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SSUフォーラム:ピーター・J・カッツェンシュタイン 教授

日時: 2018年4月19日(木)18:30 - 20:00
場所: 伊藤国際学術研究センター3F 特別会議室
講演: 力と不確実性―世界の政治における意図せざる現象を探求する―
Peter J. Katzenstein 教授 (コーネル大学)
言語: 英語
主催: 東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット
概要: This lecture introduces the concept of “protean power” as the basis for a better analysis of unanticipated events in world politics. Protean power is the effect of actors’ agility as they adapt in situations of uncertainty. This definition departs from conventional definitions of power, which focus on actors’ evolving ability to exercise control in situations of calculable risk and their consequent ability to cause outcomes these actors deem desirable. I argue that this conventional view is overly confining; inclusion of protean power in our analytical models helps us to better account for unexpected change in world politics. Notably, actors respond to shifts between risk and uncertainty, in both context and experience, with affirmation, refusal, improvisation, or innovation. In doing so, they create room for control and protean power as effects, rather than causes, of such practices. However, protean power should not replace control power.
These two basic forms of power relate to one another, in a variety of ways, in complex contexts characterized by both risk and uncertainty.

政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット(SSU)は、このたび米コーネル大学のピーター・カッツェンシュタイン教授をお迎えして講演会を主催した。当SSUの責任者であり、政策ビジョン研究センターのセンター長でもある藤原帰一教授が、まず初めにカッツェンシュタイン教授を、物事の捉え方が非常にユニークであり、世界の見方を劇的に変えるような多様な著作をこれまで発表してきた研究者としてご紹介した。

本講演は、カッツェンシュタイン教授編著の新著Peter J. Katzenstein and Lucia Seybert eds., Protean Power: Exploring the Uncertain and Unexpected in World Politic (Cambridge University Press, 2018)に基づくもので、国際社会において「意図せざる結果」として生じている現象を、「力」の意味を新たな枠組みで捉え直すことを通じて説明しようとするものである。そして、これまでの政治学による物事の捉え方が一面的なものであったことを指摘し、リスク分析偏重の考え方を転換するとともに、不確実性をもう一つの柱として位置付ける。

カッツェンシュタイン教授が「プロテアン・パワー」と名付けるその新たな「力」とは、ギリシャ神話に出てくるプロテウスのイメージに触発されている。プロテウスは海神ポセイドンの息子で、変幻自在の身体を持ち予言能力を持つとされる。したがって、物事の移ろいやすさや、融通無碍な適応性を象徴するモチーフである。

カッツェンシュタイン教授らは、2008年のリーマン・ショックに端を発した金融危機に触発されて本書のプロジェクトを始めたという。既存の政治学における、合理性偏重の世界観や思考枠組み、それ自体が有効ではないのかもしれないという疑いに基づき、新たな概念の導入によって複雑な世界に対する理解を深めようという試みであった。

教授は、現在の経済学ではリスクという概念を導入することで、不確実性という概念自体がほぼ消え去ってしまったとする。しかし、世界で数々の予測しがたい現象が起こってきたことに鑑みるに、リスクを認識し、リスク管理を行うことで現実世界をコントロールしようという考え方は、もはや有効性が低下しているのではないか。同様に、教授は政治学や国際関係論においても合理性モデルが幅を利かせてきたとする。それらはホッブズ的な権力理解に根差しており、力を、何かをコントロールし、秩序を作り出すものとして捉える伝統に基づいている。他方で、大陸欧州での研究や、人文研究、文化研究においてはより流動的な力の理解というものも存在してきた。ホッブズ的な力の理解の裏側で、隠されながらも常に意識され続けてきた、異なるその力に、プロテアン・パワーという名前を与えたのだという。

新たな視点で、今日の複雑な世界における不確実性を見ると、予測されなかった意図せざる結果というものをどのように理解しうるかが見えてくるという。リチャード・ハース教授が論じたごとく、今日の世界において力はより分散し、拡散している。そこで行われる人間の営みは、予測不能な事態を回避しようとして不確実な世界を見通そうとし、それに対処する努力の積み重ねであった。人間の行動を理解し、物事の推移を予測しようとする過程で、政治学はリスクに関してより多くの事象を取り込むことで対象範囲を拡大してきた。けれども、いかに対象範囲を拡大しようとしても、それらの研究はリスクにしか着目しようとしなかったために不確実性を取り込めず、意図せざる効果に対する分析を取りこぼしてしまった。

不確実性に対応しようとする人間は、即興的な行動あるいはイノベーティブな行動を生み出す。プロテアン・パワーとは、そのような人間の行動によって生じる力である。しかも、プロテアン・パワーは、突如生成されるものではない。システム全体に影響する潜在的な力をため込んでいたものがある日、現実化したものとして理解することができるからだ。つまり、本研究では支配する力を否定したのではなく、その力と併存する、対になった概念としてのプロテアン・パワーを提示しているのである。

なぜこれまで不確実性に対する分析が進まなかったのであろうか。カッツェンシュタイン教授は、既存の組織が不確実性を嫌うからであるとする。リスク管理の幅を広げることで、合理的な対処行動を行おう、リスクを分析に織り込もうとする誘因は非常に強いというわけだ。国際関係に置き直せば、既存の理論では国家のような「主体」の支配する能力とその大きさをはかるものとして力を概念化してきたわけだが、むしろ力は主体に宿るのではなく、主体間の関係性に宿るとする論考も認識論の論者には数多く見られてきた。

ここでカッツェンシュタイン教授はニュートン力学と量子力学を対比させる。20世紀初頭に量子力学が生まれたことで、ミクロな素粒子の物理を説明することができるようになった。ニュートン力学がカバーしえなかった領域である。ここで教授が量子力学を引用したのは、「林檎が落ちるのは引力のためである」というような従前の現象の捉え方とは違う力学の領域が存在していることを示すためであった。

続いて、不確実性を政治学の分析に取り込むために、リスクや不確実性が存在する世界における主体の行動パターンが提示された。自らを取り巻く環境をリスクに満ちているとして認識する主体が、リスクの高い局面で行動する際には肯定的な反応を示す。同じ世界観を持つ主体が、リスクを測りがたい不確実性の高い局面で行動する際には、不確実性に適応するため即興的な行動に出る。世界を不確実なものとして認識している主体は、リスクの高い局面では拒絶反応を示し、実際に不確実な局面では不確実性に適応するためイノベーションにうって出る。

人びとは、プロテアン・パワーの存在を的確に認識しておらず、そのため、つい従来型の権力をもつ主体に対置される「ピープルズ革命」のような弱者の運動の分析として誤解しがちである、と教授は警鐘を鳴らす。けれども、ここで言われているのは、そのような強者に対抗する多数の弱者による行動というような世界観ではない。実際には、プロテアン・パワーは、いわゆる権力を持つ/持たないに関わらず、主体が安全や生存を確保しようとしてリスクと不確実性に適応する行動が生み出しているからだ。

而して、聴講者は最初のプロテウスのイメージに戻ることになる。つまり、人間が古来より抱いてきた、不確実な将来を予測したいという願望、不確実な世界を生き抜きたいという本能的な努力を投影したモチーフがプロテウスである。不確実な世界における現象を理解するため、新たな力の概念を導入する試みは、非常に示唆に富むものであった。