SSUフォーラム:Seyom Brown 教授
日時: | 2017年11月28日(火)10:30 - 12:00 |
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場所: | 伊藤国際学術研究センター3F 中教室 |
講演: | “The New US Debate over Nuclear Weapons”
Seyom Brown 教授(ブランダイス大学) |
言語: | 英語 |
主催: | 東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット |
2017年11月28日(火)、東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット(SSU)は、セイオム・ブラウン氏(ブランダイス大学教授)を講師に迎え “The New US Debate over Nuclear Weapons”と題したSSUフォーラムを開催した。ブラウン氏は、The Faces of Power をはじめとした安全保障研究の第一人者であり、かつランド研究所やブルッキングス研究所といったシンクタンクでも活動し、実務も精通している研究者である。司会は、藤原帰一氏(政策ビジョン研究センター長/東京大学教授)が務めた
ブラウン氏によれば、現在のアメリカの核政策には、二つの相矛盾する力学が作用している。第一に、世論や市民活動、また非核保有国の間では核廃絶運動が活発に展開されている。これは、2017年7月、核兵器禁止条約が国連に提出され、多くの賛同国を得るという成果を挙げている。アメリカ議会にもこの動きは波及し、議員は核廃絶を求める声を無視できないとブラウン氏は指摘する。しかし第二に、ブラウン氏は、これとは正反対の力学の存在にも注意を促した。すなわち、米中、また米ロ間の競争の激化であり、あるいは北朝鮮の核開発が引き起こしている緊張であり、これに対抗しようとするアメリカの新たな核戦略と核開発の動きである。ブラウン氏は、アメリカの核戦略の現段階を理解するために、核をめぐる論争を振り返る必要があると言う。
現在のような核廃絶と核戦力の配備推進の双方がみられるという現象ははじめてではないと、ブラウン氏は指摘する。トルーマン政権ではバルーク案が提示されて核の国際管理が提起されるもソ連に拒絶された。他方でアメリカ政府内部ではソ連が核を保有する前に核を使用するべしとの声もあり、朝鮮戦争ではマッカーサー将軍が核の使用を唱えたことが知られる。ポール・ニッツェやディーン・アチソンは、通常兵器で優位にあるソ連に核兵器が加われば、力の均衡が崩れると懸念した。
だが次のアイゼンハワー政権ではこの懸念に対応するのではなく、核による大量報復戦略が採用される。いかなるソ連の挑発にも核兵器で反撃するという戦略である。ブラウン氏によれば、これは極めて論争的な政策であり、アメリカ国内にも多くの反対があった。野党民主党からは、これはソ連の挑発に対して核で反撃して共倒れになるか、核を使わずに敗北するかの二択にアメリカを追い込む愚かな政策だとの批判があがったのである。そして実際、アイゼンハワー世間は台湾海峡危機やベルリン危機において、核の使用をほのめかしたのであった。
アイゼンハワーにかわって政権の座についた民主党のケネディ大統領は、大量報復戦略を放棄し、柔軟反応戦略を採用した。ブラウン氏は、これにともなって北大西洋条約機構(NATO)における核のトリップワイヤー戦略、つまりソ連の攻撃に際しては戦術核兵器による反撃を加えるとの政策も見直されたと指摘する。ケネディ政権は、ソ連のいかなる段階の攻撃に対しても効果的かつ、可能な限り優位に対応できる通常戦力の整備を推進したのである。
ブラウン氏によれば、この「段階」に核兵器の使用が含まれるか否かという点が、大きな論点となった。ランド研究所の研究者は、核戦争の初期においては、大都市への攻撃を伴う対価値攻撃ではなく、ソ連の核戦力を対象とする対兵力攻撃を行うことで核戦争をコントロールすべきと提言し、マクナマラ国防長官もこれに強い関心を示した。だがキューバ危機の後、マクナマラ国防長官は態度を一変させ、核戦争を回避することに力を注いだ。ブラウン氏は、この結果、アメリカの核戦略は核戦争に際してソ連の第一撃から全ての核戦力を保護し、反撃能力を保持することに重点が置かれることとなったと指摘する。これにより、ソ連が核戦争から利得が得られないようにすることが目的である。これが相互確証破壊(MAD)であって、マクナマラは、同様の能力をソ連も保持することが望ましいとすら考えたのであった。
マクナマラは、こうして対兵力攻撃能力の開発を放棄し、対価値攻撃能力を向上することを提唱し、ケネディにかわったジョンソン大統領を説得した。また、ブラウン氏によれば、これにソ連は当初は懐疑的であったが、徐々にこの立場に近づいたように思われた。そしてこれを米ソの核協議を通じて制度化することが試みられた。しかし、1968年のプラハの春により、この動きは頓挫することとなる。さらに、60年代末には、すでに共和党が民主党政権への攻撃を強めており、特にベトナム戦争を引き起こした戦略概念や、米ソ双方が道徳的に等置されるような戦略に疑問を呈していた。
この中で誕生した共和党のニクソン政権は、核の優位を保つことを追求することを選挙戦で掲げた。だが、60年代末はベトナム戦争によりアメリカ議会で反戦論が強まった時期であったため、ニクソン政権は、政策を転換し、SALTやABM制限条約等を通じたMADの制度化へと向かう。そしてこの傾向はフォード政権まで持続したと、ブラウン氏は指摘する。
しかしながら、ブラウン氏によれば、続くカーター政権において、状況は再度大きく変化した。カーター大統領は平和主義で知られ、MADの制度化とソ連との対話に意欲的であった。だがカーター政権の閣僚は、ソ連がその陰で戦術核能力の向上に取り組んでいることに懸念を深めていた。かくして、カーター政権期に、アメリカの核戦力は大きく変化したと、ブラウン氏は指摘する。すなわち、これ以降、いわゆるSIOP (Single Integrated Operational Plan)が採用され、MADに加えて対兵器打撃能力を保持・開発することがアメリカの核戦略の基礎となり、これは現在まで続いているとブラウン氏は言う。
だが冷戦の終結とともに、アメリカは非核化を進めるべきとの声が高まり、2007年のウォールストリートジャーナルに、ヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・シュルツ―、ウィリアム・ペリー、サム・ナンという核戦力に精通した有力者が連名で、アメリカは各なき世界を目指すべきとの意見を公表するに至った。この動きがオバマ政権のプラハ演説につながったことのだと、ブラウン氏は指摘する。だが、オバマ政権が、この演説において核廃絶には相当の時間がかかることを指摘し核抑止力の維持を表明していたこと、また2010年の『核態勢の見直し』(Nuclear Posture Review)においては、核兵器が抑止のみを唯一の目的にするとの立場を拒絶していることに注目しなければならないと、ブラウン氏は言う。
ブラウン氏は、トランプ政権もこの立場を踏襲することになるだろうと指摘する。すでにオバマ政権期において、アメリカの核戦略は、議会の説得材料という側面も含めて、大きく動いていた。すなわち、ブラウン氏によれば、アメリカの核戦力は、現存するシステムの「近代化」を唱え新たなシステムの配備を目指すものではないとされていたが、実際には、多くの最新兵器の開発と導入が決定されているのである。これが意味するものは、ブラウン氏によれば、アメリカは、いまや、核攻撃に対して核で反撃するのみならず、核によらない、例えばサイバー攻撃に対しても、核の使用を考慮しているということに他ならない。
さらに、ブラウン氏によれば、近年の核戦略は柔軟性を高め、あるいは明瞭なシグナルを送るのではなく不確実性を高めることで抑止を強化しようとする方向に向かっている。しかし、ブラウン氏はこれに疑念を呈している。様々な強度の核兵器を保持すれば、相手国はどの段階でアメリカが核を使用するか予期できず、恐怖から核の先制使用に踏み切る可能性が高まるからである。
ではどうすればよいのか。ブラウン氏は、核兵器禁止条約にアメリカや核保有国が賛同することは非現実的であり、これにかわって、核戦力の機能を通常兵器によって代替することが必要であり、アメリカはこれを主導すべきだと述べて、講演を締めくくった。