被災の多様性を踏まえた地域新生を
2011/6/28
2011年5月6日、政府の復興構想会議のメンバーで、当センター運営委員でもある大西隆教授(工学系研究科)に、被災地の状況を踏まえた地域新生のアイディアを伺いました。
大西 隆 教授 × 城山 英明 センター長
城山 当センターでは、「震災復興政策支援サイト」と題し、震災に関する当センターおよび関連の学術機関からの提言や解説、調査結果等をまとめ、テーマごとに発信しています。このサイトは特定分野に囚われることなく、幅広く考えるときの有用なインプットを提供する、プラットフォームとなることを目指しています。発信内容によっては、4日間で5万以上のアクセスがあるなど、注目度が高いものもあります。大西先生は復興構想会議のメンバーでもいらっしゃいますが、既存の枠の中ではできないこと、他の人に考えてほしいこと等も含めてお話いただければ幸いです。
まずはじめに地域復興の中身の話をお伺いしたいと思います。復興のグランドデザインを描く際には、地域単位や国単位、あるいはサプライチェーン等のグローバルなレベルなど、いろいろな単位で考える必要があると思います。今回の震災では津波の直接的な被害を受けた漁村など地域特有の事情もありますが、被災状況とその対応策にはどのようなパターンがありますか。
被害は4パターンに分けられる
大西 三陸のように数件の集落、典型的には漁村集落が被災した地域がある一方で、都市の中心部を含めて街全体がかなりの被害を受けた陸前高田のような地域まで、被害を受けた側には多様性があります。今後の復興は、それぞれのケースに対応してどう考えていくかという難しさがあります。大きくは4種類のパターンが考えられます。1つは漁村集落が全滅した地域。2つ目は陸前高田が典型ですが、市の主要部分が被災した地域。3つ目は釜石や大船渡のように中心市街地がダメージを受け、他は残っている地域。4つ目は平地部が被災した地域です。
漁業集落は一見ダメージをあまり受けていないように見える地域もありますが、船が全部沈没しているとか、瓦礫で航路が塞がれてしまっているところもあります。浚渫船が少なく、養殖をするためには海をきれいにする作業も遅々として進んでいません。漁業機能を復活させて漁村集落をうまく高台に作り、災害に備えられるようになれば一番いいと思います。明治や昭和の津波の時にダメージを受けた後、高台に上げてほとんど被害を受けていなかった集落が2つくらいはあります。後ろに急な山があるようなリアス式海岸はどこに住むのかという難題がありますが、多少の土木施工技術を入れて切って流すことをすれば、住む場所が見つかりそうなところもあります。
難しいのは2つ目の、まとまった市街地がやられた陸前高田のようなところです。まとまった市を再生できるのかは大きなテーマですが、簡単には解答が見つかりにくいと思います。ここはわりと広い平野のような土地が海に面してあって、市街地をなしていましたが、そこが被災したので全滅状態になりました。
3つ目の釜石、気仙沼など中心市街地が被災した地域は、被災地域だけ高台に移すことはできにくいという問題があります。同じ場所で復興しないと、中心がなくなるためです。少し高いビルにするか人工地盤をつくるとか、人工的な方法で安全を確保し、街をつくるようになるでしょう。釜石は1200億円程かけて作りギネスブックにも載った防波堤が有名ですが、これも半壊か、かなり壊れています。しかし、防波堤があったから被害が小さく済んだとか、水の上がった高さが他の場所より低いようなことはあります。
たとえば釜石だと、1階はめちゃくちゃになっていても、2階から上が残っていて、木造でも建物として立っているところがたくさんあります。まだ十分な検証はされていませんが、6分くらい持ちこたえたことにより、少し津波の勢いが衰えたと説明されています。一方で田老地区では津波で10mの防波堤が完全に乗り越えられて、大きな被害が出ました。建物が完全に瓦礫になっているところもたくさんあります。あまり防波堤に信頼を起きすぎると油断が生まれたり、防波堤のそばに住んだりして被害が大きくなります。
水がどこまで行ったかを考えると防波堤の分だけ少ないのは間違いありません。大船渡市三陸町の吉浜は完全に守られたところですが、海抜10mから上に集落があってほぼ無傷でした。ここの場合も、明治の津波が伝えられている線より低かったそうです。ほかのところは明治より高い波がきています。明治との違いは堤防があるかどうかです。結局、防波堤は完全に守ることはできなかったという教訓を残しながら、しかし一定の効果はあったと言えます。一方、被害が大きかった南三陸町では、浜に近いところにチリ津波は2.8mというポールが立っており、それがややミスリードになったのではないかと考えられます。津波避難の警報で3m以上の津波が来ると言ったところがあり、3mという比較的低い値が、そう大きくないという先入観を与えたために危機意識が働きにくかったのかもしれないと指摘されています。想定災害や警報で低い値を用いるのは被害を拡大する恐れがあるわけですが、想定災害を大きく見積もれば、防災施設では対処できなくなるので、被害は免れないが、人的被害をできるだけ減らそうとう減災の発送が生まれます。
それでも想定災害をどう設定するのかは容易なことではないのですが、どのくらいの津波を想定し、どのくらいの建物と防波堤で守るかを考えなければなりません。大津波の被害を防げないところは、街側で高台を作るとか、鉄筋コンクリートの建物を作るとか人工地盤を作るとか、対策を考えることになり、合わせ技で防御するような高等戦術も必要になります。
4番目にあたる仙台平野は、ハザードマップがあり、水際線から4−50mのところに貞山運河が走っていて、そこから海側が浸水すると書いてあります。しかし実際には運河を乗り越えて4、5kmまで浸水しました。平野ですから止めるものがなくてどんど進んでいったのですが、ちょうど4kmくらいのところに仙台東部道路という高速道路があり、主要なところが一定の高さを持つ盛土構造になっています。それがある程度止めたという話はあります。そうなると、4、5km先の高速道路の盛土の上の高さくらいの高台を作り、海側にある集落を移すということが1つの対策になるでしょう。自然の高台はそんなに近くにないので、ある程度人工的に作ることも必要ですし、大掛かりな集落の移転が必要かもしれません。水田地帯なので農地と宅地を交換するということも考えれば、そういうスペースを見つけることはできないわけじゃないでしょう。
三陸自動車道と地域再編
城山 高齢化のような全国共通のトレンドの中で、個々の地域ではなくもう少し広域で考えたとき、全体の分担や機能はどう再設計したらいいでしょうか。
大西全体が人口減少し高齢化しているという社会トレンドがあった中で震災があり、亡くなった方が行方不明合わせると23,000人以上ですから、急激な人口の落ち込みがあります。被災地に戻ってこない人もあり、それにトレンドの自然減少もかぶさっているので、ある期間普通のところより人口が減ることは避けられないでしょう。そういう中で被災地の再編には、メリハリがあってもいいんじゃないかという議論が出ています。しかしある町は残してある町は撤退するとかいうことを、誰かが決められるわけではなく、ある程度地域の人の意思の下で決めざるを得ないでしょう。復興計画としては、全ての人を同じように扱う事が必要でしょうね。
一方で、三陸自動車道は救援ために随分役に立ちました。内陸の高い部分は水にほとんど浸らず、地震による被害はあまりなかったので、わりと早めに復旧したのです。今のところ短い距離での部分開通ですが、これが全部開通し、仙台の南の東部道路とつながると、仙台から、石巻、陸前・陸中海岸を通り八戸までつながります。これが災害時の幹線道路として必要だと地元からも期待されています。日常的にも利用されるでしょう。今まで東北自動車道から三陸に枝状に道ができていたのですが、三陸自体が縦につながれば、宮城県から岩手県にかけて地域の再編が起こってくるでしょう。これが人口減少とからみあうと、おのずから拠点が形成されてくるかもしれません。これは少し長い期間なので、ある意味地域間競争となることも予想されます。しかし、あらかじめその結果を予期して中心を決めることはできにくい。歴史の中で競争が起こって決められるだろうと思います。
地域主体の自律的復興を
城山 地域全体の設計は誰が決めるかという話があります。住む人たちの自主的な判断プロセスを含めた、意思決定メカニズムはどうあるべきでしょうか。
大西 復興過程が地元の経済活動に結びつかないと、かたちの上で復興しても落ち込みがあると思います。阪神淡路でも言われたことですが、復旧のために投資が行われるので、1年目はかなり経済活動が活発になりますが、その後落ち込みます。阪神の経験では全国規模の業者が入ってきて地元業者が参加できなかったと指摘されています。難しい技術であれば技術訓練をするなどして、できるだけ地元の人が復旧復興過程に参加して、雇用機会を得ながら経済が地元中心に回ってくことが必要じゃないかと思います。地元のキャパシティの範囲で復旧復興が行われていけば、持続的に復旧復興事業は続く、少し時間がかかるとしてもそれが地元の経済を潤すと言います。本来の水産業なり漁業が動くまでは復旧復興事業がつないでいける、という設計をすることが必要です。
私は地元に復興復旧事業を斡旋する復興まちづくり会社を作り、地元の人を雇用する仕組みを提案しています。復興したら本業に戻ればいいということだと思います。地元主体でやろうという気分は高まっていると思います。今のところ第一次補正予算が通ったばかりですが、これが執行されていく過程に合わせて、お金が地元に使われていく形になると思います。4兆円は地元の経済にとってかなり大きな規模なので。これをうまく生かして行ければ、相当効果があると思います。
城山 急いで早く産業に移行するパターンと、復旧復興事業を時間をかけてやっていくパターン。その辺の客観的な条件の違いを踏まえ、どのような制度設計が可能でしょうか。
大西 産業復興の優先順位が高いと考えた方がいいと思います。早く復興しないと他のところに行ってしまうわけです。たとえば、かつお漁は港に挙げたものをいろんな漁船が取りに来ます。揚げる港がなければほかに行ってしまうということです。応急処置でもいいから早めにやって、三陸の港は健全だということにすれば、大きなメリットがあると思います。一方で街の方は少し長いスパンで復旧していくことにし、仮設住宅は2年間ということになっていますが、仕事があれば、長く住んでも活力が出てくるという考え方もあると思います。
いろんな土地利用が混ざっている場所ですから、都市計画だけじゃなくかなり総合的な土地利用計画、法律で言えば国土利用計画法の出番ですが、この法律自体にあまり権限がないので、制度上改善すべき課題は色々あると思います。研究は必要ですが、制度が先行して縛りすぎると、それが軋轢を生むことになると思うんです。建築基準法等で制度はありますが、恒久的にある場所を住めなくすると、自分の土地を失ってしまう人も出てくるわけです。やはりまちづくりを先行させて、次に住む場所なり、次の街の姿を描いて、ある程度形を作っていくということを先行させた上で、後から制度がついてくるという手順が大事だと思います。
関連リンク(大西 隆教授)
まちの再生、被災地主導で(日経新聞「経済教室」 2011/5/11)
層の厚い基幹産業育てよ (日経新聞「経済教室」 2009/8/4)