新しい科学技術管理制度の創造へむけて
09/05/07
今日の科学技術の進歩は著しく、人類にとって大きな便益をもたらすことが期待されるが、その一方で、計り知れない危険性ももっている。すでにこのコラムの欄で城山教授(「バランスのとれた社会意思決定は如何にして可能か?」(2008/12/03))、坂田教授(「規制緩和から創造へ」(2009/01/28))も述べているように、急速な発達を遂げる科学技術のメリットを最大限引き出しつつ、リスクを最小化するために如何に科学技術の管理を行うかは、わが国でもいくたびか発生した薬害問題に言及するまでもなく、現代国家の抱える大きな課題の一つである。
リスクを最小化し、科学技術のもたらすメリットを享受するためには、城山教授が指摘するように、それを適切に評価するテクノロジー・アセスメントの手法の開発とその必要性についての社会意識の形成が重要である。それとともに、坂田教授が主張される、そうした評価に基づいて科学技術の研究と社会的応用の可否を決定する制度を設けることも重要である。
現在のように、法律による厳格な規制が行われている場合、科学技術の発達についていけない規制の遅れが、国民が科学技術の成果の恩恵を受けることを妨げているとともに、新しい科学技術の領域をカバーしきれていない規制の空白が、一方では、リスクを野放しにするか、他方で、リスクの過大評価から成果の利活用を妨げている。
こうした事態を改善し、適正な科学技術の利用を図るには、行政制度の基本的なデザインを変更する必要がある。もちろん、従来の厳格な規制のための法制度は、人類の長年の経験に基づいて形成されてきたものである。したがって、そのデザインの変更には、メリットとリスクについて広く国民の理解とコンセンサスを得ることが必要である。
このコラムでは、坂田教授の発言を承けて、どのような行政制度が考えられるか、そのデザインについて考えてみたい。その際、論点として、第1に、上記のような要請に応える規制制度のあり方、第2に、科学技術にはリスクが伴う以上、何らかの予見できなかった被害が発生する可能性があり、そのような被害が発生した場合の救済のあり方である。
柔軟な規制が可能な制度
人間の健康に甚大な影響を及ぼしかねない技術やそのような技術を用いて作られる製品に対する規制は、現在、その多くが法令に定められ、法令上に基準が示されている。国民の健康や財産に関わる以上、規制の根拠、基準等が法令にしっかりと定められている必要があるというのが、これまでの考え方であるが、法令は議会等の政治の場で制定されることから、制定に時間がかかるとともに、常に科学技術の進歩の速度に応じて新法の制定や改正が行われるとは限らない。
そこから、時代遅れの規制が存続したり、規制の空白が生まれることになる。すなわち、立法自体が政治過程であることから、法令の制定や改正について政党間で意見が分かれるとき、合理的とは思われない妥協が行われたり、改正の必要については合意が得られていても、その内容についての合意が得られないために、従来の規制が維持されることもあるのである。
こうした状態を改善し、できるだけ最先端の科学技術の状態を反映して規制の内容を変更していくためには、規制の仕組そのものを変えていく必要があろう。それは、制度の基本的考え方を変えるものであることから、慎重でなければならないことはいうまでもないが、たとえば規制の内容を決める手続だけを法定し、その規制の具体的な内容や基準については、専門家による合議体の機関に委ね、新しい科学的知見に基づいて柔軟かつ迅速に安全性等の基準を見直していくという制度も考えられよう。
もちろんその場合、その合議体の性格や権限、メンバーとなる専門家の人選には難しい問題が伴うかもしれない。しかし、審議・決定過程を完全に公開するとともに、学界等で新たな知見が得られたときの提案、検証、そして提案に対する反証手続、外部からの意見聴取、すなわちパブリック・コメントの制度等をしっかりと定めておくことで、決定の客観性はかなり担保できるのではないか。 いずれにしても新しい科学技術にはリスクを伴うことから、安全性等について不確実な状態での科学技術応用の判断をせざるをえない場合もありうる。その場合には、多数決で決めるか、あるいは一人でも反対者がいる場合には採択しないという拒否権を認める制度とするかなど、合議体での決定方法を予め明確に決めておく必要がある。
また、ひとたび決定した事項であっても、その科学技術の応用によって予期されていなかった危険性等が発見された場合には、直ちにそれを考慮に入れて対処策を検討する仕組みとしておかなければならない。不測の事態をできる限り避けるためには、応用された科学技術について実証実験を行い、その結果をフィードバックする情報サイクルの形成が重要である。
すべてのものについて永久かつ完全に正しい決定はあり得ない。重要なことは、安全性について検討した時点でのベストの決定を行うことができるように、必要な情報をすべて収集提供し、客観的な手続に従ってその時点でのベストの決定を行う仕組みを作ることである。
予測できない結果への対応
そのように慎重な決定を行っても、不幸にして予見できなかった事故や副作用等によって被害が発生することはありうる。そのような場合、これまでは、原因となった技術を用いた企業や、その技術を安全であるとして承認した行政機関に対して過失責任を問い、その過失責任に基づく損害賠償によって被害者の救済が行われてきたといってよい。
しかし、それでは責任を追及される側は、刑事責任、行政責任を問われることになるため、当然責任を回避しようとする。このような制度の下での被害者による責任追及は、確かに決定を行う者に厳しい規律と責任感をもたらすことは間違いないが、予測できなかった要因による被害にまで責任を問われることになると、決定者はリスクの高い決定を避けようとする傾向をもつ。それは、リスクもあるが効用が大きい技術を社会で利用することを抑制し、その技術によって救済される可能性のある多くの人々から、技術の恩恵を受ける実質的に機会を奪うことになりかねない。
こうした事態を避けるためには、決定の責任と被害の補償とを切り離し、被害が発生した場合には、一定の要件の下に救済のための補償を制度化することも検討に値しよう。もちろん責任を伴わない決定がモラルハザードを招き、社会的なリスクを高めるという批判は予想される。しかし、その点については、上述したように、決定の時点で入手可能な情報に基づき、適正な手続と公開の審議の下で決定されたことが証明される限りは、決定についての責任は問わないこととし、他方、その時点で予測できなかった要因による被害の発生に対しては、別の制度によって救済を図ることが検討されてもよいのではないか。
補償のあり方については、被害との因果関係の存在に基づいて、一般的な救済制度を制定すべきであろう。今日でも、大規模な薬害被害のケース等において、救済のための立法が行われているが、個別的な政治的対応はむしろ公平性に欠けることになりかねない。 いずれにせよ、過失責任に基づく賠償制度の下で裁判で争うことは、原告、被告双方にとって、とくに被害者にとって長くつらい戦いを続けなければならず、その負担は重い。それゆえに、できる限り客観的基準に基づく救済制度を考えるべきであろう。
以上に述べてきたように、現在の科学技術の発展はわれわれの社会を大きく改善する可能性が高い。他方で、それは大きなリスクを有していることも間違いない。リスクを最小化しつつ、いかにしてそのメリットを最大化するか、そのために新たな発想に立った制度を考案し実装していくべきである。