公開シンポジウム開催報告
これからの日本のリスクを俯瞰する
photos: Ryoma. K
【日時】 | 2014年10月29日(水)10:00-17:30(開場:9時30分) |
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【会場】 | 東京大学本郷キャンパス 伊藤国際学術研究センター地下2階 伊藤謝恩ホール |
【主催】 | 東京大学政策ビジョン研究センター,政策シンクネット |
【共催】 | 科研費A「複合リスクガバナンス」(代表:城山英明)、東京大学GSDM |
【参加費】 | 無料 |
公開シンポジウムの開催趣旨
本シンポジウムでは、
① “今後10年程度を視野に入れたとき、日本が抱える可能性のある主要なリスクの構造の可視化を試みた日本のリスク・ランドスケープ調査の結果1" と “緊急事態対処におけるエネルギー確保などの検討を行ったレジリエント・ガバナンス研究会の成果“ を報告するとともに、
② 経済、環境、地政学、社会、技術などの専門家の参加を得て、個別分野の主要なリスクやそれらの相互連関性などについてのラウンドテーブル・ディスカッションを行いました。
これらを通して、システミックな性質を持つリスクへの包括的なマネジメントおよび意思決定への理解を高めるとともに、日本の分野横断的な課題の洗い出しを行いました。
本稿は、このうちの参加型ラウンドテーブルの議論の概要を紹介するものです。
1 日本のリスク・ランドスケープ 第2回調査結果(要旨)
日本のリスク・ランドスケープ 第2回調査結果(全文) Pari WP 15 No.20
日本のリスク・ランドスケープ 第1回調査結果(要旨)
日本のリスク・ランドスケープ 第1回調査結果(全文) Pari WP 14 No.12
シンポジウムの構成
全体司会 松尾真紀子(東京大学 公共政策大学院・政策ビジョン研究センター特任研究員)
午前の部:基調講演
10:00-10:05 | 閉会あいさつ 城山英明(東京大学 公共政策大学院 院長) |
10:05-11:00 | 基調講演:レジリエント・ガバナンス研究会の成果 産業競争力懇談会(COCN) 浦嶋将年(鹿島建設 専務執行役員) 浅野大介(経済産業省資源エネルギー庁 石油精製備蓄課 課長補佐・東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員) |
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11:00-11:50 | 基調講演:リスク・ランドスケープ調査から 三國谷勝範(東京大学 政策ビジョン研究センター教授) 日本のリスク・ランドスケープ 第2回調査結果(要旨) 日本のリスク・ランドスケープ 第2回調査結果(全文) |
11:50-13:00 | 昼休み |
午後の部:参加型ラウンドテーブル
13:00-14:55 | 前半の部 座長 谷口武俊(東京大学 政策ビジョン研究センター教授) 登壇者(五十音順) 加藤浩徳(東京大学大学院工学系研究科教授)、渋谷健司(東京大学医学部医学系研究科教授)、蛭間芳樹(日本政策投資銀行環境・CSR部、BCM格付主幹)、藤原帰一(東京大学法学政治学研究科教授) ビデオ出演 安井至(独立行政法人製品評価技術基盤機構・理事長、東京大学名誉教授) |
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14:55-15:05 | 休憩 |
15:05-17:00 | 後半の部 座長 岸本充生(東京大学 公共政策大学院・政策ビジョン研究センター特任教授) 登壇者(五十音順) 小林慶一郎(慶応義塾大学経済学部教授)、坂井修一(東京大学情報理工学系研究科長・教授)、白波瀬佐和子(東京大学人文社会系研究科教授)、西村清彦(東京大学大学院経済学研究科長・経済学部長・教授)、森田朗(国立社会保障・人口問題研究所所長、東京大学名誉教授、中央社会保険医療協議会会長) |
17:00-17:30 | 全体総括 司会 城山英明(東京大学 公共政策大学院 院長) パネリスト 岸本充生、坂井修一、谷口武俊、三國谷勝範、森田朗 |
閉会あいさつ 坂田一郎(東京大学 政策ビジョン研究センター センター長) |
ラウンドテーブル前半の部
ラウンドテーブル前半の部では、交通・インフラを専門とする加藤氏、国際保健を専門とする渋谷氏、世界経済フォーラムのリスク・レスポンス・ネットワークの研究パートナーである日本政策投資銀行(DBJ)の蛭間氏、国際政治・安全保障を専門とする藤原氏、環境・安全技術を専門とする安井氏(ビデオ出演)が議論に参加した。
それぞれの専門家の意見等
(1) 交通・インフラの観点から次のような意見や見解が示された。
- 示されたリスク項目の中では、「長期にわたるインフラ整備の放置」、大地震・大津波等の自然災害が社会に与えるインパクト、「都市と地方間の不均衡の拡大」に関心がある。
- 「長期にわたるインフラ整備の放置」は大きな問題であるが、この種のリスクはすぐには顕在化しない。顕在化したとしても小さな事故が少し起きるぐらいとなり、時間が進むにつれてゆっくりと進行していく。この種のリスクは、政府もなかなかとりあげず、国民的にも盛り上がらない。米国のように以前からこの問題を起こしている国から、どういう構造に基づいてこの問題が起こっているかなどの経験をシェアリングしていく必要がある。
- リスクの認識について、一口解説に引っ張られている印象を受ける。抽象的な解説ではなく、例えば、橋が落ちるとか、人々が自分の身にどういう危険が起きるかという、より具体的な表現を用いて解説した方がより正しくリスクが認識されると思う。
- あまりニュースに流れないタイプのリスクにももっと注目すべきである。例えば、東京圏で地震があった場合、1週間ぐらい経って通常業務に戻ろうとするときに、不十分な交通インフラでこの3000万人を超える人口を支え切れるかという問題がある。経済活動に大きなインパクトを与えるリスクであるのにあまり注目されないのは、マスコミがあまり意識・提示をしないからだと思う。 結局、リスクの認識は誰がどういう言い方をしているかによって変わりうる。
- 土木工学は、自然だけが対象ではなく、自然と社会、人間と社会とをつなげる役割を果すものと自認している。「都市と地方間の不均衡の拡大」についても、人口問題は人文社会的な側面が強いとされてきたが、最近ではこれをよりコンパクトな構造にしていこうというインフラ側の議論も強く行われている。これは、今後人口が減少していく中で、国土構造をどのように誘導していくかという視点に基づくものである。
- いわゆるシナリオプラニングでは、リスクを大きく三つに分けて考える。第一は、リスクの頻度が高く確率論で取り扱えるものである。第二は、因果関係はある程度分かっているが、発生頻度が低すぎて予測が困難なものである。第三は、因果関係そのものがわからない未知なるリスクである。社会基盤で、最近主に議論しているのは第二のものである。ただし、因果関係がわかっているといっても、何の因果関係が分かっているかについての人々の認識が異なる。この点にハイライトすればより有意義な調査になるかもしれない。
(2) 医療・国際保健の観点から次のような意見や見解が示された。
- このようなアンケート調査は、内容をわかって答えている人は必ずしも多くなく、メディアやその時々の世間の情報の影響を強く受ける可能性があるので、客観的なリスク評価とは異なる。また、 医学の観点から言えば、人間の生体現象は非線形で、不確実であり、さらに、人々の行動は非合理的なので、リスクの評価で重要な事は、人々の認識に加えて、平均値のみではなく分布やその相関関係であるということ。ランドスケープ分析の試みは、人々のリスク認識や閾値、メディアの役割、リスク・コミュニケーションのあり方、不測の事態に備えたコンティンジェンシープラン、そしてガバナンスのあり方などを考えるうえで大変役立つと思う。
- 今まさに注目を集めているエボラ出血熱について言えば、リスクを過小評価したWHOの対応は後手に回っている。国際保健の場合も、医療法などの国内向けの法律と一国では対処できない課題に対するグローバルなアクションを行うための正当性との乖離や、誰が誰に対してアカウンタブルであるかなどの課題があり、それに加えて保健分野が国際政治やグローバ化の一部となり複雑化している。この意味で、エボラ出血熱のリスク認識に対するWHOの対応は、「グローバルガバナンスの失敗」であろう。ただ、だから国連が機能しないとか、国家が悪いとか言うことにはあまり意味がなく、このような形でリスクをプロファイリングし、可視化し、現状とのギャップを鑑みて、それに対応できるシステムをつくっていくことの方がはるかに建設的である。
- 国際保健の世界でも、グローバルヘルス・ガバナンスとか、WHOの改革とか、パートナーシップ推進等が流行である。優先順位決定もよく言われる。現実的には何らかにフォーカスして限られたリソースの中でやっていくしかないので、本作業のような分析等も考慮に入れながら、どの分野に焦点を当てて、さらに、どうやって効率化していくプロセスを作るかが求められている。
- エボラ出血熱に対してWHOを通して日米で何とかしようという話も進んでいるが、その場合には自衛隊をどうするかという議論も入ってくる。国際保健の世界も地政学の大きな枠の中の一部であり、その中でいろいろな模索をしており、今回のような分析は、人々がどのような分野にどのようなリスク意識を持っているかを知るには大変有用である。
(3) DBJのリスク・ランドスケープ調査2014やWEFによるグローバル・リスク分析などについて、次のような報告や意見が示された。
- 政策ビジョン研究センター調査の少し前に、DBJも民間企業と地方公共団体を対象に、WEFの調査手法に倣い、グローバル・リスク50項目に原子力災害関係を加えた51項目についてアンケート調査を実施した。発生可能性や影響度の上位5には、官民ともに「サイバー攻撃」が入り、また、「パンデミックに対する脆弱性」が上位にきている。センター調査と少し違いがある点は興味深い。DBJの調査で工夫した点は、リスクが顕在化した後、元に回復するまでにかかる期間と回復に重要となる機能とは何かを調べた点などである。
- さらに、官民の間でリスク認識に差異が見られたことは興味深い。顕在化したリスクを社会全体でマネジメントをするときに、どういう役割分担と費用負担をするのか、選択肢を持った議論が必要である。
- 現代の高密な依存関係性を踏まえるに、危機管理は自分たちの限定合理性の中でしか説明できない。WEFでは、リスクをpreventable risk, strategic risk, external riskの三つに整理する試みをしたが、そもそも様々なリスクに対してどのようなフレームワークで対応していくかも課題である。
- ナショナル・レジリエンスの議論をみると、日本はシングルハザード、特定のリスクへ過剰対応していないだろうか。また官民連携の前に官官連携、民民連携が大事であり、かつ全体を捉え、全体を動かす仕組みや司令塔が重要である。国家としてのリスク・ガバナンス体制を構築する必要がある。最後は優先順位付けやトリアージュの議論になる。全体としての継続性を考えたとき、何を国家として守りたいのか、これまでタブーとされてきた議論をする必要があろう。
- グローバル・アジェンダを見誤ることも大きなリスクとなる。イノベーションを“技術革新"と訳し、個別要素技術の研究開発に走ったため、日本企業は結果として負けた。今、各国の政府やビジネンス界が注目する“レジリエンス"の概念もグローバル・アジェンダである。これを見誤りミスリードしてはいけない。日本としてこのようなグローバルな戦略にどう付き合うか自体もリスク・ガバナンスの一つである。
(4) 国際政治、地政学の観点から次のよう意見や見解が示された。
- リスクの研究はダボス会議でも行われている。このリスク・ランドスケープの調査はそれとやや違うところが売りであると思う。
- リスクをサーベイすることの意義は、リスクの可視化を行い、政策決定で対処すべき領域を設定することである。逆にランドスケープをつくっただけでは対処できないものがある。優先順位の設定であり、どこまでそれにリソースを集約すべきか、どこまでのコストを負担することができるかである。
- 国際政治では、長らく国防が再優先課題とされてきた。その場合のリスクとは、旧ソ連やナチスドイツなどわかりやすいものであることが多かったが、今はより複雑になっている。地政学リスクは、地域によって極めて多様性があり、個別の状況に大きく制約されるものであることを議論の前提に組み込むようになってきた。わかりやすい例として、9.11の同時多発テロ以降、一気にテロの優先順位が高まったことがある。
- 現在では、地域により安全保障の認識が異なるというところから出発して、Regional security complexという考え方が展開されている。今回のサーベイを見ても、日本で語られるリスクと例えばアメリカで語られるリスクとではかなりの隔たりをみることができる。具体的な地政学リスクがあるとすれば、他の諸国に共有されていないものでも政策の優先順位を上げざるをえないが、ここで面倒な問題が生じる。地政学リスクに対する認識が地域によって異なるということは、国際的な協力が極度に困難になるということになる。
- もう一つは、地政学リスクとは構造的要因を指しているのか、それとも短期的に対処すべき危機を指しているのかという問題である。「近隣諸国との対立」について言えば、例えば他国がほかの国が主張する経済水域から引き上げればそれでいいとする考え方もあるし、国際関係における力の分布の変化としてとらえる考え方もある。後者であれば、他国の余分な行動を止めさせるということでは済まなくなる。問題が構造的なものであればあるほど対処が難しくなり、出てきた危機への対処だけでは解決できない問題が常に残されることになる。危機のとらえ方とそれに対する処方箋の出し方は、レベルによって非常に大きく異なってくる。
- 今回のリスク項目は、ダボスとは異なる日本から見た地政学リスクというニュアンスを強く感じるものであり、大変適切なことである。日本との関わりが強いものとしては、「日米関係の不安定化」、「アジア諸国との関係不安定化」、「近隣諸国との対立」、「近隣諸国の政治社会情勢の不安定化」がある。
これを提起することには賛成であるが、この表現だけではまだダボスで提起されているアジェンダに拮抗することは難しい。アジアは大変だろうが、もっとひどいところがあるということで終わってしまう。ここに目を向けさせるポイントは権力の移行の問題であり、本調査における「世界的なパワーの移行に伴う混乱」という比較的大きなカテゴリーのリスクと結びつく。 - 現在の国際関係で非常に大きな問題は、民主主義・資本主義を中核とした欧米諸国を中心とする統合が著しく不安定となっていることである。中国・ロシアが力をつけてきており、力の競合の拡大という文脈から中国をとらえたときには、日本固有の問題とか東アジアに限った問題ということにはならない。国際政治で昔から問題となっている力の分布が変わった状態で新しい安定をどのように構築するかという課題が生まれる。地域に根ざしているものではあるが広がりはグローバルであるというアジェンダの設定の仕方が、グローバルであるということを主張するうえでは有益と思われる。
- 地政学リスクの拡大以上に、それに対処する体制の弱さの課題があり、権力移行の問題とも結びつく。シリアはリビアと桁が違う死者となったものであるにもかかわらず、何故リビアでは安保理決議があったのにシリアではなかったかは一つの例である。シリアにはロシア基地がある。アフガニスタンとイラクでの失敗の後、欧米諸国は軍事介入に極度に消極的となっており、このことがまた紛争の拡大につながっている。
- このような状況での国際レジームの構築は優先順位の非常に高い問題である。国連改革という問題になるかもしれないが、国連は、それを構成する各国の政策によって全く変わってしまうし、国連改革に各国が同意するという状況は率直に言って存在しない。それにもかかわらず、一国の行動ではない形で地政学リスクに取り組むという必要が生まれている。リスクの方が問題なのか、リスクに対処する方が問題なのかと言えば、後者の方が重要と思われる。
(5) 環境・安全・技術の観点から次のような意見や見解が示された。
- 10年という時間の意味を考えると、例えば気候変動でもエネルギーでも、2035年あたりに何が起こるかはかなり推測がつくのに対し、その準備には多分15年とか20年とかかかることがありうる。それを考えれば今すぐにでも、実際には25年後のことを決定しなければいけない。しかし、国内を見ても国際社会を見ても、ある程度蓋然性のある未来型のリスクを今取り扱うという方法論が欠落しているし、それを決断する政治プロセスもよくわからない。
- 気候変動を一例にあげれば、来年パリで開かれるCOP21で、多分2030年までの枠組みが決まる。しかしかなり自主的な枠組みであり、これによって温室効果ガス削減はまずは不可能と考えられる。その場合、2035年あたりは混乱した状態になり、かなり厳しい国際制約を課さないといけないということに多分なっていく。その場合に化石燃料を自由に燃やすことができないに近いような社会まで想定しておかないといけない。シェール革命への期待もあるが、天然ガスですら炭素型の燃料だとみなされる可能性も無きにしもあらずである。そういった予測をどれくらい確実なものとして把握して、対応を準備できるか。
- 原子力について言えば、今、我々が使える一次エネルギーは、化石燃料と、自然エネルギー、原子力の三つしかない。2035年頃に化石燃料が使えないことになってしまうことを考えると、今ここでその一つについて決めてしまうことは、逆に非常に大きなリスクになりかねない。新たに原子力の導入には国民的な合意が大変重要である。推進するにしてもしないにしても、その方針をどの時点でどのように決め、将来に対して禍根を残さないようにしていくか、そういう決定システムそのものを決めていくのか。そのときに、「ポピュリズムが進行」していて、現在のことしか考えない決定をしてしまうと、大変に困難な状態になる。そういった長期的なものに対応するフレームワークができていないことが、これらのリスクに共通している根源ではないかと思う。
(6) 長期的な視点の問題提起に対して、各参加者から次のような意見や見解が示された。
- 長期的な問題と意思決定の問題について掘下げてみる必要がある。異なるリスク間には何らかのトレードオフがありえるので、仮に一つのリスクの回避ができたとしても、それが違うリスクを拡大することになれば、合意形成が困難になる。例えば、コンパクトシティが推進されれば、公共交通による移動が可能となってCO2等の温暖化ガスの排出量が減少し、環境リスクが減るし、上下水道等のネットワーク型インフラも維持管理が容易となり、効率的になることが期待される。ところが、その一方で、人がまとまって住むことにより、パンデミックとかテロとかのリスクは高まるかもしれない。集住することで、大災害に対応しやすくなる面がある一方で、防御しきれなかったときの被害は甚大になりうる。こうしたトレードオフについても丁寧に議論したうえであるべき姿を議論することが望ましく、そうすれば何故意思決定ができないのかについての分析が深まるのではないか。
- リスクについて悲観論を述べるよりは、リスクを可視化することによって解決を考えることが重要である。例えば10年という単位は、昔と異なりずいぶんと技術の進歩があり、例えば医薬品ではC型肝炎の特効薬が出た。リスクは機会であると見る人も多い。
こういうアンケート調査では、包括性(Comprehensiveness)、 比較可能性(Comparability)、整合性(Consistency)が大事である。せっかく調査をしたのであれば、単純な集計ではなく、統計分析を加えて考えることも有益ではないかと思う。 - 経済や産業を例にすると、東日本大震災により3年間で約1500社が倒産、そのうち地震や津波による直接被害型は7%であり、93%は間接被害型で全国に拡がっていた。これはサプライチェーン、繋がっていることのリスクの顕在化である。ややもすると経済合理性という価値観の過度な追求が、災害に弱い社会をつくってきたとも言える。
また、短期のパーフォーマンスを見るというメカニズムが、長期で見た場合のものと不整合になるという問題が起きている。 - 共通する問題点として、リスクのトレードオフ、どこまでリスクを受容するか、リスクに対処するコストをどこまで受容するかがある。リスクには低頻度・高被害のものと高頻度・低被害のものがある。コストが違うことから後者が優先されやすく、前者は放置されやすい。国際関係でもそうならないということはない。中東・北アフリカで統治力を失った政府が次々に生まれた状況は、そこでのテロが先進工業国に及ぶことにならない限りほとんど関心を集めなかった。今回のイスラム国に対する作戦が急激に拡大した理由は、英国人とアメリカ人の殺害の生々しい映像が流布したことによる。こうなるとどのようなコストが受容されるのかが大きな問題となる。
- (リスクそのものよりも、問題はリスクへの対応が遅れていることだという指摘について、)国際関係ではさらに問題が加わる。軍事安全保障に関する危機への対処については、古い意味での危機管理体制が敷かれ、非常に少数の政治家・官僚を中心とした決定の仕組みが作られる。キューバ危機時のケネディ政権がその例である。ただ、間違える可能性があるというリスクがある。
- それでは民主的手続きが正しいということにはならない。特に国内で厳しい議論の対立がある状況で、情報が公開されて民主的手続きを踏めば踏むほど何もできない方向になる。
- 軍事安全保障の主体は基本的に国家、それもロバストな軍事力を持った国家に限定される。それ以外の国家の参加は正統性の確保のためとなる。ところが力の集中と国際的正統性は逆の方向を向くことになる。国連の安保理を通した活動には様々な制約が最初から盛り込まれ、実効性のある活動をとりにくくなる。ただ、これを度外視すると、正統性の問題に逢着し、結局少数の大国以外は状況が悪化すれば抜け出す。各国を制御しながら関与する体制をどうつくるかという困難な課題がある。
リスクの相互関連マップや中枢リスクについて、次のような意見や見解が示された。
- 金融関連リスクの相互連関が強いのは、国際的なルールの整備などを背景に金融システム・経済システムが密なリンケージをとり、より効率的なつながりを構成しているからだろう。一方で、繋がっていることのリスク、金融は国債、資源価格、財政、社会保障などに波及することもある。
- 方法論にコメントすれば、相互連関表は主に回答者の事前知識に基づくものであり、必ずしも実際のリスクの相関を見ているものではない。例えばパンデミックは、あまり相互連関性を示していないが、実際は、グローバルガバナンスやその他地政学的システム、メディアの報道などに関連しているものである。リスクの属性やクラスター、回答者がどういうものにリスクを感じ、どういうパターンでリスクを関連づけているかなどを今のデータを用いてもう少し統計的に解析できれば、より、有効な関連付けができると思う。
- リスク要因の相互の独立性の問題がある。同語反復的なものは当然つながる。地政学リスクについては、「近隣諸国」、「アジア」、「日米」はつながるに決まっている。リスク要因相互の独立性が確保されないと出てきた結果の説得力が弱まる。大雑把にいえば、日本と中国の関係が日米関係とつながっている。
もう一つのまとまりは、テロなどに関わる一連の課題であり、極端に言えば、破綻国家の問題である。中国の台頭は伝統的な軍事対立と権力移行が組み合わさったものであるのに対し、後者は、伝統的な安全保障の問題とは全く異なり、国家対国家という枠にのってこない。
独立性があるところだけに絞ったマップをつくれば、要因の数は減るが、その分連関の意味が明確に出ると思う。 - 東日本大震災の影響は、産業競争力に及ぶと思われるのにもかかわらず、実際に起こったことがマップに反映されていないのは何故だろうかという気がする。質問が難しすぎたかもしれない。また、因果関係なのか、相関関係なのかに関する認識が、回答者によって少しずつ異なっているのではないか。
- 半面、一般の人がどういうリスク認識を持っていて、何と何が関連しているとみているかを見るには大変良いツールである。具体的なデザインについては改善の余地があると思うが、今この段階での人々のリスク認識をみるにはわかりやすい。少子高齢化とか、人口減とか、こういうものを人々が大事にとらえているということであり、黒い太い線でつながっている部分は、政局が動きそうなくらいの大きなイシューである。外交にしろ、経済にしろ、少子高齢化にしろ、国内を脅かすイシューであり、皆がどういう解があるか悩んでいるのだなということがよくわかる。
- この調査はダボスの分類をベースに出発しているところから、今後なお改善工夫の余地があることは認識しながら行われているものである。分野の分け方についても違う分類がありうると思っている。例えばテクノロジーは各分野に入り込んでおり、一分野で取り上げる必要はないかもしれない。独立性の強いものに絞ったシンプルなものにしていってはどうかとの指摘は、それにより本当の根源的なメッセージが出てくる可能性があるので、大変重要な指摘と認識している。ダボスも実はそういった問題を抱えながら進んできている。
会場からの質問
Q ガバナンスという言葉は、ルール・規律で抑え込み、管理するものという感じがする。リスクは抑え込めるものではなく、これにレジリエントに対応するということであれば、マネジメントということになるのではないか。マネジメントは、組織が生き延びるために皆が生涯をかけて取り組むというコンセプトだと思う。政策提言の後はすぐに始めなければいけないが、これが一番のリスクではないか。マネジメントというコンセプトを明確に取り上げたトータルピクチュアが欲しい。
A ガバナンスは統治であり公共的な権力がどのような役割を果すかというニュアンスがある。マネジメントは基本的なモデルは企業においてどのような経営が行われるかということである。このような定義にしたがえば、ガバナンスとマネジメントの違いは主体の違いということになる。中身の違いに及ぶかどうかは定義の仕方ということになる。
根本的な問題は、政策提言した後の問題であり、発信力にかかる問題である。政策のマーケットが存在するところでは、発信力が具体的な政治的資源になる が、日本はそのような状況にない。ビジョンセンターの出す報告を何らかの形で政策に生かしていくためには実務家と一緒の作業を進めていかなければいけない。ビジョンセンターは今のところその条件を満たしてはいるが、ご指摘は一層政策への具現化に努めよという叱咤と思うので、なお頑張ってまいりたい。
Q 権力の移行等グローバルガバナンスの体制が変わっていくことについての今後の展望は。
A 今の流れは非常によくない。当事者が責任をとらない方向に動いている。特に破綻国家を巡る状況は深刻である。一つのいい材料は、各国が単独で行動をとる意思はないが、放置はできないという状況認識が共有されていることである。国連安保理において、ロシアがいながらシリアへの対応について強い反対が起こっていない。
もう一つは、母体とする組織を「安保理の非常に厳しい制約」と「多国籍軍型の制約のない国際介入」の間のところでどうつくっていくかである。これまで、安保理決議という名目で実質的にはアメリカとイギリスが中心となった軍事行動を行ってきたが、このやり方はアメリカとイギリスが関心を持たないときには役にたたない。今議論されているのは、基本的にはNATOである。実行力のある軍事力を有する国が参加している軍事機構はNATOしかない。
東アジアの場合、集団安全保障の機構がなく、二国間同盟によっている。これを地域展開していくためにはメンバーの拡大が必要であるが、安保理のような形は無理である。同盟のように拘束力の強い合意ではないが、アジアの集団安全保障の枠組みの中に参加させる仕掛けが必要である。アメリカと同盟を結んでいる国との間の関係(ミニラテラル)を広げていくという形で、言わば冷戦時代につくりあげた古い同盟に新しい役割・定義をつくっていくというやり方である。
国連の組織の中で、安保理だけではなく、例えばUNHCRなどとの連携を深めていかなければいけない。いずれにしても力の集中という現実と、正統性はあるが実効性が乏しい国際機関との間を埋めていく必要がある。
Q レジリエンスという言葉がわかりにくい。レジリエントな国家とは何なのか、できれば具体的に述べていただきたい。
A レジリエンスは分野により様々な定義があり論じられている。私の知る限り、もともとは精神医学分野の学術用語である。こどもの成長過程における逆境やストレスを吸収しながら受け止め、学習し、成長していくという概念である。レジリエンスは総合概念であるというのが共通認識であるが、使い勝手が良すぎる言葉なので、先ほど述べたようにグローバル・アジェンダという文脈で意味するところをよく認識することが必要である。
A レジリエンスに様々な定義があり、一つは如何に危機から早く回復するかがあるが、もう少し広く、そのために如何に準備をするかというpreparednessから広がった概念として今は議論されている。
Q 首都直下型地震を始め、東京都のリスク対策を含め、行政に不足していることは。
A 首都直下型地震が起こったときに、完全に安全を担保することは不可能である。そのため、起きてしまった後にどう対応するかの準備をしておくことが必要である。東日本大震災の経験からも行政自体が被災してしまう可能性が高いので、そこに住んでいる人が普段から防災に関する意識を高めて自助・共助の備えをしていくことが必要である。行政ではないところが上手く機能するように行政が上手く支援することが今後やるべきことと思う。また、周辺の自治体と広域連携を前向きに考えることも重要である。例えば、鉄道ネットワークが壊れたとき、首都圏内だけでは、代替バス車両をすぐに確保できない。首都圏の外側の自治体と日頃から協力体制を事前に議論しておくことが有意義と思われる。
A 感染症で言えば、水際作戦に全力投入するのではなく、入ってしまう前提で起こったらどのような対策をするかシナリオをつくるのが大事である。行政に全部任せることは無理なので、民間が対応できるような規制の緩和とか、あるいはオリンピックを見越すとワクチン対策とか看護師を増やすとか、本来行政がやるべきことを集約してやるしかないのではないか。
Q 地政学は、内容的に国際政治であって、地政学と名付ける必要はあるのか。
A 地政学という言葉は、昔に比べてかなり広い意味で使われるようになってきており、国際政治の領域でも、軍事的な含みがある領域まで広がっている。その意味で、現代の地政学という言葉づかいに比べてここでの使用方法が違っているということはいない。
ただ、問題の絞り込みが必要である。地政学については、軍事紛争にターゲットを絞った質問をするときに結論の先取りをする可能性があり、言葉遣いが非常に難しい領域となる。軍事領域と他の国際関係は領域の重なりが大きくなっており、国際紛争の領域が絞り込まれていないと、受け手の側が様々に広げて異なる解釈をする可能性がある。その意味で、軍事紛争との連関が明確な言葉使いも必要という意味では指摘に同意する。
Q 工学系のレジリエンスと社会科学系のレジリエンス
A 工学の中でも、分野によってレジリエンスに関する理解が違う。例えば、復旧するにあたって、復旧後は元の状態に戻ればいいとするか、それとも元の状態よりも良い状態にするべきかなどについては、専門家間でも意見が異なるケースが多い。少なくとも、レジリエンスの定義についてはもっとよく整理することが必要であると思う。
A 先ほど述べたがレジリエンスは包括概念である。あえて要素分解をすれば、環境適応能力と環境創造能力の二つだろう。レジリエンスはサスティナビリティという価値観・哲学に取って代わる概念ではないかという人もいる。確かに深く考えるべきテーマだと思う。
ラウンドテーブル後半の部
ラウンドテーブル後半の部では、経済・財政を専門とする小林氏、情報・ITCを専門とする坂井氏、社会学・社会保障を専門とする白波瀬氏、経済・金融を専門とする西村氏、行政学等を専門とする森田氏が議論に参画した。
それぞれの専門家の見解
(1) 財政の観点から次のような意見や見解が示された。
- 財務省が今年の2014年4月に公表した長期予測では、現状既に、わが国の政府債務残高は発散経路に入っている。経済学者や財政学者による試算も概ね同様であり、どこかの時点で国債価格の暴落などのような調整が起こるはずである。非常に起こる確率が高いがいつ起こるかはわからないという意味で首都直下型地震とも共通する。これを回避するためには、増税や、社会保障給付費などの歳出の大幅な削減が必要となるが、米国経済学者の試算によれば、消費税で対応するのであれば、35%くらいという政治的には全くリアリティーのない数値となる。
- このような状況にどう対応するかが一番の問題である。財政の問題は日本が一番突出しているが、先進諸国共通の課題であり、グローバルな大きな課題としてとらえ直し、訴えていく必要がある。歴史学者ファーガソンは、昨年出版した『劣化国家』の中で、今の財政とか社会保障とかいうのは、世代を超えたパートナーシップであるという視点を提示している。今生きている高齢者と若い世代という意味ではなく、現在生きている世代、まだ生まれていない将来の世代、あるいは過去に死んだ世代という非常に大きな時間軸でとらえたパートナーシップである。財政や社会保障は、将来世代のコスト負担を現在の世代が意思決定しており、将来世代は意思決定のプロセスに参加できない。世代を超えた政策課題を実行するときにどういう政治的システムが相応しいかについての世界的な答えはなく、その矛盾に最初に直面しているのが日本である。 一つのアイディアとして、財政系の学者の中では、財政の分野でも例えば中央銀行のように、やや政治から独立した主体をつくり、それが将来世代の利益を反映するというよう議論も出てきている。
- ここでのリスク研究にひきつければ、どういうリスクに対して長期的な時間軸で対応できるシステムをつくるかというのが、今後考えていくべきテーマではないか。
(2) 金融の観点から次のような意見や見解が示された。
- これまで実際に直面してきた金融危機の経験から二点述べる。一点目は、リスクが本当にリスクだとわかるときには、既にリスクではなく顕現化していることである。リスクを探すことよりも、リスクが生じたときにどういう状態にするかというインテリジェンスの方が重要である。インテリジェンスがないと、結果的に起こるのは、マーフィーの法則、すなわち、最悪のことは必ず起こる、である。リスクは必ず顕現化する。そのときどういう対処をするのかのドリルも重要となる。
- 二点目は、リスクが顕現化したとき、制度は当初の設計どおりには動かないことである。先ほどの財政についての中立的な主体の議論についてもあてはまる。制度の設計と制度が動くことは別の話であり、過去の例からもみても、インフォーマルなところで物事が動く。
- 今次の世界的な流動性危機の例から言えば、2007年7月10日、米国格付け会社がサブプライムのRMBS の格下げを行った後、1か月後の8月9日にパリバショックが起こった。今から考えればこの一カ月に何が起こっていたかわかるが、当時は、インテリジェンスがないためわからなかった。具体的には、アメリカのMMMF がヨーロッパの銀行のSIV が発行する1か月タームのABCP を購入することで資金を融通していた。ところがこうしたABCPの裏付け資産にサブプライムのRMBSが入っていたので、ABCPの格付けも下がることになってしまう。米国のMMFはトリプルAの債券にしか投資できないので、こうしたABCPの購入を止めることになり、それがヨーロッパの銀行のSIVの流動性危機、ひいてはヨーロッパの銀行自体の流動性危機につながった。今から考えれば流動性危機は何もしなければ起きることは確実であったが、この1か月間誰も何もせず、1か月のwindows of opportunityは消えて国際金融危機が始まった。
- 対処については、アメリカは、連邦準備制度の法律の13条3項という、それまではまさか使われないだろうと思われていた、FRBが何を買ってもいいという条項を使った。この条項は今は議会により箍をはめられている。中央銀行が市場の代わり(market maker of the last resort)になることによって危機を乗り越えた。日本で言えば、超法規的なものであり、インフォーマルに個人的な関係で動いた。実際にリスクが顕現したときに人間のネットワークが動くという例であり、これをどれだけ予め上手く作っておくかが、危機への対処という面では一番重要な点である。
(3) 人口学・社会学の観点から次のような意見や見解が示された。
- リスクとは、将来に向かった概念である。リスクの認知とその実際の対応の間にタイムラグがあるというのは避けられないが、その程度は変えることができる。そこでは、我々現代世代がどのような将来を描きそれに向かったさまざまな対策を選択して行使し、将来を変えようとすることが重要である。ただ、照会基準とする政策自体が過去をベースに設計されており、また選択にあたっての裁量やその影響・効果において不確実性が入ることから、制度の効果はその設計時点とずれるのはある意味いたし方ない。
- 人口の高齢化・人口減少は想定できる将来である。現時点である程度決まっている将来の部分を我々がどう変えていくかというところで、「選択する未来」が重要な意味を持つ。人口推計も、出生率等、現時点の値、変化をベースとして、3つの程度(低位・中位・高位)の変化を想定したストーリーから将来を投影するものであるので、将来を変えたければ現在を変えなければならないということになる。
- 先ほど将来世代の話があったが、意思決定の場に多様な背景をもつ者が入り、議論の見方・視点を多様にした方が、将来の不確実性に対応するうえにもよい結果を生む。ただ、若い世代は、我々世代を見ながら大きくなっていることもあり、我々がどのように上手く次世代にバトンタッチをするのか重要である。
- 現時点で、十分に活用されていない潜在的な能力を最大限に生かせる間口の広い社会をつくっていくことが極めて重要である。女性の活用についても、よりよい未来を迎えるために、現時点では多少の無理をしても状況を変えていかなければならないという点で正当な試みである。リスクは、将来のことであると同時に、現在の問題でもある。
(4) サイバー・CTの観点から次のような意見や見解が示された。
- ICTは怖いという話があるが、非常に正直に言えばその通りである。パソコンやスマホを無事に使えるのは、それほど重要な情報が入っていないか、またはそれが重要であることをアタッカーに知られていないかのどちらかであるからである。皆さまがVIPであることがハッカーに知られていればただでは済まない。情報の安全性は相対的なものになっている。
- 大型計算機を使い始めた1960年代頃に比べると、ICTに対する脅威は、高度化、大規模化し、広範な、深いものになっている。サイバー戦争はもうすでに起こっているというのが多分正しく、エストニアに対するロシア方面からのアタックがあった2007年くらいあたりが始まりといわれることになるのではないか。
- 東証のJ-comのようなうっかり事故もある。ただ、何百億円という単位であった。しかし、これからは、人の命にかかわったり、兆円単位の話となる事故やサイバーテロは起こり得ると考えておいた方がよい。
- 物理インフラと違い、情報の世界は、モノの世界ではなく、数の世界である。ITの価値は数を蓄えているということに本質があり、IT機器は古いものの方の価値が高かったりする。
- ソフトウエアは、1億行や2億行のプログラムが普通に使われているが、こういうものを完璧に脆弱性なく作ることはできない。この点について重要なポイントとして、完璧なものを売らなくてよいというITの「ベストエフォート文化」のルールがある。パッケージソフトをつくる人たちは、ユーザがこれで損をしても何も保証しないというところから始まる。ただ、実社会で彼らがprestigiousなポジションを保とうとすれば、普通の人には損害を与えないようにしなければならないという論理である。インターネットの接続性やスピードについても然りである。
- ベストエフォート文化が技術を前に進めることには作用しているが、一般ユーザにリスクを押し付けていることは間違いない。さらに言えば、ITはある時期から法律や社会倫理等のグレーンゾーンに分け入ることで発展してきた。グーグルとかアップルとかは、かつての日本人の感性とは違うところで世界を席巻してきた。
- ITのリスクを考えるときに気をつけなければいけないことは、そういう風潮に反旗を翻すと世界の経済から取り残されることである。実際に日本は少し遅れた。経済的に致命的なダメージを受ければ、サイバーセキュリティを守ることができなくなる。経済とセキュリティは一体化しており、情報を上手に利活用しなければいけないと同時に守らなければいけない。保護の方もしっかりしないと、経済活動に支障をきたす。例えばEUの基準を満たさないと、彼らの情報を流してくれなくなる。
- サイレントマジョリティの一人としての個人が狙われることはまずないが、未知のウィルス、あるいは発見されても対策がとられていないウィルスによる攻撃-ゼロディ攻撃 -は絶対に防げない。攻撃されて変な挙動を示したときに改めて止めたり、別な対策をとったりするが、ITのレジリエンスというのは多くこのような意味で使われる。完全防御できるものは防御するが、むしろ未知のものが来たときにどうやって被害を小さくし、どうやって立ち直るかということであり、ITはベストエフォートの文化になった瞬間に、一番高度な部分ではレジリエンス以外にはありえない世界になっている。
(5) レジリエント・ガバナンス、社会保障制度、人口問題の観点から次のような意見や見解が示された。
- 実際に世の中で起こるリスクは、不確実で想定外のものもあり、事前に手当てすることは難しい。現実のリスクは、個別に生じるわけではなく、各種のリスクが同時に起こりうる。複合的なリスクが起こった時にどうすべきかという問題がある。3.11のときに、想定外、想定外と言われたが、リスクはそもそもそういうものであり、それにどう対応するか、さらには、何を守るのか、という発想に立ったとき、違う見え方がするのではないか。
- ITの調査で、フィンランドで聞いたときの話は興味深い。フィンランドの場合、どのようなリスクが起こったにせよ、社会的機能がダメージを受けることとなり、そのときにいかにダメージを最小化するか、いかに早く回復をするのが社会的なあり方として望ましいか、また、何がおこったとしても対応できる方法は何か、を考えた方がよいという観点に立っている。
- 社会的機能を維持するためには何が重要であるのか、その優先順位をはっきりつけて、限られた復興能力をそれに集中させなければいけない。フィンランドの場合には、優先順位をつけて国民に周知している。一番はエネルギー、第二にコミュニケーションの手段、第三に物流そして金融、それから第四に食糧、メディアの順であり、後順位のものが先順位のものに依存する。したがって、最初に考えることは、全てを動かす基となるエネルギーをどうやって早く回復し、確実に供給していくかいうことになる。その後でコミュニケーション手段を回復し、それからものを運んでいくということになる。
日本であれば食糧とか医療とかがトップにくるが、エネルギーがないと動かない。これが全ての国に当てはまるかどうかは別として、こういう考え方そのものは非常に重要ではないか。 - 先ほどレジリエンスはどういう意味かという質問があったが、一言で言えば復元力、できるだけ早く元の状態に戻すことと言える。 災害の場合、非常に深刻になるのは医療である。病院は一定の患者が毎日くることを想定しているが、災害が起こった場合には医療を必要とする人が大量に出る一方、医師とか看護師が医療機関に行くことが難しくなる。また、医薬品が不足し、電源も危うくなる。このような状態の中で、どうやってきちんとした医療サービスを提供するか、それを考えておくのがレジリエンスの問題である。
- 災害類型を縦軸に並べ、社会的機能を横軸にマッピングしてみれば、地震等の自然災害の場合には、社会的インフラストラクチュアが破壊されることから、その復旧が大事になる。パンデミックの場合には、ハード系のものはダメージを受けないが、我々の社会を成り立たせるためには物流が必要であり、そこに多くの人が従事している。パンデミックに対しては人の移動を制限することが効果的な対策となるが、そのときどういうことが起きるかが問題となる。
- 大都市の場合、非常に複雑なネットワークが相互に依存し合っている。立体的な形でインフラストラクチュアがどのような構造をもっているのかを調べていけば、共通の脆弱なポイントが見つかるかもしれない。こういうメカニズムをきちんと把握したうえで、事前のリスクマネージメントから発生後のクライシスマネージメント、発災後の対応とその後の社会的機能が低下した段階での社会の維持、さらに復興を速やかに行っていくこと、これらによって、被害を最小化することが社会的リスクマネージメントではないか。これがレジリエント・ガバナンス研究会で言おうとしたことである。大学の研究の規模ではかなかできないので、できれば政府に関心を持ってもらいたい。
- 人口問題について、国立社会保障・人口問題研究所の推計では、現在の合計特殊出生率が変わらないと仮定するならば、計算上はおよそ1000年後には最後の日本人がいなくなる。一方、原子力発電所から出る高レベル核廃棄物は、地下に数百年置いて冷却し、その後何万年か管理するといわれている。誰のために誰が管理するのかという政策は、今の人口の問題と重ねて考えたとき、もう一度考える必要がある。
- もう一点、高齢者の有権者数が増えてきている。有権者数に占める高齢者の割合は2010年で大体30%,であり、2060年には45%を超える。これに投票率(20代40%程度、60歳以上は80%を超える)を掛け合わせると、投票行動だけ見ると高齢者バイアスが起こってくる。さらに、これから都市部、特に首都圏で高齢者が爆発的に増大する。今裁判も行われているが、1票の価値を平等にしていけば人口の多い地域の代表者が増える。これらを全部合わせると、首都圏の高齢者が非常に大きな政治的影響力を持つことになる。農村部の若者は代表してもらえなくなる。このように高齢の人々が自分たちの利益を優先するようになったとき、政治的意思決定のバイアスは、若い人たちにとっては大きなリスクとなる。
財政危機、金融危機などの人間の営みに基づくリスクについて、次のような意見や見解が示された。
- 財政の話と地球温暖化の話はそっくりである。マースリヒト条約の60%と気温上昇2度の話もあったりする。また、財政破綻がいつ起きてもおかしくないという意味では首都直下型地震とも似ている。財政の話と人口の話もよく似ている。大分前からこうなるということはわかっていた。
- 財政や少子化などは、世代間の利害が対立してしまって、社会の存続にとって一番いい政策決定ができないというタイプの問題である。我々は、近代化の過程でかなり素朴に、政府とか有権者は、長期的な社会の存続にとって害のある意思決定はやらないだろうと思っていたが、意外にそうではなかった。世代間の利害対立が起きたときに、それを調整するメカニズムが現代の社会にはない。これから高齢者の政治力が強くなれば、より対立が激しくなってくる。これが財政や少子化の問題の原因になっている。多様な人が意思決定に加われば問題が緩和されるという見方については、多様であっても現在の我々という枠から逃れられないことから、悲観的に見ている。
- (財政と金融を比べれば、金融危機は繰り返し発生していて、かつ監視機関もあり、財政よりはシステマチックに対応できているようにも見えるが、それでもインテリジェンスがないと予測が不可能とすることについて、という問いかけに対して、)財政危機も頻繁に起きている。日本の場合は非常に特殊な例で、本来ここまで悪くなっていれば、とっくの昔に危機になっていなければいけない。世界全体の話とは全く違う話である。金融危機も最近は頻発しており、100年に一度の危機が2年置きぐらいに起きている。財政の危機と金融の危機は本質的に同じであり、かつ結びついている。ユーロの問題は半分以上は財政の危機である。
- 本調査のリスクは、ダボスのリスクとつながっているが、国によるスピードの違いを考える必要がある。practitionerの立場からすれば、まず考えるべきことはトリアージュである。3.11のときは実際に、計画停電というトリアージュがあった。日本銀行の計算センターがある地域も検討対象になったが、そうなれば日本の金融市場は大混乱に陥っていた。しかし、エネルギー担当者はそのことの理解がなかった。実は、何が重要なのかということ自体も実際にはわかっていない世界ということである。
- アカウンタビリティーの問題もある。何かをするにはアカウンタブルでなければならないが、かなりの部分は説明できないことが多い。トリアージュは専門家に対する信頼がなければできない。3.11のときには、この信頼がかなりの部分で崩れていた。リスクが顕現化し、クライシスマネージメントが必要だがクレディビリティーが失われていたときに何をするかが本質的に重要である。
- 財政再建についても同様である。誰がクレディビリティーを持っているかが重要であるが、特に将来のことになればなるほどエキスパートのクレディビリティーが下がってくる。その中でやるべきことをやらなければならず、このときどうするかが最も重要な点である。
- 財政の問題についてのトリアージュは結構大事である。財政危機がもし起きたら、結局増税とか歳出をカットして、財政の健全性を回復したという姿をマーケットに見せるしかない。いろいろな歳出項目の中でどれを先に切っていくのか、今のうちに準備しておくことが重要であり、地震の際の避難計画と似ている。金融危機の場合にはどんな原因で起こるかわかりにくいが、財政の場合はやらなければいけないことはかなり明白である。
- トリアージュについてパンデミックの話もあったが、厚労省はまだ行動計画を決めていなかったと思う。優先順位には、ハイリスクを一番にするものと、将来世代を重視して子供を先にするという二案が併記されたままになっている。決めておかないと大変なことになるのではないかと思っている。
人口問題について、次のような意見や見解が示された。
- 日本創成会議のレポートにあって最も重要なポイントは、各自治体が自ら危機感を持って能動的に取り組むべき地域の深刻な問題を明らかにしたという点にある。
- 世代間の問題については、社会学のもう一つの側面である親子というミクロな世代間の話がある。少子化が進むと、兄弟がいなくなり、一人二人のこどもに親の財産を分け与え、結果的に一人あたりの相続額が高くなることもありうる。マクロでの現役世代対引退世代というところでは若年(現役)世代の一人あたりの負担は増すが、そこに親子という特定の属性を入れれば別の関係が見えてくる。異なるレベルで利害が対立、混在しており、世代間の問題はなかなか難しい。
- 日本の人口動態をみると、合計特殊出生率の低下が50年代に急激に短期間で起こっており、それがタイムラグを伴って人口高齢化が加速した。1990年の「1.57ショック」から少子化対策が出てきて四半世紀になるが少子化からの脱却の兆しは見えてこない。特に、出生率を議論するにあたっては、個人が何人の子供を何時生むかという個人の選択の問題が介在する。この点を無視してマクロな政策を展開することはできない。
- 人口の動態は予めわかっているというが、過去のデータを見れば、日本の人口推計は、ごく最近を除けば40年くらい外れ続けてきた。将来起こることについての人口推計そのものは非常に不確実である。非常に小さな変化が将来に非常に大きな影響を及ぼす。そのときにどう対応するかの視点を持たなければいけない。
- 人口推計については、当たるか当たらないかという枠組みで論じる性質のものではあまりない。人口推計は現在を基準値として将来を投影するものである。現在が変わると、当然見えてくる将来もまた実際の将来も変わってくるものである。
- 日本だけを考えてはいけない。例えばブラジルの場合、特殊出生率は50年代は6を超えていたが、今は1.8くらいである。少子高齢化の問題は、他の国との相対的なスピードによって、世界の経済のシステムの見え方が大きく変わってくる。リスクそのものをダイナミックに考えていかなければならない。
ベストエフォート文化と他の分野におけるゼロリスク文化など、ICTについて、次のような意見や見解が示された。
- ICTの専門家ではない立場から見ると。ICT分野以外では新規技術についてゼロリスク文化が蔓延していて、「何かあったらどうするんだ症候群」があり、多くの良い技術や製品群が世に出なくなっている。ICTの分野だけがベストエフォート文化でやっていることには驚きがある。
- ベストエフォート文化について本気で考え出すと大変な問題になる。原発事故が我々に示したものは、ゼロリスクを主張してきたものがそうでなかったいうことである。アメリカでは、定量的な評価により、全原発が1年間で事故を起こす確率がゼロではないという数値が以前から出ていた。そのときにどういう対策をとるかということも考えられていた。
- ゼロリスクを技術の根幹に据えることへの疑念が3.11によってかなり顕在化した。学術会議の工学システムに関する安心と安全という分科会の報告 付録では、人間がどのくらいの確率で死ぬリスクを負えるかという議論をしている。大体100万分の1未満の確率で死ぬということであればしょうがないということになるかどうか。飛行機事故で死ぬ確率は我々でも100万分の1より高い。ただ、多分1000分の1で死ぬ確率を多分我々は受け入れることができない。グレーンゾーンが1000分の1から100万分の1ぐらいかなといった話は、あらゆる場面で議論するべきときが来ているのかもしれない。報告自体は、やらなければならないと言っているものではなく、いろいろな事故で亡くなっている方の分布の状況等のデータを議論の素材として示しているものである。こういった議論をすることをタブーとすること自体が非常に大きなリスクかもしれない。
- 金融は基本的にデジタルの世界、つまりICT である。したがって、ICTに関するものは全部金融に当てはまる。一つ当てはまらないのは、ベストエフォートではなくゼロトレランスになっていることである。この二つは全く相いれないところに実は大きな問題がある。今の金融システムがなんとかもっているのはまだ表層部分的に対するアタックであり、それをしても小さな儲けにはなるが、巨大な儲けにはつながらないからである。ところがもし金融ICTの、根源部分にサイバーテロが起きるとすると強烈な影響を持つ。ICTは工学とされているが金融と直接につながっている。
- 高齢化において、特に医療の問題と社会保障の負担の問題にマイナンバー等の国民番号制度を活用すべきである。リスクも随分言われているが、これからの社会保障を支えていく場合、若い人に負担を課すことには限界がある。高齢者間で、特に資産を持っている人に負担をしてもらう必要がある。世代間の再配分ではなく、世代内の再配分をどう考えるかというときに、フローだけではなく資産の部分についても、負担をしてもらわないと財政的にもたなくなる。
- 医療の場合、若い人は治すという医療であるが、高齢者は退院後も在宅で医療が必要となる。様々な治療を在宅で効率的に行うためには、一人一人の健康状態の情報をどのように集め共有するかが重要となる。質の高いケアをしていくためにも、データベースに基づいて国が健康管理を行っていくことが避けがたくなるだろう。
- 最もドラスチックには、ICTの最大のリスクは人知を超えるICTができるかもしれないということである。知性という意味でレベルが三段階くらい高いものができると我々の社会は見下げられることにもなりかねない。本当の知性というものは今のICTにはないが、それが起こったときは全てがひっくり返る。一方、うまくいけば、自律ロボットによる宇宙資源の開発や癌の治療などという素晴らしい知性による人類への貢献といういい未来も考えられる。
- 介護・医療での情報共有も含めて、ICTの導入には積極的に取り組まなければならない。ただ、ここでのICTは空間的に垣根のないICTではなく、コミュニティーがベースとなって、その中で活用されることにより意味がある。最後は人間だと思う。
- ( ICTと雇用の関係については) ICTによって人々の総量としての効用は莫大に大きくなった一方、ICTは限界的に一単位あたりのコストを大幅に下げたために、雇用に影響も出ている面があるが、ICTそのものが経済に対して悪い影響を与えているということではない。
- マーケットは、実際にそうなっているかということではなく、皆がそう思っているということで動く。この工学と金融の世界の違いをわかっていないと危険である。サイバーテロもこの種のものを使ってくると非常に危険である。アタックは自分が直接ではなく、他人にアタックさせることでもできる。例えば、銀行の取付とか、今度のリーマンショックの時におきた市場でのマーケットランである。これと同じようなことはエネルギーなどの分野でも考え得る。
会場からの質問
Q シンガポールで、都市計画等の政府の部署があり、データを活用して政策を行っている。ICTを活用したうえでの課題の発見とか対策とかは政府でとられるのか。
A シンガポールは、様々な分野でデータを用いて精密な政策を行っているし、経済的利益を最大化するためにいろいろな政策を合理的にやっている。裏返して言うと、所得が低く、国家にとって負担になる人にとっては非常に厳しい社会をつくっている。
人口問題はそのうち日本よりも厳しくなると思われるが、ならば移民を入れればいいという発想である。日本の場合は、必ずしも同一に論じられず、人口の問題は厳しい。人口の問題は、少子化になってもしばらくは高齢化により増える要素があり、それから減少に向かう。危機に気がついた段階で舵をきっても変わらないことに注意する必要がある。
A 都市計画にもろもろの個人データを収集して総合的に最適化していくことは、ビッグデータの分析と活用という観点からも見られる。問題は、どこまでそれを中央集権的にできるかである。シンガポールではできるが、日本ではどうか。いろいろな役所に分散しているデータを一つのところに集約できるかどうか。役所をまたぐときは何らかの名寄せ的な作業になり、この権限を誰に与えるかという問題もある。多分第三者的機関が必要になる。その辺の仕組みを早く設計しないと、高齢化の問題が先に来て、医療などで必要な情報処理ができないことになる。
Q リスクを100%考えることは難しく、覚悟が必要である。例えば金融も人間がコントロールしている。覚悟の線を引くことが必要ではないか。
A サイエンティストの見解としては、その手の覚悟が必要な場面は、カオスからカタストロフィーに行く場面であり、そういう可能性を排除できないときは必ず必要なことである。
A 危機のときは基本的には覚悟である。3.11のときは正しくそうであった。
A (ウイルスに対するワクチンが不足した場合、会場の中で相当程度の方が我慢すると回答されたことから、)多くの人が十分覚悟しているのではないか。
A 多様な人を入れることで、意見が収束しないという側面はあるし、また無理にまとめようとすることもないのかもしれない。ここで重要なのは、適切な手続きに沿って選ばれたリーダーがしっかり舵取りをすることである。
A 覚悟を持つには、先ずリスクを知っていないといけない。世の中にどんなリスクがあるかを知ってもらうということで、このリスク・ランドスケープを描き俯瞰することを行っている。
全体総括
次のような意見や見解が示された。
- 社会は複雑系のシステムであり、社会科学分野においても、非線形とか、予期せぬことが起きることについて、工学的なシステムアプローチで分析していくこともこれからの一つの課題である。
- OECDのレポートによれば、2011年の段階で世界15か国においてナショナルリスクアセスメントが行われ、定量的評価が行われているが、日本はこれに含まれていない。これらの15か国ではほぼ、政府の中にその機能がある。大学としても関心があるが、データ等の制約があり、国としてこのような機能を持つことが必要ではないか。リスク・ランドスケープも将来にわたってのホライゾンスキャニングであり、その中の一つとして活用されるようないいものにしていきたい。
- リスク・ランドスケープの問題意識として、欧米では9.11以降オールハザードアプローチをとる動きが活発になったのに対し、日本もそれに匹敵する出来事として3.11があるにもかかわらず社会全体としてオールハザードアプローチをやろうという意識が生まれていないということがある。特定の事件が起きてから過剰にリソースを投入することを繰り返してきたが、3.11以降はオールハザードで、事前にリスク・ランドスケープやリスクアセスメントというアプローチに移ることが自然である。
- リスク・ランドスケープやリスクアセスメントを行うと、例えばトリアージュなどの話が出てくる。その時に費用対効果をどうカウントするかという議論も必要になってくる。例えば人の死も、人数でカウントするか寿命でカウントするかがあり、後者であれば、10歳でなくなる場合と70歳でなくなる場合では違いが出る。そういった多分野にわたる議論をする場が必要になってくる。
- ランドスケープ調査の結果をどう生かし、どう発展させていくかがこれからの課題である。客観的なリスクとこのようなパーセプションリスクとの間にどのようなギャップがあるのか、メディアリスクについて言えば、どういう形で社会的に報道され、どう受け止められるかにかかわってくる。何が本当のリスクかをきちんと発信していくことが重要である。
- トリアージュというのは、もともとフランスの野戦病院において、放置すれば亡くなるが治療すれば助かる人に集中的に医療資源を投入する仕組みである。問題になるのは、治療しても助からない人をどうするかという判断である。
人口減少についてもいろいろな問題が起こってくる。(消滅する市町村やコンパクトシティの議論もあるが、)トリアージュはある意味ではやらなければいけない。どこかで人口が増えれば、その分どこかの人口が減る。そういう政策を冷静に議論する必要がある。わが国で最初にこの問題に直面するのは大学かもしれない。 - トリアージュについては、具体的な局面になった時に誰がどういう基準で決めるのか、という仕組みも非常に重要である。
- いろいろ準備はしておかなければいけないが、日本は明文化する文化ではない。情報には事故調がないが早めに作っておいた方がいいかもしれない。
- リスクアセスメントをやる際には、どこかに人間らしさを担保することも頭の中にいれておきたい。若い人が企業に勤めれば、住む国を選べなくなることも多い。
- 67項目と一口に言うがそれぞれものが違うし、67項目それぞれに大きな世界がある。5分野それぞれ違うものをどういう尺度で一つの平面の紙に落とすかは結構難しい。立体化すればするで錯綜する。作業をすれば時空の広さを感じる。これらをどう処理するかという課題がある。
- リスクのとらえ方について、原因と結果、事象、それに人の対応力があるか、さらにはレジリエンスがあるのか、それをやるには制度論だという話になり、次に制度ではなくて人だとなり、最後は覚悟だということになって、段々ぐるぐる回ってくる。それだけ実は幅が広くて、その中でどの段階からどの切口から設定するかということでもある。一部の自然災害を除き、67目のリスクのほとんどは人がつくりだす、あるいは相当程度人が絡むものであり、輪廻の中で進む話である。
- 自然や人の営みであるから必ずリスクは存在し、ある意味ではリスクと共生している。一つ一つの項目について、ここではリスクという側面から物事を見ているが、相互連関マップからリスクという言葉を外して、事象の相互連関として見るのも一つのとらえかたである。
- 本日これだけ分野の異なる先生方がいろいろな議論をして、それでも話題が何となくかみ合っていることに驚く。ここにリスクの共通性と言うか、人の営みの共通性、人から始まって人に入る、そういった輪廻の世界を考えてみるのも面白いかもしれない。
- この調査は始めてまだ半年目のものであり、方法論についてはいろいろなご意見なども踏まえて改善してまいりたい。そのためには最後は人である。このアンケートは人によって成り立っており、人の基盤が大事である。アンケート調査については皆様のご協力を今後ともお願いしたい。
まとめとして
- こうしたエクササイズを行うことはいろいろなネットワークをつくっておくという意味でも実践的な意味があると思われる。
- 今回のリスク・ランドスケープは、いろいろ割り切って行った部分もあるが、今後、改善を加えつつ継続していきたい。
- この調査は、ダボスをベースとしつつ、日本やアジアの要素を加えて行ったものであるが、アジアや日本の話はやはり重要だと言える。一方、個別の話に落とし込んでしまわないで、日本なりアジアが直面している問題を一般的な言葉で定義し直すとどうなるのかという指摘は重要である。リフレーミングは実戦的な意味を持つ話である。項目の建て方自身が大きな意味を持ち、政策的な含意を持ちうるので、一口解説の工夫も含めてその辺は今後丁寧にやっていきたい。