出来事が多かれ少なかれ安全保障との関係を持つようになってくる。また、そのような動画が公に提供されるプロセスの性質も大きく変化している。1991年、ロサンゼルス市警によって逮捕されたRodney Kingを映し出した動画がデレビを通じて報道されると、全米で激しい憤りと暴動を引き起こした。そこには、動画を生産する者、公への拡散するプロセス、テレビという伝統的メディアにおける編集の間にフィルターが存在していたと言える。

そのような、伝統的なメディアは依然として情報や動画の流通において重要な役割を担っている。しかし、近年では異なるチャネルも現れている。2007年にYou Tubeや同様のウェブサイトが誕生すると、誰でも動画をアップロードできるようになり、またどのような動画でも発信できるようになった。このようなプロセスにおいて、伝統的な「編集」は迂回されるようになっている。またSaugmann博士は、「聴衆(audience)」を生み出す過程における変化も指摘した。過去には、聴衆とは特定の文脈において存在していた。それは、権威ある者が介在することによって生み出されるものであった。ソーシャル・メディアやインターネットの世界では、聴衆はそのまま聴衆を形成するのである。様々なウェブサイトによって提供される動画や他のコンテンツは、特定のアルゴリズムを運用するサーバーによって自動的に選択される。一つのアイテムを見ると、サーバーによって他の多くの動画や情報が提案されるのである。そのプロセスは、完全に自動化されている。

Saugmann博士は、動画の拡散によってセキュリタイゼーションがどのように影響を受けるのかという問いに立ち返り、動画は現実を映し出す信頼できる描写であるとして大衆に受け止められると付け加えた。それゆえ動画は、たとえそれが操作可能なものであったとしても、ある問題のセキュリタイゼーションを推し進める、より洗練され、浸透力のある手法と考えられるのである。また、セキュリタイゼーション理論における動画の重要性は、誰が「セキュリタイゼーション・エージェント」なのかという不明確さを考慮することによって高まっている。ある動画の拡散は、インターネット・サーバーによって自動的に生じているからである。こうした状況は、責任の所在を明確にすることを難しくしている。皆が安全保障を掻き立て、誰も責任を取らないという状況が生まれているのである。そのプロセスは、より不明確であり、はっきりせず、それゆえ公的領域における合理的分析を難しくしていると言えるのである。