モノと情報が融合する未体験ゾーンに突入

—異次元知財環境における戦略構築の必要性—

東京大学政策ビジョン研究センター
渡部俊也 教授

2014/6/27

EPA=時事

A picture made available on 11 April 2014 shows various products made by a full-color 3D printer displayed at the Seoul International Machine Tool Show 2014 at Kintex in Ilsan, north of Seoul, South Korea.

印刷物がデジタル情報となり、インターネットで流通するようになって著作権・コンテンツ分野の知的財産制度は多くの問題を抱えるようになった。コンピューターソフトウエアも同様インターネット上で共有し容易に改変できるようになり、伝統的な専有のための知財制度は時としてこの世界ではやっかいなものに見えるようになった。これを解決するために、知的財産権の効力を、専有することではなく共有することへの義務付のために用いる(コピーレフト)GPLライセンスがリチャード・ストールマンによって提案され、ソフトウエアの知財の考え方に大きなインパクトを与えた。その傘下にLinuxをはじめとするオープンソースソフトウエアが生まれ、それをIBMのようなグローバル企業がオープンイノベーションのオプションとして戦略的に利用することで大きな成功を収めた。

最近日本ではオープン&クローズ戦略と言われるようになった欧米企業の最新の知財戦略は、これら著作権分野のオープンな知財マネジメントの成功が後押ししたものだと考えてよい。

一方モノの知財を扱う産業財産権分野の知的財産制度は、伝統的な知財の考え方がいまだに通用する世界である。医薬品分野や化学分野の知財マネジメントは排他的独占を図ることをを専ら念頭に置いたものであるという点で、500年前の特許制度発祥の時代のそれとさほど変わらない。しかしそういうモノの世界でも、情報通信分野やエレクトロニクス分野における知財マネジメントにおいては、オープン化の波が押し寄せている。知財を専有のために用いることが難しくなっているという意味で大きな変化がみられるようになってきた。

一般的にはこれらの分野の知財の役割の変容は、特許の数が多くなったこと、そしてそれに伴い一製品あたりの特許の数が多くなったこと、そして国際標準などにおけるパテントプールなど、特許の共有の仕組みが発達してきたことによるものと信じられている。

モノの知財のマネジメントと著作権・コンテンツの世界を区別できるはずのこれらの解釈は今のところ当たっている。しかしその境界も、3Dプリンターの発達と普及によって曖昧になっていくだろう。

3Dプリンターの基礎的技術である光造形法は日本人の研究者が発明したものだと言われている。しかしこの技術の社会的インパクトに先に気づいたのはやはり米国であったと思われる。最近3Dプリンターによって制作された銃の問題がクローズアップされたが、技術的には格段進歩しており、米国では戦場に3Dプリンターを設置して、現地で武器製造を行うことも検討しているという。

問題の所在は、3Dデータさえあればモノができてしまうかもしれないということだ。例えばブランドデザインのタイヤホイールキャップがあるとして、レーザースキャンして3Dデータをつくる。それを3Dショップに行って自分でホイールキャップを作って使ったとしても、現在の知財制度では権利侵害には当たらない(業としての実施ではない)。

もともと知財制度はモノと情報は厳然とわけて考えている。今想定している事態はモノと情報が混然一体となりつつあることが本質的な問題である。このような変化の中で起きるパラダイムシフトは、製造業の世界に過去経験したことのない大きなインパクトを与える可能性がある。わかりやすく言えば、今デジタル著作権・コンテンツで起きている問題がそのままモノの知財問題になるかもしれないということである。先にあげたタイヤホイールの事例は、デジタル著作権の自炊問題と同じ構図の問題である。そうなればモノはメーカーから購入する必要がなくなる。どこまでの範囲のモノがこのような事態に遭遇するのか、その範囲は予想が難しいが、技術の進歩とともにその範囲は広がっていくだろう。そしてその時、モノの「自炊代行業者」が大量に出現する地域は、先進国ではなく新興国なのである。

逆にその事態を想定して、モノの3Dデータになんらか権利を保有して利用しようとすることも考えられる。それでなくてもエレクトロニクス製品や自動車でさえもモノはソフトウエアに付加価値の重点を移している。モノの価値がすっかりデータに飲み込まれるとともに、新たなモノのオープン知財戦略も生み出されていくだろう。

いずれにしても世界は早晩モノと情報が融合する未体験ゾーンに突入することになる。ここではどういう知財制度を考えたらよいのだろうか、そして製造業に優れる日本の立場として、どういう戦略を考えたらよいのだろうか。

今のところ日本の産業界が3Dプリンターをビジネスとしてとらえる視点は、概ね3Dプリンターという製造装置を作って販売するビジネスに対する興味と、3Dプリンターを自社の製品の製造にどのように利用できるのかという興味にとどまっている。少し進むと3Dプリンターの出現が自社の潜在的競合者を生み出すことになるのかどうかという懸念が生まれる。しかし我々が取り扱うべきと思うのは、3Dプリンターの社会的インパクトを冷静にとらえたとき、知財制度の本来の役割を踏まえ、かつ産業政略上、知財制度はどのようなものであるべきかという視点での議論である。

今直ちに正解は持ち合わせているわけではないが、アプローチは3つある。第一に、緊急の課題として、現在の法制度でどのような対応が可能かということを検討することである。業として他者の意匠権の存在する3Dデータを用いてプリンターで製品を製造・販売することは規制できるとしても、その前段として3Dデータが広く流通してしまうことがエンフォースメントを実効的にしようとする際に問題になるだろう。この対策としては立体意匠権を保有する権利者が、3Dデータを提供する事業者に対して間接侵害を問えるかどうかなどは検討しておく必要があるだろう。

第二はモノの自炊問題にどう対処するかという問題である。長い間の研究開発や技術ノウハウの蓄積のうえに得られた貴重な製品の構造があったとして、業としての利用でないからと言って「自炊」はやむをえないとできるかというと、そこは日本の製造業へのインパクトの大きさを考えなければならないだろう。発明や創作の結実としての3Dデータに関しては何らかの保護と規制が必要なのではないかと思われる。

第三は、モノと情報が全く融合した世界の知財権を考えてみるプロジェクトを早期に実施しておくことである。3Dデータがあればすべてのものができるとしたときに、発明や創作活動はどう変わり、その事業化プロセスはどう変わるのか。荒唐無稽な話だと思うと思考が止まってしまう。人間は保守的なもので、伝統的な手法に高度なノウハウを加味して製造された商品で大半の利益をあげている企業に3Dプリンターの話をしたところ「絶対に作れない、作れたとしても生産性があがらないはずだ」の一点張りであった。

それは、今は正しいかもしれないが、いずれ生産性は向上するだろう。事実すでに射出成型の生産性を凌駕したという報道もなされている。そしてその会社のライバルである米国企業の特許を調べてみたら、案の定、3Dプリンターを利用することを想定したものがあった。

やっかいで考えたくない未来を否定すれば思考は停止する。しかし受け入れれば、新しいアイデアやビジネスモデルに出会えるかもしれない。3Dプリンターのもたらすインパクトは、日本の製造業の脅威でもあるが、チャンスでもあるかもしれない(というよりこの変化をチャンスにしなければならない)。しかし、まずは不都合に見えることを受け入れないと、話は始まらないのである。

もっともこの手の問題についての政策面での検討を考えた場合、日本の政府の機能は縦割りで、モノの政策と情報の政策はその検討プロセスを融合することすら難しいかもしれない。であれば、まずは民間で識者を集めてこの問題を検討してみるのは重要である。日本の知財政策の転換点となった2003年の知財基本法以降10年余検討してきた知財政策に第二ステージを考えるとすれば、まさしく著作権・コンテンツ知財とモノ(産業財産権)の知財の融合した世界であるべきだ。

産学官の英知を集めて「異次元知財環境における戦略構築」を先駆けて試みるべきである。


参考リンク

知的資産経営新ビジネス塾
拳銃事件から見える3Dプリンターの光と影 (杉光一成 客員研究員)
3Dデジタルと知的財産(電子書籍)