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SSUフォーラム /第13回山川健次郎記念レクチャー/ GraSPPリサーチセミナー:
Alexandre Debs 准教授(イエール大学政治学部)

     
日時: 2018年12月19日(水)
場所: 東京大学国際学術総合研究棟4F SMBCアカデミアホール
主題: The Strategic Causes of Nuclear Proliferation: Northeast Asia in Comparative Perspective
言語: 英語
報告者: Alexandre Debs 准教授(イエール大学政治学部)
コメンテーター: 栗崎 周平 准教授 (早稲田大学政治経済学術院)
司会者: 樋渡 展洋 教授 (東京大学社会科学研究所)
言語: 英語
定員: 80名
主催: 東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット/
東京大学公共政策大学院GraSPPリサーチセミナー/
Yale FUTI, ホウィットニー&ベティ・マクミランセンター
概要: 本講演は北東アジアの核拡散をめぐる事例を比較検討することで、核拡散の原因を考察するための戦略的フレームワークを導入し、核不拡散政策の効果を論ずる。 核兵器開発には通常長い時間と労力を要するが、その間には、敵対国による脅しや同盟国による保証などの核拡散を阻止しようとする働きかけが行われる。潜在的核保有国(核開発国)が強ければ強いほど、核兵器獲得に成功する確率が高まる。弱い核開発国に対しては脅しが有効であり、強い核開発国に対しては同盟国による保証が有用である。北東アジアの事例においては、北朝鮮がソウルを攻撃し深刻な被害を与える能力を有しているために、北朝鮮に対する予防戦争の脅しは効果を上げなかった。同盟による保証は、そうした脅威に直面する韓国と日本を核武装させないために極めて重要であった。強制的アプローチが北朝鮮に対して今後効果を上げる可能性は乏しく、同盟の信頼性が問われているという事実は日韓に核が拡散するリスクを増大させている。
講師プロフィール: アレキサンダー・デブス(Alexandre Debs)イェール大学准教授 専門は政治科学で、戦争原因論、核拡散原因、民主化などの研究を行ってきた。各学術誌に論文を掲載しており、共著に Nuclear Politics: The Strategic Causes of Proliferation (Cambridge University Press, 2017)がある。MITで博士号(経済学)、ローズ奨学生としてオックスフォード大学で修士号(経済社会史)を取得した。モントリオール大学卒業。

「核拡散の戦略的原因――北東アジアの事例を比較研究する」

東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニットは、このたび本学の公共政策大学院およびYale FUTI (Friends of UTokyo, Inc.)ホウィットニー&ベティ・マクミランセンターと共催でアレキサンダー・デブス准教授(イェール大学)をお迎えしてSSUフォーラムを開催した。司会進行は本学社会科学研究所の樋渡展洋教授が務め、コメンテーターとして早稲田大学政治経済学部の栗崎周平准教授に加わっていただいた。

冒頭、司会の樋渡教授は、北東アジアにおける核不拡散というタイムリーな問題についてこうした講演と討論の機会を持つことができたことは喜ばしいとしたうえで、共催機関、フォーラム参加者の方々への感謝を述べ、デブス氏の研究について簡単に紹介した。

デブス氏は、ヌーノ・モンテイロ氏との共著『核の政治――拡散の戦略的原因』(原題Nuclear Politics: The Strategic Causes of Proliferation)の骨子についてプレゼンテーションを行った。本研究は、核保有を検討する国々のなかで、なぜある国は核武装に成功し、なぜある国は核武装を断念するのかという疑問をめぐって展開されている。その問いに答えるため、次の二つの疑問が提示された。「一般的に、および北東アジアにおいて、核拡散の歴史を説明できる要因は何か」、「北東アジアにおける、核不拡散政策としての威嚇や保証の効果はいかなるものか」というものである。

核拡散をめぐる問いは国際関係研究における中心的な課題の一つである。多くの研究者が、なぜある国は核を持つことができ、他の国は持てないのかを理解しようと研究に取り組んできた。先行研究のうち有力な仮説は、核兵器は最終的な抑止手段であり、したがって開発国は安全保障上の利益を得るために獲得を目指すのだとする考え方である。しかし、こうした仮説をとれば、核はもっと拡散していなければおかしい。核兵器が安全保障上の利益をもたらすにもかかわらず、核保有に至った国はごく限られているからである。この疑問に答えることは、学術的関心のみならず政策的インプリケーションの観点からも重要であると思われる。現在の米朝間、南北間での核問題をめぐる対立は、どのような政策が有効であるのかについて判断することの難しさを浮き彫りにしている。北朝鮮に対して威嚇は有効なのか、そして地域における米国の同盟各国に対する保証は有効なのか。将来に亘って北東アジアにおける核不拡散を目指すためには何が必要なのかという問題である。

デブス氏は、核拡散の必要十分な動機が安全保障上の利益にあるという見方を再検討し、核開発国はひとたび核を持てば敵対国に対する優位性を確保するかもしれないが、敵対国や同盟国といった他国がその安全保障上の利益をバランスすべく、威嚇や保証などの政策手段をとるとした。ゲーム理論でいえば、核開発国にとっては、遅れてやってくる見返りのためにコストを伴う投資が必要となる、ということだ。とすれば、どのようなときに国家は核保有を追求するのだろうか。

デブス氏は、核開発国が他国からもたらされる圧力に抗して核保有するために必要なコストを払う意思があるかどうかをめぐる変数を導入する。その意思は、通常兵力だけでは抑止できない明確な安全保障上の脅威の存在、あるいはそうした脅威に立ち向かうために必要な同盟国からのコミットメントの不足に求められる。しかし、そうしたコストを払う意思だけでは動機を構成するには不十分であり、他国が核拡散を阻止すべく予防的攻撃を加えること、あるいはそうした威嚇を行うことを考えに入れなければならない。

したがって、核保有を目指す国は開発のコストを払う意思に加えて、機会の制約を乗り越えなければならない。機会の制約とは、他国の行う核不拡散政策に対抗しなければならないことから生じるものである。核開発中に核施設に対して先制攻撃を加えられる可能性もあるし、その脅しを用いる可能性もある。核開発国は、敵対国からの脅しを抑止するだけの十分な軍事力を持っているか、あるいは敵対国から攻撃された際に、同盟国が集団的自衛権を行使して十分な規模の反撃をしてくれることが期待される条件を兼ね備えていなければならない。「核兵器は弱者のための兵器である」という認識がこれまで示されてきたが、それは核兵器の効用に着目する見方であって、そもそもあまりに弱ければ、核兵器を獲得することはできないのである。

こうした論理を北東アジアにおける核拡散の歴史に導入して検討すると、北朝鮮が1990年代に核開発を行うことができたのは、ソウルを文字通り火の海にする通常兵力の能力を有しているからであるとデブス氏は指摘する。米国にとって北朝鮮を先制攻撃することのコストが高すぎるからだ。したがって、米国は先制攻撃の脅しをかけたものの、その脅しは信ぴょう性が低かったとデブス氏は評価する。他方で、日韓両国は米国の庇護の下で安全を担保され、あえて核開発を目指そうとはしなかった。ただし、1960年代に、ニクソン米大統領がグアム・ドクトリンを発表し、同盟国が第一義的に自国防衛の責任を負うことを期待すると述べると、韓国は見捨てられる懸念におびえ、一時核開発を模索した。同盟国による保証が揺らげば核拡散が進む。したがって、米国は結局は同盟のコミットメント維持に配慮し、1980年代初期に韓国は核開発を断念することになる。

デブス氏は、今回の北朝鮮核危機について言えば、米国の本格的に関与し続ける意思が不明確であり、その結果として先制攻撃の脅しにもかかわらず信頼が伴わなかったということだろうとした。とすれば、北朝鮮は抑止され得ず、核放棄にもつながらない。それと同時に、米国の関与に対する疑いは日韓の核開発の可能性を高めているという。

デブス氏は、国家間の戦略的なやりとりに主眼を置いた二つのモデルを提示し、核拡散の実態を理解する枠組みを提供した。

拡散しようとする核開発国(P)、敵対国(Ad)を想定し、核拡散に対する予防的攻撃に対応するコストをc(m)とし、核保有することの効果をe(m)としたとき、核開発国にとっての核兵器の費用対効果が観念できる。核保有のコストは通常兵力(m)の能力にかかっている。すなわち、核開発国(P)の通常兵力(m)が大きければ大きいほど(P)はその核施設を防衛する能力を持つことになり、核開発国(P)に対して先制攻撃することのコスト(c(m))が大きくなるからである。また、弱小国の軍事力は低い傾向にあるので、核保有することでもたらされる果実は大きい。

そこでデブス氏は極限的な事例を提示する。核開発国の意図が、信用できる情報ソースや国家間の意思疎通によって完全な情報として分かっていると仮定しよう。核拡散が起きるのは、開発国の側に核を持とうとする意思があり、かつ機会が与えられた場合だろう。核開発国にとって、開発による果実(e(m))が開発の全体コスト(k)を上回ったときに、核保有の意思が形成される。開発による果実(e(m))が、敵対国(Ad)が予防戦争を仕掛けるときのコスト(c(m)) を上回る場合に、核保有の機会という条件が満たされる。まとめると、核保有をもくろむ国々のなかで核保有が成功する条件は、核開発国が強い通常兵力を持っている場合である。なぜならば、敵対国が予防攻撃を躊躇う効果を生むからである。言葉を換えれば、核兵器は弱者の兵器であるが、弱者はそもそも核兵器を持つことが難しい、ということになる。

二番目のモデルでは、核開発国の同盟国(Al)をモデルに組み入れることでプレーヤーの数が増える。同盟国(Al)は、核開発国の側に立って戦い、支援(st)を提供するかどうかを選択できる。その結果として、支援が与えられれば、核開発国の通常兵力を代替・補強することができる。同盟国の支援を期待できれば、核開発が容易になる一方で、そもそも同盟国の支援を期待できるのならば、核開発による果実もまた低下するというべきである。

この第二モデルにおいては、核開発国 (P)、同盟国 (Al)、敵対国 (Ad)の戦略的やり取りによって核拡散の帰趨が左右されることになる。核開発国の意思は同盟国の行動如何にかかっている。一つ目のシナリオとしては、同盟国からの支援が期待できれば、核拡散の可能性は高まるというものがある。二つ目のシナリオとしては、核の傘を供与されていれば、そもそも核保有の意思自体がなくなるというものがある。

同盟国の存在は、核開発国の国力に応じて異なる影響をもたらしうる。強い核開発国ならば、同盟国による庇護の保証を受け入れて核保有を断念するかもしれない。しかし、弱い核開発国であれば、逆に同盟国による庇護は核保有を容易にする条件として働くだろう。同盟国は、保証と脅しの二つの選択肢を持っていると考えられる。強い核開発国に対しては保証が、弱い核開発国に対しては「見捨てる」脅しが有効である。

デブス教授は、つづいてこうした理論の中心的な概念を具体的な歴史の描写を通じて具象化して見せた。まず核を保有するに至った10カ国は、安全保障上の高い脅威に直面していた(米国、ソ連、中国、南アフリカ、インド、英国、北朝鮮、フランス、イスラエル、パキスタン)。次に、データが示すところによれば、核拡散が起きるかどうかは強い通常兵力と核保有国である同盟国による支援によって左右されてきた。イラン、イラク、シリアなどの国々は、核保有国である同盟国を持たず、また通常兵力の能力が弱いがために、敵対国による先制攻撃の脅しが説得力を持ちえたのである。弱い国に対しては、同盟国による支援が核保有を可能にした側面があり、実際にパキスタンに関しては1980年代、アフガニスタン戦争への対抗措置を測る米国にとって重要な国となったが、まさにこの時期、パキスタンは核開発の重要な段階を経た。同様に、フランスや英国は米国からの安全の保証を得ながら核開発を行った。そして、台湾や西ドイツなどの国々は、核を持つ同盟国に脅された結果、見捨てられる恐怖が勝って核開発を断念しているという。日本が韓国などの国々は、反対に同盟国による安全の保証が功を奏して核開発の動機が十分に満たされなかった事例として説明されている。

こうした核拡散に関する理論と地域の将来的な見通しの予測とをつなげるにはどうしたらよいか。とりわけ、北朝鮮に関しては現状核危機が進行している状況であるし、北と対峙する韓国や日本が今後とりうる政策を理解する必要もあろう。結論としてデブス氏が述べたのは、北朝鮮に対しては軍事的な威嚇は効果を上げない、ということであった。なぜならば、その脅しは信ぴょう性が低いからである。また、日韓の核保有が見送られてきたのは米国が確実な安全を提供してきたからだが、トランプ現象をはじめとする米国内政の変化につれ、同盟の保証に対する疑いが広がってきている今、日韓両国が核保有に踏み出すリスクが上がっているとした。

デブス氏は共書で16の事例研究を展開しており、安全保障上の動機にのみ注力してきた先行研究の偏りを是正している。本研究は、核拡散の過程を理解する一助となるのみならず、どのような政策選択肢がどのような場合に有効なのかを知る手がかりとなるだろう。

デブス氏の講演に続き、樋渡教授が簡単に総括を行った。本研究は非常に体系的かつエレガントであり、詳細な事例研究を含んでおり、参考になるとした。  続いて、コメンテーターの栗崎氏がデブス氏の発表の要点を的確に描写し、先行研究との差別化がどこに存在するのかを説明した。核拡散の研究の蓄積自体は膨大なものである。例えば、1990年代には安全保障外の核兵器保有の動機に着目した研究が進み、コンストラクティヴィズムからネオリベラリズムに至るまでのアプローチから、なぜある国は核保有し、なぜある国は核保有をしないのかという理由を探る試みがとられた。ニーナ・タンネンワルドによる古典的著作は、「核のタブー」に着目し、核使用がスティグマとして捉えられていることを指摘した。2000年代には、合理主義アプローチやゲーム理論を研究手法とする人びとがこの問題に取り組み、国際的な核不拡散規範やメカニズムの説明を試みた。デブス氏の共著は、非安全保障的な理由から解明しようとするアプローチとは異なる系譜に位置付けられ、まさに安全保障を説明理由の中心に取り返す試みである。共著において展開された数理モデルは、権力移行と予防戦争に光を当てている。同様に、本著作では核保有国である同盟国の能力が核拡散を左右するということが強調されている。栗崎氏は、こうしたデブス氏のモデルは全体として美しく、説明能力が高いとした。

栗崎氏は、理論の北東アジア地域に対する適用にあたって、地域的なバリエーションをどのように説明しうるのかという問いも提起した。例えば、脅しの信ぴょう性である。脅しが効力を持つためには説得力がなければならないが、NATOのような多国間同盟を前提とした場合と、北東アジアのように米国の同盟国がばらばらに存在している場合とでは、説得力は異なりうる。次に、北朝鮮の事例では、不測の事態に対応するための攻撃計画の選択肢や精密技術を数理モデルの中に組み込めるのではないか、と指摘した。つづいて、このモデルにおいて、核開発国がひとたび核保有を実現させてしまったあとの、その国に対して取られる核戦略を説明しないのはなぜか、という疑問である。すなわち、弱小国が核武装をした場合には第二撃能力を有さないことがあるが、その国が破壊的な目的のために核を用いる可能性は捨てきれないとした。最後に、栗崎氏は現状の世界を踏まえれば、核不拡散政策の有効性が疑われつつあるとした。

会場からも、核兵器の捉え方の違いを含め、いくつかの質問が相次いで提示され、デブス氏との応答が続いた。核抑止に関しては、さらなる研究の余地があるとした。核兵器の意義については意見が分かれるところであるが、本研究はこうした議論に正面から答えようとするものではない。核兵器が安全保障上そこまで有用な兵器であるのならば、実際にはもっと多くの国が核保有を実現していてもおかしくないはずである。あくまで、安全保障を主要な語りに据えつつもその疑問に答えたのが本書の試みであるとした。

司会の樋渡教授が最後に締めくくりの言葉を述べ、関係者一同に感謝して閉会した。